ミッキー17のレビュー・感想・評価
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コピー人間は美人にモテモテ
白人の主役と悪役、黒人のヒロイン、アジア人の脇役、レズビアンもいて多様性を一生懸命アピールしている今どきの作りだけど、企業のDEI撤廃で多分2年後には古い作りになってると思う。
お話は現代の問題である搾取と格差社会を取り入れたSFで、星新一か藤子F不二雄の短編を長編にしたような生活感ある少し不思議な物語。
全体として楽しめたんだけど、センス・オブ・ワンダーはなく、コメディ調で予定調和な展開。
コピー人間の苦悩や葛藤を描いて、反乱のカタルシスを期待してたけど、ロバート・パティンソンだからか美人にモテモテ。それに自分で選んだエクスペンダブルで、契約書の説明通りに何度も死ぬことになぜか怒り狂い反乱、それがなんか都合よく展開していくから、心に残るものが無かった。
コピー人間としての予想外の副産物、例えば人の心が読めるとか、未来が見えるとか、逆に精神疾患に苦しむとか、そういう要素があれば少しは物語に振れ幅が出ていたと思う。
半年もすれば忘れてしまいそうな作品だけど、暇つぶし程度には楽しめます。
ヴィオレッタ
赤いボタンで失うもの、赤いボタンで得られるもの
宇宙開拓時代のSF映画でありながら、社会の階層や科学と倫理、人を人たらしめるものは何か、などいくつものテーマが込められた作品。重厚な作品ではあるものの、エンタメ作品としても一流で、軽快なテンポの作品として仕上げたその手腕は見事。
王蟲を思わせる異性の生物クリーパーは悍ましい生物を思わせる作品ながら、最後には愛おしくも感じられるのもよい。
赤いボタンが象徴的で、ミッキーはいろいろな局面でそれを押すことで人生を進めていきます。
強烈に突き抜けた何かこそなかったですが、見やすいのに考えることも多い一作でした。
エンタメとしてはいいと思います
エンタメとしてはこの重苦しい題材をテンポ良くブラックかつユーモアもあり
楽しく観れました。
ただテーマはもう一歩踏み込めた気がするのと後半方向性がやや
ブレブレだった気がするって感じで現地生物が実は…みたいなのは
ギリいいんですが、展開が見え見えで宇宙船の内部闘争だったり
その元凶がかなり薄っぺらだったり、何であの溶鉱炉みたいな所で
延々とやってんの?等々…惜しかったかなと言う感じ。
海外で興行も評価もイマイチなのはまぁ何となく分からんでもないと
言う気もします。
好き嫌い分かれそう
Have a nice death !
SFの意匠をしたパラサイトという感じで結構楽しめました。シニカルさと社会性をふんだんにまぶしたヒューマンドラマといった趣きです。
ミッキー18の変異が少し強すぎるかなと思ったのですが、ポン・ジュノは敢えてそうすることで、本来あるはずのミッキー・バーンズを取り戻したかったのかもしれません。
トニ・コレット、マーク・ラファロ、スティーブン・ユアンといった実力派俳優がオーバーアクションを嬉々として演じていて楽しかったです。
マーシャルは完全にトラン◯大統領のパロディですよね。尊大で芝居掛かった喋り方で、宇宙空間を制するみたいな物言いには笑ってしました。現実の移民排除政策も結局自分達も移民だろというアイロニー。
カイ役のアナマリア・ヴァルトロメイは「あのこと」の彼女ですね。優秀なDNAを残すための候補って皮肉なキャスティングは、前作を意識してのことでしょうか?(深読みしすぎかな)
自動翻訳機開発のドロシー役 パッツィ・フェランは「ファイアーブランド」でメアリー王女やってた方ですね。スペインの女優さんですが英語作品でも頑張ってます。
マジ?「ナウシカ、王蟲見たことありません。偶然。」とか「オマージュ」とか絶対言わせない!クリエイターとして恥ずかしくない?話の展開も普通すぎ。マーク・ラファロとトニ・コレットの怪演も通常運転。
グルーピーがキモい
ポンジュノ監督の前作「パラサイト」が傑作だったため、期待値を高くして観賞。結果、パラサイトを観た時の衝撃まで至らず。「佳作」でした。
佳作の理由はやはり使い古されたSFのモチーフの組み合わせに既視感を感じた点です。最後は『メッセージ』や『砂の惑星』『風の谷のナウシカ』がちらつきました。複製の話ももう少し早く登場させ、17と18がもっと絡む展開があってもいいのかなと思いました。あとヒロイン役はもうちょっと華のある人がよかったかな、と。
とはいえポンジュノ監督特有の現代社会を揶揄するような考えが映画に通底しており、飽きずにみられました。
主演で二役をこなしたバンティント、敵役のマークはさすがの演技でした。
SFは偉大な作品が多すぎて、なかなかハードルが高いので今回は辛口ですが、十分楽しめました。2回目はないけど。
これを最高に楽しめない人が多いらしいのが意外
[60代男です]
僕は高齢だから楽しめた? 若い人には楽しめないのか?
