ミッキー17のレビュー・感想・評価
全465件中、181~200件目を表示
こんな設定大好き!最高の面白さ!
コメディ的な要素もあるけど、シリアスに人の意識とは?と考えさせられる映画でもある。
ミッキーが、情けなく描かれているのがいい。
ただ、設定に一つおかしなところがある気がする。
レンガにバックアップした時点の記憶が、コピーに移されるので、コピーは、前のミッキーの死に際の記憶は持っていないはず。
コピーは、どれも初めて死を体験すると思うのだけど、どうなんだろう。
もっとシリアスでもよかったかなぁ
ロバート・パティンソンの新たな魅力を引き出した
「パラサイト半地下の家族」のポン・ジュノ監督がハリウッドで制作したSFコメディ。
パラサイトで感じた盛りだくさんでテーマが定まらず、結果、中途半端な印象が今作でも感じられた。
どこかで観たことがあるようなシーンも多くオマージュなのだろうが、気になって集中できないし、ハリウッドの制作費を得たSF作品なのだから誰も観たことのないイメージを観たい。
何をやっても失敗続きの人生を送ってきたミッキー(ロバート・パティンソン)は何度でも生まれ変われる仕事で一発逆転を狙うが、契約書をよく読まずにサインしてしまう。
地球では政治家を目指すが何度も落選してしまい地球外の植民星で独裁国家を作ろうと企む富豪夫婦のプロジェクトに参加するも、危険な実験のモルモットとして使われ、何度も死んでは生き返る日々を繰り返すことになる。
ところがある日、任務から命からがら死なずにコロニーに戻るとすでに死んだと思われ、彼のコピーが現れる。
法律で2人のコピーが存在することは禁じられているためどちらかは死ななければならない、また、移民星の先住生物との間である事件が起こり、事態は深刻になってくる・・
SF映画でクローンが登場する話は古典的で新しいものではない。
人間が他の星に移住し、先住生物との戦いや共存のようなテーマもSFの定番だ。
そこに新しいイメージやアイデアはあまりないのでスケールが小さいようにも感じてしまう。
しかもコメディ要素を散りばめてくるのでわちゃわちゃ感が否めないし、笑えない。
一体何を描きたいのか・・
貧富の差や社会の底辺でもがきながら生きていく人たちを描くのがポン・ジュノ監督の一貫したテーマなのだと思うが、ここまでこねくり回すとボケてしまう。
今作の収穫は今までクールな役がほとんどだったロバート・パティンソンの情けないコメディタッチの役がはまっている事。
彼の演技の幅が広がった。
難解でした
ほとんど事前の知識がない状態で観に行ったので「オール・ユー・ニード・イズ・キル」みたいなイメージなのかなと予想していたのですが、制作に「プランB」の文字が見えた時点で「もしかしてメッセージ性の高い作品なのか?」と、見逃し厳禁、気を引き締めてスクリーンを凝視しました。
そしたら、異なるテイストの作品で、どの立場の人にスポットを当てるかによって大分異なる感想を抱くだろうなぁと思った次第です。
ワタシ的にはトニ・コレットとマーク・ラファロ夫妻の異世界にぶっ飛んじゃってる怪演がツボでした(思想には全く共感できませんが)。
ただ、視覚的に何十年後かの未来を描くのって難しいですね、宇宙に移住できるほどのテクノロジーを持っているけど、身に付けているモノは現在とさほど変わらない、どこに折り合いをつけると受けが良いのかサジ加減にセンスが問われるよなぁと、本作を観て痛感しました。
それでも、いつの世においても不変なのは優しい気持ちだよなぁと、17番のミッキーの行いを見て改めて自分自身の行いをきちんとせねばと教えられる作品でした。
今回も“社会の階級”を表す縮図のような構造
「あのパラサイトのポン・ジュノ監督最新作!」みたいな触れ込みが大きく出ていたので、最初は韓国映画なのかと思っていたけど、普通にSFの洋画って感じ。それが良くも悪くもフレッシュさがなく、フラットに楽しめた印象。
