私、オルガ・ヘプナロヴァーのレビュー・感想・評価
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たーいーくーつー
実話なんでしょうね、事前知識なくても分かります。だって作り話をこんなにつまらなく描くことは難しいだろうから。苦悩する若者?ふざけてはいけません。この人は犯罪者。どんなに過酷な環境にいようとまっとうに生きている人もいるわけで、犯罪に走った人をこんなに美しく描く必要ありますか?日本で宅間守を悩める美青年として描きますか?って話です。事実を世間に知らせたい?だったらドキュメンタリー作りなさい、犯罪者を犯罪者として描いたものを。
あとこれは映画のせいではないけれど、AmazonプライムなぜこれをGにレートしているのだ?性行為は出てくるし、テロ行為も出てくるし、自殺についてもずっと語ってる。この企業ホントヒドイね。
【”孤独の果てに若き女が実行した凶事。私、オルガ・ヘプナロヴァーはお前たちに死刑を宣告する。”彼女が、家族や社会から疎外されたと思い込む過程を淡々とモノクロで描く様が寒々しく、恐ろしくも哀しき作品。】
ー フライヤーによると、今作は1973年にチェコスロバキアの首都、プラハの中心地で路面電車を待つ群衆の中に突っ込み、8人を殺害し12人を負傷させ、絞首刑に処された女性、オルガ・ヘプナロヴァーの実話を映画化したものだそうである。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤から、オルガを演じる端正な顔をしたミハリーナ・オルシャニスカは常に不機嫌そうな顔で、家族と接する。
銀行員の父と歯科医の母を持ち、経済的に恵まれた生活を送っているはずの彼女は何に苛立っていたのか。
・その理由が徐々に明らかになる。彼女は精神的に不安定であり、大量の精神安定剤を服用し自殺未遂を起こすし、精神病院に収容されても囚人たちから暴行を受けるのである。
・そんな彼女に、母親は笑顔一つ見せない。これは、私の勝手な推測であるが後年、彼女が供述していた”家族からの暴行”とは、母親や父親の彼女への”無関心”だったのではないだろうか。
多くの人は、生まれてから親から過大なる愛情を持って育てられるものだと私は思っているのだが、彼女はそうではない。
だが、同じ境遇の人は他にも多数いるだろう。では、何故?
・それは、彼女が成長する中で芽生えたレズビアンの資質である。レズビアンが悪いと言っているわけではない。彼女は、最初に愛したイトカを始め数々の女性と関係を持つが、悉く別れている。1970年代初めのチェコスロバキアでレズビアンは、社会的にはマイノリティである。彼女が後年供述した”社会からの暴行”はこれを意味していると思われる。
■この陰惨極まりなき極北の映画が優れているのは、そんなオルガ・ヘプナロヴァーが、”自分は社会的被害者であり、故に社会に復讐する。”と言う誤った思想形成が如何にされたのかを、ドキュメンタリーの如く、淡々と描く手法であり、彼女を演じたミハリーナ・オルシャニスカの屹立した哀しき存在感に尽きると思う。
<彼女は、凶事を行った後も淡々と警官に自身が行ったと告げ、刑務所に来た母が初めて涙を見せても表情を崩さず、弁護人に対しても”精神薄弱とは言わないで。”と言い、極刑を告げられても表情を変えない。
だが、収監され2年後に絞首刑に処される時に、彼女は激しく抵抗する。
そして、映し出される絞首刑にされたオルガ・ヘプナロヴァーの姿は、衝撃的である。
更に、その後に流れる無音のエンドロールが、この極北の作品における彼女の怒りと絶望とその果ての死の後味の悪さを際立たせているのである。>
残念ながら、この映画は日本人の好きなただのホラー映画である。
プラハの春が1968年だから、その5年後の1973年の犯罪。
色々な大義名分を添加して、この少女の犯罪を正当化して、結局はこの少女を理解して保護できず、最終的に国家による抹殺までしてしまった社会主義政権への批判に見える。
だがしかし、日本もこれと同じ様な事で、死刑になった者はいる。従って、未熟な社会だから、こういった犯罪者が生まれると言う訳では無い。あえて、国のミスを上げるとすれば、それは死刑である。こんな訳分からない映画なんか作らずとも、この少女を生かしておけば、本当の理由が分かったかもしれない。
