ミッキー17のレビュー・感想・評価
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翻訳(不)可能な存在者
本作をSFとして、リプリントされ増殖するであろうミッキー(ロバート・パティンソン)の闊達な姿を求めていたのなら期待外れと言っても仕方ない。
しかし『パラサイト 半地下の家族』(2019)のように、誰がみても面白い物語で社会風刺を痛烈に盛り込むことを期待するのなら、素晴らしいし、さすがポン・ジュノだなと思う。
まさに製作国アメリカの政治パロディー。宇宙船内でキャップを被って権威主義的に振る舞う為政者なんて、再び偉大な国にするといいながら、政府職員を大量に解雇し、関税を課して世界経済を混乱させるどこかの大統領や、宇宙に何かと行きたがる世界一の富豪でありながら、クソダサいコラ画像でしか笑いがとれない任期付き特別政府職員のキメラ体じゃないですか。
だが残念ながら本作で描かれるアメリカ政治/社会に対するブラックジョークをただ笑っていられる状況でもない。韓国では大統領が罷免されるし、日本でも躍動とか再生とか、性加害に向き合わない元市長の出馬とか、何かとぶっ壊したり、統一したがるカルト宗教が蔓延っていて散々だ。そして悲しいことに現実は『パラサイト』の時よりも深刻だ。それは「底」の描写からも窺える。
以下、ネタバレを含みます。
『パラサイト』では半地下と富裕層の家族のドラマを描くことにより、階級格差による経済的不均衡を描いた。だが階級は違えど、労働力の供給と受益の共依存により生存は保障されていた。故に殺人が生存を脅かす異常な出来事として描かれたのだが、本作は違う。
ミッキーは経済的不均衡によって搾取されるのは同様であるが、生存は保障されない。エクスペンダブル=使い捨てな「死ぬべき」存在者としてより過酷な扱いを受けるのだ。
それはファーストシーンの「底」からも彼の状況が分かる。
ミッキー17が落下し死にそうになる場所は、救助のロープが届かない氷雪の地下深い「底」である。彼は半地下の家族よりも底辺な位置にいる。そして死に体となった彼を廃棄する焼却炉も「底」にある。本作の「底」とは、生存が保障されない死の階層なのだ。
そんな「底」にいるミッキーは地球外で生存できず“移民”として宇宙に行こうと、さらに酷使されるのが階級上昇の不可能さと皮肉である。だが彼はエイリアンのクリーパーに殺されるのではなく、助けられる。そして底から這い上がることができる。
さらにタブーとされるミッキー17と18の同時存在も起こってしまう。ここからミッキーはどのように、底へと追いやる権力≒為政者に反逆するのかが見所であるが、注目する点は「翻訳」である。
倒されるべき敵は翻訳不可能な存在者である。それは人間ではない未知の生物であり、話が通じない存在者の場合もあれば、悪の組織など自身の正義や主義とは反し、理解ができない存在者の場合もある。
本作においては、クリーパーが敵のように思える。しかしミッキーの救出のように、彼らは人間に加害を与える存在ではないし、翻訳機の発明というテクノロジー的克服によって、言葉を通じ合うことができる。むしろ翻訳不可能な存在者であり、未知の生物たり得るのは為政者の夫妻である。
彼らには話が通じない。同じ言語を喋っているはずなのに。同じ人間であるはずなのに。ミッキーの頭を撃つかどうかで心配するのは、殺傷への良心の呵責ではなく、カーペットが血で汚れるかであり、クリーパーの身体はソースにすると言って無惨に斬る。この通じなさは、「宗教」が原因である。彼らは為政者として政治的に優位な存在である。というか為政者になることができるのは、宇宙船事業を主導する会社の経営者でもあるからだ。
