ミッキー17のレビュー・感想・評価
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翻訳(不)可能な存在者
本作をSFとして、リプリントされ増殖するであろうミッキー(ロバート・パティンソン)の闊達な姿を求めていたのなら期待外れと言っても仕方ない。
しかし『パラサイト 半地下の家族』(2019)のように、誰がみても面白い物語で社会風刺を痛烈に盛り込むことを期待するのなら、素晴らしいし、さすがポン・ジュノだなと思う。
まさに製作国アメリカの政治パロディー。宇宙船内でキャップを被って権威主義的に振る舞う為政者なんて、再び偉大な国にするといいながら、政府職員を大量に解雇し、関税を課して世界経済を混乱させるどこかの大統領や、宇宙に何かと行きたがる世界一の富豪でありながら、クソダサいコラ画像でしか笑いがとれない任期付き特別政府職員のキメラ体じゃないですか。
だが残念ながら本作で描かれるアメリカ政治/社会に対するブラックジョークをただ笑っていられる状況でもない。韓国では大統領が罷免されるし、日本でも躍動とか再生とか、性加害に向き合わない元市長の出馬とか、何かとぶっ壊したり、統一したがるカルト宗教が蔓延っていて散々だ。そして悲しいことに現実は『パラサイト』の時よりも深刻だ。それは「底」の描写からも窺える。
以下、ネタバレを含みます。
『パラサイト』では半地下と富裕層の家族のドラマを描くことにより、階級格差による経済的不均衡を描いた。だが階級は違えど、労働力の供給と受益の共依存により生存は保障されていた。故に殺人が生存を脅かす異常な出来事として描かれたのだが、本作は違う。
ミッキーは経済的不均衡によって搾取されるのは同様であるが、生存は保障されない。エクスペンダブル=使い捨てな「死ぬべき」存在者としてより過酷な扱いを受けるのだ。
それはファーストシーンの「底」からも彼の状況が分かる。
ミッキー17が落下し死にそうになる場所は、救助のロープが届かない氷雪の地下深い「底」である。彼は半地下の家族よりも底辺な位置にいる。そして死に体となった彼を廃棄する焼却炉も「底」にある。本作の「底」とは、生存が保障されない死の階層なのだ。
そんな「底」にいるミッキーは地球外で生存できず“移民”として宇宙に行こうと、さらに酷使されるのが階級上昇の不可能さと皮肉である。だが彼はエイリアンのクリーパーに殺されるのではなく、助けられる。そして底から這い上がることができる。
さらにタブーとされるミッキー17と18の同時存在も起こってしまう。ここからミッキーはどのように、底へと追いやる権力≒為政者に反逆するのかが見所であるが、注目する点は「翻訳」である。
倒されるべき敵は翻訳不可能な存在者である。それは人間ではない未知の生物であり、話が通じない存在者の場合もあれば、悪の組織など自身の正義や主義とは反し、理解ができない存在者の場合もある。
本作においては、クリーパーが敵のように思える。しかしミッキーの救出のように、彼らは人間に加害を与える存在ではないし、翻訳機の発明というテクノロジー的克服によって、言葉を通じ合うことができる。むしろ翻訳不可能な存在者であり、未知の生物たり得るのは為政者の夫妻である。
彼らには話が通じない。同じ言語を喋っているはずなのに。同じ人間であるはずなのに。ミッキーの頭を撃つかどうかで心配するのは、殺傷への良心の呵責ではなく、カーペットが血で汚れるかであり、クリーパーの身体はソースにすると言って無惨に斬る。この通じなさは、「宗教」が原因である。彼らは為政者として政治的に優位な存在である。というか為政者になることができるのは、宇宙船事業を主導する会社の経営者でもあるからだ。
