世界の終わりからのレビュー・感想・評価
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映画を観たという満足感
伊東蒼さんが観たくて。
まさに映画!というような不思議なストーリーで、
なかなかに集中しながら楽しみました。
あれよね、ソラが、の両親救ったから、また違う未来になってて、
ハッピーエンドってことで良いのかな?!
この映画が描いていたこととは?私的考察
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい)
この映画『世界の終わりから』は、やや抽象的ではと思われながら、映画が考え尽くされて作られていると感じ、感銘する場面もあり、非常に面白く見ました。
ところでこの作品は、以下の命題が映画の初めに示されているように感じました。
その命題とは、
<<子供の時に両親を事故で失い、育てられた祖母も亡くなってしまい、バイトに追われるがお金がなく進学をあきらめ、学校ではいじめに遭っている少女が、世界の終わりを救うことが出来るのか?>>
だと思われました。
そして、1観客としての私は、その命題に小さくない疑問を持って映画を観ることになります。
この映画の主人公の志門ハナ(伊東蒼さん)は、子供の時に事故で両親を失い、祖母に育てられますが、その祖母も亡くなった場面からこの映画は始まります。
ハナは、政府機関の江崎省吾(毎熊克哉さん)や佐伯玲子(朝比奈彩さん)から自分が見た夢を伝えるように言われます。
そして、ハナは江崎省吾と佐伯玲子に連れていかれた場所で、老婆(夏木マリさん)に会い、2週間後に「世界が終わ」り、ハナの夢によってその命運が変えられるかもしれないことを伝えられます。
ハナの夢には、日本の戦国時代の場面が出て来ます。
その夢の中で老婆(夏木マリさん2役)に手紙を託され、少女のユキ(増田光桜さん)などとその手紙を(夢の中で)祠(ほこら)に届けることになります。
その夢の中の手紙を祠(ほこら)に届ける過程で、ハナやユキは、戦国武将の無限(北村一輝さん)に出会います。
無限は残忍な殺戮を繰り返す存在として現れます。
ところで、ハナの夢は、(戦国時代と現代とで時代が違えど)現実世界と鏡のように描かれていることが次第に分かって来ます。
すると、夢の中の少女のユキは現実のハナと対応し、夢の中で殺戮を繰り返す無限は現実の是枝智史 官房長官(高橋克典さん)やハナにいじめを繰り返しているレイナ(前田悠雅さん)に対応すると伝わって来ます。
夢の中の無限は殺戮を繰り返しているので、観客からははっきりと【悪】との印象を受けます。
また現実でハナに対していじめを繰り返しているレイナも、観客からははっきりと【悪】との印象を受けます。
映画の前半では、これら無限やレイナのような【悪】が排除されれば<世界は救われる>との印象を受けるのです。
例えば子供の時にハナと同じようないじめを受けていた政府機関の佐伯玲子は、ハナにいじめを繰り返しているレイナを懲らしめて<世界を救う>ような振る舞いをします。
ただしかし、ここでハナのような<<世界から虐げられている人物が、世界を救うことが出来るのか?>>という、一番初めに示した命題が頭をもたげます。
そして、私的には、<<世界から虐げられている人物が、世界を救うことが出来るのか?>>の命題に対して、それは難しいのではないか?(NOである)との感想が湧き上がります。
なぜなら、殺戮を繰り返している無限やいじめを繰り返しているレイナが、相手の殺された本人や遺族やいじめにあっている人の内面を全く理解していないのと同じように、逆側の殺されてる人やいじめられているハナや政府機関の佐伯玲子の方も、相手の無限やレイナなどの内面を理解していないと思われるからです。
つまり、双方共に、相手の内面への無理解という点では同じなのです。
(※もちろん一方、ここでの指摘で、殺戮を繰り返す無限やいじめを繰り返すレイナの【悪】が許されたり消え去る訳ではありませんし、【悪】に従ったり【悪】を理解する義務もありません。
ここで触れているのはあくまで<世界を救えるか>という点での話です。)
しかし、この映画が優れているのは、この<<世界から虐げられている人物が、世界を救うことが出来るのか?>>という命題への、”それは相手内面への無理解から不可能ではないか?”という疑念に、きちんと答えているところにあると思われます。
