赦しのレビュー・感想・評価
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何に対しての赦し・・なのか分からない
リアルを望んだのだろうと言う事は分かる。
緊張感もありいいところもあるのだが、結局何の赦しなのかが未だもってわからない。
7年間私は耐えたので本当の事言うから赦して・・なのか?
殺された娘の親は本当の事がわかったから赦したのか(決して殺したことを赦すわけではない)
何を浮き彫りにしたかったのかがいまいち伝わらず、もう一息の映画。
キャスティング次第。
これは題材がいいだけに本当にキャスティングが致命的。 そもそも17才の少女に懲役20年というのは確かに疑問には思うけど(個人的感情としてはそれでも短いけど。)そんな中で7年経ち犯人の口から語られること。それが真実なのか、釈放されたいが為の方便なのか、はたまた妄想なのか。犯人と被害者の両親によるギリギリの心理状態でのせめぎ合いや、心の動きをぶつけていくはずなのにこのキャスティングでは正直きつかった。 心に闇を抱える饒舌な殺人犯に松浦りょう。眼差しが印象的ですごく良かった。ただこちら側の3人よ。尚玄は台詞が半分聞き取れない。初めアル中で呂律が回ってない設定なのかと思ったほど。MEGUMIと藤森慎吾の組み合わせはバラエティ色が強すぎる。誰に対して何の赦しなのか。伝わってこなかった。 尚玄の風貌やオープニングとエンディングの演出なんかもお洒落なヨーロッパの映画みたいだったけど、最後は交差点に飲まれて雑踏の中に消えて行ってほしかったな。
「赦し 」の描かれ方を期待したのだが
とにかく夏奈役の松浦 りょうの表情、目が凄い。赦しを乞うてるようには見えず、怒りでもないく、彼女に関わる人の心の中を怪しく見透かしているような光。せっかく圧巻の表情が捉えられているのだから、もっとその周囲のドラマをなんとか出来なかったか。 雰囲気だけつくって不明瞭なストーリーと、定まっていないキャラクター設定に、説得力がなく、作り込まれていない脚本という印象だった。MEGUMIも活きていない。 残念。
ところで、Decemberって何なのだろう…??
今年102本目(合計753本目/今月(2023年3月度)37本目)。 さて、大阪市では1週間遅れになったこちらの作品です。 「人を赦すということ」という観点では、2022年に個人的に高評価にした「消えない虹」に似た論点があります(こちらは少年事件がメインの論点だが、趣旨的に似る)。 ただ…多くの方が書かれている通り、95分ほどで扱える内容だったのか…というと難しく、このためあちらこちらの描写が省略されたり飛んでしまったり、ある程度の法律の知識を補ってみる必要はありますが、それも95分ほどの映画なので、それを考えさせてくれる前にどんどんストーリーが進んでそのままおしまいになる、という点を抱えます。 映画といえば基本的に120~150分がメインで、180分を超えると特別料金になったりしますが、この映画で述べたい趣旨のことを100分足らずで述べるのは無理があるのでは…というところです。このため、「述べたいこと自体はわかるが、では映画は何を述べたいのか」という点は「ある程度」個人で別れてしまい(ただ、問題提起型の映画なので、常識的な解釈しかできない)、時間の短さも相まってこのあたりが惜しいな…というところです。 といっても、300分だの400分だの(これらは3000円コースで、「お体が不自由な方」でも割引がきかない特別一律料金なのが普通)になっても困りますが、もう少し長く(あと30分だけでも)描写できなかったのか…という点はどうしても残ります。 