マッドマックス フュリオサのレビュー・感想・評価
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正直物足りなさがありました…
今年午前十時の映画祭でマッドマックス、マッドマックス2を劇場で鑑賞、リバイバル上映で怒りのデスロードを劇場で鑑賞。
マッドマックス2をリブートしパワーアップさせた様な怒りのデスロードから9年後の2024年の作品。
最初から最後までハイエナジーの怒りのデスロードの様な作品を想像していたので、少々物足りなさを感じてしまいました。
時系列的にも「マッドマックス フュリオサ」→「マッドマックス 怒りのデスロード」で観るのが個人的にはオススメです。
今年はマッドマックスシリーズが劇場で観れて嬉しい!
いっそサンダードームも劇場でやってほしい!!
さすが、分かってらっしゃる
あの大傑作『マッドマックス 怒りのデスロード』の続編を喜寿を超えてまだ作ろうとするジョージ・ミラー監督には感服しますが、あれだけの作品の後ですから、何を撮っても比較されてしまうに違いありません。でも、前作の実質的主人公であったフュリオサに今回は焦点を当て、それにアニャ・テイラー・ジョイを起用したと聞いて「さすが、分かってらっしゃる」と思わず膝を打ちました。これは嫌でも期待が爆上がりです。僕には珍しく満を持してIMAXで鑑賞しました。
さて、今回は前作で女性らを連れてイーモータン・ジョーの下を脱出したフュリオサの前日譚を描く物語。うむ、やはり砂漠を爆走する様々なアクション・シーンは文句なしの迫力で、度々「ヒャッハー」してしまいました。アニャのみが放ち得るあの目力も抜群で、IMAXの威力を堪能できます。
前作を含めこれまでのシリーズを観ていなくても大人から子供まで楽しめる作品である事は間違いありません。でも、その上で、敢えて申し上げます。前作ではフュリオサ+マックス vs. イーモータン・ジョーと言う対決の構図が明確であった為に観る者も素直に力を籠める事ができました。しかし今作では、彼女の復讐の相手としてディメンタスが配された為、フュリオサ vs. ディメンタス vs. イーモータン・ジョー の三角構造になり、物語のベクトルがやや散逸してしまった様に感じました。
更に、成長したフュリオサであるアニャが登場するまで時間が掛かり過ぎ、彼女が自分の意思で選択し決定して闘うという爆発力が後半になるまで感じられませんでした。
また、前作で次々と登場したようなバカバカしい改造車をもっと見たかったなぁ。
と、前作が突き抜け過ぎていたのでやはり比較になってしまいましたが、今、これを映画館で観ないという選択肢はないと思います。
伝説の前日譚!だけど…
2015年に世界中で「マッドマックス現象」を巻き起こし、第88回アカデミー賞で6部門受賞を果たした名作『MAD MAX/怒りのデス・ロード』の前日譚。核によって文明が崩壊し、暴力と狂気が渦巻く荒れ果てた大地で、1人の少女の“怒り”が覚醒する。
シャーリーズ・セロンが演じた大隊長フュリオサ役を、アニャ・テイラー=ジョイが引き継ぎ、若き日のフュリオサの姿が描かれる。
全体的な完成度の高さは間違いないのだが、評判の良さに対して世界興収は苦戦を強いられている様子。何なら、赤字で終わる可能性が非常に高い。
その要因の一つとして考えられるのが、148分という昨今のハリウッド大作にありがちな長尺なのではないかと分析する。私自身も本作の上映時間が判明した際、「前日譚(スピンオフ作品)である本作が、本編である前作よりも尺が長いというのはどうなのだろうか?」と、若干不安を覚えた。そして、それは残念ながら的中してしまったように思う。
前作が極限まで要素を削ぎ落とした“究極の引き算”で成り立っていた(尺も120分)のに対して、本作は物語を構成している要素含め“今時のハリウッド大作”の域を出ていなかったように思う。勿論、面白いのは間違いないのだが、スピンオフである以上は前作と同等かそれ以下の尺で収めてほしかったというのが正直なところ。
