「腕を組んでもいいかしら トレビアン あした会う誰かに、少し優しく、笑顔を向けられそうな気がします。」パリタクシー きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
腕を組んでもいいかしら トレビアン あした会う誰かに、少し優しく、笑顔を向けられそうな気がします。
多かれ少なかれ、呉越同舟。
タクシーで乗り合わせる運転手さんとお客さんの関係。
それは、たまたまの偶然に道端で手を上げたお客と、そこに通りかかった運転手の出会いの物語なのだ。
それぞれの人生は、もちろん車内でそれを語らないならば お互いに知る由もないし、もうそれっきり二度と会うこともない一期一会の同席だろう。
宗教と 野球と 政治の話題はご法度なのだそうだ。
それでも、必要があってその車に乗せてほしいと願った誰かの人生と、それを拾った側の人生とは、交差点でかすかにクロスする関係。
パリ五輪が終わったばかりで、良い映画を観たと思う。
あの街に住む人たちと、その人たちのかつて住んでいた家の跡地の姿。家族や恋人の思い出。人と歴史。喜びと悲しみ。
そして、そんな人たちが生きている今のパリの街並みの、とくに夜の通りの美しさには目がうばわれる。
老婦人の辿ってきた歴史の重たさには、まさかまさかの驚愕の連続なのだが、胸が騒ぐ物語の進行に合わせて、それをまた贖ってくれる英語歌詞のジャズが挟まり、エンドタイトルでは静かなオリジナルサウンドトラックが、素晴らしい余韻の一時を与えてくれるのだなぁ。
老人ホームに近づくにつれて黙ってしまうシャルルとマドレーヌ。
鑑賞しているこちらまでも、夜の暗い車内で、別れの予感に、たくさんの物思いに言葉数が減ってしまう時間だった。
この「同行二人」は、実はタクシーでも夫婦関係でも、もちろん会社での人間関係でも同じことなのだ。
サービスと、いくばくかのお金と、思いやりとが、その同行二人の人生を支えてくれることがよくわかる。
不機嫌な客、攻撃的なモンスターな客、酔客、多弁な客・・たくさんの出会い。
タクシーの運転手さん、そしてフォロアーの皆さん、お疲れさまです。体も心も大切になさってください。
ご安全に。
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なお、
本作のために出演を快諾し、マドレーヌの生き様と自分のライフスタイルを重ねた、女性の権利獲得活動家にしてシャンソン歌手=主人公役のリーヌ・ルノーの人となりについては ―
VOGUE JAPONの
「情熱は人生のすべてです」──94歳の現役俳優兼シンガー、リーヌ・ルノーが絶やさない活動への情熱【世界を変えた現役シニアイノベーター】
がとても良いレポートを上げているので、ご一読を。
また、
劇中で流れる英語詞のシャンソン・R&Bは、主人公マドレーヌのその時々の心境を表現していました ―
①エタ・ジェイムズの「At Last」。
〽やっと最後に幸せが
②ダイナ・ワシントンの「This Bitter Earth」。
〽この苦い世の中に愛はあるのか
③最後はダイナ・ワシントンの「On The Sunny Side of The Street」。邦題「明るい表通りで」。
もちろんこれらの楽曲は、マドレーヌが繰り返し口にした「50年代の女たち」が押し潰されて生きていた'50〜'60年代の、
その時代の黒人女性歌手たちの歌唱がチョイスをされています。
YouTubeではリーヌ・ルノー本人の歌唱「パリの空の下」も聴けてとても良かったです。
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たった90分の映画ですが、小道具=写真機カメラの伏線と、出演者たちの美しい目のカットが幾度も印象的に映るスクリーン。心が捉えられてしまうこと請け合いです。
走馬灯のように一瞬だったという92年。
父親を殺され、恋をし、虐待を受け、一粒種をベトナムで失い、出所し、そして老人ホームへ向かう道中。
「腕を組んでもいいかしら?」とマドレーヌは僕たちに訊くのですよね、
そして僕たちは
「ウイ、トレビアン、もちろん」と誰かに応える必要があるのですね。
話を聞くこと。一緒にご飯を食べること。共感して泣くこと。
嫌なドライブで始まったこの映画が、「どうかこのまま終わらずに走り続けて欲しい」と願い、川沿いの緑や、夕暮れのカフェ通りや、修復中のノートルダムや、舗道や、夜の街の軒々を、あの二人と一緒にずっと車窓から眺めていたいと願ったものです。
でもひとは別れる。
寂しいが、別れる時が来る。
シャルルならずとも
あした会う誰かに、
少し優しく、笑顔を向けられそうな気がします。
追記
「どうしてこういう家族構成だとDVが起こりやすいのか」・・、僕は悲しくて調べてみた事があるのです。
つまり、シングルマザーと同棲・再婚する継父たちは、なにゆえ妻の連れ子を虐待して死なせるのか。そして一定の抵抗は見せつつも妻はなぜ最終的には夫のその行為を許してしまうのか、という現象についてです。
実はチンパンジーやシャチなど、脳が非常に発達し、群の中で家族社会を構成する高等哺乳類は「先代のボスの子を子殺しする」行為を往々にして見せるのです。それは新しい群の遺伝子を新規に残すためのDNAの要請であり、善でも悪でもない、止めようのない本能的行動なのだそうです。
それを止める手立ては、人間の世の中ではやはり教育しかないと僕は思っています。
男にも、そして女の側にも、動物として必ず沸き起こるであろう自らの本能の声=子殺し衝動・子殺し容認衝動=を察知し、それを必ずや克服する理性の勝利を、先手を打って学ばせなければならない。
学校で。また母子手帳の第一ページへの「警告」として、とりわけシンママの再婚と妊娠に当たっては、書いておくべきなんだと思います。
長文失礼しました。
ひとつだけ難を挙げるなら、恋人マットとDV夫レイの役の俳優が、両者容貌が少し似ていて、西洋人の顔の見分けが苦手な自分としては混乱したことです(笑)
(なんとなくマットと似ている男性を結婚の相手として選んでしまったのなら、なおさらマドレーヌは悲しいけれど)。
あとは完璧。
細々と視点の高さや露出を変えるカメラのセンスがパルフェ!
コメントありがとうございます。
マドレーヌの半生は、想像を絶するものがありました。
現在だったら、行きすぎた正当防衛として、執行猶予がついたかもしれないですね。