本作の会社とはおそらく株式会社であるが、この組織体もよく考えると不思議に存在する。株式をもっていればいるほど偉くなり、そこに民主主義による平等はない。事業方針はあるとも、目的はただひとつ利潤の獲得である。利潤のためなら、法も犯すしなんだってする。そして利潤を獲得する手段に労働力の行使もある。だが会社の財務諸表に、労働者は資産計上されることなく、人件費として費用計上される。それなら利潤の獲得のために、人件費を使い捨てにしても構わない。そんな株式会社という組織体は資本教とも言うべき、ある種の宗教の教えに従って組織されるものであり、為政者にとって教えに背く反逆者の言葉など翻訳不可能で理解できないものなのだろう。
こういった宗教≒会社が一体となっている考えは、セリフからも確認できるし、ポン・ジュノが意図したことでもあるだろう。昨今の政治によるコミュニケーション不全は、資本教で組織される株式会社の論理の侵入とでも言いたげだ。
ミッキーは為政者の妻のソース作りという「事業」のために、クリーパーの尻尾を切り落とす労働を行おうとする。しかしその労働は、17と18が獲得競争で負けた方が死ぬというデス・ゲームであり、違法なものである。
だがミッキーはこの労働を放棄し、クリーパーとの対話と融和を試みる。そして18はその隙に為政者の男を襲撃し、自爆によって反逆を達成する。
これでミッキーは解放されて幸せなはずである。しかし為政者の打倒がテロリズムによって果たされるのは容認されることなのだろうか。それは現実でも有効な手段になってしまっているが、暴力に解決を求めるのは許されることではない。
もちろん本作がテロリズムだけを解決の道としていないのはよく分かる。為政者の部下がハラスメントを告発する描写があるし、ナーシャが組織のトップに立ち、再建する展開も準備されている。しかしそれらはテロリズムの乗り越えとするには描写が稀薄であるし、現実離れした理想のように思えてしまう。
それならテロリズムにしか、為政者≒権力を打倒する手段はないのだろうか。
いや、そんなことはない。
為政者を話の通じない未知の生物とするなら、クリーパーとは何ものだろう。
きっと私たち民衆のはずである。外見が気持ち悪い存在者を私たちであるとするのは喜ばしいことかは分からない。だが彼らはコミュニケーション可能であるし、決して暴力によって危害を加えない。抵抗の手段は「声をあげること」だ。
その声は悲鳴とも呼ぶべき、翻訳不可能なものである。だがそんな声をあげること、声をそれでも理解可能なかたちで翻訳しようとすること、それがこの散々な世界で私たちが生存するための抵抗のはずだ。
さすがポン・ジュノ監督作品!見応えのあるブラックユーモア映画の誕生です♪
ポン・ジュノ監督のアカデミー賞受賞作「パラサイト 半地下の家族」をはじめて観たときは、度肝を抜かれました。アジア圏初めての受賞作品がこの作品だったのも納得でした。この監督の描く人間はどこか愚かで、どこか小賢しく、けれどなぜか憎めない。
今作品もポン・ジュノ監督のどこまでも深い人間観察力が否応なく発揮されています。楽して仕事が得たいと考えた主人公のミッキーや権力を手に入れて万人から称賛されたいと願うボス夫婦などあからさまに愚かしい人間がストレートに描かれています。その中で、一見優等生にも見えるミッキーの彼女ナーシャでさえ、ミッキーが2人になった時、2人から愛されたいという素直な己の欲望を露わにするのです。思うにこの監督の作品に登場する人物はみな己の欲望に素直なのだ。誰しもが心の奥底にしまい込んでいる密やかな欲望ーそれを叶えた人がどんな人生を送るのか観客は遠目から俯瞰して観察することができるのです。自己満足だけの権力を手に入れても愚かなラストを迎えるだけだ。何度も生き返るなんて愚の骨頂!一度きりの人生だと思うから今を大切にできるんだよ、などなど反面教師による教訓を得ることになる。
同時にこの映画には、人間社会の環境に対するエゴを批判する内容も含まれている。終盤のストーリーは風の谷のナウシカを思わせる王蟲もどきの先住民との抗争になるのだが、ここがもう少し違う終着点だったら私はもっと好きだったかもしれない。なぜなら簡単に予想ができてしまったから😅そこからのラストも結構長いです。ナーシャ、ナーシャ、ナーシャってかんじ😊なんせ137分なんで、見応えは十分です!!
