「金太郎飴ではない」ミッキー17 Uさんさんの映画レビュー(感想・評価)
金太郎飴ではない
◉前世も現世もない
宇宙の果て、希望は幻で絶望は現実だが、希望を現実っぽく重たく見せてくれるマーシャルとイルファの宗教家のカップルが話の一方を仕切る。マーシャルが次第に悲壮な雰囲気さえ醸し出していくのが愉しく、お構いなしで創作ソースに熱中する妻の異常ぶりからも、目が離せない。
もう一方は借金取りから逃れるために複写人生を送る青年。マルティプルは汎用性の高い危険な技術として禁じられたが、エクスペンダブルと言う隙間産業的な手法を限定的に認めさせる。ミッキーはそのコピー人間のエースになって、必死に前世を振り切り、現世を死をもって全うする訳だ。
◉見た目ではない
三つ目の仕切りは、もちろんクリーピー。最初のシーンでは人に襲いかかるが、やがて不気味な生き物が、生命の尊厳を象徴する愛の存在だと理解される。しかし吊るされた子どもは、ナウシカでない物語ならば惨殺されることもあろうかと、ハラハラした。
物語の中でクリーピーがエイリアンではなく、優しく柔らかな生き物であることが分かったこと、血を流しゲロを吐くミッキーの苦悩を感じる恋人や仲間が現れたことで、まず上にのし掛かろうとするものを取り除かねば! と皆が気持ちを一つに出来た。
◉生きてはいない
ポスターにズラリと並んだミッキーたち。どれもこれも全く同じ顔したダメ野郎。身勝手優先の人類にすれば、どこをとっても、便利な金太郎飴の一個に過ぎない。飴も観念しているのだ。
しかしミッキーの往生際を悪くさせるナーシャが現れる。ナーシャは彼を真底愛して、体位の工夫までしてくれる、夢のようなパートナーだ。彼女が現れたことで、ミッキーは唯の血塗れの形而下野郎から、(ミッキー18と共に)色々なテーゼに揉みくちゃにされつつ形而上男になって、話は長引くことになる。