もう一つ私見を述べておくと、やはり前日譚というのが不味かったのではないかと思う。本作を最後まで鑑賞しようと、所詮それはスタート地点に立ったに過ぎず、あくまで「本番はここから」なのだから。
前作がマックスやフュリオサといったキャラクターに感情移入して共に突っ走るライドムービーなのに対し、本作は既に未来が決した上でキャラクター達を見守る事になる。作中登場する懐かしのキャラ達も、その殆どが本編での結末を既に知っている状態。
だからこそ、観客は無意識に一歩引いた視点で物語を追う事になり、距離が出来てしまうのだ。久々の新作でヒットを狙うなら、やはりあの伝説の続きをこそ描くべきだったように思う。
若き日のフュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイの演技力は間違いないのだが、幼少時代の子役と合わせて観ても、小柄で華奢な印象のアニャだと、とても15年の歳月が経ったようには見えず、精々5年くらいだろうと思ってしまった。
左腕を失う件と、それを補う義手を自ら造りあげるシーンはアツい。作中何度か瞳に涙を浮かべるシーンは、パッチリとした大きな眼を持つ彼女ならでは。
幼少時代のフュリオサを演じたアリーラ・ブラウンの活躍も忘れてはならない。“子産み女”として砦の楽園で監禁されるのを恐れ、逃げ出す際にカツラを作る機転の良さが良かった。
フュリオサの母親の仇である本作の悪役ディメンタスを、あの『マイティ・ソー』のクリム・ヘムズワースが演じているのは興味深い。狡猾で独り善がり、目的を果たす為や危機を脱する為ならば容赦なく仲間を犠牲にするペテン師を演じ切っており、ラストで木の養分にされる結末も良かった。
パンフレットによると、ディメンタスとは“認知症”の事で、肌身離さず身に付け「子供の形見」と語っていたクマのぬいぐるみも、自身が幼少期から所持していたものらしく、子供が居たかは怪しいという。しかし、その事が作中では示されない為、幼いフュリオサを生かしたのは、彼女に亡き子供の面影を重ねての、彼なりの唯一残された良心のようにも思えてしまった。
バイカー集団を率いての、時に残忍に、時に優しく、時に演説ぶって指導者らしく立ち振る舞うのも、悪役として一本芯の通っているイモータン・ジョーと比較すると、正に認知症的な「軸の定まっていない感じ」に見え、些か迫力には欠ける。しかし、彼の操縦する古代ローマの剣闘士が乗るチャリオットを模した3連結バイクは最高にイカしていた。
短い出番ながら、故ヒュー・キース=バーンに変わってイモータン・ジョーを演じたラッキー・ヒュームも良い。完全に彼が演じたイモータン・ジョーに成り切っていおり、「やっぱりコイツだよな!」と感じさせられた。
作中唯一の良心と言っても良い、警護隊長ジャック役のトム・バークの眼差しも印象的だった。何処となく、トム・ハーディのマックスと重なるようにも思え、フュリオサが唯一心を開いたのも頷ける。あまりに良い人過ぎて、アクの強いキャラばかりの本作では若干埋もれがちなのは惜しいが。
ところで、左腕を失って逃亡するフュリオサを崖の上から眺めていたインターセプターはマックスで合っているだろうか?だとすると、負傷した彼女を砦まで運んだ事で、本編の前に思わぬ出会いを果たしていた事になり面白い。
面白いと言えば、前作を鑑賞済みの観客には思わずニヤリとさせられるキャラクター達も嬉しい。“鉄馬の女”である若き日のヴァルキリー、医者であるオーガニック・メカニック、人食い男爵に武器将軍、数秒の出演にも拘らず強烈に印象に残るコーマ・ドゥーフ・ウォリアー。つくづく個性的なキャラクターの宝庫だなと思う。
どうしても前作と比較してしまうと、全体的にもう少し削ぎ落とせそうな印象を受けてしまう。だが、唯一ディメンタスのバイカー軍団とイモータン・ジョーのウォーボーイズ達の戦争シーンは、ダイジェストにしてももう少しじっくり見せてほしかった。特に、狡猾なディメンタスがどうやって戦線を離脱して逃亡したのかは見てみたかった。彼の性格上、また仲間を囮にしたのだとは思うが、それによってこれまで彼に付き従ってきたバイカー軍団の面々(特に下っ端)が「付く相手を間違えた」と戦場で後悔するような展開も面白かったと思うのだが。
