ミッキー17のレビュー・感想・評価
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人間の愚かさや醜さをブラックユーモアで包んだ作品
ジャンル分けをするとしたら、ブラックユーモアたっぷりのSFコメディと言ったらいいんだろうか。
見終わった後、なんと表現したら良いのか難しく、好き嫌いが別れそうな作品だなというのが率直な感想だった。
死んでは生き返らせ、文字通りの使い捨てワーカーとして働かせる究極のブラック企業の世界観は斬新。けれどそんな世界観の中に過去の歴史や現在の社会問題が見え隠れした。
清々しいほど好感度ゼロの権力振りかざし夫婦は、ヒトラーや某国のトップを思い浮かべたし、人間が人間を実験台にする姿は、ホロコーストや第二次世界大戦の捕虜への仕打ちに思えたし、クリーパーへの仕打ちは先住民を追い出した侵略者たちに思えた。
一部の雇用主が、人権無視の労働を従業員に強いて、周りも職業による差別をし、本人もその環境に麻痺して受け入れていく様子も、現代の闇と近い。
そんな人間の愚かさや醜さのオンパレードで胸焼けしそうになるけれど、シュールな演出と主役のミッキーのキャラクターのおかげで、暗くなりすぎないで見ることができた点は良かった。
あと、私の中でヴァンパイアの恋愛もので記憶が止まっているロバート・パティンソンの、ミッキー17と18の演じ分けは素晴らしかった。表情や話し方だけで瞬時にどちらなのか判別できるので、見ていて楽しい。
しかし「そのシーンいる?」と思うところが何シーンかあったり、モノローグに頼りすぎやしないかい?と思ったり、モヤモヤする部分もあった。
見終わった後に、あれは結局なんだったの?と置いてけぼりをくらった感じにもなり、不完全燃焼感が否めなかった。
原作を駆け足で描いたゆえの脚色かもしれないが、個人的には可もなく不可もなくの評価でおさまる作品だった。
韓国作品のが面白いけど
ポン・ジュノ監督はアメリカでもしばしば作品を発表しているのだけど、やっぱり韓国で作る作品の方が面白いなと思ってしまう。とはいえ、この作品がつまらないということはなく、充分に水準以上の娯楽作品に仕上がっているとは思う。
何度も死んでやり直すというアイディアは、『All You Need is Kill』に共通するけれど、あれは自分の運命を切り開くために、死んだらリセットできるその能力を活用していく。こちらは、他人がそれをやるために生体データと記憶をコピーして再現可能にしてしまうというもの。未知の惑星には人類にとって未踏の危険がいっぱいなので、人柱にさせられるのである。
なかなかにエグイアイディアなのだけど、ポンジュノらし諧謔さで重苦しく見せていない。上流階級の人々の滑稽さ、人類の傲慢さを皮肉たっぷりに描いて、自分が自分であるために必要なものは何かと問う。
身体は3Dプリントで、記憶もコピーだが、それでも自分は自分なのか、人間の範囲が拡大していく時代にふさわしい作品だった。
おなじみのジャンルでも彼が撮ればこれほど面白く輝く
生と死の弛まぬ反復。自分と全く同じ容姿を持つコピー(代用品)との対峙。そんなSFモノの定番をこれまで何度も観てきた気がするが、いざポン・ジュノ監督によるストーリーが起動すると、いささか説明の不可欠な主人公の紆余曲折が実に流麗かつ小気味よいタッチで語られていく様に驚く。さらに感激するのはパティンソンの起用法だ。従来のハリウッドでいかに彼の才能が無駄使いされてきたかがよくわかるほど、この監督はパティンソンの鈍臭いまでのフツーさを巧みに抽出し、これまでにない形で見事に輝かせている。加えてあらゆる面で『パラサイト』より大規模でありながら、常にリラックスして決してリキまない。だからこそ我々はラストの高揚に至るまでゆったりと身を委ねつつギアを上げていくことができる。このペース配分もハリウッドの教科書にはない独自の匙加減。決してポン・ジュノの最高傑作ではないが、名匠らしさが詰まった秀作なのは確かである。
傑作映画群を想起させる特徴的な物語要素と描写