物凄く面白かったのに。
本作はレビューを書かないつもりだったのに、ここでの評価が自分と落差があるのに驚いて、書くことにした。
主演のロバート・パティンソンがこれまでのカッコよさを振り捨てて、三枚目で頭の悪いダメ男を、驚くほどなりきって演じている。どっちもいけるとは、イ・ビョンホンみたいだ。
主人公は死ぬような任務どころか、何分で死ぬか確かめる人体実験に使われたり、使い捨て前提で何度も殺される。このあたりは「亜人」のオープニングを思い出させる、非人間的な感覚。ユーモラスな演出になっているが、かなり残酷でひどい話だ。
ところで、こういう主人公の複製が現れるシチュエーションの作品で、これまで作られた映画は、必ずその主人公2人のやりとりが物語の中心でありすべてだった。その2人がどうするのか、それだけ。
複製と協力するって話は小説でしか読んだことがなく、僕は不思議なのだが、映画では必ず複製とは殺し合いをしなければおさまらない。いつもそれを描くだけの話になる。
ほかの登場人物たち、たとえば恋人が出てくるパターンが多いが、そのときその彼女なり彼は、主人公と複製が奪い合う対象でしかなく、主人公に複製がいることを知ったときの反応も、ただ驚いたり拒絶したりという普遍的でありきたりな反応をするだけで、それを主人公がどうやっておさめるかということのみが描かれるだけ。恋人のほうは個性も意思も持っていないのが当たり前。
本作も最初はそうかと思っていた。
しかし違った!
なんと主人公の恋人の女性は、主人公が2人存在することを知ると、好きな男が2人になったと喜んで、はしゃぐのだ。
言われてみれば変じゃない。気持ち悪いという感情が先に立つのが普通かもしれないが、好きな男二人と同時にベッドで楽しめるという発想をする人がいてもおかしくない。
つまりこのキャラクターは画一的な性格とは違う個性を持っているのだ。そしてそのあとも生き生きと存在感を発揮し続ける。
これは作り話なのだから、登場人物の行動など、もちろん作者が好きなように操っているわけなのだが、それをそう感じさせてしまうなら、脚本家や演出家や役者が無能だということ。
登場人物たちが、主人公以外まで、みんなそれぞれに個性と意思を持って行動しているように感じさせてくれれば、現実に目の前で起こっている出来事のように、いったいどうなるのかと物語に没入できる。
本作は見事にそうなっている。
この恋人が喜ぶシーンに意表を突かれて驚き、そこからは引き込まれて充分以上に楽しめた。
トニ・コレットとマーク・ラファロの憎々しさも最高だ。
悪役の憎たらしさは娯楽映画を面白くする重要な要素のひとつだが、これはそこも満点。
あと、新しく再生された主人公が記憶を注入されるときに、そのケーブルを看護師が足に引っかけて外してしまい、あわてて刺し直すが、ほかの人たちはそんなことまったく気にしていないというシーン。ほんの2・3秒の描写で、主人公がどうでもいいような扱われ方をしていることを強く印象付ける、良いシーンだった。
とにかく面白かった。
久しぶりのSF大作の大当たり
ポン・ジュノ作品&ロバート・パティンソンという大好きな2人のタッグなので、大変楽しみにしてました。
見る前の評価が今ひとつだったので心配しましたが杞憂!久しぶりのSF大作の当たりでした。
何故評価がイマイチなのか?
