「動かないけれども、セーヌ川に浮かんだ『ひょっこりひょうたん島』の実写化かも…」アダマン号に乗って もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
動かないけれども、セーヌ川に浮かんだ『ひょっこりひょうたん島』の実写化かも…
①私はこの映画を前にして自分の言葉で表せるものが見つからない。(タイトルも必死に頭を絞って今朝浮かんだ。頭を絞ってもこの程度ですが)
映画の最後のクレジットでとても印象深い言葉が綴られた。
“世の中の風潮に抗って個人の尊厳をあくまで守る場所が実在する”そんな文章だったと思う。
それを確かめたくて珍しく鑑賞語にパンフレットを購入したが残念ながら載っていなかった😢これは「もう一度観なさい」ということかな。
②監督の言葉を借りると「精神科医療の世界に押し寄せる均一化、非人間化に抵抗し、個人個人に共感的なケアをする場所が実在することを知って欲しかった」というのが本作作成の動機ということだが、ただ、精神疾患のある人に限定した言葉ではなく、現代に生きる我々全員に向けられた言葉の様に思えたから。
③「デイ・ケアセンターの話」という前知識だけ仕込んで見たら(母親が後期高齢者のデイ・ケアセンターに通っているので)、なんとメンタルケアセンターの話だった。それも非常にユニークな形の。(弟が統合失調症患者なので、何とも不思議な巡り合わせ)
④セーヌ川に浮かぶアダマン号の船頭の鎧戸の様な窓が、営業開始と共に徐々に開いていく映像が好きだ。
まるで眠っていたアダマン号がゆっくり目覚めていくように。
⑤冒頭、一人の男性が熱唱するフランスのロックバンド「テレフォン」の曲という『人間爆弾』の歌詞に先ずは心が鷲掴みにされた。「自分を手放すべきじゃない、絶対にダメだ」という部分が本作のテーマの一つと共鳴しているが、私はそこより「心の近くに爆弾のスイッチがある」という歌詞に心がより反応した。
⑥他にも印象的な言葉が幾つも出てくる。特に患者さん達の口から。まるで哲学者のようなことばもある。
⑦最初は精神疾患者のケアセンターとはわからない。だって患者とお医者さんとの区別がつかないもの。そのうちに、それらしい人が出てきたり見分けが付いたりしてくるけれども。
⑧ある女性患者が描いた絵の色使いが大変美しかった。絵を描いたり曲を作ったり。各自の創造性を引き出そうとするプロジェクト。
有名な画家や芸術家、小説家、ミュージシャンには精神病を患っていた人が多いというのも知る人ぞ知る事実。多すぎてここで名前は上げないけれども。
⑨劇映画は、どんなに現実や事実を反映したものであっても、あくまでも作り話、フィクションであるから、必ずしも現実や事実通りでなくとも良いと思う(あまりにも荒唐無稽なのも困るが)。そこに人間や世の中の真理・真実を突いていれば、感じ取れれば、それは良い映画であり立派な芸術だと思う。
では、ドキュメンタリー映画はどうだろうか。
事実を撮っているわけだが、撮り方や編集の仕方で監督の恣意を押し付けられたり思惑に引っ張られる危険性はある。
それに対して本作は監督の作家性は勿論感じるけれども(それがなければ単なる撮影した映像の垂れ流しに成っちゃうだけ)、かなり誠実に目の前の現実を赤裸々き捉えつつ、といって変に美化しないで、一つの真理を提示している。そこが正に映画的だ。
⑩子供の頃、「ひょっこりひょうたん島」という番組があって子供心に毎回とても楽しみにしていた。ひょっこりひょうたん島の住民達はみんなとても個性的な人たちばかりだったけれど、自分もひょっこりひょうたん島の住民となって一緒に“波にちゃぷちゃぷ”流されていきたかったのをうっすらと覚えている。思い出してみれば私にとってひょっこりひょうたん島は一種の「ユートピア」のようなものだったのかもしれない。
そしてアダマン号も現代のある種のユートピアを目指している存在かもしれない。
⑪①で“自分の言葉で表せるものがない”と言いながら結構書いてしまった。
まだまだ書けるように思うけれども、最後は私には珍しく監督の言葉を引用して締め括りたい。
“深刻な心の問題やトラウマを抱えた人々も差別されずにありのままの自分でいられる場所、各々の違いを認めて、自分にも他人にも何も押し付けず、自由な気持ちでいられる場所が実在する姿は、まさに「奇跡」。”
“あくまでですよ、あくまで普通の人と普通でない人の、いわゆる境界線というのは、これは境界線があると我々は一応言っていますが、それが本当にあるのかさえも怪しい。その境界線は固い壁のようなものでできているのではなく、穴だらけで、その穴から今日はこちら側にいるけど、ちょっとしたことであちら側に行くこともある。そういうあいまいなものなのではないか、ということに気づいてもらえたらうれしいです。”
ひょっこりひょうたん島、好きでした。その前の「チロリン村」かすかに覚えています。ともに子どもが夢見る秘密の隠れ家だったのかもしれない。フランスでもアダマン号は例外的な理想郷なんだと思います。だから監督はドキュメンタリー映画にしたんだと思います、危機感をもって。