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「『妖怪の孫』や"REVOLUTION+"とは一味違うけれども、舞台挨拶にエキストラ動員か?」カリスマ 国葬・拳銃・宗教 てつさんの映画レビュー(感想・評価)
『妖怪の孫』や"REVOLUTION+"とは一味違うけれども、舞台挨拶にエキストラ動員か?
標題が『カリスマ』なのに、序盤にそれとちょうど対極の「エキストラ」がテーマに掲げられ、『日の丸』のときと同じように同じ口調でのインタビューが続けられ、実際の映画のエキストラそのものだけでなく、続く「国葬」では、安倍晋三国葬反対デモ参加者へのインタビューに対しても同じようにインタビューが続けられ、『妖怪の孫』で、岸信介氏と安倍晋三氏だけでなく、国民にも妖怪の影を見出そうとした描き方と似ているようにも感じたが、本作の場合は、監督の一方的な考えだけでなく、インタビューを受けた一人ひとりの突発的な反応も窺うことができ、自分がインタビューを受けた場合には上手く答えられるだろうかという戸惑いを感じた。そして、安倍氏国葬に賛同する人へのインタビューも取り上げられたのは、対比的で良かった。
次の「拳銃」では、自分の知らなかった永山則夫氏の事件と取材映像が取り上げられ、青函連絡船を使った捜査映像から、『飢餓海峡』を連想し、推理小説原作ながら、あの犯人の背景にも屈折した生い立ちが描かれていたことで、永山氏の生育歴の読み解きとも関連するように感じた。"REVOLUTION+"とは視点が異なるが、佐井監督なりに実行犯の人物像に迫るために考案された方法なのだろうと思われた。
「宗教」で取り上げられたイエスの方舟については、少し落ち着いて反社会集団ではないと判明していた頃、大学のゼミの先生が、現代社会で孤独でばらばらにされた個人が寄り集まるための共同体が求められている一つの形だ、と指摘していて、割合に肯定的な見方はもっていたつもりだったので、改めて本作に取り上げられて、名誉回復の機会を得たと言って良いと感じた。ただ、信者の一人が、人生を生き直したい、と言った場面で、序盤に出てきたエキストラの一人が尊敬する人物として菅田将暉氏を挙げ、カメレオン俳優と評されるように、様々な役柄を演じることができると言ったことと重ね合わせていたのが少し腑に落ちなかった。信者が人生を生き直すことと、俳優が様々な役柄を演じて仮想体験することとは根本的な違いがあるのではないかと考えるからである。
映像のなかで、当初の企画は、序盤で取り上げられたテーマである「エキストラ」から、最終的な標題である「カリスマ」に転倒されたという説明が述べられ、「あなたの人生の『主役』は誰ですか?」と問いかけて終わる。
舞台挨拶で、佐井監督は、やはり「エキストラ」から「カリスマ」に変わった経緯を話していた。加えて、映像出演したイエスの方舟の教祖の妻と娘が登壇し、社会の誤解を解きたかったので承諾した、と話していた。本音を語るまでの関係性をつくりあげるまでに、佐井監督自身がクラブに通い詰め、ママとの応対は、一般的なクラブのママとの応対と変わらないものであり、今後も付き合いを続けていくという。また、終わり方で結論を示さなかったことについては、テレビの場合は過剰なくらいに説明をつけるが、映画の場合は暗い室内でしっかり観てくれる客とのコミュニケーションとして、必ずしも答えを示さない、というつくり方をしたい、観た人一人ひとりが考えていく余地を残す、という話をしていて、安倍氏国葬に賛同する人もいるなかで、どうしていくかが問われているのだろうと考えた。
団体客が客席の三列を占有し、花束贈呈までして、サイン会では一般客とは違う不自然な動きを示したところから、その団体客も、ひょっとすると動員されたエキストラだったのかもしれないと思ってしまった。