ハナと少女のユキはハナの夢の中で、ついに老婆から受け取った手紙を祠(ほこら)に届けます。
そして、祠(ほこら)のとびらが開かれ、少女のユキはある能力を身に着けることになります。
その能力とは、ユキの両親を殺害した侍をどんどんと念じれば殺害できる能力でした。
ハナは驚き、ユキの殺害を止めようとしますが、次第にユキの侍を殺して行く姿が、ハナ自身の姿であることに気がつきます。
そしてハナは(ユキの侍への殺戮願望と同様に)自身を受け入れなかった世界が終わることを潜在的に望んでいたことに気がつくのです。
ここで、殺戮を繰り返していた無限やいじめを繰り返していたレイナと、侍を殺戮続けるユキや世界が終わることを望んでいたハナとが、裏表で一致します。
ただ、その方向性は実は真逆です。
無限やレイナは、世界の秩序を保つために殺戮やいじめを繰り返します。
一方で、ユキやハナは、世界の秩序から逃れるために殺戮を行い世界の終わりを望むのです。
しかし、双方共に世界を救えないことは明らかです。
そして、隕石が世界に降り注ぐ、ハナと幼馴染のタケル(若林時英さん)との美しい場面で世界は終わりを迎えるのです。
映画は、そこから別の一つの<世界を救う>回答を示します。
世界が終わりを迎えた後の未来の地球に、唯一生き残った未来人のソラ(冨永愛さん)がやって来ます。
ソラはAI(声:又吉直樹さん)と語りながら、ハナが世界が終わる直前に埋めたタイムカプセルに入ったカセットテープを発見します。
そのカセットテープを聴いたソラは、夢の中の戦国時代の少女ユキの両親が殺されないようタイムリープしてユキの両親を救います。
ハナは世界の終わる少し前に、交通事故で父と共に亡くなった母が吹き込んだカセットテープを家の部屋の中で発見します。
そのカセットテープの内容は、ハナが両親から愛されていたことが分かる肉声でした。
ソラによって戦国時代の少女ユキの両親は救われ、そしてその因果が変わったことで、ハナの両親の交通事故での死も回避されます。
映画は、一旦、(かつて両親が犠牲になってハナを救ったように)主人公・ハナが幼馴染のタケルと共に犠牲になることで、未来人のソラを介して戦国時代のユキの両親を救います。
そしてその結果、ハナの両親を救い、<世界を救う>ことになるのです。
映画の中で、無限やレイナは、世界の秩序を保つために殺戮やいじめを繰り返します。
一方で、ユキやハナは、世界の秩序から逃れるために殺戮を行い世界の終わりを望みます。
そしてその双方共に世界を救うことが出来ないのは明らかでした。
しかしこの映画『世界の終わりから』は、それとは別の回答、つまり(母などから)「愛されていた」という記憶が<世界を救う>ことを示して終わります。
秩序を守るにせよ、秩序から逃れるにせよ、極端化する前に双方共にブレーキを掛ける必要があります。
その双方の極端化しないブレーキの根源が「愛されていた」記憶であるとのこの作品の到達に、この映画を優れた内容にしている根本があると鑑賞後に感じました。
ただ、惜しむらくはあまりに抽象化された作品になっているとの感想があったのも事実です。
私が10代であれば生涯での大切な作品になった可能性もあり、実際そう感じている若い観客の存在も想像します。
しかし、現実の題材をもっと具体的に肉付けして、この映画と同様の中身が深層にある作品が出来れば、広く一般にも通じる映画への可能性があるとも思われています。
なので、紀里谷和明 監督は今作が引退作品だと宣言されているようですが、引退宣言は撤回され、ひとまずはお疲れ様でしたと思われながら、例えば具体的事件を題材にするなどの次回作を勝手ながら期待したいと思われています。
そして、今作が次回作を期待されるような質高い作品であったこともまた事実と思われました。
人生で1番出逢えて良かった作品かもしれない
何となく惹かれ見てみると、誰もが悩んだり思ったりする事を題材にしており、とても心打たれた。
役者さん達の演技も凄くまるで自分もそこにいるかのように惹き込まれた。
こんなにも心打たれ、人生に悩んでいる人やこれからどうすれば良いのか路頭に迷っている人など様々な悩みを抱えている人に見てほしいと思ったのは初めてかもしれない。
