「ソーニャ🐈⬛が愛した男」オットーという男 humさんの映画レビュー(感想・評価)
ソーニャ🐈⬛が愛した男
どうやら、オットーとうまく付きあうには、彼の善意と境遇を理解しているかどうかに鍵があるみたいだ。
しかし、みんながそれを知るわけではないので、気難しい性格があちこちで煙たがられてしまう。
冒頭の彼はまさにそれ。
結局は自分自身の居心地を悪くしているオットーだが、彼の中で道理は通っているから折れない。
しまいにはおきまりの「バカもん」認定。
ありがちだ…。
しかし、妻・ソーニャは、飾らず、他に流されず自分を貫くオットーの素朴さと実直さに惹かれたのだとおもう。
彼女の寛容さは亡くした母のようだったのかもしれない。そしてその賢さでさりげなくフォローする潤滑油のような存在でいてくれたのだろう。だから夫妻を知る近所の人々は、オットーがただの頑固じいさんでないのをわかってうまく付き合っている様子だ。
そんなよき理解者の妻と新婚まもなくの旅で事故に遭い、悲運を背負いながら2人で乗り越えてきたオットー。しかし、その妻も少し前に病に倒れ先立たれた。
オットーは妻が生きていた時の暮らしをそのままにし、外出の際は、きれいな絵皿においた銀のコインを必ず持ち歩き、きちんと戻す。そのコインは2人が出会った日に妻がくれたもの。妻を感じるお守りのようなものだろう。
妻のスペースをあけて眠るベッド、目覚めにはつないだ手の温もりを思い出し妻のケットを握りしめる。
大の男の、しかも普段あんなしかめっつらで気がつく不正を隅々まで正しまくっているオットーが、だ。
喪失感は彼の時と心を止め、妻への想いを募らせるばかり。おまけに数日前には定年前の勧告退職をした。
生きる意味を失って自殺ばかり考えているオットーが、あまりに切なくつらそうで、本当に死んでしまった方が、もしや彼の幸せなのかも?とおもってしまったほど。
そんな折、超明るくポジティブなメキシカン、マリソルの一家が向かいに越してくる。いささか図々しいほど踏み込んで来るひとなつっこい一家のペースに巻き込まれ、初めは憤慨したり困惑するオットーだが、徐々に彼が醸し出す空気がかわりはじめるのだ。
みんなからなにかを受け取り、与えていくものとは…
心温まるギフトBOXをあけていくような物語。
……………
【マリソルの娘たちに、上から読んでも下から読んでもOTTO …なんて言われてムッとした出会い】
こどもは好きじゃないのかも?と思ったが違った。屈託なくせがまれ絵本をおもしろおかしく読んで笑わせたり、プロレスごっこに興じたり。
2人のいいおじいちゃんのようになっていくオットー。
そして、子どもたちが描いたオットーはいつもカラフル。
大人の世界ではいつもガミガミしてるオットーだけど、本当はオットーってね…というこどもたちに映る彼の姿なのだろう。そう言えば、ケガをして保護された猫も、オットーに寄り添うようにくっついてた。ピュアな本能が本質を察知するのかな。
【トミーの縦列駐車を代わりにしてやっマリソルの運転練習につきあったり】
下手くそを見過ごせなかっただけの始まりだけど、結局は優しい。妻と行ったなつかしいカフェに寄りかつてと同じタイミングでお茶してみたりする彼のロマンチストな部分もみえる。過去の話をしたのも、裏表のないマリソルに信頼を置いたからだろう。マリソルはソーニャのようにからりと晴れた日の太陽みたいない人だったしね。
【困った人を見捨てない】
引き受けた子守の間に、設置あきらめ中の食洗機をみつけ、とりつける。得意な分野に俄然はりきってくれる世話みのよさ。また、父に追い出され困っている妻の教え子を泊めてやったりする。
仲たがいしたままの黒人夫妻のヒーターを直しに行きピンチを助ける。(取り返しに行ったホースを帰り際に掴まれたシーンは、オットーの自殺願望の本気度を察知した彼がひきとめようとした精いっぱいの行動だろう。一瞬、気がついたオットーの心情を感じてぐっときた。はじめの頃の場面に、オットーが窓越に奥さんに介護される旦那さんの様子を気にしているのがわかる。ふたりはずっと仲直りしたかったんだと思う。)
