「アホになれれば楽しいはずが、フェミニズム要素で我に返る」バービー ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
アホになれれば楽しいはずが、フェミニズム要素で我に返る
マテル社公認映画でありながらいわば自虐的描写てんこ盛りなのはさすがハリウッド映画。廃盤バービーへのツッコミや男だらけの役員メンバー、一人ずつ壁で囲われて閉鎖的なオフィス空間。
なんだかゆるーく行き来できてしまう、現実世界とバービーランド。陽キャが過ぎてどこかシュールなバービーランドの住人たち。この辺はB級すれすれのノリというか、根底に流れるフェミニズム的テーマがなければ完全にB級と言ってしまいたい雰囲気だ。
世界のピンク塗料を枯渇させた、ガーリーにむせかえるようなバービーランドのセットはなかなかの見応え。バービースタイルでないと着こなせないようなファッションを次々びしっと決めてみせるマーゴット・ロビーはさすがの美しさ。ある意味狂気じみたケンというキャラを徹底的にやり切るライアン・ゴズリングも見どころだ。
こういうノリの映画は深く考えずに見られればアホになれて楽しいのだが、これだけフェミニズム色が濃いと、あれこれ考えてしまわざるを得ない。
(この辺さまざまな見方があるかとは思いますが、私個人が素直に感じたことです)
まず感じたのは、バービーランドにおけるケンたち男性の立ち位置は、現実世界における(少し古い時代の)女性の立ち位置をそっくり表象しているということだ。バービーに比べるとはるかに個性に欠け(ると見做され)、バービーランドという社会においてはバービーの付属物としか見られず、軽視される存在。
物語の中で、人間の世界に行って男性が活躍する姿を見たケンは、バービーランドに人間界の男性観(マチズモ限定)を持ち込む。そしてバービーランドの憲法を変えようとするが、バービーに煽られ男性同士の対立にかまけているうち憲法改正を阻止される。憲法改正は出来なかったが、バービーの「ケンはケン」と個性を認めるかのような言葉に満足する。さらにバービーは「ケンたちもそのうち力をつけるでしょう」(だっけ?)みたいなことを言い放つ……
それでいいのか?
フェミニズムは男女同権主義に立脚するはずだが、バービーはケンたちと共同で新たな憲法を制定したりはしない。彼らを(バービーランドの)法的には元の社会的に劣後した立場に戻し、バービーがケンに個人的ガス抜きをしただけで解決扱い。
これが男女逆ならば炎上案件になりそうだ。
純粋にバービーランドの中のケンだけを見れば、生まれながらに女尊男卑の世界の弱者なのに、本作のケンに対する扱いは、現実の男性優位社会へのカウンターになっている。
そもそもバービーの世界観の起源自体が、女児向けの玩具という性質上女性優位なので、男性の存在が空気にならざるを得ないという側面はある。男の人形に凝ってみたところでマジョリティには売れないということなのかもしれない。
だとしても、目覚めたケンの描写が現実世界の男性への偏見に満ちている様子には少々うんざりした。私自身はそういうことに人一倍神経質というわけではないつもりだが、多様性を押し付け……もとい標榜するポリコレの聖地アメリカの作品が、特定の属性(男性)を「現実界の男といえばマチズモ、馬、『ゴッド・ファーザー』を語りたがる」などと一括りにする、そのダブルバインドぶりにちょっと白けたのだ。
今の時代に女性の主体性や多様性を描くのに、そうやって他の属性を雑にまとめて貶める必要があるのだろうか。
終盤でグロリアが羅列する”女性を縛る不自由さ”の内容に、女性特有の問題ではなさそうなものが混じっていたり、頭脳労働的な職業とウェイティングスタッフのような職業の扱いに軽重が見られたりと、ケンの扱いで首を傾げたことをきっかけに他の重箱の隅も気になり出してしまった。
頭バービーなノリと、嫌でも目に入る定型のフェミニズム的メッセージのギャップを行き来して、思った以上に脳みそが忙しくなる映画だった。