劇場公開日 2024年10月11日

「DCU版『ジキル&ハイド』?」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5DCU版『ジキル&ハイド』?

2024年10月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

感想を書こうかどうか迷う作品でした。という言い方をするとつまらなかったのかと誤解されそうですが、非常に興味深く鑑賞させて貰いました。
冒頭から何故こんな書き出しをするのかというと、個人的に前作『ジョーカー』には続編は要らないと思っていたのと、事前に本国公開で酷評の嵐だったという噂を聞いていたからというのも少しあります。
更に今回は少し変則的な見方をして本作を鑑賞した後に無性に『ジョーカー』を見返したくなり、家に帰って直ぐに(公開時から)2度目の鑑賞してしまい、あらためて『ジョーカー』の凄さに圧倒されてしまったので、見たばかりの本作『フォリ・ア・ドゥ』が既に少し霞んでしまいました。
だからと言って、本作が酷評の嵐になる程の出来の悪い作品では決してなく、単純に個人的期待値と違ったという(アメリカ人の)短絡思考ファンの多さを表しているだけの現象だと思えました。
だから酷評の嵐という噂を聞いても全く信用していなかったし、むしろ私は続編は要らないと思っていた作品がどのように料理されたのかの興味の方が強かったですね。しかし、酷評した人達は続編にどの様な作品を期待していたのかが逆に気になりましたよ。

『ジョーカー』の凄さって「アメコミのキャラを使って、それをリアル世界に当てはめたらどのような人間ドラマが生まれるか?」の一種の変則的な実験的作品であり、それは通常のアメコミ映画のエンタメ要素を排除し、人間ドラマに徹することでこの様な変種の傑作が生まれた凄さでしょ。
なので当然続編もそうあらねばならない訳で、だから個人的には続編は要らないと思っていたのですよ。で、本作を見て同じ監督やスタッフなので当然前作のリアルテイストを守った流れなのだから、必然的にこうなるよなという作品に仕上がっていましたよ。
上記と重なりますが、逆に酷評をした人は本作をどのような作品にして欲しかったのか?それが知りたいです。

私の鑑賞後の個人的な意見としては、『ジョーカー』の続編としては別になくても良かったけど、作るとしたらこのやり方がベストだと思うし、ヘンに方向転換しなくてホッとしました。
ただ、本作のタイトルは『ジョーカー』ではなく『アーサー』にして欲しかったですね。この映画は2作でジョーカーとアーサーの両方の物語を完成したかったような気がします。
言わばDCU版『ジキル&ハイド』として、人間の二面性を同等(同量)に描きたかったのかも知れませんね。

追記.
冒頭のアーサーの瘦せ過ぎた半裸の上半身の後ろ姿が本物なのかCGなのかが凄く気になってしまった。特に(確か左側?)の肩甲骨が気持ち悪いくらいの出方になっていた。
『ジョーカー』の時よりも痩せていたが、帰ってから『ジョーカー』を見直すと同じように左肩甲骨が飛び出ていた。
CGでなく本当に痩せてそうなっているのなら、ホアキン自身の身体の歪みという事になり、あれは整骨院に行って治療しないといけないレベルの身体の歪みだと思える。
あれがCGで演出ならば、ジョーカーとアーサーのバランスの悪さを身体でも表していたのかな?

シューテツ