ただ、解釈は(常識的な範囲において)分かれるとしてもそれも2つか3つであり、問題的としてはなかなか描かれることがないことについて(私が知る限り、2022年だと「消えない虹」程度?)扱った、という点については高く評価しています。 評価は下記を考慮して4.6を4.5まで切り下げています。 ---------------------------------------------- (減点0.3/映画の趣旨として、この長さではどうしても足りない) ・ 多くの方が書かれている通りです。300分や400分コースも困りますが、もうあと30分、40分が長ければ…というところです。 (減点0.1/結局、タイトル原題のDecemberって何??) ・ 大阪市立中央図書館等で調べても、この単語は単に「12月」という意味で、大英和等も含めてもそれ以外の意味は載っていないです。ただ、最初に聖書からの引用が見られるように、キリスト教の教養(プロテスタント?カトリック?)があればわかるのかもしれません。この点は正直私も???です(おそらくキリスト教絡みではないか、と思います)。 ----------------------------------------------
赦すこと赦されることの多様なことよ
被害者その関係者が赦す者ではなく、 加害者そしてその家族が赦される者ではなく、 その時期、その事実の縁起により両者は逆転してしまう。 最終的に、 誰が損したのか? 誰が得をしたのか? (それを考えるのも面白いことになる) 強かに生きる、女々しく生きる。 あーあー あーあー あーああ ああーー ラストのハミングが生きる縁起の深さを響かせる。 そう、 監督の出生国を観て鑑賞したが期待に応えてくれた作品であった。 娘を殺された元夫婦と、 犯行時に未成年だった加害者女性を通し、 赦すというテーマを大乗的に挑んだ裁判劇。 日本在住のインド人監督アンシュル・チョウハンが監督を務めた。 追伸 キャストなどのテロップはアルファベットですが、 映画は日本語です。
人を赦さないならば、あなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦さないであろう。(マタイによる福音書)
殺人を犯した夏奈を演じる松浦りょうの存在感がすごい。あの目が、この事件にかかわる悪い感情のすべてを呑み込んでしまうようだ。たしかに、なぜイジメの事実をはじめに言わなかったのか、なんで被害者加害者がサシで会えるのかという疑問はある。あるが、そのモヤっとしそうなこちらの気持ちを、あの目が吹き飛ばす。チラシを見た時は、なんて恨みがましい目つきなのだろうと思った。しかし、この後悔とも決意ともとれる強い視線のにある感情が、自分へ向けているものだと気付いた時、どうしても彼女を助けたくなった。そして、彼女が殺害に及ぶそれなりの理由があるのに、いまだ他人を責めることなく、自責の念に支配されていることに解放してあげたくなった。だけど、おそらく、もう彼女の感情というものは崩壊してしまったのではないだろうか?なぜなら彼女は、あの表情を終始変えることがなかった。もう、あの感情でしか生きられないのだ。気の毒としか言えない。