毎回思うのですが、過剰な宣伝が逆に評価を悪くしてしまう映画をたまに見かけますが、この作品もそれですかね。もったいない。確かな実績のある監督作品ですから、宣伝したくなるのも分かりますが、ひとり歩きする宣伝文句に踊らされないようにしましょう。常にニュートラルな気持ちで鑑賞するのが吉でございます♪
ポン・ジュノ式格差社会 in 未来宇宙(逆襲エンタメは少なめ)
ポン・ジュノ作品なのだから、スカッと逆転劇よりも格差の描写に軸足が置かれるのは当然なのかもしれない。
とはいえ、エクスペンダブルであるミッキー17の扱われ方がシビア過ぎて、そしてそのシビアな状態が思ったより長くて、宣伝文句に踊っていた逆襲エンタメとか反撃といった言葉に触発された期待とは裏腹に、キツさが先に立ってしまった。
キツさを感じたのは、彼の設定やマーシャル夫妻の振る舞いによって寓話的に表された現代社会の病巣が、妙に生々しかったからかもしれない。
格差社会の下層にいる人間は使い捨てのリソースであるということ。物理的に使い捨てにされるというデフォルメされた設定により、その残酷さが可視化される。
上層の人間の傲慢さ。新興宗教をバックグラウンドに持つケネスの横暴ぶりには、現実の政治家を連想する人もいるだろう。だが彼は地球の議員選挙には落ちているので、この作品世界の世論は此方の現実よりはマシなのかもしれない。
俳優陣が素晴らしかった。17と18の二役を演じたロバート・パティンソンはやっぱりすごい。同一人物のコピーだがちょっと性格が違う2人を絶妙に演じ分けていて、きちんと表情が違うので胸に数字を書かれる前でも区別に困らなかった。
そして、何と言ってもトニ・コレットですよ。「陪審員2番」での悩める法曹役が記憶に新しいが、一転してこの憎たらしいささやき女将ぶり。終盤でナーシャに首4の字固めをかけられた時の表情で笑わせるかと思えば、ラストでミッキーの妄想に出てきた時には、一瞬でその場の空気をホラーに変える。最高です。
マーク・ラファロと組んでの無敵な悪役ぶりが、ミッキーの環境の残酷さを際立たせていた。
ニフルヘイムの先住生物クリーパーって、あれ……ナウシカの王蟲っぽいような……造形が似てるし、有毒な大気の中で生きていて、主人公とコミュニケーションが取れて、主人公を助けるってところも。王蟲を連想しつつ観ていたので、貞子のような目が見えた時は勝手に違和感を覚えた。まあ、気のせいということにしておく。
入植地の惑星ニフルヘイムは雪と氷に閉ざされていたが、この名称は北欧神話に登場する、九つの世界の下層にある氷の国ニフルヘイムに由来する。SF、ニフルヘイム、コピー人間ときて、80年代の岡崎つぐおの漫画を思い出したりした。
よく言えば親しみやすい、悪く言えば既視感のある設定。驚きが少なかったので没入出来ず、終始どこか客観的に観てしまい、細かいことが気になってくる自分がいた。
冒頭にも書いたように、「逆襲エンタメ」「予想を超えたミッキーの反撃」(公式サイトより)などと銘打っている割に、なかなか逆襲が始まらない。終盤の逆襲も何だか地味で、「予想を超え」てこない。もっとも、これは監督ではなくプロモーションの問題なのかもしれないが。
途中で出てきたカイ(アナマリア・バルトロメイ)の方がナーシャより命の重さを理解しているのでは?と思う瞬間があったが、結局ミッキーとはくっつかずモブキャラのようにフェードアウトしたのにはもやっとした。
生への執着が強かったハバネロタイプのミッキー18が、いつの間にかものわかりのいい人間になり、自らケネスと共に自爆するのは若干ご都合感があった。18の心境の変化をもう少し細かく描いても良かったのではという気がする。逆に、人間コピー機の発明者であるアラン・マニコバのエピソードは説明しすぎで、まるっと削ってもさしたる影響はないのでは(個人的な感想です)。
トータルでの印象としては、俳優はとてもいいがそれ以外の設定やらキャラの動きやらが何となくまとまりがなく、言いたいことが若干ピンボケしている感じだった。
ところで、作中ではミッキーの記憶をレンガに保存して彼のコピーがデータを受け継いでいたが、記憶は同期出来たとしても自我は別なのではという気がする。17と18がそれぞれの自我を持っていたことはその証左ではないだろうか。
そういう観点で考えると、回想に出てきた4年前のミッキーの自我の部分はミッキー2がプリントアウトされる前にとっくに死んでいることになる。でも、記憶さえ同期されていれば傍目には同一人格という認識になる。そこを意識すると、ラストが単純なハッピーエンドには見えなくなってくる。
自我が透明化されているから使い捨てを厭わない存在になってしまう。よく考えると背筋が寒くなる設定ではある。
リプリント装置に対する結末に異議有り!