本作の会社とはおそらく株式会社であるが、この組織体もよく考えると不思議に存在する。株式をもっていればいるほど偉くなり、そこに民主主義による平等はない。事業方針はあるとも、目的はただひとつ利潤の獲得である。利潤のためなら、法も犯すしなんだってする。そして利潤を獲得する手段に労働力の行使もある。だが会社の財務諸表に、労働者は資産計上されることなく、人件費として費用計上される。それなら利潤の獲得のために、人件費を使い捨てにしても構わない。そんな株式会社という組織体は資本教とも言うべき、ある種の宗教の教えに従って組織されるものであり、為政者にとって教えに背く反逆者の言葉など翻訳不可能で理解できないものなのだろう。
こういった宗教≒会社が一体となっている考えは、セリフからも確認できるし、ポン・ジュノが意図したことでもあるだろう。昨今の政治によるコミュニケーション不全は、資本教で組織される株式会社の論理の侵入とでも言いたげだ。
ミッキーは為政者の妻のソース作りという「事業」のために、クリーパーの尻尾を切り落とす労働を行おうとする。しかしその労働は、17と18が獲得競争で負けた方が死ぬというデス・ゲームであり、違法なものである。
だがミッキーはこの労働を放棄し、クリーパーとの対話と融和を試みる。そして18はその隙に為政者の男を襲撃し、自爆によって反逆を達成する。
これでミッキーは解放されて幸せなはずである。しかし為政者の打倒がテロリズムによって果たされるのは容認されることなのだろうか。それは現実でも有効な手段になってしまっているが、暴力に解決を求めるのは許されることではない。
もちろん本作がテロリズムだけを解決の道としていないのはよく分かる。為政者の部下がハラスメントを告発する描写があるし、ナーシャが組織のトップに立ち、再建する展開も準備されている。しかしそれらはテロリズムの乗り越えとするには描写が稀薄であるし、現実離れした理想のように思えてしまう。
それならテロリズムにしか、為政者≒権力を打倒する手段はないのだろうか。
いや、そんなことはない。
為政者を話の通じない未知の生物とするなら、クリーパーとは何ものだろう。
きっと私たち民衆のはずである。外見が気持ち悪い存在者を私たちであるとするのは喜ばしいことかは分からない。だが彼らはコミュニケーション可能であるし、決して暴力によって危害を加えない。抵抗の手段は「声をあげること」だ。
その声は悲鳴とも呼ぶべき、翻訳不可能なものである。だがそんな声をあげること、声をそれでも理解可能なかたちで翻訳しようとすること、それがこの散々な世界で私たちが生存するための抵抗のはずだ。
さすがポン・ジュノ監督作品!見応えのあるブラックユーモア映画の誕生です♪
ポン・ジュノ監督のアカデミー賞受賞作「パラサイト 半地下の家族」をはじめて観たときは、度肝を抜かれました。アジア圏初めての受賞作品がこの作品だったのも納得でした。この監督の描く人間はどこか愚かで、どこか小賢しく、けれどなぜか憎めない。
今作品もポン・ジュノ監督のどこまでも深い人間観察力が否応なく発揮されています。楽して仕事が得たいと考えた主人公のミッキーや権力を手に入れて万人から称賛されたいと願うボス夫婦などあからさまに愚かしい人間がストレートに描かれています。その中で、一見優等生にも見えるミッキーの彼女ナーシャでさえ、ミッキーが2人になった時、2人から愛されたいという素直な己の欲望を露わにするのです。思うにこの監督の作品に登場する人物はみな己の欲望に素直なのだ。誰しもが心の奥底にしまい込んでいる密やかな欲望ーそれを叶えた人がどんな人生を送るのか観客は遠目から俯瞰して観察することができるのです。自己満足だけの権力を手に入れても愚かなラストを迎えるだけだ。何度も生き返るなんて愚の骨頂!一度きりの人生だと思うから今を大切にできるんだよ、などなど反面教師による教訓を得ることになる。
同時にこの映画には、人間社会の環境に対するエゴを批判する内容も含まれている。終盤のストーリーは風の谷のナウシカを思わせる王蟲もどきの先住民との抗争になるのだが、ここがもう少し違う終着点だったら私はもっと好きだったかもしれない。なぜなら簡単に予想ができてしまったから😅そこからのラストも結構長いです。ナーシャ、ナーシャ、ナーシャってかんじ😊なんせ137分なんで、見応えは十分です!!