それに比べて、被害者の父親・克の真実と言ったら。戦後補償を十分受け取っていながらいまだいまだに謝罪要求ばかりしてくる隣国と同じで、なんだよお前こそ被害者ビジネスまがいのことしてんじゃんかよ、と評価一変なのだが、この克の心の葛藤こそが、この映画の眼目なのだろうと気付いた。その証拠に出演者の一番初めにでているし。この映画は娘を殺された父親の物語なのだ。「赦し」は赦されるかどうかではなくて、赦せるかどうか。チラシに、振り返る松浦りょうの画があるからと言って彼女がメインなのではなく、あの目の先には親父の克がいて、あの目と目が合っている克の視線、風景なのだ。克は裁判を通し、彼女の罪を赦すことができるかどうか、自分の胸に手を当てて考えてみろ、とでも言われているわけだ。そして、自分の名誉も生きることもすべてを捨てた風貌の彼女を前にして、欲を捨てきれない自分よりも人間として数段上であることを対面でまざまざと思い知らされるのだ。
裁判後、穏やかになってしまった克の変化は、彼女や「自分」に負けたからではなくて、彼女にも娘にも元妻にもふさわしい人間でありたいと気付いたからからだと思う。そうであってほしい。
映画のタイトル「赦し」の副題が「december」なのはなぜなのかがすごく気になるのだが。
たぶん脚本がダメ。
松浦のポスターがインパクト凄くて見てみた。 尚玄は昔よりちょっと良くなってる。 メグミは今回一番頑張った気がする。 藤森も真剣に役に向きあっていて好感もてた。 真矢みきは優し過ぎてミスキャストだと思う。 松浦はもう存在自体が尊い。キャラが強いのでどんな役でも出来る人になる必要はないから自分世界を上手く形に出来る仕事に恵まれるとよい。 という訳で役者チームが真剣に頑張ってたので3にしてみたが、、、 残念ながら、脚本、プロット、話の基本設計が上手くいってない。なんで一回目の裁判で彼女はいじめの話をしなかったのか、、とか、、疑問だし大問題だし掘れば話も面白くなるのに。崩壊した家族の気持ちの揺れを丁寧に描いてはいたし絵も美しかったけど、、 ぶっちゃけ人の設計、描き方がステレオタイプだったと思うんだ。 ほんとに残念。
この眼差しだけで映画が成立してる
魅力あるポスターですぐに飛びついたけどね 主演男優はちょっとヒドイな。 その怒りや感情が共感出来そうな役なのに芝居が稚拙だから嫌悪させてしまう。 このテーマで1ミリも心に響かないのはその演技演出だ。
上映時間
今作を真摯に映像化するには余りにも短すぎである 勿論、90分以上の上映時間は一般的鑑賞者の集中力の限界という生理現象は理解出来る しかし哲学的内容ならば、もう少し整理しても良かったのではと・・・
プロットそのものは大変意義のあるテーマである そして各配役の性格設定の緻密さにも舌を巻く
映画はもっと自由であって良い 今作を応援する理由である
後ろめたさ
7年前同級生に17歳の娘を殺された元夫婦が、殺人罪で服役中の犯人の再審理の知らせを受けて巻き起こる話。 懲役20年の判決は厳し過ぎるとして、そういう活動をしている弁護士の働きにより始まった再審理によって、被害者の両親が一旦は終わったものとなっていた過去に引き戻されていくというストーリー。 判決については一応納得しているものの酒浸りになり今なお立ち直れていない父親と、1度は沈んだけれど再婚をし新たな生活を歩き始めた母親の機微、そして加害者女性の心情をを主に見せていく物語で、現夫への去勢の張り方というか言い分と言うか、そんなものをみるに母親はかなり流され易いのかなと。他にも…ねぇ。 そして父親は判り易く落ちぶれていて、この人の変化がちょっとあまりにも急展開過ぎる様な…。 公判で証人として受ける質問や聞かされる証言の残酷さとそれらが与える心境への影響等非常に重く辛く悲しくとても良かった。 ただ、結構早い段階から酌量されるべき情状がみえるし、逆に何でこんなに重かった?と、7年前の審理がどんだけ適当だったのよ!?という思いがついて回ってしまったのが残念だった。
松浦りょうのキャスティングが最高 この女優さんは、 この役しかでき...