こういった映画。フランス人とか日本人好みの映画だが、犯罪者に対する偏見を生むだけ。(性同一性障害、精神障害者などなど、そういった者が犯罪者と言う偏見を持ってしまう)
犯罪に哲学はいらない。哲学を語りたくば、死刑は廃止すべきだ。勿論、チェコは死刑を廃止した。自由と民主主義の日本には、今でも死刑が存在する。
それでいて『安楽死とかを議論しよう』と妄想をふくらませる。
それでいて、やっと優生保護法の違法性を渋々認める。なんと矛盾した社会か?その観点で、
残念ながら、この映画はただのホラー映画である。
『ボヘミアン』『アイリン・アドラー』『プラハの春』と続く、自由を求めて賢明に生きようとするが、それでいて、哀れな部分が拭えない少女の終末旅行ではないのだ。
日本では死刑があるので、この少女は終末旅行に行かなくて良いと思う。さて。
とまぁ、けちょんけちょんなレビューだが、評価したのはチェコが死刑を廃止しているから。
闇落ちがリアル☹️
1973年、22歳のオルガと言う女性チェコスロバキアの首都プラハにて群衆の中にトラックで突っ込み8人が死亡、12人が負傷と言う事故を起こす。
犯行前に新聞社に声明を出している『自分は社会から虐待を受けている、それに対する復讐だと』この事件に至るまでのストーリー。
モノクロの映像やあまり話さない主人公のオルガが異様な存在を漂わせる。
初めからトイレで吐くシーン、病院に行って多量に安定剤を服用し自殺願望が強い事が伺える。
家族は決して貧しくないが、両親共にオルガの事を何処か異物の様に接している様にも映る。
精神科?に入るも、同じ患者の少女たちにリンチに合う。
オルガは、他人から見て何故か不愉快な存在になっている。
毎日日記を付けて、自分と向き合っているが悲観的で自虐的で完全にナルシストだ。
また、世間全般が無意味で見下している様にも受け取ってしまう。見ている側も不愉快にさせる。
性的なコンプレックスがそうさせるのか?父親からのDVがあったと話しているがそれも本当なのか?オルガの妄想なんじゃないのか?
あえて、同性愛を好む事は社会から逸脱した存在だと証明しているだけとも受け取れる。
ただ親の愛を受け入れない、受け取らない事を選んだのか?
幼少期の事は描かれていないので、本当に何がきっかけ?だったのかと思わされる。
犯行後もオルガは反省している様子は無く、心神喪失では無いと。自分の犯行をキッカケに社会が変わらないとダメだと主張する。
自分を歴史に残る偉大な存在として残したかったのか?
闇堕ちする方を選ぶととことん堕ちていく、自分と言う存在が無くなっていく様子が,リアルすぎて心に残る作品でしたね。
オルガ役のミハリナ・オルシャニスカは小悪魔的なビジュアルで凄い演技でしたね。
彼女の演技を見るだけでも良しですね。
実在した犯罪者を、神格化することもなく性的な魅力のある描き方もせず...
実在した犯罪者を、神格化することもなく性的な魅力のある描き方もせず一定の距離感を持ちながら
社会の隙間に落ちていったこその、心の闇と
結末までの軌道を描き出す作品で、ひと昔前ならこうは描かれたなかったかもしれない。そんなオルガを観られてよかった。
もちろんオルガを演じたミハリナ・オルシャンシュカ魅力的に見えるし、全てを拒絶するような目をしてパンツルックで歩く彼女はアイコン化するような素質を感じるけど(髪型やキャラクター造形でマチルダの再来みたいな文言を見かけたが)
少なくとも映画を観てそんなポップで責任のない消費の仕方でオルガのことを捉えることなんてできないし、そうさせないのがこの映画の素晴らしい部分だとおもう。
近い時期に日本で紹介されたWANDAも、社会の隙間に落ちてしまった女性を描いた作品として
通じるメッセージをもっていると思う。
配信で鑑賞
事実としての事件と映画の良さは別
鑑賞したばかりで、まだ評価がまとまらず困惑しています。
どんな経緯があれ、犯罪を犯した女をとことん魅力的に描いています。また、当時社会主義国の中では裕福で国民が楽しむ様子が垣間見れて良かったです。
映画として映像に表出している部分は印象的で良いのですが、統合失調症を扱っている映画としては、その生い立ちからどんな経緯で彼女がこうなったのかなど、説明不足が目立ちます。オルガ・ヘプナロヴァーはダークヒーローではなく、統合失調症なんですよね?
