「『キアヌ・リーブス』にとっての幸せな時間」ジョン・ウィック コンセクエンス ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
『キアヌ・リーブス』にとっての幸せな時間
家族への愛情で始まった物語は、
やはり家族への愛情で終わる。
とりわけ今回は、互いの家族への情愛がせめぎ合い、
他者に害を及ぼす結果に。
また、それを人質に、政争に利用しようとした者は
滅びの道を進むのも過去の倣いの通り。
百八十分に近い長尺。
おそらくその半分ほどが戦闘のシーン。
にもかかわらず間延びした印象は受けず、
手に汗を握りながら没入すれば、
あっという間に時は過ぎ、
その長さをいささかも感じさせることはなく。
映画的な時間の流れを
緩急を自在につけての表現が際立っており。
もっとも、演じている『キアヌ・リーブス』にしてみれば、
これでも足りぬとの想いではないか。
〔座頭市〕リスペクトとも思える『ドニー・イェン』との相対。
もっと長い時間を演じていたかったろう。
『ドニー』と『真田広之』の擬斗も同様。
それを現前に観られる至福にひたる。
そして自身のアクションをも存分に披露し
映画人として満足の行く結果だったに違いない。
そうした中でも、屋内での俯瞰のシーンは
見事の一言に尽き。
コンマ何秒のズレも許されない
精緻な計算をし尽くされた世界。
尚且つ延々の長回しで表現されれば、
もう鳥肌モノ。
パリの凱旋門での、
迫り来る車の合間を縫って繰り広げられる場面も同様。
車両にがんがんと衝突するスタントのあまりの激しさに
怪我人が続出したのでは?と
違うことに気がそぞろになるほど。
それは220段の石段で待ち受ける
「階段落ち」のシークエンスにとどめを刺す。
〔蒲田行進曲〕を遥かに上回り、
「コサック」との言葉も出て来ることから
「オデッサの階段」をも彷彿とさせるのだが。
追う側の理屈は、
組織基盤の維持に加え、
内部での政争の道具の意味合い。
対して追われる側に力を貸す理由は、
家族の愛情と共に男同士の友情で、
それがもう一つの旋律。
互いへのリスペクトに裏打ちされたそれが阿吽の呼吸で発露した時に、
物語りは幾つものターニングポイントを経て大団円に至る。