毎回思うのですが、過剰な宣伝が逆に評価を悪くしてしまう映画をたまに見かけますが、この作品もそれですかね。もったいない。確かな実績のある監督作品ですから、宣伝したくなるのも分かりますが、ひとり歩きする宣伝文句に踊らされないようにしましょう。常にニュートラルな気持ちで鑑賞するのが吉でございます♪
ポン・ジュノ式格差社会 in 未来宇宙(逆襲エンタメは少なめ)
ポン・ジュノ作品なのだから、スカッと逆転劇よりも格差の描写に軸足が置かれるのは当然なのかもしれない。
とはいえ、エクスペンダブルであるミッキー17の扱われ方がシビア過ぎて、そしてそのシビアな状態が思ったより長くて、宣伝文句に踊っていた逆襲エンタメとか反撃といった言葉に触発された期待とは裏腹に、キツさが先に立ってしまった。
キツさを感じたのは、彼の設定やマーシャル夫妻の振る舞いによって寓話的に表された現代社会の病巣が、妙に生々しかったからかもしれない。
格差社会の下層にいる人間は使い捨てのリソースであるということ。物理的に使い捨てにされるというデフォルメされた設定により、その残酷さが可視化される。
上層の人間の傲慢さ。新興宗教をバックグラウンドに持つケネスの横暴ぶりには、現実の政治家を連想する人もいるだろう。だが彼は地球の議員選挙には落ちているので、この作品世界の世論は此方の現実よりはマシなのかもしれない。
俳優陣が素晴らしかった。17と18の二役を演じたロバート・パティンソンはやっぱりすごい。同一人物のコピーだがちょっと性格が違う2人を絶妙に演じ分けていて、きちんと表情が違うので胸に数字を書かれる前でも区別に困らなかった。
そして、何と言ってもトニ・コレットですよ。「陪審員2番」での悩める法曹役が記憶に新しいが、一転してこの憎たらしいささやき女将ぶり。終盤でナーシャに首4の字固めをかけられた時の表情で笑わせるかと思えば、ラストでミッキーの妄想に出てきた時には、一瞬でその場の空気をホラーに変える。最高です。
マーク・ラファロと組んでの無敵な悪役ぶりが、ミッキーの環境の残酷さを際立たせていた。
ニフルヘイムの先住生物クリーパーって、あれ……ナウシカの王蟲っぽいような……造形が似てるし、有毒な大気の中で生きていて、主人公とコミュニケーションが取れて、主人公を助けるってところも。王蟲を連想しつつ観ていたので、貞子のような目が見えた時は勝手に違和感を覚えた。まあ、気のせいということにしておく。
入植地の惑星ニフルヘイムは雪と氷に閉ざされていたが、この名称は北欧神話に登場する、九つの世界の下層にある氷の国ニフルヘイムに由来する。SF、ニフルヘイム、コピー人間ときて、80年代の岡崎つぐおの漫画を思い出したりした。
よく言えば親しみやすい、悪く言えば既視感のある設定。驚きが少なかったので没入出来ず、終始どこか客観的に観てしまい、細かいことが気になってくる自分がいた。
冒頭にも書いたように、「逆襲エンタメ」「予想を超えたミッキーの反撃」(公式サイトより)などと銘打っている割に、なかなか逆襲が始まらない。終盤の逆襲も何だか地味で、「予想を超え」てこない。もっとも、これは監督ではなくプロモーションの問題なのかもしれないが。
途中で出てきたカイ(アナマリア・バルトロメイ)の方がナーシャより命の重さを理解しているのでは?と思う瞬間があったが、結局ミッキーとはくっつかずモブキャラのようにフェードアウトしたのにはもやっとした。
生への執着が強かったハバネロタイプのミッキー18が、いつの間にかものわかりのいい人間になり、自らケネスと共に自爆するのは若干ご都合感があった。18の心境の変化をもう少し細かく描いても良かったのではという気がする。逆に、人間コピー機の発明者であるアラン・マニコバのエピソードは説明しすぎで、まるっと削ってもさしたる影響はないのでは(個人的な感想です)。
トータルでの印象としては、俳優はとてもいいがそれ以外の設定やらキャラの動きやらが何となくまとまりがなく、言いたいことが若干ピンボケしている感じだった。
ところで、作中ではミッキーの記憶をレンガに保存して彼のコピーがデータを受け継いでいたが、記憶は同期出来たとしても自我は別なのではという気がする。17と18がそれぞれの自我を持っていたことはその証左ではないだろうか。
そういう観点で考えると、回想に出てきた4年前のミッキーの自我の部分はミッキー2がプリントアウトされる前にとっくに死んでいることになる。でも、記憶さえ同期されていれば傍目には同一人格という認識になる。そこを意識すると、ラストが単純なハッピーエンドには見えなくなってくる。
自我が透明化されているから使い捨てを厭わない存在になってしまう。よく考えると背筋が寒くなる設定ではある。
もしもこの映画にソン・ガンホが出ていたら
新作映画も、シネコンだと2週目になると一日1本になってしまうのは悲しい。
観客も5人くらいしかいなかった。
ポン・ジュノ監督作品は『グエムル』『スノーピアサー』『パラサイト』を鑑賞済。
いずれにも通じる格差社会の描写、どうしようも無い絶望感、そして吐き気を催すグロテスクなシーン。
その印象が強かったので本作もそれを期待して行った感はある。
『グランド・イリュージョン』で渋い刑事を演じたマーク・ラファロがト●ンプも真っ青のアホぶり全開で面白かった(奥方は完全にサイコパス⋯!!)。
クリーパーは見ているうちに可愛く思えてくるのが不思議。
ただ、『亜人』を見ていたせいか、何度も殺されてリプリントされる光景もあまり新鮮味がなく、クリーパーと心が通じたシーンも何処かのアニメでのデジャブ感ありで、ポン・ジュノ監督らしさがほとんど心に刺さらなかった。
そうか、この物足りなさはソン・ガンホが居ないから?