最後にもう一度断っておくと、本作は間違いなく「面白い」部類の作品だ。しかし、前作のような「名作か?」と問われると、あくまで「昨今のハリウッド大作の中では面白い」という域なのは間違いない。
マックス役のトム・ハーディが、今後予定されているマックスの前日譚の可能性について、本作の興行的不振を理由に「実現する可能性はない」と語っていたが、残念ながらその発言は現実となってしまうかもしれない。
また、せっかく制作されるのならば、やはり前日譚ではなく、あの名作の「続き」をこそ観たいのだ。
2024 48本目(劇場10作目)
個人的にはデスロードの続編として完璧でした。
クレージーなキャラ、特にマイティソーとは180度変わったクリスの演技が良かったし、アニャが可愛すぎました笑笑
また、怒りのデスロードを見直さなきゃ
Road leading to Fury Road🔥
『怒りのデスロード』の凄まじいアクションを期待してしまうと物足りなく感じるかもしれませんが、
フュリオサの生い立ちをストーリー重視で描く続編として完成度の高い作品でした👏🏻✨
若いフュリオサの役は、アニャ・テイラー=ジョイさんが採用されたのは意外でしたが、世紀末の世界観での緊迫した演技が上手かったです。
今作では、砂漠を駆け抜ける車の改造シーンがあったのも良かったですね。
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デスロードでヴァルハラに逝ってしまった、イモータンジョーの仲間たちの個性が垣間みれるシーンが多くてよかったです!
意外と優しい一面があったりするので、デスロードを見るのが悲しくなりそうです😢
ジャックがフュリオサと協力して戦い、フュリオサが故郷へ帰るための手助けをするシーンが良かったです。
ラストのV8カーで砂漠の丘を越えながら、ディメンタス将軍が率いるバイカー軍団を蹴散らすシーンが復讐への殺意が表現されていていました😂
エンディングでは、デスロードでの逃走するシーンがあったので完全に繋がる作品としてまとまっていてスッキリしました。
待望の新作
シリーズものではない単作だったら☆4.5だったかもしれない。
勿論、でーれー面白かった。
しかし、ただ行って帰って来るだけなのにあれほど興奮した「マッドマックス 怒りのデスロード」から約10年という年月が期待値を上げに上げ、、、
不満があるわけではないのですが、前日譚となるとここまでか…と思ってしまった。
それくらい前作が凄すぎた。エンドロールでちょーーーっとだけあのシーンが観れてハッピー
見終わった後、今すぐにでもデスロが観たい!!と思った人も多いはずなのに。
リバイバル上映すればいいのに。てか公開順逆にしてほしかった
V8のような力強さを!!
面白いです。
時間長いですが前半部後半部と分かれている感じで、途中で切り替えれる感じでそんなに時間は気にならなかったです。
流石にデスロードは最高傑作なのでそれには及ばないですが十分です。世界観は引き続き良きです。
この映画は調べる様な映画ではない気がするので特に調べてはないですが、アクションシーンで結構CGを多用してる感じがし、「これCGよね」って思って観てしまいました。デスロードのイメージで観に行っているのでそれでちょっとテンションが落ちてしまうところがありました。
はっきり言ってストーリー云々を語る映画ではないのはわかっているのですが、ちょっと中途半端な感じです。
面白いのですが、色々とモヤモヤしてしまう感じがして、この手の映画的な「爽快感!!」が十二分に感じえれなかったので3.7点ということろでしょうか。
漢を感じる
序盤のフュリオサを救出するために駆け出す勇姿がとても激しく情熱的で映画に引き込まれた。
そして故郷への想いと復讐に燃える力がフュリオサを突き動かす原動力となり、ディメンタスを追い詰める姿がマックスとまた違ったカッコ良さを醸し出し、漢として惹かれるものを感じた。