松浦りょうのキャスティングが最高 この女優さんは、 この役しかできないんじゃないか? と思わせた
松浦りょうの存在感で耐える98分、テーマは興味深い
テーマは興味深いものの、非常に長く感じられる98分でした。 演技演出が気になってストーリーに集中できないところがあります。 まず冒頭のストーリー導入でセリフが聞き取れません。(まさか邦画で英語字幕に助けられると思いませんでした) 後半には慣れてきましたが、前半はかなり忍耐を強いられました。 女子高校生が同級生に殺された事件から7年後、加害者に再審の機会が与えられたことから始まる、被害者両親と加害者の三者三様の心の揺れ動きが描かれています。 酒浸りで加害者を憎み続ける被害者の父・克(尚玄)。 再婚し過去に見切りをつけようと努める被害者の母・澄子(MEGUMI)。 7年間を刑務所で過ごした加害者・夏奈(松浦りょう)。 邦題の「赦し」とは誰が何を赦すことを指すのか。 本作を加害者・夏奈(松浦りょう)の物語ととらえ直したときに、ようやく腑に落ちました。 7年間ひとりきりで苦悩と葛藤を繰り返して自分と向き合い、覚悟と決意をもった眼差しで被害者両親と対峙します。 人を殺してしまったこと、加害者を憎み続けること、娘を守れないダメな親だと悔い続けること。 徹底的に自分を見つめなおし、それでも生きると決めたとき、自分を赦す勇気を得られるのでしょうか。
【"懲罰と更正。"法廷劇を軸に被害者の元夫婦と加害者の女性の心の揺れと変遷を描いた作品。鑑賞側に様々に事を問い掛ける作品でもある。】
- 2000年代になり、少年法の厳罰化が進んでいる。だが、少年達が犯罪を犯す理由(社会不適合、ネグレクト、虐めetc.)の改善はなかなか進んでいない。-
◆感想
・娘を殺害されてから、酒浸りの日々を送る克(尚玄)と元妻澄子(MEGUMI)の加害者である夏奈の再審が始まってからの関係性の変化。
- MEGUMIさんの見応えある演技に、瞠目する。娘を殺害された母の気持ち。-
・夏奈の弁護団の依頼により、澄子は夏奈とアクリル盤越しに話すシーン。そこで、夏奈が話した事。それは、夏奈が母親から虐待を受け、父はなく、学校でも澄子の娘達から酷い虐めを受けて居た事である。
- 澄子はそれを聞き、事実かどうかは確認せずに、場を去る。推論であるが母親の直感として理解したのではないか?-
◼️今作品を確かなるモノにしているのは、加害者の夏奈を演じた松浦りょうの哀しくも切ない表情である。この女優さんが漂わせる雰囲気は尋常ではない何かがある。
・そして、克も夏奈にアクリル盤なしに、会う事を夏奈の弁護士に依頼する。
- あの面着設定は有り得ないが、鑑賞続行。夏奈は克に彼の娘から受けて居た仕打ちを聞き、克は、袖口に隠して居たガラス片を握り締め、場を去る。-
<裁判官(真矢ミキ)が下した判決。懲役一年、執行猶予三年。愛した娘が虐めの主犯格だった事実を受け入れ、ガラス片を海に流す克の姿。そして、二人は十字架の様な形の道を少し離れて歩くのである。
あの判決は、夏奈だけでなく、克と澄子の人生の再出発をも意味しているのではないかな、と思った作品である。今作品は、重くて深くて哀しい映画ではあるが、観る側に様々な事を問いかけて来る作品でもある。>
脱・代理戦争
テレビのニュースやいわゆる「法廷モノ」なんかを見ていると、日本の法廷というのは本当に代理戦争としての側面が強いなあと感じる。当事者たちが互いの偽らざる言い分をぶつけ合っているというよりは、彼らをスポンサーに、検察官と弁護士というゲームプレイヤーが試合を行う、といった趣だ。
もちろんここには功罪があると思う。法廷というゲームに知悉していない者が出しゃばって自滅するよりは、全ての戦略をプロに一任したほうが「勝率」は確実に上がる。ただ一方で、当事者たちの人生を大きく変えうる可能性のある場において、「勝つ」ことだけが本当に重要なことなのか。あるいは不明瞭な物事の正邪を確定する場で、検察官や弁護士の指示通りに嘘や方便を弄することに何の後ろめたさも感じないのか。
かといって法廷で偽らざる本音を吐露した者の末路は悲惨だ。たとえば濱口竜介『ハッピーアワー』で離婚裁判に臨んでいた妻は、「どう言えばいいかわからない」という繊細微妙な心境をそのまま口にしてまったことで明らかに不利な状況に追い込まれた。一方、冷静沈着かつ合目的的に裁判をこなした夫はといえば、独りよがりで暴力的な本性の持ち主だった。
さて、代理戦争と化してしまった法廷というゲーム空間において、当事者たちが真の意味で主体性を取り戻す方法はあるのだろうか?