映画のラストの方で、宇宙船の乗組員全員の一致により、リプリント装置は破壊される。
それには理由があって、事故により、この宇宙移動計画遂行者のオーナーが死んでしまい、厄介な奴が居なくなって、みんな清々したと思っていたのに、リプリント装置で蘇ってしまったから、こんな奴を蘇らせる装置は破壊しちゃえーってノリでそうなったんだよね。
初めから、このリプリント装置の存在について、作者はとても否定的なんだなぁ。
しかし、地球外の宇宙に飛び出すなら、この様なリプリント装置やクローンマシンは必然なのです。目的地や宇宙船内での生活は、未知の要素が膨大で、人間が順応できるかは未確定で、ましてや懐妊し、体内で成長させ、無事に生み出す事ができるなんて事が地球に居る時の様に当たり前できると考えているとしたら、それは、甘いんだなぁー
地球を飛び出す前に、既にクローンを数体作り、凍結して宇宙船に装備して置くぐらいでないとね。
まあ、この地球の人類は、遠い宇宙に飛び出す前に、月面で色々調査、研究するだろうから、クローンの必要性も大いに学ぶだろう。
こんなリプリント装置が発明されたら、きっと破壊はしないと思うよ。
底辺の先の未来
主人公が陥る底辺の先の未来。
その死を受け入れつつ転生する人生により人間がもつ澱んだ欲望が削ぎ落とされる点は周りの欲望だらけの人間との振れ幅があり笑える。
また進んだ先で出逢う未知の惑星の生物も、何処となくモフモフ感が感じられ愛らしい。
ただアクション要素は物足りなさを感じた。
この監督は人間たちの陰湿な欲望を描き、それを上手くコメディへと昇華させる手腕は素晴らしい。
金太郎飴ではない
◉前世も現世もない
宇宙の果て、希望は幻で絶望は現実だが、希望を現実っぽく重たく見せてくれるマーシャルとイルファの宗教家のカップルが話の一方を仕切る。マーシャルが次第に悲壮な雰囲気さえ醸し出していくのが愉しく、お構いなしで創作ソースに熱中する妻の異常ぶりからも、目が離せない。
もう一方は借金取りから逃れるために複写人生を送る青年。マルティプルは汎用性の高い危険な技術として禁じられたが、エクスペンダブルと言う隙間産業的な手法を限定的に認めさせる。ミッキーはそのコピー人間のエースになって、必死に前世を振り切り、現世を死をもって全うする訳だ。
◉見た目ではない
三つ目の仕切りは、もちろんクリーピー。最初のシーンでは人に襲いかかるが、やがて不気味な生き物が、生命の尊厳を象徴する愛の存在だと理解される。しかし吊るされた子どもは、ナウシカでない物語ならば惨殺されることもあろうかと、ハラハラした。
物語の中でクリーピーがエイリアンではなく、優しく柔らかな生き物であることが分かったこと、血を流しゲロを吐くミッキーの苦悩を感じる恋人や仲間が現れたことで、まず上にのし掛かろうとするものを取り除かねば! と皆が気持ちを一つに出来た。
◉生きてはいない
ポスターにズラリと並んだミッキーたち。どれもこれも全く同じ顔したダメ野郎。身勝手優先の人類にすれば、どこをとっても、便利な金太郎飴の一個に過ぎない。飴も観念しているのだ。
しかしミッキーの往生際を悪くさせるナーシャが現れる。ナーシャは彼を真底愛して、体位の工夫までしてくれる、夢のようなパートナーだ。彼女が現れたことで、ミッキーは唯の血塗れの形而下野郎から、(ミッキー18と共に)色々なテーゼに揉みくちゃにされつつ形而上男になって、話は長引くことになる。
未知との遭遇
借金取りから逃げるため、宇宙へ逃亡した男(ミッキー)の物語。宇宙船は火星への移住を目論んで進む。その中での実験にミッキーは使われる。そして、死亡してしまった場合は、身体を複製され、記憶はその身体へ転送される。何度も危険な実験をして、何度も死ぬミッキー。火星では、クリーチャーが平和に暮らしていたが、人間はこのクリーチャーを退治しようとする。人間対クリーチャーの対決はどうなるのか…。
セリフが最小限になっていて、字幕を追うのに疲れなくて良い。ストーリーもシンプルなため頭を使わずに観ていられる。
ポンジュノ作品は、パラサイトやグエムルを鑑賞したが、近いものを感じる。生々しい人間の生活と独特なクリーチャーの描写など。
物語序盤の人体複製や宇宙船内の先進的な雰囲気から、火星での原始的な虫のようなクリーチャーの登場まで時間的な振れ幅を大きく感じる。
結果的には、進み過ぎた科学技術が古代からの生物に悪影響を与えて、それらから反逆を食らって、反省して元に戻るパターンで終了する。
設定としては複製され続ける男という点で奇抜であったが、ストーリーとしては、よくあるパターンに落ち着いてしまったなという印象。バッドエンドを期待したわけではないが、後半にもう一捻りが欲しかった。
本作は、パラサイトのような最後まで何が起こるかわからない人間味あふれるホラーではなく、未知の生物と対決するアクション映画の要素が強くなっている。
それでいいんか、とは思う
「TENET」でロバート・パティンソン氏を知り、過去も含め出演作を観てきましたが、やっぱりすごい!