期待外れ
前作の『怒りのデスロード』が凄すぎた。同じ方向性や同じレベルの作品を期待してると肩透かしを食らう。
アクションシーンの迫力でも前作の水準には全く届いておらず、人間関係も魅力的なものは無い。
最後に悪役と主人公がダラダラと話してるのも興ざめだった。
不毛の大地で狂気に身をゆだねる。
家族を殺されたディメンタスはこの狂気に満ちた世界に身をゆだねた。無秩序なこの世界、法もなくただ欲望のままに搾取を繰り返し貪り食らう。その彼に母親を殺されたフュリオサは復讐を誓いそしてやがて成し遂げる。だが、フュリオサは彼のように狂気に身をゆだねることはなかった。
ディメンタスとフュリオサの違いは何だろうか。この狂った世界で正気を保っていられた理由とは。
フュリオサには信じるべきものがあった。たとえ母を奪われても彼女には帰るべき心のオアシスがあった。そのオアシスの存在のおかげでこのマッドな世界でも彼女は正気を保ち人間性を失わなかったんだろう。
ディメンタスにはこの狂った世界に信じられるものなんてなかった。唯一の心の支えである家族を奪われ、彼はその家族を奪ったけだものたちと同じ存在になり果てた。
二人の戦いは人が混沌とした世界で人間性を投げ捨てその世界に身をゆだねるか、それとも信念を持ち続け人間性を失わず生き続けるかの選択の戦いともいえた。
そしてこの戦いにフュリオサは勝利し、子生み女たちを開放して、自分の故郷を目指すのだった。それはまさにこの混沌とした世界における人類の一縷の希望を思わせる。
不毛な争いを続け命を奪うのが男なら、命をはぐくみ命を紡いでゆくのが女なのかもしれない。
予想していた通り前作のフューリーロードに比べて作品的にはかなり落ちる。前作はその特異な世界観と何より映像のド迫力と息をもつかせぬ怒涛の展開で見る者を圧倒した。本作はその点でも二番煎じだし、前作ほど刺激的でもない。
肝心のキャラクターも弱い。こういう娯楽作品では悪役が重要で、いかに悪役がその極悪ぶりを発揮できるかが作品の出来を左右する。
ディメンタスを演じてるのはこれまたマイティーソーという微妙なヒーローを演じてきたクリス・ヘムズワース。今回の悪役で一皮むけると期待したが、悪役としては何ともおとなしい。フュリオサの敵となる人物だが直接彼が手を下すわけでもなく、劇中彼を悪役として憎めるほどのものがなかった。
とにかくキャラクターの印象が薄い。フュリオサのキャラクターも弱い。アニヤがいままで演じた役の中で取り立てて魅力あるキャラクターとも思えなかった。
総じて娯楽作品としては期待に応えるほどの出来ではなかった。二時間の尺に収めた方がもう少し中身も凝縮されて見ごたえあったかも。興行的に振るわなかったというのも納得。
バカ映画ならバカ映画を貫いて欲しかった
せっかくのアクション映画なんだから、変なテーマとか入れないでひたすらにバカ映画を貫いてほしかった。
復讐劇にしちゃったから主人公の行動に気になる部分が出てきたり、最後がダレたりしてしまう。
また、砂漠・アクションという要素がどうしてもDUNEとかぶってしまうし、そうするとDUNEの迫力には勝てないから見劣りしてしまっていた。
最高
最高だった。すばらしい世界観。
「怒りのデス・ロード」の前日譚になっていて、マッドマックスの世界の魅力的な設定の数々の由来が明かされる。
ストーリーもめちゃ面白い。
なんか全体的に神話や昔話めいていて、そういうところも好み。
主人公が女性であることを隠して生きのびるところとか、故郷への帰り道を入れ墨にして残すとか…。
厳しすぎる世界観だから神話のような残酷さが存在できるのだろう。
ほぼなんですけど
面白かった
おもしろかったけどほぼ全編で殺戮
避けていたので残忍シーンがすぐ予測できない作品でここまでずっとは久しぶりだった
苦手な人にはオススメしません
『PG12』を強く伝えねばと感じてしまった
ほぼずっと追われていて、突如場面変わった?みたいな所がいくつかあって誰がどれで味方でどんな状況?ってのが何度か
残酷描写はしっかり、
いつ関係性変わった?とかはふんわり
