パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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登場人物みんなが移民のように居場所を求め合う。ディアスポラ(移民)映画の傑作。
少しネタバレかもしれないですが、、、
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恋に破れたのはヘソンですが、なぜ泣いたのはノラだったのか。その答えは、ノラが別れたのが単にひとりの男性ではなく、「韓国人としての記憶と幻想」そのものだったからではないでしょうか。文化、言葉、そして故郷。すべての記憶が、ひとつの別れの中へと集約したラストシーンは2024年に製作された映画のなかでも最高に素晴らしい!
かつての映画(日本や韓流ドラマでは依然として存在するが)であれば、ノラは“夢の女の子”として、悩める男性を導く役割に押し込められたかもしれません(映画用語で「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」というらしいです)。しかし、この映画のノラは違います。彼女は韓国からトロント、そしてNYで自分の居場所を確立し、愛する人を見つけ、自らの言葉で思考し、意思を伝えることができる現代の移民女性として存在しています。それがこの映画が移民大国アメリカで評価され、オスカー候補になったのでしょう。
撮影監督のシャビエル・キルヒナーは、心の距離感を余白で表現し、「時間」の流れを表現したラストの横スクロールのカメラワークは切なくて美しいと思いました。
NYでは「だれも気にしていないから」と泣くことをやめたはずのノラには、抱きしめてくれる相手がいて、ヘソンにはいない。ヘソンも自分の居場所を求める移民なのかもしれないなぁ、、、と思いました。
島国の日本人には絶対に作れない作品だなぁ~と物思いにふけました。
後悔先にたたず
終始付き纏った思い、
ヒロインのノラ、イメージに合わないし、
12年後となりどんな素敵な女性かと期待した。
どう見ても40過ぎにしか見えない。
顔も黒くてイカつい。
若い子のような振る舞いに演技しても合わない。
幼馴染のヘソンは幼い頃の恋心で
内面に惹かれたのだろうが、
探すほどの執着する理由がみつからない。
さらに12年後となり容貌と合致して来た。
ノラは🇺🇸人男性アーサーと結婚していた。
そこヘソンがやって来る。
NY観光しながらいろいろと話す。
帰る前の日、ノラの家を訪れる。
やはり恋敵の夫を見ておきたかったのだろう。
人となりや彼女への想いがどれだけか
探りたかったのだろう。
直ぐにいい人とわかるアーサー。
つけいる隙は無いと思ったのだろうか、
アーサーもいるのに二人でばかり話し込む。
タクシーが来る場所までノラと二人きりで
話す。
チャンス❣️
あの時こうしていたら、ああしていたら、
とタラレバを繰り返し、
来世のことも言ってしまうヘソン。
ノラが家にたどり着くと待ちきれない
アーサーが家の前で待つ。
抱擁する二人。
ノラへの違和感が80%を占めたという感想。
すれ違いとめぐり逢いを繰り返す、3つの世代にわたる、大人のラブストーリー。
冒頭。
誰かに見られながら関係性を噂されている風変わりな組み合わせの三人。
最後に、第四の壁を破るがごとく観客側を見るヒロイン。
子供時代での別れ。
いつもは戯れながらの帰り道なのに、この時は全く会話が無い。
そして真っ二つに別れた道で、少女は右へ階段を登っていく。少年は左の平地へ進んでいく。
分かりやすすぎるくらい分かりやすいメタファーで、更にクライマックスでの布石になってくる。
そして12年ぶりの再会。
決して若い年齢ではないが、そこまで老いてもいない。絶妙な大人のラブストーリー。
やろうと思えば、もっと激しく官能的なラブストーリーの、ドロドロな三角関係ものにも出来たところを、
真逆でこれほど爽やかな空気感で、ひたすらに抑えた抑えた映画にしているところが素晴らしい。
同じくやろうと思えばもっと長尺に出来たところを、本編106分という割とコンパクトにしているところもいい塩梅だ。
なんといってもノラとヘソンの、ただ互いに見つめ合うだけのシーンが本当に良い。
個人的には「ドライヴ」のライアン・ゴズリングとキャリー・マリガンを思い出した(内容はまるで別物だが(笑))
タラレバの想いにがんじがらめに遭っているヘソンが、
「君は君だから旅立った。君が君だから僕は好きになった。そして君は去っていく人なんだ。」と、吹っ切れることで、やっと未来へと進めることができるヘソン。
別れることで、先に進む。
こんなに爽やかなラブストーリーがあったなんて。
これほど余韻たなびく映画はそうは無いのではなかろうか。
あえて深夜に、ゆったりと観たくなるような逸品である。
なお指摘している人もいるが、某有名監督の某アニメーション映画に近いところがある。
イニョンの三人
12年前。2012年。映画を見ていた。この年のBESTは『わが母の記』。仕事を辞めて次の仕事を探していた。
24年前。2000年。やはり映画を見ていた。この年のBESTは『スペースカウボーイ』。高校を卒業してバイトを始めたばかりだった。
…という記憶はある。もしこの時、運命的な出会いしていて、その想いを忘れずにいられるだろうか…?