本作における「証人を降りる」という行為は、一つの可能性なのではないかと思った。それは当事たちに許された数少ない主体的選択だ。
澄子は今の夫・直樹と前の夫・克との間を曖昧に揺れ動く中で、人間というものがそれほど強い生き物ではないことをフィジカルに実感していく。ゆえに彼女は夏奈が犯した罪に対して憎悪以外の感情で向き合うことができたし、自分の娘が実は夏奈を苛めていたという夏奈の証言も信じることができた。そして澄子は証人を降りる。弁護士や克の戦略に従って実感の伴わない勝利を得るよりは、「何が正しいのかわからない」という自分の嘘偽りない本心を優先する。
克は証人を降りた澄子に対して「お前は相手側の弁護士の策略に踊らされてるだけだ」と非難を浴びせるが、法廷の「0か100か」な二元論的力学に染まりきり、憎悪以外の動機を見失ってしまった克のほうがよほど踊らされているといえる。彼が自室で生前の娘との動画を見直して涙ぐむシーンなどは、失われてしまったものへの愛惜というよりはむしろ自身の憎悪を再燃させるための自傷行為のように思えた。
しかし最後には彼もまた憎悪を振り切る。憎悪と赦しの間をギリギリまで彷徨し続けた果てに、ほとんど無理やり赦しの側へと飛び込んだ。そのためいくぶんか血の代償を支払う羽目にはなったが、面会を終え、証人を降りた克の表情はどことなく晴れがましかった。
執行猶予付きの実刑判決が下った後、克は覗き窓から刑務所に連れ戻される夏奈の様子を伺う。ふと克のほうを振り返った夏奈が浮かべていたのは、喜怒哀楽のどれからも隔絶された曖昧模糊な表情だった。
人の気持ちを二元論で推し量ることはできない。それでも何らかの決断を下さなければいけないのが法廷という場だ。そうした不条理と相対せねばならなくなったとき、重要なのは自分自身を見失わないことだ。検察官や弁護士たちの掲げる「戦略」から適度に身を置き、他ならぬ自分自身の立ち位置をそこに策定すること。
それさえできれば、どうであれ齎された結果を受け入れることが出来るんじゃないかと思ってしまうのは、さすがに性善説が過ぎるだろうか?
たとえばあの聡明な女性裁判長が見るからに悪辣で不誠実な冷血漢だったとして、澄子と克は本当に証人を降りていたのだろうか?とか。
ミスキャスト
試写会当日は舞台挨拶もあり、尚玄ならびにMEGUMIや藤森慎吾も来て、役作りに関することを語ってくれました。 尚玄という役者さんは初めて見る方だったのですが、スーツの似合う、彫の深い役者さんで、ちらしの筆頭に名前があるので、ヒロイン(加害女性)の松浦りょうより重要な演技をするんだなあと思って、本編を見ました。 開始5分、尚玄のセリフ回しが下手で大根と思った瞬間から、帰りたくなりましたが、きっとなにかあるんじゃないかな?と言う淡い期待から途中退席をせずに最後まで観ることが出来ました。 簡単に感想を言うと「赦し」というタイトルに対する表現のあまさ、MEGUMIと藤森慎吾では夫婦の危機やひっ迫した問題を表現できない事(ちゃらいし、MEGUMIは軽いし)、そして、尚玄と言う舞台俳優の様な容姿はいいけど演技が三流の役者と相まって、何の緊張感も生まれませんでした。 ゆいつ、松浦りょうがほっそい目で後ろの尚玄の姿か、ただ後ろを向いているのかじっと見ているシーン(映画のちらしにもなっています)の雰囲気があり、今後、日本人だけでなくアジア人を演らせたら右に出る物がいないでは?と思わせる感情の無い芝居はこの映画、唯一の発見で掘り出し物だったかもしれません。
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