そっちもしっかり描写してくれわからんと感じてしまった
総評は面白なんですが、寝なかったし
クリス・ヘムズワースさんの降り幅
には驚嘆。別作品では精悍なヒーローなのにしっかり悪役だった
エンドロールも悲しいBGMで、救いが少なくなんだかずっと悲しかった
砂漠とフェミニズム
安全第一を掲げたい映画だった。このシーンで数人タヒんでます──というような大型アクションシーンが次々に描写され、終始圧倒された。
映画のアナウンスと同時に沸いたのはフュリオサ役のセロンの降板に対する賛否だった。
この映画は前作(Mad Max: Fury Road、2015)がはじまるところまでの前日譚になっているし、セロンは2024年時48歳ゆえ交代はロジカルだったが、観衆の多くは前作のセロンに愛着をもっていた。
なぜならフェリオサは「これまでの野蛮で好戦的な部族に対する解毒剤として、母権制の始まりを設定する」としてマッドマックスの熱砂世界に降りた天使のような存在で、且つ不屈の戦闘力と頼りがいを併せ持っていて、若くてもいけないし母性過多でもいけないし、そんなフェリオサにシャーリーズセロンが絶妙バランスではまった。──わけで、それを見ているゆえに、セロンの降板に意想外な声があがったのは無理もなかった。
しかし情報によると、ミラー監督はセロンに若返りのVFXをほどこす代わりに、若い女優をキャスティングすることにしたのは、不気味の谷効果を期待したから、とセロンに説明したそうだ。セロンはその決定に「確かに少し心を痛めた」がミラー監督の根拠を理解した、とのこと。
『不気味の谷効果とは、ロボットや人形などの見た目が人間に似ていくにつれて好ましく思われるものの、あるポイントに達すると不気味さを感じ、好意的な感情が減少していく現象です。ロボット工学者の森政弘氏が1970年に発表したエッセイのタイトルで、ロボットの人間への類似度を横軸に、人間の感情的反応を縦軸に取ったグラフで表すと、嫌悪感が起きた部分が谷間のように凹むことから名付けられました。』
(Search Labs | 生成AI による回答の概要)
とはいえ、不気味の谷効果云々は謂わば口実で、やはり年齢のことが要因だったと思う。
前作(Mad Max: Fury Road、2015)が開発に入ったのは実に2000年の初頭だそうで、そのときはまだメルギブソンがマックスを続投して、フュリオサはシガニーウィーバーがやる予定だったのだそうだ。大作なので諸問題で延期や遅延を繰り返していくうちに、みんな適齢を過ぎ、配役が刷新されたのは時間経過的に道理だった。よってセロンがアニャ・テイラー=ジョイに交代したのも時間経過的に道理だった。
ただし、セロンの降板にたいする賛否は、アニャ・テイラー=ジョイの登板で否が消えたように思う。むしろ暴力と熱砂のマッドマックス世界に、華奢(きゃしゃ)でエレガントなアニャ・テイラー=ジョイが降臨するという期待に変わった。
映画はフェリオサを主人公にしたレイダースの首長ディメンタス(ヘムズワース)への復讐劇になっている。主人公マックスが出てこない初めてのマッドマックス──だそうで、タイトルにsagaが入っていた。
暴力と砂埃の世界で、最後まで守りぬかれるのは、フェリオサがつねに髪又は奥歯に隠し持っている一粒の桃の種。目の前で母親が磔刑にされた時から、復讐を誓い、種に母親の思い出と希望を封じ込める。そんなフェリオサの残酷な過去に心を締め付けられながら、画は大規模なアクションシーンに圧倒される、こんな体験はマッドマックスでしか得られないものだった。
ところで、ジョージミラー監督は前作で母体として使役されている囚人の脱走というテーマを描くにあたってEve Enslerという劇作家兼フェミニストをコンサルタントとして招き、女性にたいする暴力の問題について俳優たちとディスカッションをさせた──そうだ。
元来、マックスは賊に家族をころされたことによってマッドなマックス=マッドマックスになったわけであり、つねに女性は男性の暴力下に置かれる存在として出てくる。そんなデリケートな素材を扱うために、また時代に即したコンプラに副わせるために、女性の描き方には細心の注意をはらっていた。今回のフェリオサも同様で、女性でありながら強く賢い復讐鬼でもあった。
