ミツバチと私のレビュー・感想・評価
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子どもの性自認と、その時の大人の対応の大切さ。
とにかく
主演のアイトール(ココ/ルシア)が
ものすごーく素晴らしかった!
8歳の子どもの性自認を描くのって、
とても難しいと思うのに
演技も演出もお話しも 繊細で丁寧で
じんわりと染みる作品でした。
養蜂場のおばさんに出会えたことは
アイトールの人生でとても重要ですね。
と考えると、人との出会いって、一期一会だけども、
ひとつひとつ大切だということを深く感じました。
カーネルサンダース像
一緒にモヤモヤ体感した気分になった
家族も何だかスッキリしない人達、叔母さんは理解ある人だけど
最近こういうテーマの映画多くて慣れたけど、実際に家族に性自認で悩むメンバーが居るとこんなに葛藤するものだろうか
悲劇的な結末に向かうのか?とヒヤヒヤ
テーマ違うけど作風といい、主人公の顔立ちといいミツバチのささやき風だなと思った
配役が絶妙で説得力が凄く、ルチアのみならず毒親アネも相当のハマり役でした
2024.1.11 字幕 京都シネマ
2023年のスペイン映画(128分、G)
ある夏のバカンスを舞台に性的自認に悩む8歳の子どもを描いた青春映画
監督&脚本はエスティバリス・ウレソラ・ソラグレン
原題は『20.000 especies de abejas』、英題は『20,000 Species of Bees』で、ともに「2万種類のミツバチ」という意味
物語の舞台はフランスのバイヨンヌ
そこに住む8歳のアイトール(ソフィア・オテロ)はその名前で呼ばれるのを嫌い、周囲は仕方なく「坊主、小僧」を意味する「ココ」と呼んでいた
だが、アイトールはココすらも拒絶していて、彼は「8歳にして性的自認について悩んでいる」存在だった
母アネ(パトリシア・ロペス・アルナイス)はアイトールの扱いに悩み、父ゴルカ(マルチェロ・ルビオ)はアネの教育が悪いからだと断罪している
アイトールには弟のエネコ(ウナス・シャイデン)、義妹ネレア(アンドレ・ガラビエタ)がいたが、彼らはアイトールの悩みの理由を理解できなかった
ある日、親戚が住むスペインのバスク地方ラウディオに向かった彼らだったが、そこでもアイトールの性的自認問題は深刻だと捉えられてしまう
だが、そう思っているのはアネだけで、アイトールの叔母にあたるルルデス(アネ・ガバラン)はアイトールの話を傾聴し、彼が抱えている悩みを知っていく
また、いとこのニコ(Julene Puente Nafarrate)はそういった問題をさほど気にする様子もなく、普通に女の子だと思って接していた
アネは彫刻家として活動していたが、教職の免許を取るための作品をこの地で完成させようと考えていた
アイトールは親戚たちと一緒に過ごす時間が増え、ルルデスが営んでいる養蜂場に足を運んだりする
そこで母の子ども時代の話を聞いたり、地元の神父マルティーナ(Manex Fuchs)の話を聞いたりするアイトールは、聖ルチアの物語に興味を示し、自分のことを「ルチア」と呼ぶようになっていた
このあたりは宗教的な側面が強い内容になっていて、さらっと説明されるものの、意味不明のままスルーしてしまいそうになる部分であるように思えた
映画は、性徴が起こる過渡期による自分探しのようになっているが、これは子ども時代に自分で鏡を見たときに感じる違和感に似ていると思う
個人的にも男か女かわからない時期があったが、その揺らぎは時間の経過とともに無くなり、第二性徴が起こった段階で消えていた
彼にもその時が来ると思うが、それを超えてもなお続くかどうかは不透明な部分が多い
親としては心配する時期ではあるものの、過剰に反応しているのは、アネが安定していないからのようにも思える
世間体と自分の価値観を前面に押し出して、目的のためには手段を問わない姿勢でいる限り、子育てというものも自分の型に嵌めようとしてしまうのは弱さと無理解ゆえなのかなと感じた
いずれにせよ、配役が絶妙でなので説得力が凄いのだが、それだけの映画ではないのは周知のところであると思う
バスク地方におけるミツバチとの関係、聖ルチアの逸話など、教養を必要とするシーンは多いが、最後の行方不明のアイトールを探すシーンに凝縮されていると感じた
最後にアネは「ルチア」と呼ぶものの、ゴルカは最後まで呼ばないので、その後が予感できるような気もする
要所において、アネは自分の価値観とリズムで動いていたので、ぶっちゃけると子育てをする親には向いていないのだろう
それでも自分の状況を考えずに子どもを三人持ち、家庭環境に配慮しないところを見ると、なかなかの毒親だったのかなと感じた
親(大人)は分かろうとしない、分かりたくない
親(大人)目線で子供を見ると、人格形成途上の幼子たちの性差が判然とせず、危うげでポキっと折れそうな繊細な心は、「きっともう少しすれば自分というものを分かるだろう」とか「この子は少しだけ人より優しいから」などとざわつく自らの気持ちの波を押さえつけてしまうのでしょうね。
もっと早くに寄り添えて、認めてあげたなら。
立場は違えど養蜂家のおばさんがルシアの母に放った「見ないふりをすることはお前の母親 と一緒だよ!」が心に染みました。
救いはおばさん、そしてお兄ちゃん、初めての友達ニコ!
