ミッキー17のレビュー・感想・評価
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冒頭のシーンがいちばんカッコいい
使い捨て人間:エクスペンダブルという設定が面白く、予告を観て惹かれていた作品。
ニフルヘイムという星への植民計画を実現するために、
契約書もよく読まずにエクスペンダブルになるミッキーが後悔しながらも
何度も何度も死んでは人体プリンティングで蘇り、ウイルスからワクチンを開発し、
住めるようにするという、何とも体を張った役割だし、観ているだけでも痛々しい仕事だ。
それに言わずもがな倫理観もぶっ飛んでいるため、みるに耐えない人もきっといると思う。
しかしながら、ミッキーのモノローグが実に面白くて、前半はかなり笑えるシーンも多いことから、
エンタメとしてきちんと成立していると感じた。
上述だけでもSFてんこ盛りだが、
やはりクリーパーというナウシカの王蟲を彷彿とさせる造形の先住生物が出てくると
俄然戦闘の期待をしてしまったのだが、この王蟲は知性があって、ちゃんと人間とコミュニケーションがとれる。
優しい性格であり共存・共生ができることは間違いないのだが、
植民団のリーダーとその妻によって戦う状況となるも、ミッキー17・18により共存・共生関係が維持されるのが
本作のクライマックス。
ミッキーが2人になるという捻り方によって、ストーリーに変化が生まれ、
虐げられている節もあったエクスペンダブルが反撃していくのが見どころ。
俳優陣もミッキー・バーンズを演じたロバート・パティンソン始め、
ナオミ・アッキー、マーク・ラファロ、トニ・コレットと非常にコミカル且つ少し怖い面もしっかり演じていて
存分に楽しませてもらった。
特にアナマリア・バルトロメイが魅力的だった。『あのこと』の主役を演じた俳優。
率直に言って137分は長かったと感じた。
もう少しコンパクトでよかった気がする。
コミカルさシニカルさにも通じていて、複雑な感情になる映画だった(笑)
パンフレットはまだ未読だが、内容が充実しているっぽいので読むのが楽しみ。
世界観は興味をひくけど内容が普通
ハリウッドでも安定のポン・ジュノ監督。ワーナーに拍手。
先ずワーナーは冒険する会社というのがよくわかる作品だった。とりあえずやらせてみようという感じで丸投げしたんじゃないのか?と思わせるぐらいポン・ジュノはやりたい放題。とは言っても過激な描写はやや控えめ。マイルドなクラシック調の音楽をバックにゆったりとしたテンションで物語が進むので派手なSFを期待してると少し残念な気持ちになるかもしれない。VFXも慣れっこな監督なのでもう少しSFな世界観を見せてほしかったというのが正直なところ。でも格差社会をテーマにしたいつものポン・ジュノで安心した。なかなか皮肉の効いたキャラクターがたくさん登場するがなんと言ってもマーク・ラファロ演じる権力者ケネスがどう見てもイーロン・マ◯クだしその支持者はMAGAっぽいのは爆笑してしまった。途中マーク・ザッカー◯ーグ似のホームレス殺しのエクスペンダブルサイコパスが登場するのもやばい。
言ってしまえばコメディなので笑い飛ばして見れるようになってるが皆さんやってることがエグい。ミッキー18がかっこいい。安定のポン・ジュノと言ったところで新しいものはあまり感じなかったがこの監督のSFはどこかB級感があって可愛いというか憎めない。
とにかくウケ狙いではなく芸術性を重視してリスクを取るワーナーには拍手を贈りたい。この映画が商業的に上手くいくかはかなり怪しいがポン・ジュノ監督にはハリウッドで頑張ってほしい。
まさかの王道
カッコ面白いSFアクションかと思いきや、、
まさかのハバネロ&マイルド君の風の谷のナウシカでした(*´∀`)
今回は猫好きお喋りなおばちゃん観客は居なかったので集中して楽しめました(´ー`A;)
クライマックスの爆破前はイケメンでしたね。
テネットのラストを思い出しました(T_T)悲しいイケメン
ダンゴムシモフモフ赤ちゃんは可愛かったです♪
期待してた方向では無かった
清教徒たちが新大陸を求める話
下敷きになっているのは、アメリカ建国の話かな。
船でやってきたクソ白人共が平和に暮らしていた先住民を「虫ケラ」「悪」と決めつけ、迫害する。