17と18は全く同じ容姿なのに、見分けるのが全然苦じゃないくらい顔が違う。
生い立ちから考えると、17のようなちょっと気弱で、人生に疲れてて、常に周りの顔色を窺っているような性格が基本のミッキーだと思うけど、18のハバネロミッキーはどういう変異だったんだろうか。
ちょっとうざい個体もいたようなので、せっかく複製(リプリント)という設定があるならそういうとこも観たかったな。
18は最後自爆しますが、「TENET」のニールといい、こういう役が似合う!
もう少し18の心境の変化を描いてほしかったところでもあるけど、これ以上長くなったら逆に無理かもしれないなと思いました。
最終的には教祖たる夫婦をやっつけて、リプリントは禁止され、先住民とも仲良くなってハッピーエンド!なわけですが、個人的にはそれでいいんか?っていう。
というのも、教祖様に従っていたとはいえひたすらリプリントを繰り返して、ミッキーを酷使していたわけですが、そのへんの科学者や職員たちには何もなく。
「何分後に皮膚が焼け爛れ、
何分後に失明し、何分後に死ぬのか知りたい」
ミッキーの手がちぎれても、笑いながら「おいおい見たか?」なんて話してるシーンもあったけど、これも相当、気持ち悪い。
誰もが「死ぬってどういう感じ?」とミッキーに聞く。
それが気になるのは分かる。
でも自分ではやらない。だって怖いから。
それが何故、ミッキーに当てはまらないと思うのか。
リプリント装置をミッキーに爆破させて、よかったね、なんて周りが笑っている気持ち悪さ。
それを使ってミッキーを量産していた人たちが何を言ってるんだ。
少なくとも劇中では何の葛藤もしてなかったくせに。
気になるならリプリントされてみたら、と言わないミッキーは優しいですね。
どうせ悪がやっつけられるなら、船員ともども船自体の爆破くらいまでやってほしかったな〜なんて思う自分もいますが、ミッキーの性格からしてもそれはしなさそうなので、これはこれで良かったのかも。
予告編→封切後の低評価レビューからの鑑賞
半地下とエイリアンとナウシカとダンスウィズウルブズとマーズアタックとスターシップトルーパーズとE.T.をミックスしてソースにした感じの映画、ボナペティ。
ここのレビューでの評価が今ひとつなこともあり、随分とハードルを下げての鑑賞、ところがどっこい自分好みのオタク的映画でした。
劇中終始漂うブラックユーモアのテイストが自分好みで終始ニヤニヤしっ放し。
敵役がアホ過ぎて萎えるといった指摘もレビューにはあるけど、主人公含め、そもそも登場人物全員何かしら欠落した人たちばかりなので、そこはそんなに気にはならず、お笑い要素として素直に受け入れられた。
主人公の役者さん、今まで仏頂面の男前ばかり演じてきた印象があったけど、今回は平凡な優男をとてもリアルに演じており、彼に対する印象が大きく変わりました。勿論良い意味で。
クリーパーのぬいぐるみがあったら欲しい🤭
王蟲
社会風刺、格差社会を強烈に描く
皮肉たっぷりで。
登場人物が癖がありとても変。
ダークなコメディでシニカルな作品。
クリーパーは王蟲にしか見えなかった。
使い捨てワーカー、そしてトラウマから
の脱却。周りの友人に助けられ
解放されていくお話。
犬みたいに可愛い「あったかいんだから」
正直、長いなぁという印象。
ドラッグ、人体実験、格差差別とかなんかいっぱい盛りだくさんだった。混乱する訳ではないけど、長いなぁ…と…。
ナーシャは自分が有能過ぎてダメ男を愛しちゃうタイプなのかな、と自己納得した。なぜ惚れるのか分からん。17は弱いながらも良い奴の印象だったけど、各ミッキー達がそれぞれちょっと違うなら、1に惚れる要素ってそこかな…と。
ナーシャ、マーシャルに正論ぶちかましててそうだそうだ〜!と思ったけど、ドラッグやってた人が言う正論か…とスンとなった。
カイがまともか?親友っていうか、恋人みたいな空気を感じてたので、あ、君もミッキーにいくの?あ、眼鏡っ娘も?と思った。
モテ期か?