本当にこの作品に出逢えて良かった。
センスだけが突っ走って他が何も追いついていない
途中何度も席を立ちたくなった。席が奥だったので周りの観客に悪いと思ってしなかったが、出入り口付近の席だったら間違いなく帰っていた。
とにかく薄っぺらい。
神は細部に宿るという言葉があるが、「世界の終わりから」はその全く逆。設定から台詞、絵作りまであらゆるディティールが雑すぎて映画の世界に入っていけない。いちいちどのシーンが~とか挙げたらきりがないほど、というかそんなシーンしかない。
まず説明台詞が多い。映画なら絵で伝える努力をしろよと。そして台詞が多いのに、監督であり脚本も書いている紀里谷の言葉に対する意識が雑なので台詞の力も弱い。空虚な言葉が上滑りしていく。
小道具やビジュアルにもこだわりを感じない。特撮のキャラクターがどっかで見たことあるようなビジュアルばっかり。都会というか東京の街並みがよく出てくるけど必然性を感じない。都内だとロケしやすいから、とかあおりでビルを撮ったらなんかオシャレじゃろ?みたいなそんなふわっとした理由しか感じられない。夏木マリの湯婆婆とかギャグでやってんの?映画じゃなくてコントだったらおもしろいね。あのピタゴラスイッチはなんなんだよ。なんで秘密基地が商店街にあんの?もう挙げたらきりがない。
ストーリーはいまさらエヴァかよって感じ。庵野監督が手掛ける作品には様々な評価があるだろうが、彼のオタク的な細部へのこだわりは誰もが認めるところだと思う。この細部というのは、つまり映画的な「はったり」のことである。フィクションははったりをかまして観客を騙さなければならない。「世界の終わりから」にはそのようなはったりが全く欠けている。超絶劣化エヴァ。紀里谷監督は怠け者だと思う。
描こうとしたテーマだけは今の時代に合致している。雰囲気もいい。まあ、この監督の作品っていつもこんな感じだが。
タイトルでセンスが突っ走ってると書いたが褒め言葉ではない。こんな黴臭いセンスを恥ずかしげもなく披露できる鈍感さが羨ましい。
伊東蒼に救われた
SF?ファンタジー?でぶっ飛んだ設定ですが、映像美と音楽美が素晴らしい。映像作品。
(エブエブみたい…って思いました)
日本社会が抱える問題に対するメッセージ性もある作品で、ぐさぐさ刺さります。
他の作品で伊東蒼ちゃんの演技力の高さは知っていますが、今回も伊東蒼ちゃんの演技に圧倒されました。表情全てが切なすぎる。
たくさんの人に観てもらいたい作品だと思いますが、ぶっ飛んだ設定すぎて残念ながら一般ウケはしないでしょうね…
なんだか小難しい。
超絶怒涛のSFでした。ファンタジーです。あくまでもうひとつのこの世界の終わりの話です。めちゃめちゃ気になるとこがいっぱいで終始ごったごたしてます。
孤独で人生に絶望している女子高生が突然現れた謎の組織から君が見た夢が世界を救うヒントになる。できなければ世界は2週間後に滅ぶと言われ、よく分からないまま巻き込まれてゆくストーリー。もちろん私も何がなんだか分かっていないまま進んでゆく。とりあえずキットカットは時代を越える旨さというのだけは理解できた。
曖昧になる現実と夢の境界線。過去と現在。受け継いでいたらしい不思議な力。未来人やら輪廻師やら無限師。もう頭いっぱいです。そもそも一人の人間の一生があんな分厚い訳がない。せいぜいペラっペラの紙切れに3行でしょう。ただ人間は実は救いなんて求めてないって台詞は響いた。
伊東蒼と毎熊さんの組み合わせは良かった。そして朝比奈彩が美し過ぎてびびった。
始まりを迎えて
現実の世界、夢の世界、過去/未来の世界と、3つのパートが入り混じって描かれる、終末までの物語。
主人公のハナ(伊東蒼)は、幼い頃に両親を事故で亡くし、それから祖母と2人で暮らしている。しかし、祖母が亡くなったことを機に生活が一変し、さらには不思議な夢に悩まされるようになる。数日後、政府に所属する謎の男たちが現れ、地球存続のために力を貸してほしいと頼まれる。最初は困惑するハナであったが、次第にその役目に生きる希望を見出し、謎の男たちに協力する。最終的には、その意志を未来に託し、過去を変えることで現在を救う。
各登場人物たちの言葉から、作品に込められたメッセージを感じ取ることができるだろうと思ったが、一度で理解することはできなかった。
面白い!