ミハリナ・オルシャンニスカは本当に美しくそれでいて劇中、濃厚なレズビアンシーンなどもあり、チェコスロバキア版「女の事件簿」みたいと思ってしまいました。娯楽映画としてみても良作でなのに統合失調症の苦しみが描かれず、混乱してしまいました。
いっそビールでもかっくらいながらもう一度観てみたいです。
今回はまともな感想になりませんでしたね。
実存主義
人間一人一人の存在を大事にし、個人としての立場を協調しようとする考え方とのことをネットで調べた 正に今作の主人公の訴えたいテーマなのであろう 彼女はどういう人なのかというのは関係無い 彼女自身に寄り添うのか否かということを問うているのである
とはいえ、かなり現実には飲み込みにくいストーリー上の行動なのである 一人一人の良さや個性を尊重して生きていこうとする考えである『実存哲学』ではあるが、物語の中の彼女は残念ながら問題も多く、自分の苛立ちを上手く消化できずに表面に現われてしまい、それが又彼女を苦しめ、孤立化してしまう 悪循環故の凶行は、彼女の救済への慟哭が引き起こした事とはいえ、あの時代の東ヨーロッパでは汲むべき懐の深さは無い 今作も実際に起った事件であり、現実でも度々発生する事件 それはシリアルキラーでもサイコパスでもなく、自分そのものを認めて欲しい、受け入れて欲しいという切望そのものであろう
「でも、先ずは受け入れて貰う様努力する」なんていう考え方が未だにマジョリティとしての思考であるならば、今後もいたたまれない事件は起こり続ける・・・
今作のシーンの数々は、彼女の本質をドキュメンタリーとしては困難かも知れないが、そこに肉薄させるべく、端折らずに泣き叫ぶ最後の絞首刑のシーンでさえもスクリーンに収める残酷さまで描いてみせている 低身長、微乳、ズボンをはき、オカッパのヘアスタイルにし、車が好きで、あれだけ嫌いだったタバコもヘビースモーカーと化し、ヤサグレ感と、どこかオドオドした歩き方、性的マイノリティ、性志向としての同性愛 そして執行前には統合失調(妄想)の変調が表われてしまった事も含め、彼女の持って生まれたものがその宿主を蝕む状況を、胃がキリキリ痛む辛さに苛まれながらの観賞であった
ラストの残された家族で飲むスープは一体どんな味がするのだろうか・・・ 「いつか嘲笑と私の涙を償わせる」ことを彼女は実現できたのか?
身代わり
オルガが生きづらさを抱えているのは伝わる。
だが、場面転換が唐突すぎる上に説明がまったく無い。
何故か、誰かと、何かを話しているが、それがいつなのか、何処なのかも半ば不明。
主人公が中性的かつ小柄で、幼くも大人っぽくも見えることもあり、魅力的な反面より分かりづらかった。
事件の描写も、群衆に逃げる素振りがほぼなく、(事故と思ったにせよ)停車した前方に集まるのは不自然。
興味を惹かれた“最後の死刑囚”に関しても作中では触れられず、特に意味もなくて残念。
裁判で『プリューゲルクナーベ』なる単語が放たれた。
オルガは「いじめられっ子」と言うが、語源は「身分の高い者が罪を犯した際の身代わり」らしい。
こちらの意味が強そうだが、これも作中では明かされない。
勝手に獄中がメインだと思ってたのもあるが、予想とまったく違っていた。
秋葉原の事件も想起したが、オルガに共感はできない。
ラストシーンで家族の日常が変わらなかったことと、現代の状況が、彼女の行動の結果だ。
復讐は失敗に終わった
オルガ・へプナロヴァー。
歩き方も妙に猫背な感じも
あの本や紙の持ち方も
人を信用していない眼差しも、
真っ直ぐに瞳を見れないのも。
全てがその人だったように感じた。
もうね、オルガが凄く魅力的に見えた前半部
だったからこそ、自身の人生を歩む姿が見たかったよ…。
実在した人物だから仕方ないのだが。
自らのことを性的不能だとか、人間関係を築けないとか、そういう風に追い込んでいったけど、
それでもいいんだよってことを誰かが言って欲しかった。
同じような人がいることを知って欲しかった。
愛と欲望に迷う姿が印象的で。
暴力的な父親にも、そしてその影響なのか
ネグレクト気味な母親にも、愛を与えられなかったオルガ。
(母親が薬を金だけを渡すシーンは本当に最悪だった。
オルガを化け物見るみたいに見ないで、って思った。
この辺は『ニトラム』を思い出したりした。)
だから、欲望は満たすことが出来ても、
愛の与え方も、受け取り方も分からない。
