「死にしがみつく者は生き、生にしがみつく者は死ぬ」ジョン・ウィック コンセクエンス sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
死にしがみつく者は生き、生にしがみつく者は死ぬ
三時間近い大作だが、そのほとんどがシリーズの集大成ともいえる派手なアクションシーンで占められている。
もはやジョン・ウィックは撃たれようが、刺されようが、建物から落下しようが、階段から転げ落ちようが止まることはなく、不死身のごとく何度でも立ち上がる。
そのあり得ないタフさに思わず笑ってしまうが、これはリアリティーを求める作品ではない。
残虐だが計算し尽くされたアクションシーンはため息が出るほど素晴らしい。
日本が舞台となるシーンでは時代錯誤の日本刀や手裏剣や弓矢が登場するが、それすらも様式美の中に封じ込められているようだ。
自由を求めるジョンの戦いは終わらない。
主席連合を意のままに操る若きグラモン侯爵は、コンチネンタルホテルの廃棄を決定し、見せしめのためにウィンストンの前でコンシェルジュのシャロンを射殺する。
そしてジョンを仕留めるために娘を人質にされた盲目の殺し屋ケインを差し向ける。
ケインはジョンの友人でもあった。
今回の作品では誓印の約束などもなく、純粋に友情のためにジョンを手助けするシマヅという男が登場する。
彼は大阪のコンチネンタルホテルにジョンを匿う。
実は彼はケインとも親しい仲であり、ジョンを巡って哀しい闘いが繰り広げられる。
命令されればどんな仕事でも成し遂げなければならない殺し屋だが、殺し屋同士の流儀というものがあり、そこに美学を感じさせられる。
ジョンはグラモンの殺害を誓うが、たとえ彼を殺しても代わりの者が現れるだけで、自由を手に入れることは出来ない。
そんなジョンにウィンストンは古来のルールを持ち出し、一対一の決闘を申し込み勝つことが出来れば自由を得られると告げる。
ただそれには彼が所属していたルスカ・ロマとの関係を修復する必要があり、彼は一縷の望みに賭けてベルリンへと旅立つ。
どこに行ってもジョンに安らぎの時はない。
そしてこの映画を観て感じたのは、権力を持つ人間こそルールになるということだ。
ジョンはグラモンに決闘を申し込むところまでこぎ着けるが、グラモンは代理にケインを立て、自分が闘うことを承知しない。
そして「お前は殺し屋以外の生き方を選べない」と挑発する。
確かにケインとの決闘に勝てば彼は自由を手に入れられるが、グラモンに復讐することは出来なくなる。
もしグラモンを殺せば主席連合から狙われ、死ぬまで自由は得られないだろう。
しかもグラモンは卑劣にも決闘の場所であるサクレ・クール寺院に彼がたどり着けないように無数の殺し屋を仕向ける。
このジョンがサクレ・クールに向かうまでの殺し屋たちとの死闘、特に真上からのワンカットの銃撃シーン、そして222段の階段を転げ落ちるアクションシーンは圧巻の一言に尽きる。
そして決闘の相手であるはずのケインがジョンの手助けをする胸熱なシーンも。
やがて夜明けが訪れ、ついにジョンの戦いは決着を迎えることになる。
もしジョンが犬の復讐のために殺し屋に戻ることを選ばなければ、今も平穏無事な生活が続いていたのだろうか。
それともいつかは主席連合の手によって闇の世界に呼び戻されていたのだろうか。
ケインも引退した身でありながら、主席連合の命令には逆らうことが出来なかった。
因果応報という言葉が相応しい作品であるとも感じた。
殺し屋の世界に足を踏み入れた時点で、ジョンの因果は定められてしまったのかもしれない。
さて、このシリーズには毎回犬が登場するが、今回もジョンを狙う謎の男が犬を引き連れて登場する。
この敵なのか味方なのか、立場が入れ替わる男と犬の存在がこの映画に彩りを加えていた。