でも、彼が出ていたとしてどんな役が相応しいのかと聞かれたらちょっと答えに窮するかも。
ミッキーに翻訳機をくれた小柄な女性が可愛かった。
武闘派ナーシャも良かったがカイも気になった。彼女は恐らくL寄りのBなのだと思う。
エンドロールにブラッド・ピットの名前が出ていたので『あれっ!?出てた~??』と慌てたが、後で調べたら製作総指揮だった。
リアルな発想が足りない
虐げられる労働者。存在すらも酷使される。
そのテーマはリアルだがどうせ踏み込むなら現実的な救いのなさに振り切った方が良かったように感じた。権力者を倒して個人の権利を得る社会にするといったある種幻想とも言えるハッピーエンドは温く感じてしまう。
不条理への反抗でしか存在を確かめられないあわれな人間…と描く方がより深い。
ミッキーが2人しか出ないのも面白みがない。3人4人と出現するが、権力には勝てない。
革命とは様々な要素がからまないと起こらない。個人の不満がいくら集まっても変わらないのが現実だ。
その意味でこの映画はハッピーエンドだが夢想でしかない。
私が死んでも代わりがいるから?
楽しめました。
最近、小説を読む量が減っていて原作を読んでいないのですが、この映画作品全体の印象として、SFの「ワイドスクリーン・バロック」という分野を思い出しました。時間や空間を壮大に駆け抜ける物語、アイデアてんこ盛りながら軽薄を特徴とするSFのサブジャンルのことで、80年代にはバリントン・J・ベイリーの「カエアンの聖衣」「禅銃」などヒット作でブームを起こしました。
本作では宇宙開拓、異生物とのファーストコンタクト、クローン、アイデンティティの認識、生命の価値といったテーマがごった煮で押し寄せて来ます。哲学的に高尚な事柄は、全く片付きませんでしたが。
主人公のミッキーは借金取りから逃亡するために、使い捨て実験要員であるエクスペンダブルに志願して宇宙開拓団に採用されます。その後の彼はゴミ扱い、可笑しいやら悲しいやら。みんなのために、試しに死んでこい。クローン再生を受け持つ医療スタッフにも緊張感が無くなって、医療接続パイプに引っ掛って外したり、体を受けるストレッチャーを用意し忘れたり。
ミッキー自身が自分の役割に慣れてしまい、さっさと再生されたいと願う始末。やっぱり苦痛が長引くのはイヤだよね。
開拓団のみんなは、ミッキーに聞きたくて仕方がない様子。「ねえねえ、死ぬってどんな感じ?」
唯一、彼に惚れたナーシャだけは彼の死、苦痛を悲しんでくれます。
ミッキー17と18が同時に存在してしまい、ナーシャはプレイの快楽に大喜び。2人?3人?の快楽探求が、彼らを救うキーワードになるとは、誰も気が付かなかったと思います。
ミッキー17と18の性格の違いは、二人の立場の違い、言わば後天的に生まれたものだと考えます。ミッキー18にとって、再生が後の自分に生き残りの権利があるはず。この思いがミッキー18を高圧的な存在に変えたのだと思います。
主演のロバート・パティンソンはダブルを非常に上手く演じていて、驚きました。ミッキー18の憎々しげな表情は別人に見えました。
最後は正義が勝ち悪は滅びる、王道の展開になったと思ったら、マーシャル・イルファ夫妻は復活してましたね。ナーシャの力強い演説とともに、何も片付かなかった結末に脱力感。
何をしている、ポンジュノ
映像を見る必要はありません。
この作品の内容は全て、
豪華俳優陣による冗長なセリフとナレーションによって説明され、
目を瞑っていても映画の内容を十分に理解できるでしょう。
不必要なエログロが見たかったらたまに目を開くのもいいかもしれません。
しかし作品の世界観や設定を補完するのにはあまり役立ちません。
舞台はずっと暗い船内で、画面に動きはありません。
悪は悪として、
正義は正義として、きちんと描き分けられているので、
難しいことを考える必要もありません。
善の心を持った主人公たちによって、事件は円満に解決します。
無能で残虐で下品な政治家を打ち倒し、
主人公たちと地球外生命体、
そして17人のミッキーを殺害した愉快な船員たちは、
仲良く新天地で暮らしていくんだそうです。
一体『パラサイト』で描かれていたことってなんだったんだろう。
この作品では、全ての「計画」が大成功していますよね。
僕はポンジュノ監督の前作を何度も見返すほど気に入ってました。
ノーランに並ぶ、いや超えるかもしれない大監督だという認識でした。
しかしもう、次回作には期待しません。落差もこめて★1評価です。
楽しいけど物足りない!
