「前半は我慢してください、後半でガラッと印象が変わります」アダマン号に乗って kebabpapaさんの映画レビュー(感想・評価)
前半は我慢してください、後半でガラッと印象が変わります
正直、半分くらいまで単調で退屈で、製作者の意図もよくわからず、観にきたとことを後悔していた。時間を無駄にしたなと。
しかし、後半から俄然と面白く感じ、最後には観てよかった、今の自分に必要な映画だと思った。
そのきっかけとなったのは、中盤あたりに、創作活動で自己表現をしている精神疾患患者と、創作活動に携わらない患者が2回ほど順に自己を語る、または創作表現をするシークエンスだ。
不思議と自分を言葉だけで語ろうとする患者、または語るべき言葉が出てこない患者は表情の変化が乏しく、内にこもっている。一方、何か自己表現としての創作手段を見つけた患者は、雄弁にその創作の中で自己や自分のルーツを語る。
なるほど、これはアートセラピーの話かと、腑に落ちる。自分も最近感じていたことだが、どんなに拙くても、自己と向き合い、それを絵や音楽、言葉でアウトプットすることは、心を癒し、孤独を和らげる。
では、創作手段をもたない者は置き去りにされるのか、というとそういう形で、この映画は撮られていない。ともすれば一方的で時に暴力的になってしまうナレーションやキャプションでの説明や解釈、そして観客が理解/感動しやすくなるような演出は、過度に抑制されている。というかほとんど無い。だからこそ、本作の前半は単調で退屈だ。
しかし、製作者の対象に優劣をつけようとせず、アダマン号の試みを正しく正確に記録しようとするドキュメンタリー映画の基本に忠実で真摯な姿勢、そしてその意図が分かった時(と思ってるだけかもしれないが)、本作が、というかアダマン号という場が発しているメッセージが、すっと自分の中に入ってきた。
精神疾患を患っていたゴッホがプラタナスの木を描き、世界と繋がっていたように、どこかで広い海へ繋がってるセーヌ河岸に開かれたアダマン号は、社会という海へと開かれているのだろう。