「やるべきことがある限り」オットーという男 sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
やるべきことがある限り
ディスカウントストアでロープを買おうとするもサイズの計り方に納得がいかずにクレームをつける面倒な男オットー。
近所の住民に挨拶をされても無視、犬が庭に小便をしていたと飼い主に文句を言い、猫にまで八つ当たりをする。
そんな仏頂面で嫌われ者の彼だが、毎日欠かさず近所の見回りをし、分別されていないゴミを整理したり、駐車違反の車のドライバーに注意をしたりと、彼なりの正義感から行動していることも分かってくる。
彼はその日勤めた会社を退職するが、同僚は退職祝いを装って明らかに厄介者の彼を辱しめようとしている。
彼は家に帰ると電話と電気の契約を解除してしまう。
そして冒頭で購入したロープを天井から吊るし、首を括ろうとする。
しかし彼の家の真向かいに賑やかなメキシコ人の一家が引っ越して来たため、彼の自殺は中断される。
突如現れた彼らに対して不機嫌さを隠さないオットーだが、縦列駐車に苦戦する夫のトミーを助けたり、レンチを貸してあげたりと意外にも親切な部分を見せる。
どうやら彼は根っからの人嫌いではないようだ。
トミーの妻マリソルは引っ越し祝いとお礼の意味を込めて、彼に手作りのチキン料理をタッパーに詰めて渡す。
文句を言いながら満更でもない様子で料理を平らげるオットー。
そして何事もなかったかのように再び首にロープをかける。
彼の頭には最愛の妻となるソーニャとの出会いの場面が浮かんでいた。
彼はその最愛の妻を亡くしてしまった。
妻のもとへ旅立とうとする彼だが、天井からロープが外れてしまったために自殺は失敗に終わる。
彼が死のうとする度に、彼の頭にはソーニャとの思い出が浮かび上がる。
わざわざ落とした本を届けるために、駅の向かい側のホームに渡り、進行方向とは逆の列車に乗ってしまう、オットーはそんな親切な男だったのだ。
彼が死のうとする理由は、人生への絶望よりも妻のもとへ早く行きたいからだ。
だが彼はとても律儀な男なので、やらなければならない仕事や、誰かの手助けをしなければならないことがある限り死ぬことが出来ない。
そして彼が死のうとする度に邪魔が(むしろ救いというべきか)入ってしまう。
マリソルはいつも不機嫌なオットーの心を開かせようと奮闘する。彼女は本当は親切なのに心を閉ざしている彼のことがとても心配なのだ。
お節介でもあるが常に明るいオーラを放つマリソルによって、オットーの心は開かれていく。
彼は彼女に運転を教えるようになるのだが、彼が運転を怖がる彼女にかけた言葉にとても心が温かくなった。
彼女のお腹には三人目の子供がいる。
メキシコからの移民である彼女の一家は、これまでにも多くの苦労をしてきたのだろう。
それでも立派に子供たちを育ててきた彼女なら絶対に車の運転が出来るようになるとオットーは彼女を励ます。
次第に優しい一面が見えてくるオットーだが、それでも最愛の妻を失った心の傷は癒えない。
彼はついにマリソルに向かって、妻以外はみんな無価値であると言い放ってしまう。
それでも彼が死を選らばなかったのは、彼がまだ人のためにやるべきことがあると考えたからだ。
家庭に居場所のないトランスジェンダーのマルコムの存在もあるし、彼がかつて懇意にしていたルーベンとアニータの存在もある。
介護が必要なルーベンと病気を隠していたアニータを、不動産会社は不当に住居から追い出そうとしていた。
どうやら過去にも不動産会社の横暴に対してオットーは抗議をしていたらしく、その方針を巡ってルーベンとは仲違いをしてしまったらしい。
オットーは彼らを助けるために、今まで蔑ろにしてきた人たちに協力をあおぐ。
そしてマリソルに自分の過去を、心の内をすべて話す。
彼が少しずつソーニャ以外に対して心を閉ざすようになった経緯も段々と見えてくる。
これはオットーという人間の再生の物語でもある。
彼はやるべきことがある限りは生き続ける。
オットーは心臓が大きいという問題を抱えているが、心臓も心も英語では同じheartだ。
heartが大きいからこそ愛も深い彼だが、心臓が大きいということは身体にかかる負担も大きい。
やがて来る結末は想像出来てしまったが、最後まで心が温かくなるような映画だった。
コメディセンスも秀逸で、社会問題をうまく絡めたシナリオも良かった。
ウォーキングを日課にしている陽気なジミーの存在がとても面白かった。