楽しくは見れたけど、
感情的な盛り上がり・テーマやルックの新鮮さなどが無くて
印象が薄い印象。
テーマが格差なのは分かるけど、
最終的にマークラファロが殺されてスッキリさせるには、もっと理不尽やイライラが無いと自分的には納得いかないかも。
マークラファロの酷さは描写されるけど、
トニコレットと夫婦なのも相まって面白さの方が勝ってしまった。
この人たちそんな酷かったっけ、愉快だったけどなぁと思っちゃった!
ミッキー側も、酷い目に合ってるとはいえ
特に理由もなく地位のある美人にいきなり恋人にしてもらえるし、なんやかんやで本人もイケメンだし納得できない!笑
あと普通にミッキーが使い捨てされてる設定が上手く生かされてる気がしなかった。
ミッキーが2人になる事で、
"実は生まれ変わるのでなく、別人が量産されるだけのシステムでした"という事実が判明する展開。
騙されていたわけだから、ミッキーが反旗を翻すモチベになるという意味でストーリーの重要なポイントになりそうなのに、ミッキー17がどう感じるかあまり言及されない。
ミッキー18との恋人を取り合いとか、
法律的にアウトだからマズいとか
そもそもこのシステムを作った科学者が…とどんどん
話が広がって薄まってく感じ。
ミッキーの敵も、地球で追ってくる金持ちなのかマークラファロなのかどっちかにしてほしい。金持ちの話は宇宙に行く前までで良くない…?
あと先住民のデザインも割と普通。
という感じで何で印象が薄かったのか自分を納得させるために考えてみた。とにかく設定が面白いのに何かもったいない。
原作あるから仕方ないのかもだけど。
でも見ている間は笑いながら楽しく見れた。
展開が次々に起こって退屈しないし、役者の演技は全員最高。主人公がプリントされる様子など色々雑に扱われてるのも笑える。
でもSF観るならやっぱり何か1つ何か新鮮な驚きが欲しい!
我々がエイリアンだ
終盤でミッキーの彼女(名前忘れた)が怒涛の口撃をかますのだけれど、
確かに他の星に突撃しておいて、原住民に遭遇した際に
見た目や居住地が原始的であるから=知能の無い恐ろしい生物
と考えてしまうのは定番の話ではあるが
原住民からすれば、突然空から降りてきて資源を採掘しはじめたり
住居内に数人で押し入ってくるという、まさにエイリアン=人類
予告のノリだとミッキーがもっと沢山増えちゃうのかと思ったら
そういうわけでは無かった
ミッキーの独白にもあったけど、彼女さんはなんで彼に惚れたのか
途中までこれもそういう何かしらに組み込まれているヤツで
最終的にごめんねされるのかと思ったら普通に運命的な一目惚れだった
うーん?
あと、サイクラーの穴は危険なのにあんなんでいいのか
SF映画の傑作
クローン人間、新天地への宇宙旅行、エイリアンなどSF映画的な要素をごった煮して「なんか面白い」この映画
個人的にかなりツボってしまった
ロバート・パティンソンは大好きな俳優なので、彼を観ているだけでもとても楽しい
恥ずかしながらポンジュノ監督の作品はこれが初鑑賞だが、階級格差を皮肉たっぷりに描く手腕は見事だと感じた
かなりブラックな内容だが、ユーモアとパティンソンのどこか深刻さを感じさせない振る舞いで絶妙なバランスを生み出している
あと、カイ役のアナマリア・ヴァルトロメイがかわいい
吹き替え版で見ました。
冒頭のシーン。
高所から落ちまた極寒で、「よく生きてたな」みたいなセリフの声が、活力に満ち満ちている声のように感じ、え?吹き替え版、ハズレ?
