劇場公開日 2023年4月7日

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「地天泰」世界の終わりから 平居宏朗さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0地天泰

2023年4月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

20代の頃、バイトをしていた馴染みのうどんやに家族で夕飯を食べにでかけ、それから週末に封切られた映画のレイトショーを観に行った。

両親と死に別れ、天涯孤独となった10代の女の子が世界を救うために奔走する物語なのだが、一緒に観た同じく10代を迎えた娘の目にはどう映ったのであろうか。

この映画の上映が決まった時から、娘と一緒に観に行くことは決めていた。我が家の教育方針は娘が生まれた時から、一貫していて、自分の好きなもの、心を揺さぶられるものにまず、触れさせてみるということだからだ。

今回、観に行った映画のタイトルは『世界の終わりから』

20代の時に観た映画の中で最も心を揺さぶられた映画『CASSHERN』を撮った紀里谷和明監督の最新作にして最後の作品と聞けば、見ないわけにはいかなかった。

映画の内容に関して、ここで多くを語るべきではないのだろう。ただ、言えることは娘と妻と家族3人でこの映画を観る事が出来て、本当によかった。

上映中、隣に座る娘の席から鼻をすする音が何度も聞こえてきた。美しく、悲しく、そして、力強い映画であった。レイトショーということもあってか、上映終了後、23時を過ぎた映画館のロビーには客の姿どころか、スタッフの姿もほとんど見当たらず、静まりかえった映画館の背に家路にと就いた。

帰り道、家族皆、言葉少なく、映画の感想を口にすることはなかった。自分は2年前の夏の日に、紀里谷監督と初めて会い、話した日のことを思い出していた。

当時、紀里谷さんは「新世界」というコミュニティを立ち上げ、そこには様々な人たちが出入りし、紀里谷さんと直接、話をすることもできた。自分の他にも紀里谷さんのファンが大勢おり、紀里谷さんに様々な質問、問いをぶつけていたのだが、その姿が『世界の終わりから』のあるシーンの主人公の姿と重なって見えたのだ。

世界を救うために奔走する少女の姿と齢50を超えている男性の姿が重なって見えるというのもおかしな話ではあるが、見えたのだから仕方ない。作品は作者を映し出す鏡ともいうのだから、まさしくこの『世界の終わりから』もそうなのだろう。だとするならば、紀里谷和明という男の絶望はどのくらい深いのであろうか。

『世界の終わりから』の主人公、志門ハナも絶望に打ちひしがれていた。この映画はありったけの絶望と希望を見出しゆく作品だったんだなと、家に帰り、家族が寝静まった部屋の中で、そんなことを思いながら、映画の感想を綴っている。

願わくば、その絶望の先の希望をもとに、紀里谷監督が新たな作品を紡ぎ出す日を期待せずにはいられない。しかし、一方でその日は来なくてもよいのではないかと感じてもいる。

素晴らしい作品や感動をただ、享受するだけでなく、作中の志門ハナや現実の紀里谷和明のように多くの人々、世界に対して、自分の大切な何かをなげうち、捧げ、伝えてゆく道を自分も歩んでいかねばと思ってしまったからだ。この先、どんな道がまっているかわからないが、本作品はその道を歩む大きな力となってくれた。

絵を描くことが好きな娘は帰宅後、部屋で黙々と筆を走らせていた。
自分はこの感動の僅かでも残せればと、キーボードを叩くことにした。

ただ、こんな傑作がいくら、レイトショーとはいえ、たった数名の観客のみのスクリーンで、上映されている現実を見るにつけ、本当に世界の終わりは近いのかもしれないと考えてしまった。世界が終わりを迎えてしまう前に、一人でも多くの人たちに届いて欲しい作品だ。

(余談だが、数年来、森羅万象の変化を占う易占を毎朝、たてるのが日々の習いとなっている。本日の卦は「地天泰」と呼ばれる天と地のひっくり返った様子を表す卦が現われた。天地が逆となることで、万物が交わり、盛気を取り戻してゆくという意味もあり、この「世界の終わりから」という作品を象徴するようでもあった。また、多くの人にとって、特別な作品となる予感がした。少なくとも自分にとってはそうなった)

彖に曰はく、泰は小往き大來る。吉にして亨る。則ち是れ天地交はりて、萬物通ずるなり。上下交はりて其の志同じきなり。内陽にして外陰。内健にして外順。内君子にして外小人。君子は道󠄃長じ、小人は道󠄃消するなり。

平居宏朗