巨大なゾウムシかフナムシのような生物は、知的で感能力を持っている。
まあ、人間基準からは「キモイ」よね。
だからソースの材料にしちゃおうという傲慢さや知的レベルの低さ。司令官夫妻や取り巻きは絵に書いたような能天気キャラと太鼓持ち。こりゃあかん
石の中にいた幼虫が位置的に顔の付近に来ただけで惨たらしく殺してしまう。もう1匹はフックで刺して溶鉱炉に投げ込もうとする低俗さ。
画して虫たちは怒り、移住船のまわりをインディアンよろしく取り巻きぐるぐる回る。
しかし、それ以上のことはしない。非常に抑制的だ。
ミッキー17が翻訳機で話しかけると「1人殺せば、1人の命で贖え」と言う。この辺も知的な上に合理的だ。
不合理なのは人間であることは明らかだ。
と、ここまで肝心のミッキーについて触れずにきた。
肉体的には死んでも、3Dブリンタのよろしく、生体のプリンタに記憶を入れることで何度でも生き返るというアイディアは古典的と言える。だから「死ぬってどんな感じ」という下世話なギャグで、メッセージ性をあえて避けている。また、コピー同士が出会うことで起きるスラップスティック的なドタバタはお決まりとも言える。
つまり、ミッキーのコピーの話は、ただの乾いた設定でしかないという事。
SFを知っている人には、SST張りのドライさを喜び、
知らない人には……多分刺さらない。
知的な暗喩に満ちたコメディと言えよう。
実写版ナウシカを創れそうと思った件
「パラサイト 半地下の家族」のポン・ジュノ監督の最新作。人間のコピーを作れる”リプリント”技術が生まれた未来を描いたSFでした。ただそんな技術も倫理的に問題があるという結論になり、地球上では禁止されてしまう。
一方、地球以外の星に”新天地”を求めるフロンティアスピリッツ溢れる”教団”が、宇宙船を仕立てて地球を離れることに。この宇宙船に、人体実験の道具として乗り込んだのが、地球ではどん底の生活を送り、借金取りに終われる主人公・ミッキー・バーンズ(ロバート・パティンソン)でした。彼は、”リプリント禁止法”が適用されない宇宙で人体実験を繰り返し受けるという無体な契約を結んだ上で乗り込んだ訳ですが、未知の宇宙線を浴びたり新薬を投与されたり、はたまたウイルスを植え付けられたりして、その都度死んでしまうものの、”リプリント”によりコピーが生まれるという繰り返し。そして「ミッキー17」という題名は、17番目のコピーということでした。
いずれにしても、この膨大な説明を要する世界観が、序盤で長々と説明されるお話であり、これを受け入れられるかどうかが、本作を楽しめるかどうかの別れ道だったように思われました。
面白いのが、そんなミッキーが実は宇宙船内の女性にモテモテだったこと。メインの彼女はナーシャ(ナオミ・アッキー)でしたが、そのほかにもカイ・キャッツ(アナマリア・バルトロメイ)やドロシー(パッツィ・フェラン)も彼に好意を持っていた様子。”リプリント”で生き返ると判っているものの、毎回死ぬのは嫌だと思っているミッキーでしたが、女性関係では羨ましい限りな環境にあったのが非常にコメディチックでした。
そして4年以上の月日をかけてようやく新天地の星に到着した宇宙船。ところがその星には、”クリーパー”と名付けられた”先住民”がいることが判明。これが巨大なダンゴ虫みたいなかなり気持ち悪い見た目の生物だった訳ですが、恐らく日本人であれば、殆どの人が「風の谷のナウシカ」の”王蟲(オーム)”を想起したのではないでしょうか。その形もさることながら、”クリーパー”が集団で動く様子や、子供の”クリーパー”を針に吊るすシーン、そしてそんな仲間を助けるために団結して人間を襲って来るという設定までそっくりで、これには少々驚きました。こんなに似ていていいのかとも思いましたが、逆に言えば実写版のナウシカも充分に制作可能だと証明された訳で、Netflixあたりで作ってくれないかなと思ったりもしました。
鑑賞後ポン・ジュノ監督を読んだところ、クリーパーは王蟲のほか、アルマジロやトナカイがモチーフになっているとのことで、まあそりゃそうだろうなと思ったところでした。