クマムシみたいな先住民(クリーパー)が、ユーモアがあって笑った。ゾコ、お前かわいいな。
18ならどうする、って自分の恐怖心に打ち勝つラストは良かった。
気持ち良いラストでした。
星新一ワールド?時々ナウシカ?
賛否両論、感想が分かれそうな作品。
使い捨てワーカーと称される、過酷な業務で死んではコピーとなって生き返る主人公ミッキー。
18番目製造のタイミングで、17番目がまだ生きているのに複製されてしまい、同時期に2体生存してしまうミスが起こり、事態は一気に急展開。
ちなみに復活する際の、3Dプリンターのような機械からウィーンウィーンと出てくる様は、星新一がお得意であったようなシュールなワールド。爽やかさゼロ(笑)
誰もが彼を過酷に扱い、不要になったら当たり前のように溶鉱炉のようなダストシュートに放り込み、何度も生死を繰り返す場面をコメディと笑えるか、気持ち悪いと感じるか。今回鑑賞したのはショッピングモール内のシネコンだったが、これはミニシアター系のストーリーかと。血が出るわ吐くわ食事は不味そうだわで、まかり間違って子供が観たら泣くだろう。
ちなみに自分はミニシアター好きなのでOK。
クリーパーと名付けられた怪異生物達は、もうどう見てもナウシカのオーム。フォルムも、口から出る触覚も、子供を守るために集団で襲ってくる様も、もうナウシカでしょこれは。
最終上映で鑑賞し、夜中に1人で帰宅途中、運転しながら思い出して、なんちゅーストーリーだwwwwと爆笑しながら帰りました。
よかった
あんまり面白くないような評判だったので、見なくていいかと思ったけど見る。すると、確かにつまらなくはないものの傑作だと思ったら期待を外しているような感じだ。主人公や他の登場人物に魅力があまりない。特にボス的な存在のリーダーの政治家がアホ丸出しで興ざめだ。気弱なミッキーがモテているのも納得いかない。
18かっこよすぎた好き。泣いた。
すっっっっご。
めっちゃ良かったです。すごい好き。
18かっこいい。18も幸せになっていいだろうが。
18が18過ぎてあんなことに…。
もーーーッッ‼︎
覚悟決まり過ぎだろうが‼︎好きだ‼︎‼︎‼︎
ってなりました。
18の話ばっかしちゃうんですけど、このひとサイコパスじゃないですか(指の香り嗅ぐシーンはその表現シーンですよね)。
そんであの18の最期。
とことん合理で考えたせいであれに。
ってことですよね⁉︎
死ぬの怖いのに。
そもそも死ぬ勇気のあるミッキーが、サイコパス になったらあれ、っていう。
愛し過ぎて泣いてる。
18も幸せになれよ。
ナーシャと17と愉しく過ごせよ。
エーン‼︎
><。
18のフィギュアが出たら買っちゃうんですけど。
どっかで売ってますか???
僕んちの机の上にミッキー18を飾らせておくれよ。好きだよ…。
ラストもめっちゃ良くて。
急にホラー来るじゃん。もめっちゃ良かったんだけどさ、
ミッキーがずっと抱えてた恐怖症を乗り越えた理由が、
「18ならどうするだろう」
だし、
幸せになっていい。って17が思えたのは、18自身や言ってた事が17に影響した結果な訳じゃないですか。
18…ッ!!!
17……ッッ!!!!
