ミツバチと私のレビュー・感想・評価
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模倣のなかから。
2023年。エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン監督。スペインとフランスにまたがるバスク地方。8歳の少年は自身が男の子だということを認められずに戸惑っていた。夏休みで母の実家に帰省すると、混乱はさらに増していき、という話。親戚のおばさんが養蜂家で、家族から逃れるようにしてそのおばさんに近づくのだが、ミツバチが特別に意味を持っているわけではない。主人公をめぐるさまざまな視線や人間関係が描かれている。 性的マイノリティとしての目ざめがいかに微妙なものであるかが描かれるが、最終的に、居なくなってしまうよりはなんでもいいから生きていてほしいという取引的状況において、相対的に、周囲の認知が進むように見える。本人は微妙なままなのだが。 まだ幼い少年が周囲に問いを投げかけ続けること、その言動が基本的に周囲に影響された模倣的言動であることが強調されている。人は模倣のなかから自分自身を見出していくのだということだろう。
まずは声を聴くことの大切さ 主役の子が【主演俳優賞】を受賞 性差にこだわらない子供たちの未来
8歳児の男の子アイトールは、家族と共に養蜂場を営む叔母がいるスペイン・バスクでひと夏を過ごす。 アイトールは、一人、トランスジェンダーとしての悩みを抱えていた。 トランスジェンダーを自覚し始めた少年の心の動きと苦悩を、スペインの田舎町の風景、湖、ミツバチとのかかわりなどを交えて、繊細に静かにやさしく描いています。 そして、それに戸惑う家族や周りの人々の反応、想い。 正解があるわけではなく、声高に叫ぶわけではないけれど、ただ一つ。 決して押さえつけるのではなく、ただ、声を聴くことが大切と感じさせます。 地元の女の子が「女性器を持つ男の子もいるよ」と軽く話し、性差を越えて、あるがままのアイトールと自然に接する様子に明るい将来を感じました。 そして、主演のソフィア・オテロは、ベルリン国際映画祭銀熊賞の主演俳優賞を受賞。 2020年から廃止された主演男優賞・主演女優賞に代わる賞の受賞に、最もふさわしいと思います。
期待度◎鑑賞後の満足度○ 冒頭、帰省旅行の始めにフランス領バスクとスペイン・バスクの国境である鉄橋を渡ったことが、ラストのルシアの幸せそうな微笑みと呼応しているように思えてならない。
①冒頭、薄暗がりの中で母親に「起きてる?」と訊ねるアイトールにしてココ、そしてラスト、明るい日差しの中で同じ様に母親に「起きてる?」と訊ねるルシア。 冒頭の薄暗がりは、まだ自分の性自認に惑うアイトールの心象風景であり、それがラストでは穏やかな微笑にキラキラした瞳で母親に同じ質問をするルシアにハッキリと自分の性自認が出来た多幸感を伺わせる。 また、深読みすれば「起きてる?」という質問は「私のことを見ている?わかっている?」というアイトールにしてココにしてルシアの心の声の暗喩とも取れる。 ②パパを除いた一家がママの故郷であるスペインバスクにつくまではよろしい。 特に一家が座席に収まったシーン、国境の橋を渡るときに子供達皆が窓際に集まってもうひとつ別の橋を眺めるシーンは懐かしく微笑ましい。 ところが、ママの故郷でのシーンになると途端に単調になる。 アイトール=ココは後景に退き、ママが中心となる。 やがて眠気が断続的に襲ってきて、寝ないように体を動かしたり(隣の席の人、ご免なさい😅)、身体中をつねったり。 ③アイトール=ココの性自認の話が前面に出てきたくらいの辺りでやっと目が覚めてきた。 ④私は子供がいないので親の気持ちは推測するしかないが、子供の気持ちなら何とか8歳の頃の自分に戻って探れる。 8歳と言えば、
ルシア
子供の未熟な人格は溶けた蝋のようなもので、そのままだと流れてどこかへいってしまうから大人が鋳型に流し込むのだけど、鋳型が複雑すぎると割って取り出す(これも親の役目)時に壊れてしまう。だから鋳型はてきとーなのが宜しい。性同一性を扱ってはいるが、もっと普遍的に子供の才能や適性を見極めて育てましょう、という割と当たり前のメッセージを発しているのではないかな。 主人公子役の芸達者に脱帽。
性自認に悩む主人公。身体的には男の子だが心は女の子よりだが、そもそ...