と思いながら見始めました。(途中からは声優さんの声気にならなくなったけれど、掴みって大事だからなぁ)
前半は、ミッキーがまさに使い捨てられるシーンの連続で、なかなか辛い。
いろいろな含みのある映画
後半はぐっとら惹きつけられます。
昭和のおばちゃんなんで、ご都合主義すぎるかもしれない結末は嫌いではない。
字幕版で見たいな!
リアルな感触の少ない映画でした。
以下ネタバレ
予告等を見て、タイムループものかと思ったが
プリンタで主人公ミッキーの複製を繰り返して
タイムリープ的な展開をする映画だったので
主人公ミッキーの記憶データのアップグレードが
キャメロンの「アバター」のような
超自然がコピーに関与していないところは、
ちゃんとコピーされてるか不安な感じが漂っていて
ポン・ジュノっぽいなと思いました。
SF的な舞台での時間表現の傑作
「オール・ユー・ニード・イズ・キル
と比較すると
SF的な舞台の「ミッキー17」は
時間表現の面白みはあまりなく、
主人公ミッキーを見ていて
「本当にそれ耐えれるの?」
という疑問が続く映画でもありました。
主人公ミッキーは複製されるから・・という理由で
「エクスペンダブル」を受け入れているのですが
ブラックジョークとして笑えない展開は
「本当にそれ耐えれるの?」
と思うだけの映画でもありました。
登場人物たちに
共感ポイントはほぼなく、
ハルク役者のトランプを意識したような演技も
極端で、
植民惑星へ移住という
相当な未知へのチャレンジを委ねるリーダーとしての
信頼感はなく、
食事しか楽しみのない閉鎖空間で、
「あんな食事で4年半耐えれるか?」
と思うだけの映画でもありました。
日本では
「風の谷のナウシカ」の王蟲は
基礎教養かと思いますので
あの異星生物は
王蟲のような形状をさせた時点で
相当な表現をしないかぎり
がっかりしてしまうという事を
ポン・ジュノは
わかっていないんだなと思いつつ鑑賞しました。
(グエムルも廃棄物13号のパクリっぽいけど。)
「ミッキー17」は
植民惑星への移動行程や技術に
「スノーピアサー」の列車の保線どうしてんの?
と同様にリアルな感触の少ない映画でした。
植民惑星を舞台にした「アバター」は強引なところもあるけど
植民惑星への移動行程や技術に
リアルな感触があったので、
ポン・ジュノは
メカやSFのディテールを
キャメロンほどには
わかっていないんだなと思いつつ鑑賞した映画でした。
原罪
んー、なんか含むものは沢山あるんだけれど、全部汲み取れるかと言われればそうでもない。
人間は愚かだって事は伝わる。
クローン技術が確立されて、文字通り人体実験が安易に行われる世界線。
人権なんてもんはなくて、契約によって破棄されてるような状況にも思える。とはいえ、現在の文明や食物とか薬とか、多大なる命の上に成り立っているのは事実であろう。
それらを一身に背負うミッキー。
人類の発展と開拓の為に何回も殺される。
…疑念に思う事が目白押しなのだ。
鬼畜の所業もルールに則っていたり合法であれば罪に問われる事はない。けれど、そのルールを作っているのは神ではなく人なのだ。
直接的ではないにしろ、殺人を奨励し許可している"法"が作られている。たぶん色んなベールに包まれてもいるが現代にもあるものだ。
17番は受け入れていて18番は憤っている。
考えりゃわかる事だ。
人が人を殺していい道理がない。
権力者が至極当然のように権力を行使する状況にも疑念を覚える。
こいつが偉そうに振る舞う根拠はなんだ?
何でコイツの命令に皆従うのだろう?