知らないから、出来ない。
だから、復習を選んでしまった。
人生を変えたくて。終わらせたくて。
誰かに自分を認めて欲しくて。
ここにいるよって言いたくて。
お母さんに振り向いて欲しくて。
事故直後に放心状態で歩く姿とか
本当に子供のように見えてさ…。
ああ、まだ子供だったんだって思った。
ただ家を出ただけで全く自立出来てなかったんだ。
刑務所で架空の父親の話をしていた姿は
本当に哀しかったですな。
多分、家にいても小屋にいても、
何度も何度も架空の家族像を想像していたんだろうなと思う。
誰もが暖かくて優しい家族を想像して、
理想の恋人の隣にいるのを想像して、
それを何百回と繰り返した最後に、一人が好きだってなったんだと思う。
その現実との乖離が復讐という気持ちを抱かせたのだと思う。
それでも、オルガが死しても、
家族の生活は続く。
彼女を苦めた人たちへの復讐は、
全く無意味だったという結末になる。
(勿論、殺人者の映画だからそうなって当然)
復讐の意味と同時に、オルガの存在自体も
この世から抹消されたような、そんな終わり方だった。
まあでもやっぱり、自分がこの世に不要な存在であるとか
そう想ってしまうところから、死にたいとかが始まる気がする。
手紙とか、独白とかが凄く良くて、特に、
「いつか 嘲笑と私の涙を償わせる」
めちゃくちゃ良かった…。
こんなこと他者に対して思わせちゃいけない。
し、誰かにこんなこと思わせる社会じゃいけない。
映画全体を通して、全く感傷的でない感じが好みで、
オルガ自身の苦悩も極めて淡白に写している、
だけど伝わってくる、そのバランス感覚が素晴らしかった。
(トラウマを想起させない為に、直接的な加害シーンが少ないのも良かった)
画角の切り取り方も、白黒の絶妙な光彩も
凄く好みな映画でした。
例え自分の人生であってもその全て理解出来る訳ではない
物語はモノクロで静かに、静かに進む。音楽さえもほとんど無く。それは実際に起きた事件を扱っていることもあり、毎日そんなにドラマチックな事は起こらない我々一般人の日常を端的に表しているように感じられた。
最初から最後まで冷え切っていた家族との関係性までもが淡々と描かれており、それが主人公の狭い世界の中で大きなストレスだったと思われる。それでも一見物静かな反抗期の範囲内と言えなくも無かったが。自殺未遂を起こしても娘に寄り添えず、あなたには無理と言い切り病院に入院させる母親としかコミュニケーションを取れなければそりゃ壊れるわな。そんな中、雨なのに洗濯物を干してしまったり、タクシー客に注意されてもタバコをふかし続けたりと、他人の常識と自分のそれにズレがある主人公の異常性が時折描かれる。
今ほど理解を得られないはずのレズビアンであったり、好きだった運転手をクビになったり、入院した病院でリンチされたりとおそらく彼女自身はその理由を自分自身で理解できず、全て周りが自分を理解せず虐めると思い込んでしまったが故の被害か。
結果車で轢き殺す時でさえ静かに淡々と運転しており、主人公に躊躇や気持ちの揺れはその表情からは見て取れない。周りに自分の苦しみをを理解させようという究極の承認欲求。
死刑を望んでその通りになっても淡々としていたが連行の際に大きく取り乱したのは最期までやはり自分の感情が自分で理解出来なかったか。
主人公が死刑後も残された家族がいつも通り淡々と食事している風景が怖い。
モノクロだったが映像はとても綺麗。多分カラーだったら違う印象になったと思う。
自分は人間であり、敵もまた人間である
静かに進む物語。バー、ダンスホールに流れる以外は音楽もない、エンドロールもずっと無音。本を読み日記や手紙を書くオルガの暮らしにも音楽はない。
チェコの寒々しい風景も静かでオルガが運転する車の爆音あとは静かな会話と時々激昂するオルカと周りの人。
知り合う女友達はうさを晴らすように同性愛にふけり、誰もが最後は関係性もしくは経済性の損得なのか。
そんなことさえも意に介さないくらいの孤独と絶望感。施設でしこたま同室の女の子たちに殴られ蹴られるほかは親からの暴力暴行はうつされないがオルガの言説、着ているもの、話し方、歩き方から若い人生に受けてきた社会的不同意、虐待を感じる。社会への、人間への復讐という無差別殺傷事件、轢き殺し。実家に火を放ったり刺しに行くわけではないところに、親が巻き込まれなかったことを悔やむとのちに述べているが、自分とつながりがあるものをたちぎれないと感じる。母親は、最初のシーンで自殺はすごい勇気がいるあなたには無理と言った。