性自認に悩む主人公。身体的には男の子だが心は女の子よりだが、そもそも男だとか女だという事がイマイチ分からず悩む。 そんな中両親や祖母は今は気にしなくていいと否定はせず、一見優しくは接する形をとるも問題から逃げた形を取る。 そんな中おばさんだけは向き合い自分とは何か探していく作品。 この作品は常に彼女の目に映る姿でストーリーが進む。特に彼女の目に映る両親の姿がとてもリアルにそして哀しく描かれていた。 問題や悩みを後回しにする事、表面上だけの優しさ理解、そして嘘。これらがどれほど彼女、子供を苦しめる事なのかをすごく考えさせてくれる作品だった。 また主人公を務めた子役の少女のの演技がマジですごい。 少女に見える時もあれば少年にも見える見事にジェンダー役を全うしていて見応えあった。 個人的な2024年洋画新作鑑賞ランキング 1 ネクスト・ゴール・ウィンズ 2 異人たち 3 ミツバチと私 4 エクスペンダブルズ ニューブラッド
「ふ〜ん、そうなのか」って感じ
自分の周囲では起こっていない事象なので、理解度は計測不能。でも、今のご時世だと、身近な問題なのかもしれない。 アイトール役のソフィア・オテロがドレスを纏ったシーンでは、性別が判らなくなってしまった。最年少で最優秀主演俳優賞を受賞しただけのことはあるなあ。
名前
夏休みに母親の実家のバスク地方にバカンスにやって来た性自認が女の子の8歳のアイトール君の話。 出掛ける朝、ベッドから出て支度をすることにゴネたり、家族に「ココ」と呼ばれるのを嫌がったり、泳ぎに行くのを嫌がったり、なんだか遅いイヤイヤ期な感じ?をみせるココから始まるけれど、観ている側からしたらその感情は性自認への悩みから来ているものとわかってしまっている訳で…。 ミツバチの生態云々というよりも、受け流す両親と受け入れてくれるおばさんの違いが1番じゃないですかね…そしてニコや何気に要所々々でエネコもファインプレー。 まあ言いたいことはわかるけれど、なんだか終わり方も間をすっ飛ばしてボヤけた感じたし、これを観ても心境や感情に大して変化が無かった様に感じた。
複雑な設定で、かなりムズい・・・
設定や内容がかなり珍しいような気がしたので、ぞれだけでも非常に興味をそそられましたが、個人的にはそれは単に気をてらっているだけのような印象にしか思えなくて、終始引いた目線で眺めていただけでした。 結構複雑で展開もいろいろとある作品でしたが、意図的なのか、非常に平坦な雰囲気で作られていたので、気持ちが入っていかなければかなり辛いかも─ こういった題材も、こうやって不自然すぎるくらいに自然な感じで仕立て上げられているように感じてしまうと、むしろ“違う”というところを煽っているだけのようにしか思えなくなるのですが・・・非常に難しさを感じてしまいました。
あえてネタバレさせおきたい
本当の自分に悩む主人公と、関わる家族、そしておばさん。距離感の違いから接し方がことなるが、結構核心をついている。 この映画のカギとなるのが主人公の名前だと思うが、たまに呼ばれる「ココ」とは、バスク地方で「男の子」を指す通称だそうだ。このことを見終わったあとに知ったのだが、劇中に説明はなく、なぜ主人公がそう呼ばれるのが嫌なのか分からなかったし、結構重要なシーンでも出てくるので、事前に知っておくと主人公の微妙な感情を受け取りやすくなるはずです。
家族のあり方とスペインの日常が美しい
東京国際映画祭で鑑賞 エシカル賞受賞作 ベルリン映画祭では最年少8歳で主演俳優賞とったソフィアオテロちゃん。ベルリン映画祭ではすでに男優賞とか女優賞とかなくしているとのこと。 オーディションではじめは目に留まらず、後から探し直して監督も見つけたらしい。性別の間で揺れる不安定さの演技はとても自然だった。そしてとてもかわいい。。 バスク出身の設定なのは、バスク語の一人称二人称には性別がないからとか。確かに、作中まだ性別がよくわかってない時に英語字幕はheとかsheとか出てきて、あれ?と思った。その点日本語は何とでも訳せるから多様性に対応しやすい言語なのかも、と思いつつI(私、僕)は逆に性別固定されていて現実的には一番困るんだろうな。 8歳ではっきりと性自認が違うと気づき。受け入れられない父、自分のことで手一杯な母、唯一受け入れてくれた叔母。 プールに行きたくない、可愛いものが持ちたい、名前を呼んでほしくない。そんなことでしか自分の違和感を表現できない子どもに対して、家族はどう気づきどう寄り添うのか。日常の風景でありながら養蜂や洗礼式などの文化や習慣も紹介され面白かった。 エンドロールの名前でルシアと出てきた時、ああこれを言いたかったのか、と一番胸を打たれる。 映画祭ではまだ「20000種のハチ」の翻訳タイトルで紹介され、終わる頃には日本公開も決まり邦題「ミツバチと私」になっていた。多様なニュアンスは失われるが確かに耳馴染みはよく、タイトルつける人も大変だなあと感心。。。
自分が何者なのか
トムボーイやリトルガールのように 自分の性に違和感を覚えた子供のお話 自分には本当はないものを信じようと苦悩する母と 自分の中に確かにあるものを胸に秘めたまま打ち明けられずにいる子ども お兄ちゃんの優しさが良い TIFFにて ヒューマントラストシネマ有楽町
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