ノラとヘソンの場合は…
24年前。12歳。韓国・ソウルに暮らす少女ナヨンと少年ヘソンはお互い惹かれ合う。が、ナヨンは家族と共にカナダへ移住してしまう…。
12年前。24歳。ナヨンは名前を英語名ノラに変え、NYで暮らす。ある時、オンラインでヘソンと再会。あの時の想いが蘇り、暫く交流続いていたが、再びすれ違ってしまう…。
現在。36歳。ヘソンがNYへ。24年ぶりに対面での再会を果たす。僅か一週間。思い出話や想いが再燃するが、ノラはすでにアメリカ人のアーサーと結婚していて…。
これがドラマチックなメロドラマだったら、アーサーが言っていた通りになっただろう。
が、ベタなラブストーリーにはならず。切なくも、しっとりと。24年の想いに浸る…。
ヘソンのノラへの想いは一途。
ノラも自立し結婚しているが、揺れ動く気持ちはあった筈。
が、再び巡り会った二人が結ばれないであろう事は薄々分かってしまうのだ。
そもそも二人は付き合った事など無い。昔、惹かれ合っただけ。
だからヘソンもヨリを戻すと言うか、僕の元へ…なんて気は無かっただろう。
ノラも夫を愛している。自分の人生を生きている。それを裏切るつもりなど無かっただろう。
だけどもし、出会いもあの時の行動も違っていたら…?
今とは違う運命があったかもしれない…。
誰もが思う“もしも”。
過ぎ去った事、もう取り戻せないもの、その時の自分の決断の結果だけど、“もしも”そう思わずにいられない。
それを感じさせる演出・演技が素晴らしいのだ。
ふとした視線、表情。何気ない会話や間。
NYの風景が本当に美しい。ちょっとした旅行気分。
幼い頃に家族と韓国からカナダへ。自身の体験を基に。カナダ系韓国人のセリーヌ・ソン。
繊細な演出だけど、情感たっぷり。デビュー作でこの手腕とは驚きの言葉以外見当たらない。
グレタ・リーの自然体の演技。秘めた中にも想い溢れるユ・テオの抑えた演技。
ノラの夫アーサー役のジョン・マガロがまた絶妙。
妻が初恋の相手と会う。久し振りだから、ほんの一週間だからと、反対しない。
妻を愛し信じ、裏切らない事に絶対の自信がある。
しかし本当は心中は、穏やかではなかったであろう。
バーで3人で。アーサーも少しだけ韓国語が分かる。だけど、二人が見合いながら韓国語でずっと会話してる時のアーサーの表情と言ったら…。
嫉妬とまでは言わないが、疎外感。
それはヘソンも同じ。少しだけ英語が分かるが、二人が英語で会話。自分が居ない二人の夫婦としての時間。
お互い気遣い、尊重し合いながらも、同じ女性を愛した気持ちとやるせなさ…。
ノラも一見自由奔放に見えて、二人の間で…。絶対に裏切りや間違いは起こさない。だけど積年の想いが…。
彼女もまたやるせないのだ。ちとネタバレだが、ヘソンを見送った後、流した涙。それは声を上げて溢れ出す。
登場人物は僅か3人と言っていい。アンサンブル演技と言うには少ないかもしれないが、素晴らしいケミストリー。
24年の時を経て、秘めた想いを。が、結ばれる事はなかった。これで良かったのだ。
そんな想いに後ろ髪引かれながらも、夫との今を。ヘソンを見送り家に帰ってきたノラを、アーサーは抱き締める。これで良かったのだ。
確かに切なくもある。が、誰が否定出来よう。
各々が選んだ道と今。
今結ばれなくても、来世なら…。
“イニョン”。韓国の習わし。日本で言うなら、縁や輪廻転生。
今出会えたのは、前世でも縁あったから。
その時は結ばれていたかもしれない。
現世では果たせなかった。
また来世なら…。
運命で結ばれたイニョンの二人は、出会いや別れを経て、いつか必ずまた巡り会うーーー。
現実を直視
勝ち気な女
相手を翻弄する女の人がいる。
じぶんは男だから、女の人は反発するかもしれないが、自由奔放でサクッと思い切ったことをする女の人がいる。
たんに男と女のちがい、ともいえるし、めずらしい現象でもないが、ナイーブな男は、そういう女に振り回されることがある。