父親に殴られたとか父親は誰か、私は違う父親の子というシーンが続くか。これは母と子の愛と憎しみと無関心の物語だろうか。
政治性のないアナキズム。歩き方から滲み出る孤独と意志。
常に人は孤独であるが、かんぜんにこどくにはなれない。人は社会システムから如何様にも逸脱しようとし逸脱するが、社会システムは離してくれない。
衝動
思っていたものとは違いましたが、映画として、1人の女性の最期を見る物語として楽しめました。
同性愛が認められていなかった70年代、レズビアンだったオルガはそれを公の場で言うことはできず、それを抱えながら生きていました。
暗殺者になりたい衝動から、トラックに乗って大量殺人に移行し、今後誰も殺人を起こさないために自分が死刑になると言う宣言のもと、実際に絞首刑に処されるます。
死刑される直前、やはり生きていたいという想いが強くなって泣き叫ぶシーン、人間味がドバッと飛び出ていました。ここまで基本的には感情を表に出さなかったオルガがこれでもかと感情を出すので、なんだか愛おしくも思えてしまいました。
事件の前後を色濃く描く映画なのかと思いきや、オルガ・ヘプナロヴァという1人の女性の半生を描く物語でした。7年前の映画がこのタイミングで入ってくるというのもなんだか珍しい縁があるもんだなーと思いました。
鑑賞日 5/21
鑑賞時間 20:25〜22:20
座席 G-4
1970年代にチェコスロヴァキア・プラハで実際に起こった事件をモノ...
1970年代にチェコスロヴァキア・プラハで実際に起こった事件をモノクロで映画化した作品です。
ローティーンの頃からうつ病に悩まされていたオルガ・ヘプナロヴァー(ミハリナ・オルシャニスカ)。
自殺未遂の末、精神病院に入院するが、そこでも異質の存在として扱われ、集団リンチを受けていた。
退院後は世間から逃れるように、トラック運転手として働きつつ、森の中の粗末な小屋で暮らしていた。
ある日、職場で出会った少女イトカ(マリカ・ソポスカー)に同性愛傾向を感じ取ったオルガは、イトカと肉体関係を持つが、その関係も長くは続かない。
徐々に心の内に澱(おり)のようなものが蓄積していく中、オルガはプラハ市内のトラム停留所にトラックで突っ込み、多数の死者・重軽傷者を出してしまう。
オルガは、それは社会に対する復讐だと法廷で語る・・・
といった内容で、自暴自棄になった若者が悲惨な事件を引き起こすのは洋の東西を問わずだが、オルガの心底にたまっていく澱のようなものは痛いほど感じ取ることができます。
70年代前半のことなので同性愛者に対しては大きな偏見があった時代。
かつ非社交的でうつ病の傾向もあるがゆえ、社会から疎外されている感は徐々に強くなり、社会もオルガを拒絶するが、オルガも社会を拒絶する。
すこしでいいから認められたい。
承認欲求は、人間としての本能であろう。
本能としての欲求を満たされないときの苦しみは、いかばかりか。
だからといって、オルガの行為を許すわけでもなく、映画は劇伴もなく淡々と撮っていく。
感心したのは、裁判後、死刑執行を待つオルガの描写で、独房生活だったオルガは、社会から断絶されることで心の平安を得る。
ここにきて、承認欲求よりも生存欲求の方がはじめて上回る。
泣き叫び、刑から逃れようとするも刑は執行される・・・
淡々と撮り続けた映画は、最期まで淡々とした描写で貫き通す。
エンドクレジットは無音。
無音のクレジットを観るあいだに、心に去来するものをいま一度思い返してみるが、さて、なにが心の底に溜まったのか、それとも払拭されたのかわからないが、澱のようなものでないことを祈りたい。
監督・脚本は、トマーシュ・ヴァインレプとペトル・カズダの共同。
ミハリナオルシャンスカ様が観たくて
ストーリー展開は淡々と進むしほぼセリフも無いし場面展開も結構急なので、かなり集中して観ていないと理解が難しい作りになっている。しかしミハリナオルシャンスカ様の美貌のおかげで観ていられる。
正直オルガに感情移入するのは難しい。オルガという人の人物像が見えづらいためだ。彼女が人と接する場面が極端に少ないし、オルガ以外の登場人物の名前もほとんど明かされない(彼女が他人の名前をほとんど呼ばないため)。オルガの住環境や職場環境の変化も突然起こるので、ほとんど説明がなく、彼女が何を経て今こうなっているのかは彼女の独白でしか読み取る術がない。無愛想で非社交的なレズビアン、それ以上のオルガの情報が観客にもわからない。
