劇場公開日 2024年10月11日

「ハーレイ・クインと同じく、"狂気"をアーサーに求めながら観ている事に気付く。」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ アルさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5ハーレイ・クインと同じく、"狂気"をアーサーに求めながら観ている事に気付く。

2024年10月15日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

難しい

あの衝撃から気が付けば5年が経ち、その続編である本作は酷評の嵐。だがこの映画、決してつまらない訳ではない。前作からちゃんと引き継がれた、圧倒的な『作品』。
レディー・ガガの歌を含めて、演出、演技は最高。この映画はやはり『娯楽』として観てはいけない。

アーサーからジョーカーに変わっていく前作、
ジョーカーからアーサーに戻されていく今作。
自らメイクをしてジョーカーになっていった前作に対し、リー(ハーレイ・クイン)にピエロのメイク(好意)を施されてジョーカーになり、刑務所ではピエロのメイク(虚構)を落とされる。

鑑賞者はジョーカーに魅せられ心酔したまま5年(作中では2年という設定)。リーや民衆と同じくジョーカーを求め、アーサーの行く末とこれから起こるであろう狂気を期待しつつ、刑務所と裁判、そしてアーサーの妄想を通して"現実"を嫌という程に意識させられる。

リーのジョーカーへの恋と憧れは、正に鑑賞者と同じ視点。だがこの世界線のジョーカーは、バットマンとは戦わないアーサー。
ガリガリでジョークも面白くなく、カリスマ性など本来皆無の精神を病んだオッサンである。

裁判でのアーサーの変化、ジョーカーとしての自覚。垣間見える狂気にワクワクしている自分は、『正常なのか?』と自問自答してしまう。

期待MAXで観ると、淡々とゆっくり進む展開に苛立ちと退屈さが押し寄せてくる。音楽が"人生"と"心の安定"に重要というのはわかるが、少し過剰な押し付けにも感じてしまう。ここに何処まで耐えて、アーサーを理解出来るか。

冒頭のアニメシーン、わざと鑑賞者の記憶に残る様に実写にしなかったんだと思う。

フィリップス監督がこれで『作品』として完結させ、この世界線でさらにもう一つの『娯楽版JOKER』を隠し玉でサプライズ発表してくれたら、心の底から最大級の拍手と称賛を贈りたい。

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アル