めちゃくちゃ面白い!
『CASSHERN』以上に面白い。
めちゃくちゃ面白いけど、やっぱり、映画界では嫌われているのか、単に商業的に成功しないからなのか。
『世界の終わりから』の意味も分かりやすいし、難解ではない。
まぁ、これは、乱暴に言ってしまうと、女性が主人公のエヴァだな。この括り方が気に入らない方もいるだろうけど、分かりやすくいうとそういうこと。
あと、伝説的名作の『VERSUS』が入ってるな。
あと、『CASSHERN』ね。
ティッピング・ポイントがテーマなんだよな。
あと、最後に言わせてもらうと、本当は『日本の終わりから』なんだろうな…。またそうするともっと嫌われるから避けたのかな…。
意欲は応援したいが・・・
1か月前に『SSSS.GRIDMAN』を見た身からすれば、
「これは新条アカネを主人公にした、暗黒版グリッドマンだ!」
と思わずにはいられない。
映画のほとんどが彼女の主観によって語られることから、
ほぼこれは彼女の心の中で行われている話と解釈できる。
17歳の彼女にはあまりにもむごすぎる運命。
やっと自分の味方を見つけても、一人また一人と奪われていく。
紀里谷監督が世間から受けてきた批判が投影されているであろうことは、想像に難くない。
そのような心情で作られた作品だと理解はするが、やはり手放しに称賛することはできない。
まず、説明台詞が多すぎる。
夏木マリの老婆はいくら何でも喋りすぎだし、伊東蒼も「つまり〇〇ってことですか?」と毎回重ねて確認するため非常にくどい。おそらくここをもっとタイトにすれば120分以内に収まったのではないだろうか。
演出や撮影も上手いとは言えない。
例えば冒頭、女の子が茂みの中で侍をやり過ごすシーン。侍と女の子を一度も同じカット内に入れていないので、彼女がどれくらいの距離感で侍をやり過ごしたのかがわからず、緊迫感がない。この冒頭から一事が万事、このような惜しい画が続く。
結果として技術的な部分には苦言を呈する形となったが、紀里谷監督が非常に稀有な人材であることは疑いようがない。独特なルックを持っているだけでも日本では珍しいのに、しっかり作家性も持ち合わせている。あとはその作家性を一緒に実現してくれる優秀なスタッフが十分に存在すれば、まだまだクリエイティブな作品を生み出す余地はあると感じた作品だった。
今回で引退とは、非常に残念である。
ザ・平成味
公開前、伊東蒼さんが主演ということで興味をもったものの、いざ「監督・原作・脚本・編集(その他諸々)、紀里谷和明」というのを知り、「あ、これは配信かな」と後回しにしていました。断っておきますが、私、『CASSHERN』、『GOEMON』そして『ラスト・ナイツ』はちゃんと劇場で観ています。ただ正直言えば、『ラスト・ナイツ』は紀里谷作品と知らずに観たのと、また3作ともその後観直してはいないため、内容はほぼ覚えておりません。ま、改めてまで観ようと思わないからなのですが。
で、公開から1週、2週と経ち、特にこちらから調べにいくまでもなく意外に「良い評判」が聞こえてきます。そして、紀里谷監督自身も本作の制作(製作)に「今回は覚悟をもって臨んだ」とまで。ということで私も、3週目のシネスイッチ銀座、木曜のサービスデイに来てみると混むとまではいかないものの、それなりにお客さん入ってます。
で、今回は鑑賞前トレーラーも一切観ておりませんでしたが、始まって早々、冒頭からもう紛れもなく「紀里谷作品」感がひしひしな雰囲気。さらに序盤の様子で、(本作が)どういう作品かを把握しながら思ったのは、「紀里谷さんって人はやっぱり、こういう作品しか作らない(作りたくない)んだな」と感じるほどの既視感。敢えての一言で言えば「ザ・平成味」ですかね。アート感強めのロマネスクな設定、展開、オチと、ある意味裏切りません。なんなら、(私としては)なぜこれを実写にする必要があるのかとすら思いつつも、反して、敢えて思うことは、実は紀里谷監督は役者の演出は秀でているのか?或いはこういうフォーマットが俳優を光らせるのか?役者たちの演技は良く見える気がします。