そしてこの「オルガのことが側から見てよくわからない」ことこそが、彼女が周りから孤立した要因、ひいては大量殺人を起こした要因なのではないか。誰かひとりでも彼女を理解しようとして寄り添っていればこうはならなかったのではないか。あの医者はオルガのために色々手を尽くしてくれていたようだが、結局肉体関係を持ってしまったようだし。
そんなことを考えながらの鑑賞中、安倍元首相を射殺した犯人や京アニに放火した犯人のことを思い出さずにはいられなかった。社会から孤立し、自分の中で危険思想を育ててしまい、おかしなところにその矛先を向けた犯罪者たち。もちろん絶対に許されることではないが、彼らを生み出す一因として社会そのものがあることを忘れてはいけないと感じた。
社会不適合な自分と重ねた
自分を虐待した社会への復讐だと言うオルガ。
家族や社会と接することで過度にストレスを蓄積していった。すべてを他人のせいにした。
しかし身勝手な言動に嫌悪感を覚えることはなかった。身に覚えがある痛さだった。ヒリヒリした。
きっと紙一重なのだろう。
そう、これはブレッソンの作品を思わずにはいられない傑作。感情を挟む間もなく終焉に向かった。加害者となり社会にコミットするところが決定的な違いかも知れんが。
観たい度◎鑑賞後の満足度△ 「頭のおかしい女がこんな事をしでかしましてな」という描き方をしていないのは宜しい。が、映画としては生煮え。
①同情するでもなく糾弾するでもなく、一定の距離を取って対象を描こうとする映像にはある程度の力が感じられる。
ただ演出力の未熟さからか、脚本の構成力の未熟さゆえか、煮え切らなさ・物足りなさが残る。
②“心震える実話”“チェコスロバキア最後の女性死刑囚”という宣伝文句に惹かれ、予告編での同級生達に虐められるシーンや、「あなた達に死刑を宣告する」という独白、暴走する車の映像から、耐えきれなくなった主人公が同級生たちを牽き殺す『キャリー』みたいな話かと思い“面白そう”と思っていたら全然違っておりました。
まあ、勝手に思い込んだ私が悪いのですが。
③よく考えみれば、実話と云っても事件の有り様や本人の告白というのは事件の後で知るようになったことで、主人公の事件以前の部分は云わばフィクションに近い。死刑の前でも悟ったように粛々と刑場に向かったとか、本作の様に泣き叫びながら看守に引き摺っていかれた、とか数説あるようだし。
原作を書いた人は丹念な取材をいたかもしれないけれども、本人に取材した訳ではないので何処かにバイアスが掛かっていないとま限らない。
“最後の~”というのに簡単に心を惹かれてしまうが、考えたみればチェコスロバキアという国はもう地球上から無くなっているので、単にチェコとスロバキアに分かれる前の最後な女性死刑囚というだけかも知れない。
④と、御託は置いといて、
それがし、透明人間に非ず... 世間の規範に従うことの困難な風来坊女性が異分子の声に無関心な家族に,そして社会に爪痕を遺さんと怨嗟の念を滾らせるマイノリティーの絶望映画!!
1973年、チェコの首都プラハで群衆にトラックで突っ込み、多数の死傷者を出して翌年チェコスロバキア最後の女性死刑囚となったオルガ・ヘプナロヴァーを巡るクライムドラマ。
事故当時22歳のうら若き彼女の、裕福ながら家庭の世間体のために存在を否定され続けた少女時代、そしてようやくありつけた職場と精神病院を行き来する中で世間の無理解と冷笑に苦しみ、被害妄想も相俟って内在する憎悪を先鋭化させていくその姿・・・・・・同性の愛人達との刹那的な享楽に身を委ねつつ幼子のように孤独に打ち震える主人公の姿を主演のミハリナ・オルシャンスカが全身全霊で体現し、モノクロームで寒々として生気の感じられない画造りと劇判並びに劇的な展開を排して淡々と空疎な日常を描くシュールな世界観は観る者の心を鷲掴みにすること請け合いです。
"犯罪映画"といえばギトギトした油ギッシュなものを想像しがちですが、その対極に君臨する一本として好事家にも苦手な人にも観てもらいたいこの静かなる狂気…。
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