「前作に引き続き、傑作と呼べるレベルに。」マッドマックス フュリオサ image_taroさんの映画レビュー(感想・評価)
前作に引き続き、傑作と呼べるレベルに。
IMAXシアターにて鑑賞。鑑賞後、映画館を後にして駅まで歩く道のりで、「なんて平和なんだろう」としみじみ思うほど、壮絶な本作への没入感は凄まじく、そのMADな世界造形と物語は観る者を掴んで離さない。
前作より30分ほど上映時間が長くなったし、フュリオサの長年にわたる軌跡を丁寧に描いていることもあって、前作の2時間ぶっ通しで爆走する感じとは少し異なって、丁寧に物語っている感じは有り有りと感じられる。が、だからといって観る者の高揚感が前作より劣るかというとそんなことは全く無い。なぜならそこは『怒りのデス・ロード』と同様で、その語りが言葉には頼らず映像そして壮絶なアクションで語るというやり方が本作でも徹底されているからである。
前作同様、一体どうやって撮影したのかと首を捻らざるを得ないようなアクションシーンのオンパレードで、当然目を引くのであるが…本作で観る者に最も強い印象を残すのは、主人公フュリオサを演じるアニャ・テイラー=ジョイの演技だろう。物語の主人公であるにもかかわらず大変に台詞が少ないのだが、非言語的な表現力がとんでもなく、特に目による演技は舌を巻くレベルで、そのエモーションがビシビシ伝わってくる。
前作がとんでもない出来栄えだったので、同じ水準を保てるとは到底予想できるわけがなかったのだが…前作に肉薄するような水準の出来栄えに私は驚き、心を震わせている。プリクエルとかスピンオフとかそんな範疇には収まり切らない見事な傑作である。(“前作超え”を望む人がいるようだが、前作が既に最高クラスの作品。的外れも甚だしい!)
(以下、追記)
『怒りのデス・ロード』公開時のパンフレット等々に書かれたフュリオサの背景が、新作映画と辻褄が合わないと一部で話題になっているようだが、それらは映画の中では語られていないことだ。新作が準備される過程(実際、長い年月を経ている)で、より適切な背景が検討されたということだろう。むしろより望ましいものになったと私は思う。
その変更によって「フュリオサがイモータン・ジョーを憎む動機がわからない」という感想があることに関してだが、そもそも直接的に蹂躙されているから憎むとか憎まないとか、そういう話ではないはずだ。何よりも母との約束を果たさんがために、イモータン・ジョーを倒すよりも逃走する道を始めは選び(その準備のために長い年月をかけた)、その逃走に酷い扱いを受けていた女達を連れて行くことになるが、結局戻らざるを得なくなりその過程でイモータンを倒すことになったわけだ。ストーリー上、何もおかしなところは無いと私は思う。
なお、『怒りのデス・ロード』の方のレビューに、本作を観てから印象が変わったシーンについての感想を追記させていただいた。参考までに。