「ジョーカーというキャラクターの再解釈。トイストーリー4を見たときの感覚。」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ まままさんの映画レビュー(感想・評価)
ジョーカーというキャラクターの再解釈。トイストーリー4を見たときの感覚。
カリスマ的な絶対悪としてのジョーカー。
前作ではそのキャラクターがいかにして生まれたか(というよりは、現実にぎりぎりいそうな人間がジョーカーになっていく様)を描いた。ジョーカーというキャラクターがより身近になった、あるいはその狂気がより身に迫るものとなった。
だからこそその狂気と物語が魅力的だった。
今回はそのジョーカーを普通の人間に戻す話。
結局はジョーカーもただの1人の人間に過ぎないんだと、仮面を剥ぐ物語。
多重人格の一面としてのジョーカー。
アーサーの影としてのジョーカーが、アーサーを乗っ取って、アーサーに罪を着せた(と冒頭のアニメで最初に描かれる)
弁護士も、アーサーは精神疾患なだけで本当は普通の人間なんだと主張する。
ジョーカーという一面が良くないのであって、アーサーは可哀想な過去を持つ人間なだけなんだと。
いやいやちょっと待て!
前作で魅了されたのは、真にジョーカーとなったアーサーそのものだったはずで、アーサーは一対一対応でジョーカーなはず。
アーサーの過去、性格、取り巻く環境が、必然的にジョーカーという怪物を生み出したはず(と少なくとも私は思っている。ただ期待しているだけなのかもしれないけれど)
アーサー!
その分かったような口を聞いて、アーサーを理解したつもりになって矮小化してくるその弁護士を!
ぶちのめせ!
お前なんかに理解されてたまるかと見せつけてやれ!
と思うものの、キスしてクビにはするものの、それで終わり。
そしてついには、アーサー自身もジョーカーではないのだと吐露する。
情けない、みっともない男としての一面を曝け出す。
レディガガ含め、信仰者は離れる。
みんなアーサー本人ではなく、その皮としてのジョーカーという偶像に惹かれていただけなんだと。
同時に視聴者もがっかりしてしまう。
そりゃ、そういう話にしたいという意図は分かりますよ。
けれど視聴者が期待していたジョーカーとは決定的に違う。
トイストーリー4で、ウッディに新しい一面を付加したのと似ている。
人間らしい新しい一面を付加する物語。
しかしそれは物語の続編として、前作を部分的に否定する箇所があったりする。それがどうしても手放しで、純粋に監督の意図を評価できなくさせる。
うーん、思ってたのと違う、という視聴者本意の感想ではあるものの、エンターテイメントの点で引っ掛かりになってしまっている。
じょあ監督の意図を尊重して冷静に考えようと頭を切り替えてみるも、
アーサーは何をきっかけにその吐露をしたのか?となる
自分のことを好きだと思っていたレディガガに嘘をつかれていたから?(そうだとしたらあまりに爺すぎる。ジョーカーはハーレイクインの好意を笑いながら軽く便乗するくらいが良いのであって、弱者男性として翻弄されていて欲しくないという淡い願望がある)
刑務所の若手がボコボコにされて死んだから?死を意識した?
うーん、アーサーが弱気になる理由もその描写も説得力がない。
物語の終盤だから急遽反省してみた、みたいに見える。
そして裁判所の爆破。
受動的にアーサーは逃がされるが、結局レディガガに受け入れてももらえず、捨てられるように再逮捕。
そして殺されて終わり。
悪のカリスマも、本当は惨めな爺でしたよ、と。
うーん。
別にミュージカルは悪くなかったと思う。
アーサーの不安定な感じがむしろ伝わった。インタビュー中に歌い出すやつは漏れなく変なやつ。
空想のミュージカルシーンは、そこで暴力を出されてもいまいち乗り切れない。
うーん。
ジョーカーという前提のキャラクターの再解釈が、あまりに観客の期待するものとずれているんじゃないかという、観客主観の感想でしかないが、うーん、となってしまう。
申し訳ない話。