折りしも「先生の白い噓」という映画の撮影に際して、主演の奈緒氏が「インティマシー・コーディネーターを入れてほしい」と要望したところ、監督の三木康一郎が拒否した、という事案が炎上している。(2024/07)
インティマシー・コーディネーター(IC)とは、性的描写などの撮影シーンで監督や撮影現場側の意図を理解した上で俳優側に伝え、俳優側を身体的、精神的にサポートする役割を担う人のことだそうだ。
何度か言っている構図だが、もし女性が脱ぐなら、その映画にはそれ相応のクオリティがなければ釣り合わない。
たとえば哀れなるものたちで見せたエマストーンのすっぱだかの熱演には値打ちがある。あるいはたとえばラストタンゴインパリのマリア・シュナイダーはレイプのような撮影をされて一生を狂わされたが、なにしろ腐ってもベルナルドベルトルッチのラストタンゴインパリなわけである。では、たとえば完全なる飼育 赤い殺意(2004)の伊東美華はどうだろう。
誰も知らないこの女優のウィキには『度胸を試そうと考えた監督にその場での脱衣を要求されたところ躊躇うことなく即座に全裸になり、陰毛が長いことを理由に「その毛も全部剃るぞ」と畳み掛けられても「結構です」と即答した。このような過酷な要求を即座に承諾する心意気が評価され、その場でヒロイン役が決定したという。なお、この会話から劇中に佐野史郎による剃毛シーンが取り入れられた。』と書いてあるが、日本映画の撮影環境というのは、おそらく『度胸を試そうと考えた監督にその場での脱衣を要求された』りするような、昭和精神論の世界なわけである。
先生の白い嘘の三木康一郎がICの介入を断ったというのも精神論であって、なにせ日本映画界、こういうお百姓さんたちが映画監督なんぞをやっているもんだから、永遠に四畳半の下張りなロマンポルノの現場があるだけ──という構図になっていて、それと同時に、いったい誰が「完全なる飼育赤い殺意」の伊東美華を、「先生の白い噓」の奈緒を、あるいは榊英雄の公開中止映画で脱いだ佐津川愛美を、覚えているのですか、という話である。
うんこみたいな低クオリティの日本映画で脱ぐことは女性問題に寄与しない。だいたいにおいて、その努力や葛藤を誰も知らない。
ジョージミラーが1979年につくったマッドマックスのテーマは人類と生存、復讐、贖罪、家庭、環境破壊、フェミニズム、道徳的退廃であり、そこに母権制を加味した象徴としてフェリオサは成り立っている。
牽強付会かもしれないが、女性の扱いせよ、映画のスケールにせよ、日本の映画製作環境との雲泥の格差を感じた。という話。
imdb7.7、rottentomatoes90%と89%。
ヘムズワースの顔がぜんぜん彼に見えなかった。
デジャヴ? いや、進化も感じられたさ
2024年米豪製作、日本での公開は米豪から1週間後となった。
監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジョージ・ミラー、ニコ・ラサウリス
本作は、2015年公開の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に登場した、シタデル大隊長フュリオサ(前作でシャーリーズ・セロンが演じた)の前日譚という位置付け。よって、マックスは出て来ない。
今作のフュリオサは、アニャ・テイラー=ジョイに代わった。
子供時代役のアリーラ・ブラウンも目ヂカラがあって、とても印象的だった。
1. 到達不能極 (THE POLE OF INACCESSIBILITY)
2. 荒れはてた地の教訓 (LESSONS FROM THE WASTELAND)
3. 潜伏 (THE STOWAWAY)
4. 故郷へ (HOMEWARD)
5. 復讐の彼方 (BEYOND VENGEANCE)
1979年の第一作『マッドマックス』から、すべてジョージ・ミラーがメガホンをとっている。