ポン・ジュノ監督が「スノーピアサー」や「パラサイト 半地下の家族」などで描いてきた格差社会への風刺や底辺で生きる人々の悲哀と闘争が、最新作「ミッキー17」でも反復される。原作はアメリカ人小説家エドワード・アシュトンが2022年2月に発表した「ミッキー7」(3年ちょっとで映画化・劇場公開というスピードにも驚かされる)。
ざっくりくくるなら、ブラックユーモアの効いたSFコメディだろうか。SFやファンタジーのファンなら、過去の傑作・話題作を想起させる場面に出会うたび、にやりとさせられるだろう。本作の肝となる空想科学のアイデアである人間の身体だけでなく記憶もコピーする技術は、クローン技術をさらに発展させたものと位置付けられるが、フィリップ・K・ディック原作でタイトルもずばりの映画「クローン」や、ダンカン・ジョーンズ監督のデビュー作「月に囚われた男」などを思い出させるし、人間扱いされない“使い捨て”の存在が宇宙での過酷な仕事に従事させられる点では「ブレードランナー」も近い。
惑星ニヴルヘイムの先住種族であるクリーパーについては、監督自身が「風の谷のナウシカ」をインスピレーションの1つに挙げている。地球外生命体とのコミュニケーションに関しては、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作「メッセージ」も思い出した。
大航海時代にヨーロッパ人がアフリカや南北アメリカで繰り広げた植民地政策(征服と収奪、先住民族の大虐殺や奴隷化)を宇宙時代に再現させたような地球人の蛮行は、「アバター」シリーズ2作でも見られた。「アバター」ではまた、ネイティリがジェイクを抱きかかえる構図がミケランジェロの彫刻「ピエタ」を再現していたが、これとよく似た構図が「ミッキー17」でも反復される。人間の業を引き受け命を落としては復活するミッキーに、イエスを重ねるキリスト教圏の観客も多いのではないか。
独裁者的リーダーがアメとムチで派遣団の人心をつかもうとするあたりは、ポール・バーホーベン監督がアメリカ的愛国主義を皮肉った「スターシップ・トゥルーパーズ」に通じる。「ミッキー17」の開拓団のリーダーであるマーシャルの優生思想は当然ヒトラーを想起させるものの、トランプの時代にも重なって見える。民主党支持者で反トランプ発言でも知られるブラッド・ピットが製作総指揮に、彼のプランBエンターテインメントが製作会社に名を連ねていることと、米国の政治情勢からの影響が少ない外国人監督が起用されたことも、けっして無関係ではないだろう。
ディズニーによるエンタメ支配に〃抗え〃!
「ミッキー」と聞いて誰を思い浮かべる?
ミッキー・カーチス?
ミッキー・ローク?
ミッキー・ゴールドミル?
世界中、誰に聞いてもミッキーマウスだよね。
冒頭、切断された手首が宇宙を彷徨うシーン、
あれ、ミッキーマウスの手そのもの。
ミッキーが「使い捨てクローン」として何度もコピー(生産)されるのは、ディズニーがエンタメ業界を支配し、そこから生まれる「ディズニー的」な型にはまった映画やキャラクターの量産体制へのメタファー。
(量産型)ザクとは違うのだよ!
ザクとは!
というポンジュノ監督の声が聞こえてきそうな、
ブラック・シニカルSFコメディ。
格差社会を描いてるのは誰でも分かる。
問題はどこにあるのか?
深刻な社会問題や不快な現実を避けるディズニー的(善悪二元論/個より家族やコミュニティ重視/再生と贖罪/奇跡と祝福など〃某宗教的価値観〃が物語の根幹をなし多様性は表面的)な作品が蔓延することは、社会に深刻な影響を及ぼすという問題提起があると思う。
宗教は貧困や弱者に寄り添うものであったけど、歴史を振り返ってみても、また現在も、権力と結びついて格差を肯定している。特に某宗教は、貧しい者は幸いだと言い、この世で抗う気持ちを削ぎ、天国での救済を説く。
天国を夢の国と読み替えたらいい。
GANTZ、ナウシカなど……特に駿さんの影響を強く感じた。駿さんは「楽しませるのだけがエンタメではない」という考えがあり「答え」より「問い」を重視する、ディズニー的な価値観に抗う人。物語の構造的に、ポンジュノ監督と近しいものを感じる。
めっちゃ好き!