とはいえ、今回も“社会の階級”を表す縮図のような構造がしっかり舞台になっていた。
人体を3Dプリントできるようになったけど、倫理的にグレーだから法的には禁止、という設定もリアルで、「まじで近い未来にありそう…」と思ってしまった。
序盤は設定の説明が多くてちょっと受動的に観てたけど、中盤で起こる“物語のコア”にあたる出来事からは一気に先が読めなくなって、そこからはしっかり没頭。
ラストも後味よくまとまっていて、見終わった後に「観てよかったな」と思える作品だった。
ポン・ジュノはテリー・ギリアムの尻尾は食べてない。
食わず嫌いで、ポン・ジュノ監督作はスノーピアサーしか観てません。
パラサイトぐらい観なきゃと思うのだが、どうも気が進まない。相性が悪いんだと思います。まあいつか観るつもりでいます。
なので、辛口になります。好きな人にはごめんなさい。
ただ本作はSFだし、主人公がひたすら複製される内に…って割と好きな題材なので鑑賞。
原作は未読です。
てっきりテセウスの船のパラドックスを扱う作品だと思ってたんだけど違ってた。
保存された記憶をダウンロードされた複製肉体で、代替りする主人公は果たしてミッキーであり続けるのか?とかそう言うヤツかと。
予告編で予定外にミッキーの存在がタブついて2人になるのは分かってるし、劇中社会でそれが禁忌になってる事からのドタバタ劇だろうと思って観てたけど、あんまりそこは深掘りしなかった。
同じ魂が複数あると人間変になっちゃうよって事件を一応描いて、この社会で禁忌になった理由を語るけど、元々変態だった人が複数の自分を作って快楽殺人事件起こした風にしか見えなくて、ちょっとなんだそれってツッコミ入れてました。
あと劇中やたら第三者が死についてミッキーに問うけど、定期的にレンガみたいなメモリーに記憶保存してから死を迎える任務なので、決して死の記憶が無い筈で、下手すりゃ何番目かのミッキーは数十分しか生きてないので、メモリー保存されて無くて、飛び番号みたいにならない?だぶついたミッキーが奇数と偶数で死に分けるってメモリー1つなんだから意味なく無い?とかクラウドで常に上書きされてるシステムでは無かったので、ミッキー死を知らない。
もうそう言うのが、ノイズになってツッコミまくって観てました。
基本的にブラックな寓話の様な本作は、テリー・ギリアム的ではあるのだが、どこか表層的で結局、観客を何処にも導いてない気がします。色々な設定が物語に収束してる感じが無い様に思いました。
目的地の雪の惑星ニフルハイムのクマムシと王蟲のハーフみたいな原生生物クリーパーを躊躇なく排除する権力者は、植民地支配から抜け出ない愚かさなのだろうけど、ちょっと今更感でお腹一杯になりました。
今、現在をブラックな笑いの風刺劇的寓話として表現しようしてたなら、そのアプローチ自体ちょっと古臭くて、まるで複製された魂の様な作品でした。
私にはお暇な方はどうぞと言う映画だった。
今年のアカデミー受賞作品「アノーラ」が、上映打ち切り間近だと感じて映画館に駆けつけたが、数分間合わず仕方なくこの映画を観た。
しかし、アカデミー受賞作品なのに、上映打ち切りを匂わせていることは、面白くないことの証ではないかと疑ってしまう。まぁ、近々鑑賞してみて確かめてみよう。
この映画を選んだのは、高レビューが多いからであった。が、映画が始まってみると、早々に映画館から退出したくなった。私には高評価される方の気持ちが分らない。特段、新しい視点はないし、要は人間モルモットの物語で、人間の生・死に関する深みはない。まあ、娯楽映画なのだろう。
暇な方に勧めますが、私には映画料金を返して欲しいと言わせる映画だった。
期待した程ではなかった。
何度死んでもリプリントされる使い捨てエクスペンタブルのミッキー17が普段通りにあっさり死なず、既にリプリント済の若干サイコパス気味なミッキー18とイカした彼女をめぐって、植民先のクマムシみたいな先住生物やらハルクっぽい権力者を暗殺未遂したりとバタバタしてた割につまんなく途中で寝た。
