「“本当に面白い映画”は、差別される。」ロスト・フライト 慎司ファンさんの映画レビュー(感想・評価)
“本当に面白い映画”は、差別される。
“本当に面白い映画”は、差別される。
考えてみれば当然のことで、“本当に面白い映画”が広く知られてしまえば、お客は“本当に面白い映画”にばかり殺到して、“実は面白くも何ともない映画”や“面白さを売りにしていない映画”を作ったり売ったりしている連中はまとめて映画から足を洗う羽目になる。
そんなわけで、興行面でも批評面でも冷遇される“本当に面白い映画”に出会うためには、控えめな宣伝を敏感にキャッチしたり、限られた上映に合わせて劇場に駆け込んだりといった積極的な努力が観る側にも要求されるわけである。
さて、「首」とか「ザ・キラー」とか「ナポレオン」とか言うやけに簡潔なタイトルの作品が立て続けに公開され注目を集めているが、名匠・巨匠によって監督されたこれらの作品は、“本当に面白い映画”ではない、という点においても奇妙に共鳴している。
名だたる監督が演出しただけあって、それぞれの作品にも感心する部分がないわけではないが、では“本当に面白い映画”かどうかと問われれば、誰もが顔を見合わせ答えに窮するのは明々白々である。
そんな中、ひっそりと上映を開始し、これまたひっそりと上映を終了しようとしている「ロスト・フライト」なる邦題をもつ本作も、「PLANE」というあまりに簡潔な原題によって先に挙げた3作とのひそやかな符合を感じさせる。
そんな「ロスト・フライト」が先の3作と決定的に異なるのは、本作が“本当に面白い映画”であるがために、徹底的な無視という典型的な差別を受ける被害者であるという点にある。
事実、「ロスト・フライト」を観た人は、唐突に始まる生死をかけた肉弾戦に「ザ・キラー」の取っ組み合いよりも遥かに強い緊張を覚え、嘘のようにあっさり訪れる訣別に「首」の木村祐一の別れよりも遥かに強い動揺に囚われ、そこに登場する軍人たちの戦闘に「ナポレオン」のホアキン・フェニックスよりも遥かに強いプロフェッショナリズムを見出すことになる。
さらに、この“本当に面白い映画”に巡り合うことのできた映画的感性の持ち主であれば、見せかけの投降で敵方の通訳係と対峙したその後ろからボスが現れる、という画面が丁寧な縦の構図になっていたり、幾度か挿入される実に繊細なズームアップが人物の輪郭を強く印象付けていたり、映画のラストで、手持ちのカメラによるブレの画面からふいに切り替わる安定したクレーン・ダウンとクレーン・アップのショットが映像に見事なリズムを生んでいたりすることに、ささやかな感動を覚えることだろう。
“本当に面白い映画”によってしか味わえない覚醒の感覚を求める人ならば、デヴィッド・フィンチャーよりも、北野武よりも、リドリー・スコットよりも、ジャン=フランソワ・リシェの「ロスト・フライト」に駆け込まなければならない。