元々、子役の頃から定評のあった伊東蒼さんですが、本作、主演として堂々とした演技で高橋克典さん、北村一輝さん、そして夏木マリさんとのタイマンも全くひけを取っていません。素晴らしい。
また、役割としては取って付けたような「今風設定」を演じる冨永愛さんは「Win-Win」でしたね。なんなら、彼女じゃなきゃ鼻で笑ってしまっていたかもしれないオチが、ちゃんと「作品」として成立されています。
とまぁ、終始「くさしている」ように聞こえてしまっているかもしれませんが、けしてつまらなくはありません。全然飽きずに観られます。でも、迷っている方は配信でもいいかな、と思いますよ。紀里谷さん、ファンの皆さん、ごめんなさい。
千と千尋の皆殺し(しかも長い)
冒頭から超スタイリッシュ。中央アジアか?みたいな衣装の女の子が戦場を駆ける。モノクロの画面も異世界を強調してかっこいい。
しかし。
脚本がひどい。次から次へと説明せりふ。
確かに異世界(過去?)と現実世界を行き来する話なので、設定自体が特殊で説明が必要なのは分かるけど。どの台詞もなんかダサい。マンガみたい。
役者さんが好演してるのに、なんか気の毒。
設定は、この世のすべてを書いている本を管理するオババ(転生を続けている)と、その本を読み解くために必要な夢見のヒロイン(一族)。その本によると2週間後に世界が終わるのでそれを阻止しようとしている国の組織。見つかる天涯孤独なヒロイン。
それに
世の中の破壊を望む無限たち(不死)が絡む。無限は世界が滅ぶのが望ましいので、ヒロインたちの計画を邪魔しなければならないのだ。
なんで終わる二週間前まで、何もしてないのか。
ヒロインの一族が夢見の仕事をしていたとオババが言うのに。なんでもっと早く確保してないの?
高校卒業前の2月に、がっつり授業はしないでしょう。ましてや物理の宿題、でるか?出てもやらなさそうな生徒ばかりの学校なのに。宿題できてないと焦る描写が変。
ヒロインは孤独で人生詰んでるけど、親の愛情を受けた記憶はあるのに、なんでラスト近くで(私は愛されていた)とか言い出すのか。
なんで湯婆婆でてくるのか
世界は滅びたはずなのに、未来に人が生き残りそれも科学が発達してる様子なの、なんなん?
というわけで、脚本をもっと整理して隅々まできっちり積めてから撮影して欲しいと思いました。
ストーリーなしで環境映像としてなら、スゴいよ
この世界を救うには
紀里谷和明監督の最後の監督作と謳われ、期待の新人・伊東蒼の主演映画。ということで、絶対に映画館で見なければ!と思っていたのですが、近所の映画館は朝早い時間の1本上映であったため、なかなか時間が合わず、公開終了前日にしてようやく見ることが出来ました。ギリギリになったけど、見て本当に良かった。最後の監督作、というだけあって、紀里谷監督の魂が籠っていた。あまりの衝撃に、涙が止まらない。そんな臭い謳い文句が1番にハマる、完璧な映画です。
ストーリーは同日公開の「ノック 終末の訪問者」にとても似ている。突如として現れた、終末を知らせる謎の集団。彼らは「終末を止めるには、君の力が必要なんだ」と話す。もう、そっくりですね笑 だけど、本作の方が圧倒的に見応えがあるし、何故か説得力もある。様々な要素が絡み、現実離れした物語であるにも関わらず、しっかり地に足着いていて、驚くほど綺麗にまとめられている。
