「11才の娘と31才の父。離れて暮らす親子が一緒に旅をして観たもの、観なかったもの。余韻の残る映画でした。」aftersun アフターサン snowwhiteさんの映画レビュー(感想・評価)
11才の娘と31才の父。離れて暮らす親子が一緒に旅をして観たもの、観なかったもの。余韻の残る映画でした。
監督の自らの父との思い出に着想を得て書かれた脚本。
両親が離婚して母に引き取られた11才の少女が31才の父と旅をする物語。
お互いにビデオを撮りながら仲良く旅する2人。20年後ビデオを見返し、当時は気付かなかった父の気持ちを知る。
【ネタバレあります】
幸せな子供時代の思い出がキラキラ描かれて、でも父親は子供が31才になった時には病気か何かでもういないんだろうなと観る前に想像していた。
強ちそれはそんなに外れてはいなかったのだろうと思う。
一方で、想像していたのとはかなり違っていたとも言える。
前半の少女のパートはもっと明るくてキラキラしていると想像していた。父親とキャッキャ、キャッキャとはしゃいで楽しむのだろうと思っていたのだ。
最初はそんな感じなんだがどんどん父は暗くなっていく。彼は娘を愛していて一緒にいられるこの時間を喜んでいた筈なのに何故かどんどん暗くなっていく。
その理由が映画でははっきり描かれていないのでこの映画を分かりにくくしている。病気で長く生きられないのか、問題を抱えていて苦しんでいるのか、或いはうつ病なのか何なのか分からないから観客は戸惑うことになる。もう少し説明して分かりやすくして欲しかったとレビューを上げてある人もいた。
ただ私はこれこそが監督の本当の所な気がした。当時11才だった少女には父の本当の気持ち、その深いところの真意なんて分かる筈もなく謎のままなのだ。
この映画が全くのフィクションならもっと説明しただろう。父の抱える問題が何なのか観客に分かるよう、はっきりとした設定にしただろう。
でも現実にはよく分からなくて、大人になってビデオを観て、当時は気付かなかったものに少し気付いたとしても、そして想像してみることは出来たとしても、それが真実なのかどうなのか確かめる術は無い。監督にとっては永遠の謎なのだ。
正解を確かめる事も確信する事も出来ないが、自分と父親との大切な思い出は確かにあり、それを改変したく無かったのではないかとそんな事を考えてしまった。
私が想像した父親の問題はうつ病だったのではないかと思う。最初あんなにはしゃいでいたのに一気に気分が落ち込んだりするところとか浮き沈みの激しさがうつ病なのではないかと考えた。
だから自分で自分をコントロール出来ないし突発的に死のう(?)としたり…。あの海のシーンは恐かった。本当に死んでしまうのかと思った。
自分の事でいっぱいいっぱいになってしまうから、夜に少女一人残して帰ってしまったりもする。
もっといい加減な男ならそういうこともしそうだけど、あの父親はそんなちゃらんぽらんな人間に見えない。だとするならあの行動はうつ病故の行動だったように私には見える。
それにしても大学生達がまともで良かった。少女が真っ暗な道を1人で帰っていくシーンが恐かった。誰かに襲われ無いかとハラハラした。
次の日、少女は父に「ハッピイバースディ、ダディ」という。父は何を考えただろう。
楽しそうに2人で遊ぶ。少女は父のために周りの人に声をかけ、誕生日を祝う歌を歌ってもらう。
父が前日部屋で1人で泣いていたことを少女は知らない。彼女に「愛してるよ。」と手紙を書いた事も少女は知らない。
夜、少女と父はダンスをする。かかっているのはQUEENの
🎵Under Pressure
歌詞がたまらない。
🎵この世界を知るのは恐ろしい
仲のいいともだちが叫ぶ
"ここから出してくれ"
明日に祈ろう もっとよい日々を
重いプレッシャー 路頭に迷う人々
世の中すべてから目をそらし
知らん顔では変わらない
愛を求めても傷だらけに
なぜ? Why? 愛 愛 愛
もう一度だけ 試せないのか?
もう一度だけ 愛にチャンスを
なぜ愛を与えられない
だって愛という言葉がもう
古びたものになってしまったから
だけど愛は君に勇気を与える
夜の片隅にいる人々を想いやって
愛が君に勇気を与え
君が変わるチャンスだ
互いを思いやるように
これが最後のダンス
これが最後のダンス
これがプレッシャーにさらされた僕たち🎵
フレディ・マーキュリーの声が切なくてこの親子のダンスが泣ける。そうこれが最後のダンス。
空港での別れのシーン。空港から出ていくのは少女一人。
少女は名残惜しそうに父が撮るビデオの前で行ったり来たりふざけて手を振る。
やがてビデオをしまい、父はドアの向こうに消える。
遠くに住む父はここで飛行機を乗り換えて別の空港に向かうのだ。end
20年後少女は父と同じ年齢になりこのビデオを観て何を思ったろう。あの時父の苦悩を感じることが出来たら或いは今も父は生きていたのではという後悔だろうか。それとも分かってあげられなくてごめんという懺悔なのか?
少女が父の真実を確かめられないと同様、私たちも想像することしか出来ない。