「18度目の正直」ミッキー17 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
18度目の正直
近未来、台湾カステラ、もといマカロン店の事業に失敗して借金に追われたミッキー・バーンズは植民惑星に向かう船に乗り込む。
特に何のスキルもなかった彼はエクスペンダブルズの契約をする。それは記録した自身の生態データーをもとに何度死んでも人体をリプリント(復元)できるシステムの下での過酷労働や人体実験を強いられる契約だった。
何度リプリントで甦ってもそのたびごとにつらい仕事を強いられてきたミッキーはそんな理不尽な境遇を自分への罰なのだとして納得させてきた。
幼い頃自分がボタンを押したせいで母親が事故死したと思い込んでおり、今の自分へのこんな扱いはそれに対する罰なのだと。それは何の根拠もない罪悪感からくるものであり、その思い込みがすべてのミッキーを支配していた。
しかしリプリント17番目のミッキーが死んだと思われ、新たにリプリントされたミッキー18は今までの彼とは違っていた。
彼は自分への理不尽な扱いに対して明らかに憤りを感じており、その扱いはけして自分のせいではなく自分をそのように扱う周りがおかしいのだとして支配者に対して反旗を翻そうとする。
新自由主義の下で自己責任論に洗脳され自己肯定感を失った若者たちは自分が非正規労働などにしか就けないのは自分の能力が足りないから自分の努力が足りないからとしてその境遇を甘んじて受け入れて自分がどんなに貧しくて苦しくても社会に迷惑をかけてはいけないとしてセーフティーネットに頼ることもせず逆にそれに頼る人間を怠け者だとして目の敵にする。
かつて植民地支配における分割統治では反乱を恐れた支配者層は非支配者層を分断し互いをいがみ合わせることで支配者層への反乱を防いだという。支配される側がお互いいがみ合ってる間は支配者に牙をむくことはないとして。
新自由主義における自己責任論まさにそれと同じで、自分たちの生活が厳しいのは社会が悪いのではなく自分たちがいたらないせいだと、そう思い込ませれば統治者は安泰である。
実際は富裕層への税制優遇やら非正規雇用拡大でもはや個人の努力では貧困から抜け出せなくなっていてそれが政治のせいだとは思いもよらないし、気づいていたとしてもどうにもならないという諦念感に支配されていたりする。
ミッキー18はまさにそんな社会に反旗を翻す。彼はマーシャルとの食事の席でミッキー17がまたしても実験体にされたこと、それに対して何の文句も言わない17に対して激しく憤る。まるで今までのミッキーが受けてきたあらゆる理不尽な扱いに対する積年の恨みを抱いてるかのように。
突如なぜこんなにも性格の違うミッキーが誕生したのか。確かにリプリントされるたびにミッキーの性格には少しずつ違いがあった。しかしそのどれもがミッキーであることには変わりがないのであり、彼の内面のどの部分が強調されるかはリプリントごとに異なっていた。
彼がリプリントされるごとにその記憶データーもアップデートされるなら、リプリントを重ねるごとに進化していたのかもしれない。それどころか積年の恨みが彼を別人格に変えるほどにアップグレートさせたのかもしれない。
何度もリプリントを重ねてようやく18度目にして今までの自分への境遇に我慢できなくなり、その支配から抜け出そうとする革命戦士のミッキーが生まれた。
今まで死ぬことにためらいのなかったミッキーはそんな18の姿を見て必ずしも同じ自分がリプリントされているわけではないことに気づき、初めて死ぬことに躊躇する。今の自分は唯一無二のものであり、けしてリプリントされても元の自分ではないのだと。
はじめこそ互いの存在をかけて争いあったミッキー17と18。しかしそんな中、植民惑星の先住民たちが仲間を殺されたことで人間に対して反乱を起こそうと結集していた。
18はミッキーの人生を17に託して自ら犠牲となりそのおかげで反乱は収まった。18は同じミッキー同士で争い合うのではなく、ミッキーをこの支配から解放することが自分の役目だと気づいていたのかもしれない。ミッキー同士が争い合えばそれこそが支配者の思うつぼだからだ。
残されたミッキーは18のそんな思いを受け止め支配と搾取の象徴であるリプリントマシーンを破壊するのだった。
ミッキーは18の存在によって自分が唯一無二の存在だと気づけた。しかしそれは18だけのおかげではない。自分を肯定できなかった彼を愛してくれたナーシャの存在も大きかった。
何度生まれ変わっても自分を愛し続けてくれたナーシャは自分を唯一無二の存在として愛してくれたのだった。二人に増えた時に興奮していたのはあくまでも薬のせいだし。
自分が唯一無二の存在であり、自分を大切に思えるようになったミッキー・バーンズはやっと自分を支配していたものから解放されたのだった。
ちなみにあのクリーパーと名づけられた先住民たち。デザインからして監督の宮崎駿愛が感じられるけど、あの姿はバッファローの姿とも被る。
アメリカ大陸へのヨーロッパからの入植者たちが先住民の生活の糧としていたバッファローを根絶やしにして彼らをその土地から追いやった。
当初入植者たちは食糧難にあえいでいたところを先住民の助けで生き延びることができたにもかかわらず、その後入植者は増え続け恩を仇で返すように彼ら先住民からその土地を奪い取った。本作でもミッキーの命の恩人である彼らに仇で返すという点で本作は明らかにセトラー・コロニアリズムを皮肉っている。
行き過ぎた資本主義により搾取を続けた挙句地球環境まで破壊して、新たなるフロンティアを目指して宇宙へ旅立つなんて一見聞こえはいいが所詮やってることは今まで地球で散々繰り返してきた虐殺や土地の強奪。
人間から見れば彼ら先住民たちは確かにクリーピー(不気味な姿)なのかもしれないけど、それは彼らから見た人間の姿も同様。それでも彼らは人間を襲わなかった。むしろ彼らは宇宙船の前で抗議デモを続けていただけの平和主義者。見た目とは違い人間よりも圧倒的に進歩した存在だった。
パラサイト以来のポンジュノ作品。相変わらず資本主義社会の暗部をSFというジャンルに見事に落とし込んだ娯楽作品に満足。