「【ジョークにならない映画】」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ てっぺいさんの映画レビュー(感想・評価)
【ジョークにならない映画】
悪のカリスマとなった男のその後。ホアキン・フェニックスが初の続編に出演した理由の一つ、まさかのミュージカル演出は、物語に効果的に影響。ラストの衝撃も含めて、完成度がジョークにならない。
◆概要
「ジョーカー」('19)の続編であり完結編。第81回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品作品。
【監督】
「ハングオーバー!」シリーズ トッド・フィリップス
【出演】
「ボーはおそれている」ホアキン・フェニックス
「アリー/スター誕生」レディー・ガガ
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」ブレンダン・グリーソン
「マルコヴィッチの穴」キャサリン・キーナー
「デッドプール2」ザジー・ビーツ
「ゲーム・オブ・スローンズ」リー・ギル
【製作費】$200,000,000
【公開】2024年10月11日
【上映時間】138分
◆ストーリー
理不尽な世の中で社会への反逆者、民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカー。そんな彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。ジョーカーの狂気はリーへ、そして群衆へと伝播し、拡散していく。孤独で心優しかった男が悪のカリスマとなって暴走し、世界を巻き込む新たな事件が起こる。
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◆以下ネタバレ
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◆アーサーvsジョーカー
ジョーカーが自身の影と一悶着するアニメで始まる冒頭。ホアキン・フェニックスは、本作が「アーサーvsジョーカー」の物語だと語っている。あのアニメが示していたのは、本作で描かれる、アーサーが自身に宿るジョーカーと対峙する図式そのものだった。アーサーは妄想の世界で幾度もジョーカーと化し、自身の弁護もジョーカーの力を借りんとばかりにその姿を変える(ジョーカーの姿でも“バカ笑い”が出る際はアーサー、“バカ笑い”がアーサーかジョーカーかを判別するフラグになっていた)。唯一の友人であるゲイリー(妄想の結婚式でも唯一列席していた)に精神的な重荷を背負わせた事に気づくと、ついにアーサーはジョーカーと決別する事を決意する。しかしそれが皮肉にも、愛したリーの熱を冷めさせてしまう、アーサーの理不尽で不幸すぎる運命には本作でもひどく心が痛んだ。
◆リー
そんなリーという存在が登場する事で、一時的にではあるがアーサーの心が安定した事と、ミュージカル調に仕立てるという抜本的なアイデアが生まれた本作。ホアキンは「誰がジョーカーを題材にミュージカル映画を作ろうとするだろうか」とまで語っている。タップダンスまで披露してしまうほど(初めて練習したそう)、アーサーの心の絶頂が伝わるようで、それは逆に決別時の落差に繋がり、効果的な演出になっていた。ガガもやはりシンプルに歌が上手い。あの大階段で別れを告げられるシーンが特徴的。登場人物が連鎖して歌い踊り出すのがミュージカルの通例ながら、歌うのを止めるアーサーと歌い続けるリーという、何気に見たことの無い世界観が本作でしかできない演出だと思った。
◆フォリ・ア・ドゥ
アーサーにジョーカーのメイクを施すリー。面会室ではガラスに赤を塗り、ジョーカーの笑顔を求めた彼女は、結局はジョーカーとしてのアーサー、もしくはアーサーの中に宿るジョーカーを愛していた。サブタイトルの「フォリ・ア・ドゥ」とは、妄想が伝播する精神病を意味するそう。リーはまさに、ジョーカーが発信した悪が伝播した存在だった訳で、その発信元が消えた途端に彼女の病が消え失せるのも頷けた。ラストでアーサーを刺した囚人(記憶の限りでは、劇中で2度ほどアーサーへ羨望の眼差しを向けて登場していた)も同様。“ジョークを思いついた”と、まさに“ジョーカー”になりきろうとしたあの囚人がアーサーを刺した訳こそ不明だが、倒れたアーサーの後ろで囚人が行っていたのは、自らの口をナイフで裂いているように自分には見えた。つまりジョーカーに形からなりきろうとした訳で、直後のタイトルの通り、彼もまた「フォリ・ア・ドゥ」の存在だった。正解は分からないし、いわゆる“委ねる系”のラストではあったが、解釈続きでもう一つ。最後に面会に来たのは誰か。大階段で別れを告げられた時、心から愛した人との決別にアーサーに出て当然の“バカ笑い”が出ていなかった事を考えると、あのシーン全体が妄想である解釈も可能だと思う。もし面会人がリーであったなら…。直前で息絶えたアーサーの、やはり不幸すぎる運命に心が痛む。
◆関連作品
○「ジョーカー」('19)
前作。第92回アカデミー賞主演男優賞、作曲賞受賞作品。 Netflix配信中。
◆評価(2024年10月11日時点)
Filmarks:★×3.4
Yahoo!検索:★×2.8
映画.com:★×3.0