いずれにしても、最終的に宇宙船の持ち主である”教団”の顔であるケネス・マーシャル(マーク・ラファロ)とその妻のイルファ(トニ・コレット)と、ミッキーやナーシャたちの対決となり、きちんと悪者のマーシャル夫婦がやっつけられるということになり、また”リプリント”の機械も破壊されることが決まり、メデタシメデタシで終わる物語でした。
大枠ではコメディチックなSF作品だと思いましたが、科学の暴走とか狂った支配者と使い捨てにされる貧民の対比、そして独裁よりも民主主義の方がマシなんじゃねという視点などもあり、「パラサイト」で見せた社会派的な調味料もふんだんに使っていて、中々楽しめる作品でした。ただ、説明が少々くどいというか、逆に言えばくどく説明しないと万人に理解を得られないという世界観が、ちょっと微妙かなと思わないでもないところでした。
役者陣では、悪玉のケネス・マーシャルを操る悪妻イフファを演じたトニ・コレットの憎々しい演技が最高。一方ミッキーに好意を持った女性陣では、医療班の一員だったドロシーを演じたパッツィ・フェランの可愛さが、オタク男子の心をしっかりと掴んでいた、いや掴まれた感じで良かったです。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
いやー面白かった
今月8本目。【ミッキー17】
不作気味な今月。圧倒的に猫アニメのFLOWが心に残ってますが、他はアカデミーに絡んだ大作が続く割にイマイチな今月。
最後にきました、ミッキー17‼️
めっちゃ面白かった。
面白い・・・というと「笑えるの?」
いや、完全にブラックユーモアな笑い😅
遠い未来で他の星に植民する計画の中で、色んな人体実験に役立てる「エクスペンダブル(使い回し)」というコピー人間(いわゆるクローンだけど、過去の記憶やメモリーもインストールされるところが違う)に名乗りを挙げた主人公ミッキーの悲哀。
何度経験しても死ぬのは怖い。
過酷な日々の心の支えは、強く優しい恋人の存在。
そんな日々の中で、ある重大なトラブルが。
その上に、先住生物たちの暴走が。
気弱で優しいミッキー17と
強気で強面なミッキー18
先住生物たちの暴走は、まるでナウシカの
王蟲とかぶる迫力。
(ベビーが可愛い)
結末に予想外の涙流れて、もう始めから終わりまでグイグイ引き込まれ、さすが「パラサイト」のポン・ジュノ監督としか言いようがない‼️
いやしかし、ミッキーを演じたロバートも良かったなぁ。結局18人のミッキーを熱演。いつものクールな男前オーラは封印して、3枚目に振り切ってて、説得力があった。素晴らしいと思う。
恋人ナーシャ役のナオミも、良かった‼️
#ミッキー17
コミカルな惑星映画
事前に怪物が出るらしいとの記事を読み、観てきましたが、予想とは違う滑稽でコミカルな惑星が舞台の映画でした。
前半は少し眠気が出てしまい、字幕を追うのがやっとでした。明らかに「風の谷のナウシカ」を意識したゲテモノ系の生物も次第にいい奴だなと感じてきます。
最後の小技のシーンが良く出来ていて、ミッキーの気持ちを後押ししたと思います。
18度目の正直
近未来、台湾カステラ、もといマカロン店の事業に失敗して借金に追われたミッキー・バーンズは植民惑星に向かう船に乗り込む。
特に何のスキルもなかった彼はエクスペンダブルズの契約をする。それは記録した自身の生態データーをもとに何度死んでも人体をリプリント(復元)できるシステムの下での過酷労働や人体実験を強いられる契約だった。
何度リプリントで甦ってもそのたびごとにつらい仕事を強いられてきたミッキーはそんな理不尽な境遇を自分への罰なのだとして納得させてきた。
幼い頃自分がボタンを押したせいで母親が事故死したと思い込んでおり、今の自分へのこんな扱いはそれに対する罰なのだと。それは何の根拠もない罪悪感からくるものであり、その思い込みがすべてのミッキーを支配していた。
しかしリプリント17番目のミッキーが死んだと思われ、新たにリプリントされたミッキー18は今までの彼とは違っていた。
彼は自分への理不尽な扱いに対して明らかに憤りを感じており、その扱いはけして自分のせいではなく自分をそのように扱う周りがおかしいのだとして支配者に対して反旗を翻そうとする。