ここまでラストのフォール&解決短いの初めて見た。
七人の侍より短いじゃねーですか。
凄すぎ。
ビビッタ。
変な声で泣いちゃった好きです。
すんごい良かったです。今年現時点一位。ヨカッタ。love。
18かっこいい
18がカッコよかった。
言い合ってるシーンは同じミッキーだからこそ、分かるし分かり合えないのかなとか思いました。
個人的には別の女性と結ばれて別の人生生きるとかでも面白いとは思った。
ケネスが咳をしてる描写とかなんだったんだろう
ケネスの部下の人がやたら毒ガスを使うのに外に出したがってたから、殺したいのかなとかなんかしてたのかなとか思ったけど…
コピーを作れる世界だからこそ、敵?が最後コピーで生き返って、記憶のデータを壊して主人公に襲いかかるとかでも面白そう
あとクリーパーがミッキーの名前知ってたのも、実は心を病んで薬を使ったミッキーの幻覚で、実はお母さんがクリーパーに見えてたとかでも面白そう笑、話変わっちゃうけど笑
コピー作れるなら優秀な人間同士を繁殖させまくる宗教とかね、ありそうな設定か笑
人間のコピーとか宗教とか薬とかSEXとかクリーパーとかテーマがいまいち分かりづらかった。
やはり、ただの荒唐無稽なSFじゃなかった
とりあえずポン・ジュノ監督作品なら押さえておかなくては、と思って観に行ったが、やはり侮れなかった……。
冒頭で人の助けの手すら差し伸べられない地の底からミッキーを地上に押し上げたのは他ならぬクリーパーであり、本当に恐ろしいものは人が「怪物」と呼ぶものなのか?それとも人間自身なのか?ということを考えさせられる部分では『グエムル-漢江の怪物-』(2006年)が頭をよぎる。
また、外の雪景色を見ながら開拓団長のマーシャル司令官らが「唯一無二(ワン・エンド・オンリー)」と唱えながら贅沢を貪っている一方で、ミッキーを交換可能な使い捨ての駒として扱っている様は『スノーピアサー』(2013年)や『パラサイト 半地下の家族』(2019年)などで描かれる格差社会を思い出さないわけにはいかない。
ついでに、赤いキャップをかぶって愚かな権力者を妄信的に賛美する大衆の姿はもう《マガマガしい》あの連中で以外の何者でもない(笑)し、権力者を裏で操り選挙の結果を左右する宗教団体。
予告編から感じた、ただのバカバカしく荒唐無稽なSFくらいのつもりの軽い気持ちで劇場に行ったのに、結局、現代社会への痛烈な風刺を目撃することになった。
そして記憶情報を含めた複製(リプリント)のはずなのに、志向や性質が異なって再生産されてくるというのは、一人の人間にも様々な側面があるということなのであろう。ある人がAさんに見せる顔とBさんに見せる顔が異なるのは、決してどちらかに嘘をついているのではなく、人間には多面性があるとだけなんだよね。
もっとテンポ良ければよかったなー
自分が2人いる的な作品が好きで、おまけにあのパラサイト 半地下の家族の監督作品ということで楽しみにして視聴。
原作ありの作品ということだけど、なんか絵はめちゃくちゃ上手いけど話の取捨選択はイマイチな作画のコミカライズ読んでるみたいな感覚。原作のシーンを一つずつ撮りました、みたいな感じでテンポ感がなく、主人公のモノローグがずっと続いている感じ。
原作は読んでないので実際のところはわからないのだけど。
世界観は面白く、一つ一つの描写は良かったけど、悪役権力夫婦の割合が多くて胸焼け。
期待してたもう1人の自分との絡みは薄味で残念。
もう1人の自分よりも彼女の存在感が強い。
ナイフを持って外に送り出される17と18の過去に対する認識、性質の対比とか、洞窟で仲間が死ぬ時の緊迫した描写とか、おっと思えるシーンがありつつも全体が繋がってない感じ。
なんで18があの性格で自死を選んだのか……雰囲気はあるけどもっと踏み込んで描いて欲しかったな……。
主人公がなんであんなにモテるのかわからないけど、主人公を取り巻く女性たちはみんないいキャラしてて良かった。
特に主人公の彼女がクレイジー愛の人で強くて過激でかっこよくて最高。
借金取りがカメラで撮る描写があって、その後もカメラで撮影している描写が多かったから、裏で借金取りが糸引いてるのかと思ったら別にそんなことはなかった。
主人公のお友達(クズ)、あまりにも生き残りすぎて憎めないね。
全体的にまあまあ面白かったけど2時間は長い。
もしもこの映画にソン・ガンホが出ていたら
新作映画も、シネコンだと2週目になると一日1本になってしまうのは悲しい。
観客も5人くらいしかいなかった。
ポン・ジュノ監督作品は『グエムル』『スノーピアサー』『パラサイト』を鑑賞済。
いずれにも通じる格差社会の描写、どうしようも無い絶望感、そして吐き気を催すグロテスクなシーン。
その印象が強かったので本作もそれを期待して行った感はある。
『グランド・イリュージョン』で渋い刑事を演じたマーク・ラファロがト●ンプも真っ青のアホぶり全開で面白かった(奥方は完全にサイコパス⋯!!)。
クリーパーは見ているうちに可愛く思えてくるのが不思議。
ただ、『亜人』を見ていたせいか、何度も殺されてリプリントされる光景もあまり新鮮味がなく、クリーパーと心が通じたシーンも何処かのアニメでのデジャブ感ありで、ポン・ジュノ監督らしさがほとんど心に刺さらなかった。
そうか、この物足りなさはソン・ガンホが居ないから?