受け入れる、それこそがバリアフリーなんだろうなあ。
ラスト、多分母親がルシアと呼んでくれて自分というアイデンティティを見つけられたアイトール&ココ&ルシアの笑顔がものすごくキュートでした。
素敵な作品でした。
模倣のなかから。
2023年。エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン監督。スペインとフランスにまたがるバスク地方。8歳の少年は自身が男の子だということを認められずに戸惑っていた。夏休みで母の実家に帰省すると、混乱はさらに増していき、という話。親戚のおばさんが養蜂家で、家族から逃れるようにしてそのおばさんに近づくのだが、ミツバチが特別に意味を持っているわけではない。主人公をめぐるさまざまな視線や人間関係が描かれている。
性的マイノリティとしての目ざめがいかに微妙なものであるかが描かれるが、最終的に、居なくなってしまうよりはなんでもいいから生きていてほしいという取引的状況において、相対的に、周囲の認知が進むように見える。本人は微妙なままなのだが。
まだ幼い少年が周囲に問いを投げかけ続けること、その言動が基本的に周囲に影響された模倣的言動であることが強調されている。人は模倣のなかから自分自身を見出していくのだということだろう。
まずは声を聴くことの大切さ 主役の子が【主演俳優賞】を受賞 性差にこだわらない子供たちの未来
8歳児の男の子アイトールは、家族と共に養蜂場を営む叔母がいるスペイン・バスクでひと夏を過ごす。
アイトールは、一人、トランスジェンダーとしての悩みを抱えていた。
トランスジェンダーを自覚し始めた少年の心の動きと苦悩を、スペインの田舎町の風景、湖、ミツバチとのかかわりなどを交えて、繊細に静かにやさしく描いています。
そして、それに戸惑う家族や周りの人々の反応、想い。
正解があるわけではなく、声高に叫ぶわけではないけれど、ただ一つ。
決して押さえつけるのではなく、ただ、声を聴くことが大切と感じさせます。
地元の女の子が「女性器を持つ男の子もいるよ」と軽く話し、性差を越えて、あるがままのアイトールと自然に接する様子に明るい将来を感じました。
そして、主演のソフィア・オテロは、ベルリン国際映画祭銀熊賞の主演俳優賞を受賞。
2020年から廃止された主演男優賞・主演女優賞に代わる賞の受賞に、最もふさわしいと思います。
期待度◎鑑賞後の満足度○ 冒頭、帰省旅行の始めにフランス領バスクとスペイン・バスクの国境である鉄橋を渡ったことが、ラストのルシアの幸せそうな微笑みと呼応しているように思えてならない。
①冒頭、薄暗がりの中で母親に「起きてる?」と訊ねるアイトールにしてココ、そしてラスト、明るい日差しの中で同じ様に母親に「起きてる?」と訊ねるルシア。
冒頭の薄暗がりは、まだ自分の性自認に惑うアイトールの心象風景であり、それがラストでは穏やかな微笑にキラキラした瞳で母親に同じ質問をするルシアにハッキリと自分の性自認が出来た多幸感を伺わせる。
また、深読みすれば「起きてる?」という質問は「私のことを見ている?わかっている?」というアイトールにしてココにしてルシアの心の声の暗喩とも取れる。
②パパを除いた一家がママの故郷であるスペインバスクにつくまではよろしい。
特に一家が座席に収まったシーン、国境の橋を渡るときに子供達皆が窓際に集まってもうひとつ別の橋を眺めるシーンは懐かしく微笑ましい。
ところが、ママの故郷でのシーンになると途端に単調になる。
アイトール=ココは後景に退き、ママが中心となる。
やがて眠気が断続的に襲ってきて、寝ないように体を動かしたり(隣の席の人、ご免なさい😅)、身体中をつねったり。
③アイトール=ココの性自認の話が前面に出てきたくらいの辺りでやっと目が覚めてきた。
④私は子供がいないので親の気持ちは推測するしかないが、子供の気持ちなら何とか8歳の頃の自分に戻って探れる。
8歳と言えば、
ルシア
子供の未熟な人格は溶けた蝋のようなもので、そのままだと流れてどこかへいってしまうから大人が鋳型に流し込むのだけど、鋳型が複雑すぎると割って取り出す(これも親の役目)時に壊れてしまう。だから鋳型はてきとーなのが宜しい。性同一性を扱ってはいるが、もっと普遍的に子供の才能や適性を見極めて育てましょう、という割と当たり前のメッセージを発しているのではないかな。
主人公子役の芸達者に脱帽。
性自認に悩む主人公。身体的には男の子だが心は女の子よりだが、そもそ...