新自由主義の下で自己責任論に洗脳され自己肯定感を失った若者たちは自分が非正規労働などにしか就けないのは自分の能力が足りないから自分の努力が足りないからとしてその境遇を甘んじて受け入れて自分がどんなに貧しくて苦しくても社会に迷惑をかけてはいけないとしてセーフティーネットに頼ることもせず逆にそれに頼る人間を怠け者だとして目の敵にする。
かつて植民地支配における分割統治では反乱を恐れた支配者層は非支配者層を分断し互いをいがみ合わせることで支配者層への反乱を防いだという。支配される側がお互いいがみ合ってる間は支配者に牙をむくことはないとして。
新自由主義における自己責任論まさにそれと同じで、自分たちの生活が厳しいのは社会が悪いのではなく自分たちがいたらないせいだと、そう思い込ませれば統治者は安泰である。
実際は富裕層への税制優遇やら非正規雇用拡大でもはや個人の努力では貧困から抜け出せなくなっていてそれが政治のせいだとは思いもよらないし、気づいていたとしてもどうにもならないという諦念感に支配されていたりする。
ミッキー18はまさにそんな社会に反旗を翻す。彼はマーシャルとの食事の席でミッキー17がまたしても実験体にされたこと、それに対して何の文句も言わない17に対して激しく憤る。まるで今までのミッキーが受けてきたあらゆる理不尽な扱いに対する積年の恨みを抱いてるかのように。
突如なぜこんなにも性格の違うミッキーが誕生したのか。確かにリプリントされるたびにミッキーの性格には少しずつ違いがあった。しかしそのどれもがミッキーであることには変わりがないのであり、彼の内面のどの部分が強調されるかはリプリントごとに異なっていた。
彼がリプリントされるごとにその記憶データーもアップデートされるなら、リプリントを重ねるごとに進化していたのかもしれない。それどころか積年の恨みが彼を別人格に変えるほどにアップグレートさせたのかもしれない。
何度もリプリントを重ねてようやく18度目にして今までの自分への境遇に我慢できなくなり、その支配から抜け出そうとする革命戦士のミッキーが生まれた。
今まで死ぬことにためらいのなかったミッキーはそんな18の姿を見て必ずしも同じ自分がリプリントされているわけではないことに気づき、初めて死ぬことに躊躇する。今の自分は唯一無二のものであり、けしてリプリントされても元の自分ではないのだと。
はじめこそ互いの存在をかけて争いあったミッキー17と18。しかしそんな中、植民惑星の先住民たちが仲間を殺されたことで人間に対して反乱を起こそうと結集していた。
18はミッキーの人生を17に託して自ら犠牲となりそのおかげで反乱は収まった。18は同じミッキー同士で争い合うのではなく、ミッキーをこの支配から解放することが自分の役目だと気づいていたのかもしれない。ミッキー同士が争い合えばそれこそが支配者の思うつぼだからだ。
残されたミッキーは18のそんな思いを受け止め支配と搾取の象徴であるリプリントマシーンを破壊するのだった。
ミッキーは18の存在によって自分が唯一無二の存在だと気づけた。しかしそれは18だけのおかげではない。自分を肯定できなかった彼を愛してくれたナーシャの存在も大きかった。
何度生まれ変わっても自分を愛し続けてくれたナーシャは自分を唯一無二の存在として愛してくれたのだった。二人に増えた時に興奮していたのはあくまでも薬のせいだし。
自分が唯一無二の存在であり、自分を大切に思えるようになったミッキー・バーンズはやっと自分を支配していたものから解放されたのだった。
ちなみにあのクリーパーと名づけられた先住民たち。デザインからして監督の宮崎駿愛が感じられるけど、あの姿はバッファローの姿とも被る。
アメリカ大陸へのヨーロッパからの入植者たちが先住民の生活の糧としていたバッファローを根絶やしにして彼らをその土地から追いやった。
当初入植者たちは食糧難にあえいでいたところを先住民の助けで生き延びることができたにもかかわらず、その後入植者は増え続け恩を仇で返すように彼ら先住民からその土地を奪い取った。本作でもミッキーの命の恩人である彼らに仇で返すという点で本作は明らかにセトラー・コロニアリズムを皮肉っている。
行き過ぎた資本主義により搾取を続けた挙句地球環境まで破壊して、新たなるフロンティアを目指して宇宙へ旅立つなんて一見聞こえはいいが所詮やってることは今まで地球で散々繰り返してきた虐殺や土地の強奪。