映画はよかった。初監督となる新人だが日本の新人監督とは別物。しかるべき場所でしっかり映画を学んだ痕跡のある映画だった。事実あちこちで賞をとりアカデミー賞でもノミネートされている。(作品と脚本。)
が、ノラ役のGreta Leeには強気な女の気配が濃厚で、顔も性格の印象も伊達公子風で、是非はともかく苦手な女だった。
女心と秋の空というが「regretへ引き寄せられる気分」というのがあると思う。それは男にもある。なぜか本心にそぐわないことをしてぶち壊しにする。それは若気とも言えるが、名状しがたい気分でもある。
男女がいて、ふたりの理想があって、そこへ突き進んでいるときに、このままではいけない気分がこみあげてくることがある。とりわけ自律心が旺盛な人orストイックな人は、安楽モードに居るとき、むりやりハードモードへ軌道修正しようとする癖がある。
だから「わたしは立身したい、こんなんじゃだめだ、もう交流しないほうがいい」ということになる。映画でよく使われる活発な女の定番構文であり、この映画内にもほぼ同等の会話があった。
男には、離れたがっている女にすがりつきたくないというプライドと、すがっても拒まれてしまうのが怖いという臆病さがあって「きっと君が正しいと思う」と同意する。
そのとき学校帰りの三叉路がフラッシュバックして、そこからふたりの人生は別々になった。
やがて、月日を隔ててみると、まだノラはヘソンに想いがあって、とはいえ良人に不満はないが、とはいえじぶんの結果はなんだったのかと思って泣く。そうなることは解っていたし、自分が選んだ道だし、心は千々に乱れる。それが「regretへ引き寄せられる気分」。
人生には大なり小なり「regretへ引き寄せられる気分」によって本心とは別のことになっていることがある。誰にもあるであろう、後悔するのは解っているのに、やってしまったこと──がこの映画の哀感になっていてそれは大いに共感をおぼえた。
しかし映画の冒頭からしてテストの得点でノラがヘソンに負けたから泣くという、ノラの負けず嫌いをあらわす描写だった。概して負けず嫌いは一生ものの気質であり、よって映画の出来は確かだったがノラのキャラクターがじぶんの情けない過去や、気が強かったあの人、を思い出させるのが嫌だった。笑
imdb7.8、RottenTomatoes95%と93%。
最後の涙を受け止めたパートナーの心境はいかに
小学生の頃に親の転勤で離ればなれになってしまった幼馴染と大人になってからSNSで再開し、インターネット上で逢瀬を重ねる二人。幼馴染フィルタで思い出は美化されオンライン上でしか関係値を作ってないため良いとこしか見えてない二人。だけどやっぱり韓国とNYとでなかなかすぐには会えない二人は、連絡取ることをやめてしまう。
そして十数年後、既婚となった主人公はパートナーの許可を取った上で幼馴染の彼にNYで再会する。パートナーはもやもやしながらも彼女の大切な思い出の人だからと笑顔で見送る(さらには3人で会ったりもする)
なーーーーんかめちゃくちゃ気持ち悪い関係性でした。
若いときにときめいてた相手に今更会って、何を期待してたんですかね。昔好きだった気持ちとか思い出してどうするんですかね。てか昔そんなに好きだったら何がなんでも会いに行けばよかったのに。それもせずに今更とても大切な人…みたいな感を出されても…。いま大切にしてくれてる人との関係に誠実に向き合いなよと思った。
ひとつ良かったシーンは、韓国語がわからないアメリカ人のパートナーが「君が寝言を言う時はいつも韓国語/僕がわからない言葉で君は夢を見てる/それがまるで君の中には僕が行けない場所があるように感じる/だから僕は韓国語を学ぼうとした」と言うところ。めちゃくちゃ彼女のこと好きじゃん。なんていじらしくて愛らしいのか。
