「初恋は辛く美しく、失恋もまた辛く美しい」パスト ライブス 再会 パングロスさんの映画レビュー(感想・評価)
初恋は辛く美しく、失恋もまた辛く美しい
いやぁ、泣かされました。
あるシーンから、ラストまで、ずっと、‥‥
初恋とか、失恋とか聞いて、何か感じるところのある人は、何も調べずに、迷わずご覧になることをお薦めします。
あとは何を書いてもネタバレになりそうなので、‥
そうそう、本作、『エブエブ』や『ボーはおそれている』のA24が配給、韓国のCJ ENMとアメリカのキラーフィルムズと2AMが製作なので8割方アメリカ映画です。
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【以下ネタバレ注意⚠️】
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冒頭に、2024年の3人を映したショットに
「この3人は、一体どんな関係なのだろう」
というナレーションをかぶせたプロローグがあります。
ナヨンとヘソンはソウルの学校の同級生。
成績はともに学年一位を争う仲。
それにお互い好意を寄せるあいだがら。
ところが、ナヨンは、映画監督の父と画家の母とともにカナダに移住することになり、母の勧めで、最初で最後の一日デートをヘソンと楽しんだ。
ナヨンは、妹とともに、自分たちの英語名を決めることになり、父の発案によって、レオノーラ、略称ノラと名乗ることになった。
姉妹は、飛行機の中で、英語の挨拶の練習をふざけてし合うほど、新生活には期待がいっぱいだった。
12年後、ヘソンは兵役のための入隊も経験し、仲間と飲む機会も増えたが、ずっとナヨンの行方をネット上で探していた。
ノラの方は、ヘソンのことなど忘れかけていたが、たまたまFacebookで友達探しをしている最中、ようやくヘソンの名前を思い出した。
検索してみると、父の映画ブログにヘソンは、
「ナヨンを探しているが全然見つからない。知っていたら教えて欲しい」
と書き込んでいた。
早速、ノラの方からヘソンに連絡を取る。
ノラのパソコン画面に映ったヘソン。
もともと12歳の頃から泣き虫だけれど、サバサバした性格だったナヨンに対して、ヘソンは自分の思いを方に出せない内気なところがあった。
今や母親でさえナヨンとは呼ばなくなったノラの挙動は、すっかりアメリカ人のそれとなっていた。
ところが、画面越しに再会したヘソンは、まさに「含羞」を絵に描いたような、もじもじしながら、目も逸らしがちな挙動不審さを隠せない。
いやぁ、ここからですよ。
涙があふれて来たのは、‥
韓国の兵役と会社勤めは同じだとヘソンは言う。
どちらも、ボスの仕事を片付けるまで帰れず、そのための残業手当さえ出ないという。
日本でも、最近でこそ、「働き方改革」の恩恵で、働いた分の残業代が正規に支払われるように大勢はなったが、12年前はと日本も変わりなかったはず。
両親がいるカナダから、作家になるという夢を実現するため単身NYに移住したノラは、バリバリと自分の行くべき道を切り拓いている。
しかし、ヘソンは社会に対しても、自己実現に関しても、もっと受動的な生き方しか出来ていない。
特に兵役の過酷さ、‥‥
‥‥ノラに「兵役は好きになれた?」と訊かれて、それに対してだけは「いや、嫌いだ」とハッキリ答えていたのが印象的。
韓国で、兵役に関して、好悪を表明することは、別にタブーではないのかな?