科学者たちの感覚はどんどん麻痺していき、Expendable(代用可能)である究極の使い捨てワーカー=人工肉と同じ扱いという、とんでもない状況。
でも、当然人だよ?心があるよ、生まれ変わるとしたって死ぬのは何度だって怖いよ? そんな当たり前のことが当たり前とされない世の中の恐ろしさを、コメディタッチの中にも強く訴えてくる作品でした。
後半、クリーピーや、その中に佇むミッキーの出立ち含め、ナウシカ!というのは、ナウシカ見た人なら誰でも思うでしょうが、これは、もはやナウシカへのリスペクトと感じます。
ミッキーを心から愛していて非常に人道的なナーシャが、ミッキーが2人になっても気にしないのは薬でぶっ飛んでるから?とか、ゲイのカイがミッキーに近づくのは寂しすぎて?とか、ちょいちょいツッコミどころもあるのですが、メインテーマの芯が通っていて、エンターテイメント性の高い本作は非常に楽しめました。ブラックユーモアというか、あまりに非道で自分大好きな植民指導者夫婦とか、実験動物扱いのミッキーのお約束の顛末に、不謹慎ながらも笑う場面が多かったのですが、私の見た回では笑っている人はほとんどおらず…
ロバート・パティンソンは、見た目が同じな17と18を表情や視線だけで完璧に演じ分けていて、これどっち?ってなることがなく、素晴らしかったです。18が自ら犠牲になるんだろうなと、2人並んだキービジュアルを見た時から思ってはいたけれど、その点だけが悲しかった。
運のいい奴悪い奴
人類はいつまで生き続けたいのか
かつてユアン・マクレガー主演の『アイランド』を見た時にも今と同じようなことを思った
NHKの「ヒューマニエンス」を見ていても思うのは、研究者がマウスを使ってあらゆることをしている
脳をいじったり心臓に手を加えたり細胞を操作したりしてあらゆる謎を解き明かそうとしている
その先に何があるのかを知りたいから、知るためには仕方がなく命を研究の為に使っている
どの動物までがOKなのだろう
それを決める基準は何なのか?
誰がそれを決めてるの?
ついつい考え込んでしまう、娯楽性のある作品だとは分かっていてもなかなか手放しでは笑い飛ばせない考えさせられるこの自分の頭が煩わしく思う時もあるけどそれはもう仕方がないですね
心はどこにあるのか
唯一無二
SF作品は大好きなので、予告から期待していた本作。公開2日目に鑑賞してきました。予想とはちょっと異なるテイストでしたが、なかなかおもしろかったです。
ストーリーは、借金で首が回らなくなった男ミッキーが、高額報酬めあてに内容もよく読まずに契約してしまった仕事により、自身の体の精密スキャンと記憶のバックアップによる複製体の生成を前提とした、危険な任務や過酷な実験に身を投じることになり、ひたすら死んでは生き返る悪夢のような日々が始まるが、ある日、死ぬ前にもう一人のミッキーが生成されてしまったことで、彼の使い捨てワーカーとしての生活に変化が訪れるというもの。
思った以上にブラックユーモアたっぷりの展開で、おもしろくはあるのですが、ちょっとキツすぎて笑えません。命のリサイクルと言えば聞こえはいいですが、何度も複製されるミッキーの存在は、使い捨ての実験体そのものです。何度壊しても怒られないオモチャを与えられた子どものように、ミッキーの体を弄ぶ研究班の所業が悍ましいです。
”コピー人間”や”死に戻り”は既視感のある設定ではありますが、やはり何度見ても気持ちのいいものではないです。人類の進化や技術の革新のためなどと表向きは耳障りのよい言葉を並べることが多いですが、最終的には人間の醜い裏の顔を見せられることが多く、本作は序盤からそんな感じです。
そして、ここに新たなミッキーが生成され、ミッキーが同時に二人存在する状況となり、物語は大きく動き出します。作中では、二人が同時に存在することは”マルティプル”という違反行為とされ、両者の体も記憶も全て処分され、存在が抹消されるという厳しい罰則があります。しかし、目の前に健康に生存している人間の命を軽々しく奪うのはためらわれ、命をめぐってさまざまな視点が提示されます。ある者は2人とも自分のものだといい、ある者は1人を分けてほしいといい、ある者は神への冒涜として2人とも抹消すべきと考えます。
果たして命とはなんなのでしょうか。物のように取り扱っていいものでしょうか。植民星の先住生物・クリーパーたちのほうが、よほど命を大切にしているように思えます。命は複製されるべきものではなく、仮に複製できたとしても、それはオリジナルではありません。やはり命は唯一無二のものであり、だからこそ尊厳があるのだと思います。ブラックユーモアにあふれた作品ですが、命について真剣に考える機会を与えてくれているように思います。
主演はロバート・パティンソンで、悲哀たっぷりのミッキー17と異なる個性のミッキー18をうまく演じ分けています。脇を固めるのは、ナオミ・アッキー、スティーブン・ユァン、トニ・コレット、マーク・ラファロら。
全456件中、301~320件目を表示