環境汚染やネット社会、メディアの愚かさ、家族との絆、いじめ、陰謀論などなど、この日本という国で蔓延る多くの問題を1つの映画にまとめるという至難の業を、難なく成し遂げてみせているのが本作。先日公開された「ヴィレッジ」の成功例とも言えると思う。これらの問題は、結局解決するのだろうか。そもそも人々は、これらの問題を解決しようと思っているのか。やり尽くされたテーマを、根本から揺るがすことによって人々に訴えかけるという、この作品の斬新さがたまらなく胸に刺さる。
その上、ファンタジーのようなSFのような、摩訶不思議な要素も絡んできて、脳内はパンク寸前。日本映画でこんな体験が出来るとは思ってもみなかった。〈過去・未来を記す本〉の真実と〈主人公が鍵を握る〉その理由。かなりぶっ飛んでいて、主人公と同じように全然理解できない。作品の7割近くは付いていくのに必死。まるで、クリストファー・ノーランの映画のよう。だけど、ラスト付近になるとその理由やら、この映画が本当に伝えたかった更に奥深くのところまで、丁寧に示され、自分でも驚くくらいに涙が零れてしまう。
世界の終わりの近さを暗示させる音楽や緊張感をとぎらせないカット割り。主人公・ハナの感情を全面に出すような明暗のコントラスト、夢の世界を繊細に映し出すモノクロ映像。映画館という空間を上手く使い、〈終末の世界〉を悲しくも美しく描いている。それはまるで、絵画のような唯一無二の尊さ。ストーリーどうこうの前に、まずそこに惚れてしまう。紀里谷監督の作品は1度も見た事がなかったのだけど、こんな映像作品が作れる監督が日本には居たのかと、嬉しい気持ちと、こんな優れた監督がもう映画を作らないという寂しい気持ちが、劇中で何度も襲ってきました。
監督最後の作品ということもあってか、かなり豪華なキャストが顔を揃えている。役者の良さも存分に発揮出来ているし、役者も演技を存分に楽しんでいるように思える。高橋克典の官房長官、北村一輝の死神、夏木マリの占い師、冨永愛の未来人と、笑っちゃいそうになるほどビジュアルと個性を活かした配役に心が踊る。
そんなキャラが強すぎるキャストを脇に、主人公を務めるのは「さがす」で観客の心を鷲掴みにした伊東蒼。もう、彼女ヤバいぞ。絶望に立たされ、悲しむことも辛いという状況を顔の表情だけで表現する。苦しみ、もがきながら涙を流すシーンが何度もあるのだが、どれも印象的で、どれも同じには見えない。その時々に合った感情が涙から伝わる。鳥肌を立つような演技を彼女は体現してくれる。もはや、天才の域超えてますよ?不思議と引き込まれてしまう、魅力だらけの伊東蒼。今後の日本映画は彼女に託された!
この世界を救うには、どの選択をするべきか。
人間は、世界が救われることを願っているのか。
世界は人間だけでは無い。人間は、この世界しか無い。壮大な物語ながらに、今を生きる人々に伝えたい監督の最後の小さな思い。何度語っても語り尽くせない、素晴らしいラストでした。上映館も少なく、もう上映終了となる劇場も多いでしょうが、是非とも見て頂きたい。今年ベストはこれで決まりか?だとしたら、個人的年間1位に2年連続で伊東蒼の出演作になるんだけど笑
伊東蒼ちゃんに援交させないでよ~
伊東蒼すごいです。
確かにこの地球には絶望することばかりです。昔と比べ、SNSのおかげで豊富で詳細な報道情報に溢れているからかもしれません。
温暖化の影響は海釣りをしているとひしひし。20年以上前から急激な変化に気づいておりました。今はサンマは取れず、小さくて痩せていて買う気になれず。イカは釣れず、スーパーのイカも一杯700円と手が出ません。京都議定書もパリ協定も今となってはマボロシ。
しかし、映画館を出ると人々は皆、頑張って生きていることも事実で、そう易々と希望を捨てる訳にはいかない現実。
諦めたらおしまい。
でもねぇ。
どちらが正しいのか?
