劇場公開日 2024年10月11日

「虚像と実像」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ ミカエルさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0虚像と実像

2024年10月15日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

エンディング歌「ザッツ・ライフ」は、前作ではフランク・シナトラ版が使用されたが、今作ではレディー・ガガがカバーしている。「うつむいた日も顔を上げ、私はレースに戻っていくんだ」という歌詞は、レディー・ガガ演じるリーが、ジョーカーという虚像に憧れるようなことはやめ、現実に戻れと訴えかけているようにも聞こえる。
リーは、″ジョーカー″に心酔し、自ら精神病棟に入ることで勾留中のアーサーに接触し、嘘を重ねてその心を掴んでいく。ただ、リーが愛したのは凡人であるアーサーではなく、事件を起こしたカリスマの″ジョーカー″だった。一方、アーサーにとってリーは、はじめて自分を好きになってくれた、もう一人ではないと思わせる女性である。リーとの距離が縮まっていくと、アーサーは生きる活力に満ちていき、自信を取り戻していく。その後の二人の駆け引きはミュージカル仕立てのショーとなって、歌を通した妄想劇が繰り広げられる。
アーサーの起こした殺人事件の裁判が始まると、リーは面会に行き、自分が妊娠したことを告げる。翌日の裁判でアーサーは弁護士を解任し、自分自身で弁護することにした。ジョーカーの扮装をして一人で法廷に立つことにしたアーサーは、裁判をショーに仕立てていくが、唯一の友人に恐怖を与えていたり、慕っていた若者が殺されたりするにつれ、心境に変化が起こる。メイクを取って臨むことになった最後弁論では、陪審員に罪を告白し、ジョーカーはおらずアーサー・フレックしか存在しないと証言する。それを聞いたリーはアーサーの元を離れていく。リーはアーサーが自分の望む存在にはなれないと気付いたのである。
サブタイトルの「フォリ・ア・ドゥとは、フランス語で″二人狂い″という意味で、一人の妄想が複数人に感染していく様を指す。実際、ジョーカーに感染したのはリーだけではない。多くの群衆もアーサーを偶像化し、ジョーカーの解放と再来を求めた。しかし、ジョーカーというのはあくまで虚像であった。実像は孤独ではあるが純粋で心優しきアーサーという人間であった。
人間誰しも多面性を持っている。虚像と実像の違いに悩まされるということは、普通に生活していてもよく起こりうることだ。ザッツ・ライフ、つまり、世の中そんなもんだと思うことにしたい。

ミカエル