支配と服従という関係、力による支配しか理解出来ない人たちは、他者の自由を侵略してはならないという当たり前の倫理観も無ければ、そうした議論をする能力も無い。ファシズムは宗教団体と一緒になって最終的に人々を不幸にする。
そうした普遍的なことをまっすぐ伝えるセリフと、エッジの効いた演出がすごい。生ぬるいところがまるで無かった。
ラスト。「18ならどうする?」隠れた自分の本心の存在に気づいたミッキー。そして、これまで母に対する罪悪感の象徴だった赤いボタンは、マシーンを破壊する赤いボタンに上書きされる。個人の小さな変化は私たちの大きな希望だ。
もう一つの大きなテーマは包括的な愛。ナーシャはミッキーが生まれ変わるたびに、全てのミッキーを力強く抱きしめる。
カイが「17は私に譲って」と言ったとき、ざけんな!両方私のもんだ!と怒鳴った。
うんうん。私にも感じの良い時の自分と、ネガティブモンスターになった自分がいるけど、そんな私を「両方オレのもんだ!」って怒鳴っほしいわ、脳内彼氏に。だって全部自分だもんね。
うっとりするようなラブストーリーでした。
SF仕立てのブラック・コメディでありながらも「人間らしさ」とは何な...
SF仕立てのブラック・コメディでありながらも「人間らしさ」とは何なのかを真っ向から描いている作品でした。
「人間」を描くにあたり、アメリカ人とは違う監督の持ち味も存分に発揮されており、卑劣な友人、自己中な統治者、美食のために他を顧みないファースト・レディ、すぐ感情的になる彼女など、アメリカ映画では中々お目にかかれない魅力的な人々がしっかりと描かれておりました。
そんな中にあって1番目を引いたのが主役であるミッキーを演じたパディンソン。
イケメン枠の役者であるはずの彼が、白目を剥いたり、ゲロを吐いたりとメチャクチャな扱いを受けてます。
パディンソンはイケメンである事を忘れてしまったかのような姿を連発して、観客にもすぐにそれと分かる程の「情けない人物」をきちんと表現しておりました。
同時に彼は「気の荒い人物」も演じており表情の違いだけでそれと分かる演技を披露していました。
凄い方ですね。
ただSF映画としてはやり尽くされた感じが否めなかったのも正直なところ。
芋虫のような異生物が可愛らしく見えてくるのも宮崎アニメで味わい尽くしてますもんね。
個人的にはSFに仕立てた必然性とオリジナリティが欲しいと感じました。
イマイチハマらなかった
ポン・ジュノ監督ってことで期待しすぎたW
半地下の空
パティンソンの芸域拡張。
地獄に落ちると「ミッキー∞」になる?
何度でも再生することを条件に、危険な仕事をさせられて死に、そして蘇る、を繰り返す男を主人公としたSF映画です。
最初は何かの不条理映画かと思っていたら、後半になるに従ってドキドキハラハラし、ラスト間近では思わぬどんでん返しも待ち構えています。
「スノーピアサー」や「パラサイト 半地下の家族」に比べたら、最も後味良く終わります。
ふと思ったのは、子供時代には誰でも「悪いことしたら死んだ後に地獄に落ちる」と言い聞かせられることでしょうが、自分は後になって「死んでいるんだからどんなにひどい目や苦しみに遭っても、死ぬことは無い」とも思うようになったものでした。
この映画を見て、「本当に地獄があってそこに落ちたら、主人公のような経験をするんだろうか?だとしたら、やっぱり地獄に行くのはまっぴらごめんだ」と思いました。
面白いが死ぬって怖いことなの的な問いと格差社会、侵略などのテーマの...
ポン・ジュノ監督ってデストピアSF雪景色が好きなの? スノーピアサ...
自分自身は唯一無二の存在
好物の設定だが、冗長。
思ったよりもコメディだった。気軽に見られるね。
たまたま吹替しか時間が合わなくて、吹替版で見たけど、これロバート・パティンソンの声で見るべきだったなー!演じ分けが良いし、「悪魔はいつもそこに」のパティンソンがかなり好きだったので、今作とても良かったです。 一人で二度美味しいロバート・パティンソン。
思ったよりコメディ寄りで、ツッコミどころはありつつも、ストレートなテーマとわかりやすいキャラクターで、重いテーマなのに軽く見れて良かったかも。軽過ぎると言えば軽過ぎるけどもw
クリーパーことグソクムシさん達可愛かった。意外とみんなミッキーのこと雑に死んでも生き返れるし気楽だよねーみたいな扱いなのに一部の人は心配してくれたり、本気で怒ってくれたり。割と愛に満ちてた。
でもまぁ、期待通り予想通りな感じで、ちょっとハードル上げすぎてしまったかも。SF的なとこも結構地味。細かい設定もチラチラ出てきてその辺は分かりやすく面白かった。ほんのりスターシップトゥルーパーズ味を感じる世界観はすごく好き。
倫理観
期待を超えることはない
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