でも、彼が出ていたとしてどんな役が相応しいのかと聞かれたらちょっと答えに窮するかも。
ミッキーに翻訳機をくれた小柄な女性が可愛かった。
武闘派ナーシャも良かったがカイも気になった。彼女は恐らくL寄りのBなのだと思う。
エンドロールにブラッド・ピットの名前が出ていたので『あれっ!?出てた~??』と慌てたが、後で調べたら製作総指揮だった。
リアルな発想が足りない
虐げられる労働者。存在すらも酷使される。
そのテーマはリアルだがどうせ踏み込むなら現実的な救いのなさに振り切った方が良かったように感じた。権力者を倒して個人の権利を得る社会にするといったある種幻想とも言えるハッピーエンドは温く感じてしまう。
不条理への反抗でしか存在を確かめられないあわれな人間…と描く方がより深い。
ミッキーが2人しか出ないのも面白みがない。3人4人と出現するが、権力には勝てない。
革命とは様々な要素がからまないと起こらない。個人の不満がいくら集まっても変わらないのが現実だ。
その意味でこの映画はハッピーエンドだが夢想でしかない。
私が死んでも代わりがいるから?
楽しめました。
最近、小説を読む量が減っていて原作を読んでいないのですが、この映画作品全体の印象として、SFの「ワイドスクリーン・バロック」という分野を思い出しました。時間や空間を壮大に駆け抜ける物語、アイデアてんこ盛りながら軽薄を特徴とするSFのサブジャンルのことで、80年代にはバリントン・J・ベイリーの「カエアンの聖衣」「禅銃」などヒット作でブームを起こしました。
本作では宇宙開拓、異生物とのファーストコンタクト、クローン、アイデンティティの認識、生命の価値といったテーマがごった煮で押し寄せて来ます。哲学的に高尚な事柄は、全く片付きませんでしたが。
主人公のミッキーは借金取りから逃亡するために、使い捨て実験要員であるエクスペンダブルに志願して宇宙開拓団に採用されます。その後の彼はゴミ扱い、可笑しいやら悲しいやら。みんなのために、試しに死んでこい。クローン再生を受け持つ医療スタッフにも緊張感が無くなって、医療接続パイプに引っ掛って外したり、体を受けるストレッチャーを用意し忘れたり。
ミッキー自身が自分の役割に慣れてしまい、さっさと再生されたいと願う始末。やっぱり苦痛が長引くのはイヤだよね。
開拓団のみんなは、ミッキーに聞きたくて仕方がない様子。「ねえねえ、死ぬってどんな感じ?」
唯一、彼に惚れたナーシャだけは彼の死、苦痛を悲しんでくれます。
ミッキー17と18が同時に存在してしまい、ナーシャはプレイの快楽に大喜び。2人?3人?の快楽探求が、彼らを救うキーワードになるとは、誰も気が付かなかったと思います。
ミッキー17と18の性格の違いは、二人の立場の違い、言わば後天的に生まれたものだと考えます。ミッキー18にとって、再生が後の自分に生き残りの権利があるはず。この思いがミッキー18を高圧的な存在に変えたのだと思います。
主演のロバート・パティンソンはダブルを非常に上手く演じていて、驚きました。ミッキー18の憎々しげな表情は別人に見えました。
最後は正義が勝ち悪は滅びる、王道の展開になったと思ったら、マーシャル・イルファ夫妻は復活してましたね。ナーシャの力強い演説とともに、何も片付かなかった結末に脱力感。
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