※ちなみにそれに対する主人公の返しは「(寝言なんだから)意味のない言葉よ」でした。終わってる。
時間は誰にでも平等に流れている筈なのに
12歳の時ソウルで淡い恋心を抱き合ったまま別れた二人が36歳になってニューヨークで再会するお話です。それだけを聴くと在り来たりのメロドラマの様ですが、誰もが心の何処かに抱いている「もしあの時、違った決断をしていたら」を静かに見つめる非常に上質な物語でした。
女性のノラは既に心優しいアメリカ人男性と結婚しており、夫も妻が幼馴染と会う事に理解を示しています・・いや、もしかしたら理解を示す振りをしています。そうした微妙な緊張感が漲る三人の間には、特別劇的な事は起きないのですが、言葉のないまま交わされる表情や無言の間(ま)に溢れる様な思いが語られ尽くします。
タイトル「パスト・ライブス」は「過去の人生」の事ではなく東洋的な「前世」の事で、本作中では「縁」を意味する「イニョン」という韓国語(朝鮮語)が度々登場します。しかし、この映画は「前世の縁」ではなく、僕には「時間」の物語である様に映りました。
僕はしばしば感じます。時間は誰にでも平等に流れている筈なのに、自分の周りだけゆっくり、又は足早に、はたまた歪んで流れていると感じるのは何故なのでしょう。時間はいつも素知らぬ顔で僕の傍を歩き去り、気づいた時には遠い後ろ姿です。本作中の三人の心の中に流れる時間もそれぞれに熱くうねっています。その熱量は、マンハッタン計画の爆発より僕には強く感じられました。
終盤、男女二人がタクシーを待つ間の静かな映像は、「何かしゃべるのか、何か起きるのか、何か行動を起こすのか」の観る者のドキドキを喚起する濃密な時間でした。これこそ、「作中の人物と同じ時間を体験する」という、映画の「時間芸術性」を遺憾なく発揮した瞬間です。
わたくし、絶賛の一作であります。
よくできている作品だが、内容から共感できない
Unext(配信)で視聴。
なるほど、アカデミー賞作品賞候補にあがっただけのことが
ある。恋愛、幼馴染みがテーマ。よくあるテーマで色々、
考えさせられた。
ただ、作品内容を観ているとあまり共感できない。まず、
幼馴染みがいない人や恋愛が苦手な人には辛い内容に思えた。
イニョン(縁)と言う言葉のトリック・・
外国のインテリは東洋思想の言葉に思い以上の解釈しロマンテュシズムを増長しがちだが、この主人公の女性の無神経な対応は二人のインテリでしかも自己主張の乏しい、女性にとって都合がいいだけのやさしさを兼ね備えた優柔不断の二人の男を携えて単なるエゴサーチに明け暮れた鼻持ちならぬ、インテリ女性の自分探しに付き合わされただけの二時間。解釈によっては色々あろうが、3人で会う必要がどこにあろうか?夫を前に理解できぬ韓国語で延々と語り合う無神経さは少なくとも僕には全く理解できない。韓国男の屑さを差し引いたとしても、異国でのアイデンティティの確立がテーマであったとしても、人への気遣いが出来ないの出来ないアジア女性を描いてほしくはなかった。★1.5でも過大評価と言えるかもしれない。監督の韓国女性のインテリさ加減が鼻持ちならないと云う事も付け加えておきたい。
たら と れば は定食屋にしかねえんだよ!
何か、昔の恋愛の事でウジウジしていて優柔不断なとこにイラッとした。
相手の男も男で、「 前世では僕は止まり木で君は小鳥だったかもしれないね?」って村上春樹でも思いつかない台詞をシャブ打たないで素面で言い放つシーンで心底この映画が嫌いになりました。
これがアカデミー脚本賞だぁ?サメ映画の方が脚本の出来がいいぞ?見る目無いなぁ、アカデミー会員のバーカ!バーカ!
煮え切らない関係の現実的な映画でした
ところどころ考えさせられる映画だった。
恋愛映画なら今の立場を捨てて‥
冒険のような結末が始まるのだが、現実はそうはいかない
小さい頃に離れ離れになった時から運命は決まっていたのではないか?