性自認に悩む主人公。身体的には男の子だが心は女の子よりだが、そもそも男だとか女だという事がイマイチ分からず悩む。
そんな中両親や祖母は今は気にしなくていいと否定はせず、一見優しくは接する形をとるも問題から逃げた形を取る。
そんな中おばさんだけは向き合い自分とは何か探していく作品。
この作品は常に彼女の目に映る姿でストーリーが進む。特に彼女の目に映る両親の姿がとてもリアルにそして哀しく描かれていた。
問題や悩みを後回しにする事、表面上だけの優しさ理解、そして嘘。これらがどれほど彼女、子供を苦しめる事なのかをすごく考えさせてくれる作品だった。
また主人公を務めた子役の少女のの演技がマジですごい。
少女に見える時もあれば少年にも見える見事にジェンダー役を全うしていて見応えあった。
個人的な2024年洋画新作鑑賞ランキング
1 ネクスト・ゴール・ウィンズ
2 異人たち
3 ミツバチと私
4 エクスペンダブルズ ニューブラッド
自前の洗礼、自前の信仰、自前の名前
性別に違和感を持つ8歳の主人公は、バカンスで母の故郷を訪れる。おちんちんをきれいした後の男児への授乳、身体的な成長への言及、自己紹介、プールになど性別を明らかにしないといけないシチュエーションが続き、プールのトイレで母親に怒りを爆発させる。
ベッドに入るたび不安を吐露し、自分には名前がないと大叔母に告げた彼女が、「女の子のペニス」を肯定してくれるが大叔母や友人のニコとの自前の洗礼を経て、信じるものを確信する自前の信仰を得て、「ルシア」という自前の名を獲得する。
ともすれば自己を抑圧しかねない宗教から、信仰という力を抜き出し、自分を解放するというところに感動させられた。
また、世間体だけを気にする父親、「性別は関係ない」という一見リベラルな言葉で子供の性別違和から目を逸らす母親に、失踪という実力行使で「ルシア」という本当の名を呼ばせ、巣箱のハチに対して「ルシア」と自己紹介するシーンは特に素晴らしかった。
悩みを打ち明けず閉じこもるシーンではじまり、「パパみたいになりたくない」「なんで私はこうなの」「私の妊娠中に何か問題があった」の」という自分の存在への不安、ラストシーンの母親への微笑みへと、節目節目をベッドでの告白シーンでつないでいたのも印象的。
「ふ〜ん、そうなのか」って感じ
自分の周囲では起こっていない事象なので、理解度は計測不能。でも、今のご時世だと、身近な問題なのかもしれない。
アイトール役のソフィア・オテロがドレスを纏ったシーンでは、性別が判らなくなってしまった。最年少で最優秀主演俳優賞を受賞しただけのことはあるなあ。
名前
夏休みに母親の実家のバスク地方にバカンスにやって来た性自認が女の子の8歳のアイトール君の話。
出掛ける朝、ベッドから出て支度をすることにゴネたり、家族に「ココ」と呼ばれるのを嫌がったり、泳ぎに行くのを嫌がったり、なんだか遅いイヤイヤ期な感じ?をみせるココから始まるけれど、観ている側からしたらその感情は性自認への悩みから来ているものとわかってしまっている訳で…。
ミツバチの生態云々というよりも、受け流す両親と受け入れてくれるおばさんの違いが1番じゃないですかね…そしてニコや何気に要所々々でエネコもファインプレー。
まあ言いたいことはわかるけれど、なんだか終わり方も間をすっ飛ばしてボヤけた感じたし、これを観ても心境や感情に大して変化が無かった様に感じた。
複雑な設定で、かなりムズい・・・
設定や内容がかなり珍しいような気がしたので、ぞれだけでも非常に興味をそそられましたが、個人的にはそれは単に気をてらっているだけのような印象にしか思えなくて、終始引いた目線で眺めていただけでした。
結構複雑で展開もいろいろとある作品でしたが、意図的なのか、非常に平坦な雰囲気で作られていたので、気持ちが入っていかなければかなり辛いかも─
こういった題材も、こうやって不自然すぎるくらいに自然な感じで仕立て上げられているように感じてしまうと、むしろ“違う”というところを煽っているだけのようにしか思えなくなるのですが・・・非常に難しさを感じてしまいました。