話していくうちに、どんどん打ち解けていくヘソン。
話す内容も、ナヨン(ノラをそう呼ぶことを彼女から許された)への隠しきれない思いも、いじましくて、可愛らしくて、痛々しくて、泣けて泣けて仕方がなかった。
ところが、ノラは、日課となったヘソンとのネット上のおしゃべりを、きっぱり辞めると突然宣言する。
自分がNYに出て来たのは、夢を実現するためだから、と。
こう切り出された時のヘソンの受けたショックが、画面の表情からも痛いほど伝わって来る。‥‥
‥‥また、泣ける。
ノラは、アーティスト・イン・レジデンスの制度を利用して、NYの東、モントークのレジデンスに入居した。
執筆活動に専念するためだったが、ここに後から入居して来たのが、ユダヤ系アメリカ人で、やはり作家志望のアーサー。
初対面の二人は、美しい環境のなかで、すぐに打ち解け、ノラは、韓国で人と人が出会う奇しき縁(えにし)のことを「イニョン」と言うのだ、と説明する。
この世で、結婚するような相手とは、8000層(だったかな?)も重なるほどの、前世( past lives )からの「イニョン」があるのだと韓国では信じられている、と。
この「イニョン In-Yun 」、日本語で言えば「因縁」でしょうね。
単純に「縁(えん)」と言っても「えにし」と言っても、ほとんど意味は変わらない。
ノラが、「仏教から来た考え方」と言ってる通り、仏教の基本理念の一つ、「因縁説」または「縁起説」に由来するものでしょう。
韓国は、日本より、儒教の影響が強く、仏教の方はさほどではないのかと思っていたので、この話には、ちょっと驚いた。
現代の日本では、「親の因果が子に報い」とか「因縁話」とか「インネンを付ける」とか、とかく「因縁」という言葉はマイナスイメージをともなってしか使われない。
また、「縁」の方だって、「縁結び」とか「縁切り」とか「御縁がなかった」とか、比較的軽めのニュアンスで使われている感じで、前世からの縁がどうこう言うのは、お能か歌舞伎の舞台でしか耳にしないと思います。
中村元先生の『原始仏教』によれば、縁起説とは、ものごとには必ず何らかの原因によってもたらされるのだから、苦しみから脱却するには原因の省察が必要だという、言わば科学的思考の勧め。
前世とか来世とか、輪廻転生とかいう、ふつう仏教的とされる概念は、大乗仏教の段階になってもたらされたものだというのが中村元流の釈迦仏教の捉え方ではありました。
閑話休題。
ここでは、ノラは、アーサーに「イニョン 」は、仏教から来た考え方で、輪廻転生と関係していると説明しているので、ここではそれに従いましょう。
ノラは、それは極めて韓国的な概念だ、と言って、自分では信じていないらしい様子。
案の定、アーサーに、
「だったら、僕たちの間には、強いイニョンがあるってことだね」
と口説き文句に使われ、二人はキッス‥
男女の仲は自然に進み、やがて夫婦に。
アーサーとの会話のなかで、ノラは、ヘソンのことを、「ものすごく韓国的なのよ」と繰り返す。
自分を含めて、アメリカ育ちの韓国人は、コリアン・アメリカン(韓国系アメリカ人)だけど、彼はコリアン・コリアン(韓国の韓国人?)なのよ、と訳のわからないことを言ったりする。
つまり、ノラにとって、恋愛における「イニョン」説とヘソンは「韓国的」という点で結びつき、アメリカンな今の自分とは異質だと感じている訳です。
ところが、ヘソンも、同じ「イニョン」説の話を友人たちとするが、彼の方は、どこか「イニョン」が重なった強い前世からの結びつき、というものを信じているところがある。
それも、自分が12歳の時から、ずっと思いを寄せて来たナヨンその人に重ねて。
ナヨンこそ、自分の運命の人だと。
だから、ようやく巡り会えたナヨンとの再会・交信を、彼女の側から突然拒絶された時の彼のショックは、いかばかりかと胸が痛む。
ノラの方は、アーサーと結婚し、夫婦ともに作家及び劇作家として成功している。
ところがヘソンの方は、意に染まない仕事に就き、恋人も出来たものの、結婚話が出た途端に自分には資格がないと、付き合いを辞めてしまう。
その恋人というのも、どこか本気になれず、かりそめの付き合いといった感じが強かったのではないか。
彼女は結婚後、里帰りを兼ねて韓国を訪ね、ヘソンにも連絡を取ったらしいのですが、彼からはナシのつぶてだったらしい。
自分にも恋人が出来たから、というより、とても結婚したナヨンに会えるような精神状態ではなかった、ということだったのでしょう。
それが、さらに12年後、二人は36歳という人生も中盤の壮年期。
ヘソンも、ようやく心の整理がついたのか、ナヨンに会うために、休暇を利用してNYに飛ぶ。
いい大学を出ているはずなのに、英語が下手なヘソン。
NYに着いても、どこかオドオドして相変わらず挙動不審です。
ホテルの部屋でひとり落ち着いて、ナヨンに会うためにパリッと着替えてみても、彼の姿は、どう見ても引っ込み思案な韓国人です。
そんな彼が、24年ぶりに実際にナヨンと顔を合わせるのです。
公園で指定の場所でナヨンを待つヘソン。
あれ、
本当にここでいいのかな?
自分の身だしなみは可笑しくないかな?
