「ポン・ジュノはテリー・ギリアムの尻尾は食べてない。」ミッキー17 かぼさんの映画レビュー(感想・評価)
ポン・ジュノはテリー・ギリアムの尻尾は食べてない。
食わず嫌いで、ポン・ジュノ監督作はスノーピアサーしか観てません。
パラサイトぐらい観なきゃと思うのだが、どうも気が進まない。相性が悪いんだと思います。まあいつか観るつもりでいます。
なので、辛口になります。好きな人にはごめんなさい。
ただ本作はSFだし、主人公がひたすら複製される内に…って割と好きな題材なので鑑賞。
原作は未読です。
てっきりテセウスの船のパラドックスを扱う作品だと思ってたんだけど違ってた。
保存された記憶をダウンロードされた複製肉体で、代替りする主人公は果たしてミッキーであり続けるのか?とかそう言うヤツかと。
予告編で予定外にミッキーの存在がタブついて2人になるのは分かってるし、劇中社会でそれが禁忌になってる事からのドタバタ劇だろうと思って観てたけど、あんまりそこは深掘りしなかった。
同じ魂が複数あると人間変になっちゃうよって事件を一応描いて、この社会で禁忌になった理由を語るけど、元々変態だった人が複数の自分を作って快楽殺人事件起こした風にしか見えなくて、ちょっとなんだそれってツッコミ入れてました。
あと劇中やたら第三者が死についてミッキーに問うけど、定期的にレンガみたいなメモリーに記憶保存してから死を迎える任務なので、決して死の記憶が無い筈で、下手すりゃ何番目かのミッキーは数十分しか生きてないので、メモリー保存されて無くて、飛び番号みたいにならない?だぶついたミッキーが奇数と偶数で死に分けるってメモリー1つなんだから意味なく無い?とかクラウドで常に上書きされてるシステムでは無かったので、ミッキー死を知らない。
もうそう言うのが、ノイズになってツッコミまくって観てました。
基本的にブラックな寓話の様な本作は、テリー・ギリアム的ではあるのだが、どこか表層的で結局、観客を何処にも導いてない気がします。色々な設定が物語に収束してる感じが無い様に思いました。
目的地の雪の惑星ニフルハイムのクマムシと王蟲のハーフみたいな原生生物クリーパーを躊躇なく排除する権力者は、植民地支配から抜け出ない愚かさなのだろうけど、ちょっと今更感でお腹一杯になりました。
今、現在をブラックな笑いの風刺劇的寓話として表現しようしてたなら、そのアプローチ自体ちょっと古臭くて、まるで複製された魂の様な作品でした。
かぼさん
連投ですみません。
メモリの劣化か再生時のバグはあるだろうし、色々と粗雑なので、なんか逆に「全然違うコピー」ができちゃったのがリアルなようにも思えました。ヒトへの尊厳とか本質云々はとりあえず横において、現場の目先のことで頭がいっぱいな人々の身も蓋もない描き方が、韓国映画っぽい感じもしました。
>だぶついたミッキーが奇数と偶数で死に分けるってメモリー1つなんだから意味なく無い?
これ、私も思いました。「死んだ」ミッキーの記憶が保存されて次のコピーに移されるんだから、他の系統が入り込む余地がないような気がするんですよね。
フォローありがとうございます。まだ読んでないんですが原作小説Mickey7では、8が7とまったく同一の存在として登場して……という流れになってるみたい。対して、ポン•ジュノさんはSFのお約束ごとを無視してる感じ。ナイーブな17に対して少しだけ大人よりの18が出てきた時点でSFじゃなくて青春映画と思った次第
共感ありがとうございます。
お話の展開自体が手垢感ですよね。個人的には半地下の方がダイナミックなSF感があります。
あと欧米役者のアジア的演技は受け付けないのでは・・ちょっと思いました。