名前を呼んで欲しいだけなのに。
どうして私達は「生きているだけ」を受け止められないのだろう。
性自認に悩む子供。
オトナの言葉ではその一言で片付けられるし、それだけでなんとなく分かった気にもなってしまうけど、そんな言葉を持たないまだ8才のアイトール、ココ、ルシアは、名前を呼んでほしくないとか、その服は着たくないとか、プールはイヤ、ママと一緒に女子更衣室が良い、かわいい水着が着たいとか、そんな行動でアピールするしかない。
私達はわかっているから、自分でも処理し難い感情をぶつける先が無いし、上手く言葉にできずぐずるしかないんだろうなと、引いて見ることができても、親や親戚という立場だったらやっぱり、なんでなんでと問い詰めてしまうし、そんなものは子供の一過性の感情なんだからまともに受け止めるなと言ってしまうかもしれない。
でもたった一言、みんなが「ルシア」と呼んでくれたら、それだけで、もしかしたら、救われるのかもしれない。
性が求める外観を押し付けられ、それに抗いながら成長してきた自分には、なかなか辛い映画だった。
この先、現実世界でもこのような例は増えていくだろうし、なんなら一緒に育った子供達の方が性の壁をふわりと乗り越えていくのかもしれない。
死んだら女の子に生まれ変われるか?と聞いた子に、あなたはもう女の子、しかもとびきり可愛い、と言ってくれたおばさんに、心の中でスタンディングオベーションを送っていた。
あえてネタバレさせおきたい
本当の自分に悩む主人公と、関わる家族、そしておばさん。距離感の違いから接し方がことなるが、結構核心をついている。
この映画のカギとなるのが主人公の名前だと思うが、たまに呼ばれる「ココ」とは、バスク地方で「男の子」を指す通称だそうだ。このことを見終わったあとに知ったのだが、劇中に説明はなく、なぜ主人公がそう呼ばれるのが嫌なのか分からなかったし、結構重要なシーンでも出てくるので、事前に知っておくと主人公の微妙な感情を受け取りやすくなるはずです。
家族のあり方とスペインの日常が美しい
東京国際映画祭で鑑賞
エシカル賞受賞作
ベルリン映画祭では最年少8歳で主演俳優賞とったソフィアオテロちゃん。ベルリン映画祭ではすでに男優賞とか女優賞とかなくしているとのこと。
オーディションではじめは目に留まらず、後から探し直して監督も見つけたらしい。性別の間で揺れる不安定さの演技はとても自然だった。そしてとてもかわいい。。
バスク出身の設定なのは、バスク語の一人称二人称には性別がないからとか。確かに、作中まだ性別がよくわかってない時に英語字幕はheとかsheとか出てきて、あれ?と思った。その点日本語は何とでも訳せるから多様性に対応しやすい言語なのかも、と思いつつI(私、僕)は逆に性別固定されていて現実的には一番困るんだろうな。
8歳ではっきりと性自認が違うと気づき。受け入れられない父、自分のことで手一杯な母、唯一受け入れてくれた叔母。
プールに行きたくない、可愛いものが持ちたい、名前を呼んでほしくない。そんなことでしか自分の違和感を表現できない子どもに対して、家族はどう気づきどう寄り添うのか。日常の風景でありながら養蜂や洗礼式などの文化や習慣も紹介され面白かった。
エンドロールの名前でルシアと出てきた時、ああこれを言いたかったのか、と一番胸を打たれる。
映画祭ではまだ「20000種のハチ」の翻訳タイトルで紹介され、終わる頃には日本公開も決まり邦題「ミツバチと私」になっていた。多様なニュアンスは失われるが確かに耳馴染みはよく、タイトルつける人も大変だなあと感心。。。
自分が何者なのか
トムボーイやリトルガールのように
自分の性に違和感を覚えた子供のお話
自分には本当はないものを信じようと苦悩する母と
自分の中に確かにあるものを胸に秘めたまま打ち明けられずにいる子ども
お兄ちゃんの優しさが良い
TIFFにて
ヒューマントラストシネマ有楽町
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