極めて低予算で作らざるを得なかった第一作を除いて、
すべて同じ世界観だ。
◆2次元の世界から現れたボスキャラ、モブキャラ。
◆近未来という設定ながら、前時代的な武器で戦う面白さ。
◆2輪集団走のど迫力。
◆あくまでメカメカしい巨大車輌。
1979年当時、この企画を考え出し、脚本にし、映像化した時点で「勝ち確」となった。
日本がそうであったように、当時、オーストラリアでも暴走族が社会問題化していたという。
そんな時代背景もあり、バイク(走り屋、暴走族)を主題にした映画はあった。
しかし、『マッドマックス』シリーズは、空想科学(SF)に昇華させてしまった。
本作に話を戻すと、
表面的には、過去作のフォーマット(悪に対する復讐)を踏襲しているようだったが、ラストシーンは少しテイストが違ったように感じた。
ディメンタス(演:クリス・ヘムズワース)に対するシンパシーを感じたのだ。
いま、世界で起きていることを例に取るまでもなく、
単に、「善」と「悪」という2極対比では描けない、
複雑な背景や因果を感じさせる脚本だった。
※例によって?深読みし過ぎの可能性もある(笑)
泣く子も黙る人気シリーズ、
基本的な構成はずっと同じ、デジャヴと言えるほどだが、ラスト数分、「進化しているのか?」と感じられたので☆3.5
カオスの世界でクレバーにのしあがるフュリオサ
展開が非常に多くて時間を忘れてあっという間にクライマックス。
開始からすぐに母を失い、もらった植物(桃?)の種と故郷に絶対に帰る、それだけが希望。
しかし故郷は30年後には砂漠と化す事がわかっているので(前作)、何をゴールにストーリーが進んでいくのかと鑑賞。
イモータン・ジョーなど前作のキャラも出てくる中、ストーリーはやはりディメンタスとの確執へ決着。
またウォータンクの運転手ジャックがいい奴すぎて、裏切りのフラグか?とも思いつつ、やっぱりいい奴だったり、フュリオサの正義感の強さに、戻らないで逃げろよ!と思ったり。
そもそも正義感の強いキャラじゃなかったら冒頭のシーンで逃げきって、このお話はなかったかもしれないので、そこは助けに戻るかと納得。
マッドマックスらしい、マッドな復讐(身体を張って植物の栄養になってもらう)の仕方で終わる。
やろうと思えば2部作にもできたくらいの内容だったなと鑑賞後に感じた。
No.1460 IMAX Laser
フュリオサがかわいい 美少女すぎる!アニャオサも良い。ほっそいから...
フュリオサがかわいい
美少女すぎる!アニャオサも良い。ほっそいからとても闘ったり殴ったりできなそうな感じがあるが
最後のシーンでちょっとガタイよくなっててシャリーズセロン?て思った
ストーリー重視といえど前作のストーリーの方がエンタメとしては良いような気がした
今作はキャラ造形が弱い感じがあった。恋人役の信念とか見たかった
特に信念やこだわりを感じるキャラが少ない
フュリオサはキャラが良かった
少女時代の幸せの余韻の描写は大事。
ひたすら生き抜くため、復讐のため、故郷に帰るため機転をきかせつつ戦い走る
怒りが生きる原動力!かと思ったら途中愛のために頑張ってたりなかなか多面的で良い
絶望の中でわずかな希望に真剣に縋っているのがフュリオサの切ないキャラ造形で好きな要素の一つ。前作のその特性も今作では絶妙に引き継いでいた。全然喋んないけど
ディメンタスがちょいワル親父というか夢だけビッグなダメ社長感がすごく、悪役としてはあまり強くない感じが勿体無い。信念と目的も関連性がなく最後説明されないとわからない弱さというか。
前半でワーボーイのフリして突っ込む作戦は良かったんだけど。
ディメンタスがもっと賢く容赦なく強いキャラだったら話は面白かったろうがどこかのタイミングでフュリオサは拷問されそうだしちょいワル親父じゃ無いとあかんか…という感じ。
拠点の詳しい描写があるので地面に穴掘ってウジ虫食べて生きてるっていうのがわかって面白かった
肝心な復讐シーンで説明的なセリフの応酬がちょっと長かったのは勿体無いなって思った
全620件中、21~40件目を表示