人間から見れば彼ら先住民たちは確かにクリーピー(不気味な姿)なのかもしれないけど、それは彼らから見た人間の姿も同様。それでも彼らは人間を襲わなかった。むしろ彼らは宇宙船の前で抗議デモを続けていただけの平和主義者。見た目とは違い人間よりも圧倒的に進歩した存在だった。
パラサイト以来のポンジュノ作品。相変わらず資本主義社会の暗部をSFというジャンルに見事に落とし込んだ娯楽作品に満足。
愛される男ミッキー
最近、テレビドラマのアポロの歌を観たばかりで、死んでもコピーされた人間がすぐ作れ何度も生まれ変わってすぐ死んで…というのは同じなんだけど、手塚治虫だけにドラマチックで美しい登場人物たちのお耽美な世界観に酔いしれていた。
一方、ミッキー17の方はなかなかブラックな笑いを入れてくるコミカルな世界観。私は全然笑えないけど劇場では何度も笑っている人もいたので人の笑いのツボ次第なんだろう。
マーシャル夫妻はわかりやすいバカっぽい悪役で、あそこまでクソなら観てて怖くもない。
ミッキー17は愛されキャラで、3人もの女性に好意を寄せられる程なので、観客もなんだかミッキー17のキャラは憎めなくて応援したくなる。
ミッキー17をマイルドミッキー、ミッキー18をスパイシーミッキーとはよく言ったもので、こんな2役を演じられる俳優はなかなかいないな。日本人なら愛されキャラの阿部サダヲだなと思って観ていた。
ナーシャがとにかくかっこいい!
カイも賢そうで素敵!
翻訳機作った子もいい味出してたし、素敵な女性ばかり。
エイリアンに侵略されるのを恐れるより、人間がエイリアンとしてほかの星を侵略する未来も近い感じがした。
パラサイトとはまた全然違うけど、後半の盛り上がり方はまるでオーケストラ音楽のよう!家政婦がチャイムを押すあたりからどんどん盛り上がっていくパラサイトと同じく後半が良かったし、BGMも良かった。
とにかく1度観たら忘れられない、記憶に残る映画だ。
王蟲モドキ
未知の惑星で権力者の横暴に抵抗するエクスペンダブルの話。
未知の惑星に移住するメンバーに選ばれる為に、コピー人間として再生可能な使い捨て人間の仕事に志願したが、死んでいないのにリプリントされて、2人になって巻き起こっていくストーリー。
倫理的な問題と過去の犯罪から死ぬまでコピーは作ってはいけないという体だけれど、個体認証とか位置情報とかを記したチップでも埋め込んだら?と思ったのは自分だけ?
それにこれだけやりたい放題なのにマルティプルだけはしない権力者とか、定期的にセーブしたデータをロードするなら死ぬ時の記憶は無い筈だし、常時オートセーブなら18は17が死んでいないの知ってますよね?とか、なんで18だけ性格違うの?とか、なんだかあまりも都合が良かったり辻褄が合わない設定満載。
そういえばティモが船に乗れたのも偶然ですかね?
まあ極めつけは秘密で片付けちゃうしね。
話し自体はおもしろいけれど、コミカルさを醸すところがそっち?とちょっと安っぽかったり、最後は余計だったりと、色々勿体なかった。
なんならもっとコメディに振れば良かったのに。
プリントごっこか!元気があれば何度も死ねる!
期待が大きすぎました!こんな内容!、?ズッコケた。医学的な側面で肉体の不可思議や再生過程を掘り下げるのかとおもいきや、全てをSFというワンパッケージで省略!簡単すぎない?何も、死生観や、哲学を語ってくれというのではない。ウリである何度も死ぬという文脈なら、くり返し出てくる台詞”死ぬ気分ってどう?“に対して、映画の主題らしきものをストレートでなく、暗示するとかさぁ、なんかないのかねー。ミッキーの葛藤を安っぽい嗤いとしたことが全体のレベルを下げている。
以前、『敵』のレビューで、敵=死だと断じたが、死なないミッキーは無敵であっても素敵ではない。
たとえば『ブレードランナー』で瀕死のルトガー•バウアーがレプリカントの運命を嘆きながら果てたシーン、また、2049ではライアン・ゴズリングが雪のなかに、たたずむラスト。そんな映像詩のようなものを本作にも期待したのは間違いだった。阿呆ヅラの演者が多く、オチャラケてばかり、あの虫はナウシカのパクリ?