…………
それまでのオットーは自分の世界には亡くなった妻だけしか必要なかった。
しかし、ソーニャのように寛容で人を決めつけずに関われるマリソルとその家族に出会い、自然に他を受け入れることを知ったのだ。ソーニャ以来のあたたかさのある新しい風に吹かれたオットーはその流れにのり自分らしさを生かして役に立ち、再び存在意義を得た。それは生きようとする大事な力になった。
そこから数年、亡くなるまでの彼は近所の仲間に囲まれ幸せそうなカラフルな姿がみんなの記憶にのこる男になった。
気難しいだけではないオットーの本質を見抜いて愛した天国のソーニャがほほえんでいただろうね🐈⬛
追記
エンディングがすてき。
こどもたちが描く明るく楽しい絵のように、誰もがしあわせに生きれる世の中を願いながらみてました。
こんにちは♪
共感コメントしていただきましてありがとうございました😊
長く心が通じ合っていたソーニャさんが居なくなるのは、
自分の人生もストップしたく思い詰めることとなったのでしょうね。
こんにちは♪
ソーニャさんのこと詳しく書いていただきましてありがとうございました😊
Mさんもたくさん聞いておられますね。
やはり、オットー&ソーニャ夫妻が基本形なんですね🍀
しかし、今回、丁寧なコメントをいただいて、もう一度、オットーさんのの行動とマリソルさんの行動を考え直すことができました。
誠実な感想に頭が下がるばかりです。ほんとうにありがとうございました。
結果的には、マリソルさんの行動はオットーさんを救っています。だから、間違いなく正しい行動だったのでしょう。
しかし、私はそこまで踏み込んでしまうマリソルさんの行動が納得できなかったのです。
今まで奥さんの性格は考えたことがありませんでした。イメージとしてはマリソルさんとは反対の、落ち着いてオットーさんを立てるような性格です。
「他人がそこまで」というのが私も一番思っていたことで、ただの隣人が、オットーさんの一番大切な物を、そこまでできるのか、というところでした。オットーさんにとっては、あの時点では奥さんが全てであって、奥さんの持ち物は、オットーさんにとっては、それこそ命より大切な物だと思えるからです。例えば、自分もまったく同じような立場になった時に、他人に自分の大切な物を捨てられたら、私は許せないような気がしました。
物の価値観は人によって違います。ある人にはただのがらくたが、ある人にとっては、かけがえの無い物だったりするのはよくあることです。それをいくらオットーさんのためと思ったとはいえ、捨ててしまっていいのかという思いでした。
なるほど。それだけショックが大きかったということですよね。
奥さんを亡くしたことだけではなく、奥さんが繋いでいた、周りの人たちとの関わりも一緒になくしてしまった、というわけですね。
私が疑問に思ったところは2つありました。
1つめは、どうしてオットーさんは自殺なんかしようとするのか。どんなに奥さんを亡くしたことが悲しくても、自殺はよくないんじゃないか、自殺はしなくていいんじゃないか。
2つめは、そうまでして、どうして奥さんのものを他人であるマリソルさんが捨てようとするのか。
この2つです。
コメントありがとうございます!
オットーはああ見えてやはり良き人でしたよね。
それを見抜けた奥さんや近隣の人に恵まれたので、彼は幸せ者だったのかもしれませんね♪
humさん、コメントありがとうございます。
リメイク作品ということも
原作があるということも
どちらも知らずにこの作品を観たのですが
大変面白く鑑賞できたのでまずは満足しています。
といいつつ
リメイク元の作品も原作も気になります。
「幸せなひとりぼっち」ですね。
スウェーデン映画。
だから北欧原産のネコなのか~
と、一人で盛り上がっております。^-^;