どちらも正しいのでしょう。
今さら政治家の無能を嘆いても始まりませんが、夢占い少女と輪廻師に政策を頼るだけの総理大臣や揚げ足取りだけで次期総理の座を狙う官房長官なんかは当たらずも遠からず。国民の生命と財産と美しい日本を守るといいながら、あまりにも無策の期間が長すぎた。
オリジナル原作と脚本で望んだ監督作品として、キャスティング、エンタメ要素のバランスがよく、きっちり入りこめました。これが最後の監督作ということもこの世界に愛想つかした潔さなのかもしれませんが、それはそれでひとつの決断として尊重したいと思います。
ただ、ケバい同級生のいじめのシーンはそれを省いても充分に成り立つストーリーだと思うので、直接的な描写はないにせよ、伊東蒼ちゃんに援交させないでよって思いました。
夏木マリのあの髪型とドレスは一見の価値あり(笑)
この世界の終わりから、次の世界のあなたへ
両親を事故で亡くし、学校ではいじめに合い、居場所のない高校生、志門ハナ。
祖母も亡くし、生きる希望をも失いかけていた時、突然政府の人間を名乗る数人のグループから自分の見た“夢”を教えて欲しいと言われる。
2週間後にこの世界は終わると決まっており、それを変えられるのはハナが見る夢だけらしい。
困惑するハナだったが、その夜本当に不思議な夢を見たことを始まりにハナは世界の終末の鍵を握る重要人物になっていく……
紀里谷監督は名前だけは聞いたことがあって、正直あまり作品の評判は良くないといったイメージだった。
監督にとっての引退作。私にとっては最初にして最後の紀里谷作品になってしまったわけだけど、とんでもない。
心の底から素晴らしいと思える作品だった。
やっぱり色眼鏡で観てはいけない、本当に凄いものを観せてもらった。
話は世界の終末論。
この世界は全て運命というもので決められており、あと2週間で終わるこの世界を唯一変えることができるのは1人の少女ハナの見る夢。
はじめはファンタジー要素の強いこの設定から完全にフィクションとして観てしまう。
しかし、ハナと同じように次第にこれが私たちの物語に見えて仕方なくなってくる。
あまりに突然国の命運を背負うこととなったハナは、本当に自分に出来るのかと葛藤する。
我々は何故生きていくのか、こんな世界本当に続ける必要があるのか。
夢と現実、過去と現在、善と悪。
全てが揺らぎ出し、迫るタイムリミット。
全ては巡っている。
思想的な話っぽくなってしまうがそうではない。
歴史も命もこの世界も。
生と死、破壊と再生、何かの犠牲のもとにまた新たなものが生まれる。
不幸も何か希望のための犠牲なのかもしれない。
これは絶望の物語ではなく、紛れもない希望の物語。
世界の終わり、されどそれは新たな世界の始まり。
独特な世界観の演出や役者の演技も良かった。
冒頭で飛べない鳥がラストでは燃え盛る森へ飛んでいったり、時空を超えた伏線回収があったり、映像美だけじゃなく細かい部分でも演出面として見応えがあった。
湯婆婆すぎる夏木マリ、悪くて渋い圧倒的存在感の北村一輝、芯の通った強さがカッコ良すぎた朝比奈彩など、キャラクターも確立されている。
そして、なんと言っても伊東蒼の演技力よ。
彼女の健気な姿に自然と涙が溢れてくる。
もうかなり冒頭から泣いてしまった。
幸薄少女役が多いけど、毎回違う印象を与えてくれる女優さん。
今後の活躍にますます期待したい。
若林時英がああいう役だったのも個人的に嬉しかったし、岩井俊二監督もいきなり出てきてぶち上がった。
映画として面白いとかいう以前にただただ素晴らしかった。
感動というのはこういうことかと久しぶりに実感した。
映画という枠を飛び出した聖典のような作品。
映画としての好き度は暫定で今年3番目くらいだけど、今年のエッシャー通り枠、殿堂入り。言い過ぎか?
てか、なんでこういう作品に限ってパンフレットが無いんだよ〜!!
あと、監督まだまだ作品観たいです!!
伊東蒼を見に行く
清原果耶を始めとして若手俳優の青田買いをするNHK、本作の主人公を努めた伊東蒼も、映画で話題となったらすかさずおかえりモネにゲスト出演、またどうする家康でもその回の主役と言える登場を果たした。その伊東蒼の顔面しか写っていないポスターに惹かれて鑑賞。豪華な役者陣はキチンとした役作り、場面場面の演出も及第点、映像のルックも問題なく、反対に脚本のあまりの酷さを強調する結果となった。キリキリ、脚本は誰か他のプロに頼んでたらもっといい映画になったと思うぞ。まじで。
全120件中、41~60件目を表示