何故なら、彼女は野心家であるから。
facebookを通じて繋がった時、いつこちらにくるの?どちらも動かずにいた。
ずっと探してたのに、なかなか彼女に会いに行こうとしない彼には違和感がある。
この時点で2人の運命は決まったと思った。
彼女は見切りをつけ、
そしてあっという間に別の人と結婚した。
彼に再会したのは懐かしさからなのだろう。
旦那さんがいいひと過ぎて、支払いのサイン書いてるシーンが切なかった。こういう人だから一緒になったんだよね。
3人でのバーのシーンでは昔の飲み友達を夫に会わせられるかどうか、考えてしまった。
恋とは結婚とは、なんなんだろう。
仕事というのもまた、ここぞというタイミングでやらなきゃいけないことがある。
結婚というものもタイミングである。
成し遂げたい何かの延長線にいた人と、たまたま結婚したということなのかな。
監督の体験がもとになってるということで、もしも事実に近いならば、彼女は自分や仕事以上に彼の事を好きじゃなかったのだなと、ただそう思った。
野心優先タイプ。
それはもうアメリカに渡った時点で確定だし冒頭から言ってる。
年下の飲み友達を思い出した。
20年来のかけがえのない友人。
久しぶりに会うと相変わらず仕事ばかりして、まだ独身で驚いた。てっきり他に仲の良い女性が存在していると思ってたが、自分から言えないタイプで、あの時2人で遊ぶ女性は私たけだったと今更知った。
仕事で甲斐性ができるまで‥なかなか結婚には足が進まないそうだ。この映画でもそんな場面があった。
私は年上だから押す自信が持てなかった。
約束も何もない煮え切らない関係はすっかり忘れ、彼女のようにさっさと結婚した。
時代が今で少しの勇気や待てる時間があれば、別の選択肢があったのかな?と考えてしまった。
夫もちょうど誰かと結婚したいタイミングだったと、聞いたことがある。
彼もまた、針の穴のようなタイミングで誰かと出会うこともあるのかな。
イニョン
恋心があった幼馴染の男女が
大人になって再会したとき
どうなるかという話
幼い二人の通学路が
その後の生き方を象徴‥
ソウルの二人の家へ繋がる別れ道
ナヨンの道は登阪の階段
ヘソンの道は勾配なしの道
振り返ると恋愛と結婚って
延長線にある人が
少ないような気がする
ナヨンは魅力的な女性へ
ヘソンは一般的な
真面目な男に成長。
どうなるんだろうと
思ったけど、
終わってみれば‥
先がないのを決めていて、
相手の気持ちもわかりながら
懐かしさで再会して
やるせなさを相手に
慰めてもらうのが
何か違う気がする
三人の飲み会のシーンは参加したくない
ナヨン以外に
この時間を良かったと思えるのかな
本作に共感するところは
あまりないけど
世の中はこういうものと
感じる人が多いんだろう
シーンに意味を含ませたり
人生での人との縁を表現した
ストーリーのテイストは
見応えあり
欲情で安っぽく
したくなかったんだろうけど
二人の行動や心情に
ささらないのが残念
幼い時の別れ道
彼女は上へ上がる階段へ
彼は平坦な道へ
彼は心が死んでいた
彼女にはそれがわかったから、彼に会くことを旦那も許した。
ちゃんとお別れが必要な場合があるが、これは彼には必要な儀式だったのかも
男性の方がやはりピュアだ。
「初恋」をいつまでも引きづっている
ヘソン(ユ・テオ)に正直恐怖心抱いた😨
12歳で離ればなれになった初恋
あぁ、あの人元気かな。と思う恋は確かにある。
だがしかし!
それは年月重ねていくと恋ではなくなり
ただの淡い恋の思い出と変化する。
それがいい、それがいいのだ。
なのに、このヘソン
24年間も想い、探し続け、韓国からNYまで
会いに行く。
あぁ怖い😱
相手は既に結婚している。
幼なじみとして、友人として
会いたいと思うならいざ知らず
いまだ異性として見ているのに
半ば強引過ぎやしませんか😨
ノラ(グレタ・リー)が理性的で大人の対応をし
彼女の夫アーサー(ジョン・マガロ)も
紳士的だったから良かったけれど
下手したら彼女の結婚生活壊しかねないって🤣
あぁこわい(笑)
ヘソンと別れたあとのノラが泣き崩れるシーンは
彼女の切なさが伝わってきてウルっとした🥲
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