周囲が仕立て上げたのだろうと思う。秩序を維持する為のリーダーシップが特権階級へと変貌した成れの果てなんだと思う。日本の政治家共の大半はコイツと同類に見えて仕方がない。「先生」と擦り寄る輩によってコイツらは調子に乗るんだろうな。
妻の立ち居振舞いとか醜くてしょうがない。権力者である夫との関係性は彼女のが優位なんだろうが、それが外部にまで影響する構図とか、滑稽なんだけどそれに歯向かわない連中が大多数だから、正論を吐き出す弱き者は駆除されてもしまうのだろう。
最期は査問機関のようなものに弾劾され、民主主義の勝利みたいな事にはなってた。
金の拘束力とかもエゲツない描かれ方だ。
貸した側に生殺与奪の権利が与えられる。地の果てどころか宇宙の果てまで追ってくる。取立てにくる奴もくる奴で…無視すりゃいいじゃねえかと思う。宇宙船に乗れたんだったら、運良く組織の影響下から抜け出たようなもんなんじゃなかろうか?
と、そんな冷静な判断力も金は鈍らせるんだろう。
先住民である"虫"との諍いとかさ…。
見た目による差別意識と疑心暗鬼かなぁ。共生も平和も二の次だよ。マーク・ラファロは素晴らしかったよ。権力に溺れた愚者を熱演してた。
対話による平和よりも、戦争による勝利を迷う事なく選択したキ◯ガイを。
ナターシャを通して描かれる愛の二面性とか。
慈愛と共に執着とか独占とか依存とか過度に発揮される異常性とかさ。
SEXの役割とかにも触れてたかなぁ。
子孫を残す機能が女性にだけある事とか。
他にもたぶん色々あるんだけど、歪んだ精神論というか精神構造とか、普段生きてる上で麻痺してたり盲従してたりする疑念を詰め込んだような作品だった。
「原罪」ってタイトルはちと的外れなような気もするんだけど、人であるが故に、人が人と関わるが故に、必ず犯してしまうような愚行にも見えてそうしたかなぁ。
ラストはクローン製造機を爆破して終わる。
ホント馬鹿だなぁと思う。
使い方さえ間違えなければ画期的な技術だ。医療的には大革命だよ。でも、科学は常に悪用され殺戮をも産む。…人である業から世界は抜け出せないのだなぁと思う。
善良なる人を惑わすのは、権力であり金であり、科学であり愛であり…つまりは、自業自得の全体責任を生きてる限りは背負い続けなければいけないって事だ。
新しい惑星が舞台になったのは既存の社会はもう変えられないって事なのかもしれないなぁ。
人道的な思考なんて唾棄される社会なんだろう。局地的にホスピタリティは発揮できても大元が変わらないなら変わりようがないのが現実なんだな。
小難しい話に埋め尽くされた本作なれど、さすがはポン・ジュノってとこなんだろな。SFって切り口が斬新だなぁとは思ったけれど、監督がもつテーマは変わらなかったと思われる。
幕引きはナンバリングから名前に変わる。
そりゃそうだ。
誰にだって名前はあって、名前こそがその人が唯一無二の存在って証でもあるんだから。
これは、ひょっとすると愛の物語?!
4月7日(月)
「片思い世界」と天秤して、来週からは大きなスクリーンでの上映が無くなりそうな「ミッキー17」を優先して新宿ピカデリーで。
原作未読。ポン・ジュノの「パラサイト 半地下の家族」も未見(わざと)。今年も「教皇選挙」を先に観ていれば「アノーラ」観なかったかも。
借金で負債を作ったミッキー(ロバート・パティンソン)は、エクスペンダブルズ(使い捨て)契約して4年半の宇宙船の旅で移住する惑星ニブルヘイムに着く。元議員のマーシャル(マーク・ラファロ)は、
妻(トニ・コレット)と共に移住団を率いて、絶対権力者として君臨している。(ちょっとトランプみたい。この二人は怪演!)
契約で死ぬ度に何度も肉体をリプリントされ、記憶を注入されて生まれ代わるミッキー。到着時にはミッキー17になっていた。
氷河の穴に落ち、クリーパーに助けられ宇宙船に戻ると死んだと思われて18が作られていた。同じ肉体と記憶を持ちながら、性格は違う17と18。結局二人は協力して、宇宙船を取り囲むクリーパーの群れを抹殺しようとするマーシャルを倒し、民主的な組織を移住惑星に創造する。
惑星の先住生物クリーパーは「ナウシカ」オウムか。ポン・ジュノは宮﨑駿が好きらしい。
B級SF映画と言っちゃあそれまでだが、生きる事、死ぬ事を考えるより、ブラックな笑いを含んだSFコメディかな。
ナーシャ(ナオミ・アッキー)はミッキーを(17も18も)愛している。ミッキー17もナーシャを愛し、ナーシャとHしているミッキー18にヤキモチ妬いている。マーシャルだって妻を愛しているし、カイ(アナマリア・バルトロメイ!美女、推しだな)は女性を愛している。
ママ(女王?)クリーパーの子たちへの愛。ナーシャだって必死でクリーパーの子を助けようとする。
ひょっとするとポン・ジュノが描きたかったのは愛の物語か?