なんだろう?重複存在者のタブーやらその他設定とかやら嫌いじゃない筈なのにとっちらかりすぎてて観てて疲れた。
王蟲というよりB・Mに見えました
昔、チャンピオンに連載していた「BM ネクタール」という作品にBIO・MEAT(B・M)というクリーチャーがいたのですが、クリーパーがそれにそっくり。
裏返すとあの歯並びは同じにしか見えなかった。
韓国人監督がアメリカでナウシカ実写版製作❓️🇰🇷🇺🇸🪲👩
パラサイト半地下の家族でアカデミー賞獲った監督の作品。パラサイトは1度だけ観て確かに面白かったけどまさかアカデミー賞撮るとはビックリした思い出。Twitterでは「同じアジア人として誇らしい」とか意見あってイヤイヤそこ乗っからなくてよくない?日本映画頑張ろうよ!って思ったの覚えてる。今回はどんな作品か気になり観に行ったらなんともレビューし難い作品だった😯事前にレビューでナウシカって感想見たので何のこと?と思ったらガチでナウシカのパクりだった!!宮崎駿さん怒って良いと思う。私はジブリ作品大好きで1番好きなのは魔女宅🧙←ナウシカじゃないんか〜い!!途中私の脳内にはナウシカの声ランラララランランランが流れ「ひどいよね。許してなんて言えないよね」ってナウシカの声も聞こえてきた。敢えてジブリファンには1度観て欲しい作品かも。
人類が歩むべき道を間違えませんように
原作となった「 ミッキー7」( エドワード・アシュトン )読後の鑑賞。
エクスペンダブル( 使い捨て )人間として生きる事を選んだ青年ミッキーをロバート・パティンソン )が熱演。
政治家マーシャルを映画「 哀れなるものたち 」で主人公ベラ( エマ・ストーン )を誘惑する弁護士ダンカンを演じたマーク・ラファロが、本作でも厭らしさたっぷりに演じる。
原作では、主人公ミッキーは、歴史研究家レベルの知識を持つ青年( 残念ながら情報を瞬時に知り得る歴史学者という職業は最早存在しなくなっていた、との設定。)として登場。
ミッキーがエクスペンダブル人間として志望する旨を伝えたところ、受付担当者の女性が、『 この苛酷な任務への志望者はあなたが初めてだし、あなたのようなまともな人に、志望して貰いたくはなかった 。』といったような思いを伝えるくだりがあるのですが、主人公の人物設定を変えず、そういった場面も入れて頂きたかった気も。
人間味溢れた魅力あるミッキー17でしたし、映像も原作の世界観がリアルに再現されていましたが( 惑星に生息する生物は原作では巨大ムカデ。)、ストーリーとしては原作の方が好みでした。
ー 俺の人類への贈り物
ー 死ぬのは怖い
映画館での鑑賞
なんとも形容しがたい面白さ!
ほんと変な映画なんですけどね。
見終わった後に、得体の知れない巨大な感動が残りました!笑
途中まで、というかかなり後半まで、すっごい微妙だなーと思ってたんですよ。
ポン・ジュノ監督だからっていつも面白いわけじゃないんだな、なんて思ってて。
完成度はさすがだと思うんだけど、バランスが変というか、これどういう感情で見ればいいんだ?って感じで。
それが後半、思いもよらない方向性に話が進んでいくあたりから、その微妙な感じはそのままに、何故かわからんがどんどん面白くなっていって。
最終的には圧倒されて、やっぱポン・ジュノすげー!と呟きながら茫然とエンドロールを眺めていました。
これ宣伝難しいだろうなー!
ネタバレせずにこの面白さを伝えるのは不可能に近い。
いやネタバレしたって無理か笑
でも多くの人に見てほしい!
面白さを伝えたいのだけど、伝えるのが難しすぎて身悶えしてしまうタイプの映画です笑
前半は微妙すぎて、でもその理由が自分の中でうまく説明できなくて、この微妙さを誰かうまく言語化してほしい!と思ってたけど、後半はそれがそのまま反転して、この微妙さのままなんでこんなに面白くなるのか誰か言語化してほしい!という願望に変わりました。
これ適切に批評できる人いるんだろうか??