と、やっぱり、オドオド、キョドってると、
「ヘソーン!」
とナヨンの呼ぶ声に気づき、一気に表情が明るくなるヘソン。
ナヨンからハグされ、戸惑うヘソン。
この間、ヘソンにはひと言のセリフもないのに、彼の心のうちが全部、手に取るようにわかる。
すばらしい演技、
すばらしい演出です。
観ているだけで、
やはり涙、涙‥‥
アーサーも誘っての3人の会食(後のバーかな?)、
ヘソンは、ナヨンと話すのに夢中で、アーサーはそっちのけ。
‥‥これがプロローグで使われたシーンです。
ノラが中座した際、ヘソンはそのことをアーサーに謝ります。下手くそな英語で。
「いいさ、君は彼女と24年ぶりに会ったんだから」
アーサー、いいヤツ過ぎます。
また泣けます。
たっぷりと濃厚な時間を過ごしただけに、別れはつらい。
ヘソンは、アーサーに、
「今度は韓国で会いましょう」
と声をかけ、Yes の返事をもらいます。
ところが、ナヨンとの別れ‥‥
彼は、二人の様子を見て、
「アーサーがいい人だから、僕は苦しい」
と珍しく本音で言いました。
彼は、いまだに、ナヨンのことを恋して、恋して、好きで好きでたまらないのです。
だから、二人と出会って、実際に話してみて、ヘソンは心に決めたのでしょう。
ナヨンと別れるときに、ヘソンが言います。
「僕たちが、本当にイニョンで結ばれているなら、来世で会おう‥‥」
そう、彼は、アーサーに言ったこととは逆に、今後、二度とナヨンには会わないことを彼女本人に誓ったのです。
たとえ、二人がイニョンで結ばれていたとしても‥‥
何という初恋でしょう!
何という失恋でしょう!
ヘソンと別れたノラは、アパートの前で待っていたアーサーの胸に飛び込み、初めて泣き崩れます。
この別れは、ノラにとっても初恋だった、そしてその初恋が失恋に変わったときだったのだから‥‥
実際には、12歳のときの初恋の相手を、そのまま24年も変わらずに恋しつづけることなんて、できっこないと正直思います。
しかし、本作の二人にとっては、それはかけがえのない初恋であり、同時に、失恋であった。
そのことを思うと、今でも涙が止まりません。
本作、1988年、ソウル生まれでNYで活躍する劇作家セリーヌ・ソンの初監督作品だとか。
プロフィールをみると、ほとんど彼女の自伝的な作品だということがわかります。
脚本も彼女が執筆。
豊富な劇作、演出の経験が本作にも生かされているのでしょう。
アカデミー作品賞、脚本賞ノミネートもうなずけます。
ノラ=ナヨン役のグレタ・リー(1983- )は、ロサンゼルス出身の移民2世のまさしく韓国系アメリカ人。
驚いたのが、どこから見ても純韓国人にしか見えなかったヘソン役のユ・テオ(1981- )が、ケルン出身のやはり移民2世の韓国系ドイツ人だったことです。
いやはや、だとしたら、物凄い演技力の持ち主ではないですか。
カメラは、常に一定の距離を置いて、対象となる人物、ノラ=ナヨンとヘソンを見守るような落ち着いた絵作りが心地よく、あるいは、やはり小津安二郎を参照しているのかな、と思いながら観ていました。
音楽も良かった。
東アジア系アメリカ人による作品は、『ミナリ』とか『エブエブ』とか、最近かなり出て来たようですが、私は本作がいちばん感動しました。
アジアの要素を、作劇の中心に据えたのも、かなり冒険的だったのではないでしょうか。
掛け値なしの大傑作、
また忘れかけた頃に何度でも見返したいものです。
humさん、コメントありがとうございました。
本作、3人ともに、その想いが伝わって来る。
何なら、アメリカ人のアーサーがいちばん感情を表さないのだけれど、彼の気持ちも本当によく分かる。
すごい作品ですね。
humさんのレビューも、素晴らしく感動を新たにすることができました。
あの坂道がよみがえるラストはせつなかったですね。
見守るカメラワークのこちら側で
そわそわしましたが、不安ながらも愛する人の心の決着を信じる寛大なアーサーにはノラとの間にもうひとつ深いイニョンがあったのでしょうね。
色んな方のレビューを読み、作品の感想は似通ったものになると思いきや、皆さんそれぞれの恋愛に思いを馳せながら様々な解釈をしていたのが印象的でした。
ただ初恋は誰でも一回だけで、強く思い出に残るので、深く感動するのだと思いました。
貴コメント、今拝見しました。
こちらこそ、男性から見たノラの心理を、なるほど、と読ませていただきました。
いろんな視点で感想を言い合えるのは良いですね。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
かばこさん、コメントありがとうございます。
貴レビュー、女性目線(違ったらゴメンナサイ)の見方として、大変参考になりました。
詳しくは貴レビューにコメントさせていただきました。
共感ありがとうございます。
とってもステキなレビューですね。
読ませて頂きながら、またあの世界の余韻に浸る事ができました。
ヘソンとアーサーの気持ちが心にギュッときました。
切なくて美しく忘れられない作品になりました。