おまけ
結構笑えるところもあるのだが、中だるみもあって137分は長い。もう20〜30分位上手く編集してあれば良かった。
ミッキーが押すボタンが、いつもどれも赤いのは何故だ!?
ヒトや命の本質は
「月に囚われた男」(良かった)みたいな話かと思ったら、もっと人や命の本質を、大変俗っぽく問うような話だった。
肉体成分と記憶が引き継がれれば、それは「生き続けている」ことになるのか?
映画を見ている間ずっと疑問に思っていた。
素材が粗悪だからか、ニンゲンは常に同じではないからか、性格が全く違うコピーが出来るのが面白い。
エクスペンタブルは使い捨て、かつ何度でもリサイクル利用可なコスパ無限大のお得な資材で、サインした瞬間から「ヒト」の扱いしなくてよいと見做されるよう。
苦しみながら死んでも死んでもまた生き返って終わることがない。苦しみの記憶は積み重なるばかり。まさに六道の地獄道にいる。
自死は、試みたところでまた再生されるので無駄なこと。こんな恐ろしいことはない。
よく発狂しないな、と感心したが、ミッキーは、子供時代の取り返しのつかない「ミス」で、ずっと自分を責め続けており、罰を受けていると思っているからある意味大丈夫なよう。自分に自信がない、というか自分を嫌っているのでどこか投げやりだしティモみたいなクズに利用され続けても唯一の友達だからと従ってしまうし、エクスペンタブルのような想像を絶する地獄道の仕事にも契約書を読まずにサインしてしまう。
優しいというよりセルフネグレクトで自分に構わないからだと思う。
自ら人を傷つけたりは発想もないので、だからやたらにモテるんだろうか、ちょっとイケメンだしね
私の性質はどちらかというとミッキー17のようなところがあるので、「ボタンを押しちゃった」という17に、「アレは車が欠陥品だったんだ」とさらっという18のように「生きる意志」を持って、自分を支援しつつ大事にしていきたいと思いました。
王蟲みたいなアレとか、17と18の戦闘服(?)とか、ナウシカ風
ケネスとイルファのイカれた敵役が笑えるほど嫌な夫婦で、彼らとエクスペンタブルに良識をもって反対する人たちも描かれており、よくできていると思う。
独裁者夫婦をやっつけたと思ったら、まだ後があるひねりは、ポン・ジュノらしいかと思った。
ハッピーエンドのようだけど、18は明らかに17とは別人でしたよね。独自の感情があります。彼の死は、17がいようとも、ひとつのいのちの「死」だったと思います。
ツッコミどころは多々あるが、独創的なところはよかったと思いました。
思ってたのとは違った。けど普通に良き
予告だけの事前情報のみで見ました。
クローン問題、異星での移住計画とかとか設定は面白いと思います。ただ、比較的ありきたりな展開とクローンがあんまり活かせていないような感じがする。
導入から引き込まれる感じはあり、主人公がエクスペンダブルになるまでもわかりやすい。そして17になり、、、
ここまでは良かったけれど、ここからが結構スピーディ。
カイさんいい人だなとか思ってたらすぐに話から離脱するしクリーパー殲滅作戦とか諸々が奥さんやハゲのもと行ってるかと深読みしたらなんでもないし死に方も呆気ないし。2人いることでの何かがもう少し欲しかった。
ただ、わかりやすいストーリー展開と綺麗な終わり方で普通に面白かった。
イメージとは異なる
ミッキー17、予告編を見た時は死に戻りを活かして逆境を覆していくストーリーだと予測していたが、本編では良くも悪くも期待を裏切られたと感じました。ネタバレになるがミッキーが重複して共闘(?)していくのは良いんだけど、もう少し17の成長シーンや見せ場的なのは欲しいと感じた、、
18の方は凶暴なものの17と行動するうちに次第に優しさや思考力が向上していく主人公らしいシーンが多くなっていったのでそこは王道で好きです。全体の脚本は面白いと感じたので迷ってるなら見に行こう。(後半の間延び感は正直少しあった)
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