パンフレットも買っちゃったんだけど、、あのキモカワ生物の写真がちょっとしか載ってなくて、そこはおおいに不満!!笑
ちょっと期待しすぎてしまいました
主人公が二人になって周りに隠しながら何か計画を練って工作していくものと思ったので
富裕層も"半地下"の時の様に もう少し自然に階層に対する無自覚さを描いて欲しかったです
クローンが全く同じ性格でないのは 誰しもの中にあるいくつもの一面なのかなと思いました
同じ経験をして同じ記憶があっても 性格や行動は違ってきて。そしてそれらは全部自分で
主人公が彼女と二人きりになりたがってましたが、本当は少し違う自分と時間を作ることの方が大切そうにみえました
17は理不尽な状況も母親を殺した罰だと受けいれていますが、18にあれは関係ないと言わせます。自分で上手くいってない人生に母親の死を使っていた自覚があったということなんですよね
私も人生が上手くいってない時親を使わない様に気をつけねば
SFでお馴染みの不味い保存食は、今回は劣悪な支配層の象徴として描かれていました
主人公17は周りの信者達とは違う意味で脳死していて。18は望まない者は何も得られない事を教える存在でした。そして一番大事にしなきゃいけない良心である17を最後18は選びます。もしかしたらクローン以上に他人の政治家の中に自分を見てしまったのかもしれません。
全て大きさ以外クローンの様なクリーパー達と同様に人間も興味をもたない限りみんな一緒で個体差なんかないんだろうなと少し冷めた映画でした
悪趣味の極み
137分と確かに短くはない映画ですが、最初から最後まで観ているのが苦痛でした。悪趣味な登場人物、悪趣味な設定、悪趣味なシーン、悪趣味なセリフ...のオンパレード。
「パラサイト」以来のポン・ジュノ作品でした。前作もお世辞にも趣味がいいとは言えないシーンが連続する個性的な映画でした。オリジナリティがあるな〜、と確かに楽しんで観た記憶がありますが、年間最優秀映画か?の疑問はあったような。
今作では確信しました。この人と自分はユーモアや美しい、楽しいと感じるセンスが全く合わない、と。
映画がツマラナイとか、キライと思う時に、多くの場合は脚本が下手だとか、プロットのつじつまが合ってないとか、演技が下手すぎるとか、作り手のクオリティが物足りない場合や完成度が低い場合が多いと思うのです。しかし本作はシッカリ高いクオリティで作られているのに、(自分にとって)面白くない。本当に映画(映像)としての出来や演技は素晴らしいと思うんです。ヘタクソなトコロは全くない
つまり、監督が面白いと思っているらしいことやテーマに、まったく興味が持てない、ということだと思います。
ドラマの舞台は、ある意味カルト的な偏った価値観、世界感に支配された密室的な世界で、登場人物は、全員が漏れなく品性下劣で一つも救いがない。誰一人感情移入できるキャラクターが登場しない。
それはそういう設定を選んだ、というだけであって良しとするとしても、そういう世界が成立する必然性が説得力を持って描かれていないし、対立軸の提示もない。
多分、監督は独特のブラックユーモアを以て、そういう世界(ディストピア)があったらどうなるのか?のストーリーを描いたのだと思いますが、それのどこが面白いの?という感じです。
ラストは、ある意味、救いのある感じでまとめられているんですが、そこに実はポジティブ要素が一つも感じられない。恐らくそこも含めて彼のユーモアの範疇なんでしょうが、ぜんぜん納得(理解)できないんですよね~
バカな権力者への反撃と異生物との共存
「二人の復讐劇」というキャッチコピーから想像するものとは少し違った作品だった。コピーされたミッキーは同じ記憶を持っているが、性格や気性などは異なっており、今回スポットが当たっていた17と18は全く反対であり相入れない感じで、終始協力してる感はなく。死んでも複製できる肉体と記憶。この設定故に描かれる命をゴミのように扱う科学者たちの描写が見ていて気持ち悪かった。その中で特に光っていたのがナターシャだった。彼女は優しく、ミッキーの命を軽んじず、優しさを、愛を注ぎ続けていた。結果、人体複製システムを破壊し、ミッキー17はただ一人のミッキーとなった。とても面白く一切退屈はしなかったのだが、1つだけ引っかかったところがミッキー18が命を投げ打った事である。彼の性格なら17を殺してでも生き残る道を選びそうなものだが。最初は不気味に見えたクリーパーも終盤には可愛く思え、彼らも生命の一つなのだと感じることができた。得体も知れない力を持ったものに対する恐怖から歩み寄りをせずに、殲滅してしまう。力を持った人間がそういった発想や行為に至るのは自然なのかもしれないが、誰かが声をあげればそんな事をしなくても済むのかも知れない。
死の本質は「自我の消失」
って言う。再生されない、となった途端に死を怖れる。記憶の連属性が担保される限り、死は眠る事と同義。ちょっと痛かったり、苦しかったりするけれど。死ぬほどにw
韓国映画なんですよ、丸っ切り。そりゃそうだ、ポン・ジュノだもん。でもねー、このキャストで韓国映画なんですよ。あの、雪と氷の中を走る列車のんもそうだったけど。
まぁー、ちょっとばかし話が易いです。子供っぽさ感じますし、漫画っぽさも有ります。なんか、高校生が好きそうな連載漫画みたいな。
で、終わりがしつこい。
主題には共感するものの、なんか、あれ、この物語の建付けのあちこちに感じる「易さ」に白けてしまった。というのが、昔は韓国エンタメ映画大好きだったワタクシの感想です。
駄目だった。
割と。
全465件中、181~200件目を表示