アメリカでの人気と興収に寄せすぎたポン・ジュノには、ただがっかりというしかない。
ブラックユーモア
人体実験で使い捨ての肉体を酷使される男(ミッキー)の物語。
死ぬことが前提の実験でひどい死に方をして、複製した肉体に上書きした
記憶を移植して何度でも生き返る。映画の題は17体目のミッキーを表す。
生きた人間をモルモットにするという残酷極まりない話なのに、その軽妙な
演出ゆえに笑ってしまう。ブラックユーモアのセンスが光る。
主人公は負け組で、お人好しが災いして貧乏くじを引いてしまうタイプ。
切羽詰まって中身をよく読まずに契約書にサインしてしまった。それが
使い捨てワーカーの契約だった。そんな負け組キャラの設定が面白かった。
でも複製になって生き返る前提があるからこそ死ぬ覚悟ができるのに
その前提がなくなったら?それは普通の人が感じる死に対する恐れと
何ら変わらないだろう。死に損なったミッキー17の前にミッキー18が
現れた。複製が2体同時に存在してはならない法律のせいで生存の危機が。
さてどうなる?
恋人・転落のきっかけとなった悪友・雇用主・科学者・そして未知の生物
“クリーパー”も絡んでの大騒動となる。色々なアイデアの詰まった物語に
引き込まれた。
あの生物は監督がクロワッサンから着想を得たらしい。宮崎駿監督からの
影響もありその他様々なものが発想の基になっているとのこと。でも自分は
まず見た目がダイオウグソクムシに似てると思った。はたして知性はあるのか?
その生態は?見てのお楽しみ。
IMAXで鑑賞。IMAX用のフォーマットだったので画面いっぱいに広がる
映像を楽しめた。クリーパーの造り込みも見事だったし大画面で非日常を
味わうのにぴったりの作品だった。
ミッキーは17(セブンティーン)
『パラサイト 半地下の家族』がきっかけとなり、日本でも多くの方にとって「有名な映画監督」の一人となったポン・ジュノ。そして本作の宣伝でも枕詞のように『パラサイト 半地下の家族』が付いて回ります。ところが個人的な印象としては、癖が強めな作品が多くて決して解りやすい監督ではないと思いますし、本作についても米国映画レビューサイトでの評判は高そうですが、あくまで過剰な期待はもたずに劇場へ。公開初日、9時20分からのTOHOシネマズ日本橋は平日の割にまあまあの客入りで、やはり注目度の高さが伺えます。
主人公ミッキー(ロバート・パティンソン)はエクスペンダブル(消耗品)として文字通り体を張り、やらされていることは概ね「実験動物」ごとき扱い。そして利用不可となればそのボディは処分され、専用の3Dプリンターで再生された健全なボディにそれまでの記憶がロードされて「再生」。その都度ナンバリングが更新される設定ですが、映画の冒頭、クレバスに落ちて身動きが取れない「ミッキーは17(セブンティーン)」。それだけ聞けば何だか青春ドラマのタイトルのようですが、いまある状況は正に「死亡確定の宣告」そのもの。その様子を確認した「抜け目のない元相棒」ティモ(スティーブン・ユァン)によってミッキーの「雇い主」へ報告されますが、意外な展開によって危機を脱するミッキー17。這う這うの体で自分の部屋に戻るとそこには…。
この手のジャンルが苦手な人にとって、複雑になって混乱しそうなことも「これはこういうもの」とシンプルに説明を済ませ、鑑賞者にはあくまで「ドラマそのものの状況展開」に集中させています。その結果、SF作品に有りがちな「オタクみ」を殆ど感じることなく、あくまで独自の「世界観」として描かれていて、そこで扱われるのはポン・ジュノ監督の十八番である「格差社会」に生きる人々。搾取社会の犠牲者であるミッキーにとって、行き着く先は「消耗品」と呼ばれるエンドレスな奴隷人生。現実にあり得る問題を軸に描かれたストーリーは、想像に難くなく感情移入もしやすいのですが、そこにさも恐ろし気な「未確認生物」が絡むことで、中盤以降は予測不能な展開が繰り広げられまず。
と言うことで、総論としては上映時間137分も長くは感じないくらい楽しめる内容になっていると思います。ですが個人的には、一歩突き抜けるだけの驚きまたは感動、或いはバカバカしさが感じられず、総じてこじんまりとまとまってしまっている印象。過剰な期待はしていないとは言え、やはりポン・ジュノ監督の「実績」を考えれば多少評価も辛くならざるを得ません。と言うことで、また次作に期待したいと思います。
期待程ではない…
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