丘の上の本屋さんのレビュー・感想・評価
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イタリアの片田舎の町並みは美しい
期待せずに観たのだが結構良かった。拾い物。
イタリアの片田舎の美しい田園風景と建物、老若を問わずカッコいいイタリア人が出るだけで絵になってしまうからイタリア映画はズルい。メインで語られる少女との交流とともに、本屋を舞台に繰り広げられる人々の物語が楽しい。変人は出るが悪人はでてこない。
あのラストは紐付き映画のせいかな。書名を出さずに観るひとに委ねるほうがよかった気がする。
良いんだけど
本好きも、そうじゃない人も。
正直見るまでは「少年と老人の話ってなあ・・・」と、思った自分に喝。
丘の上の小さな古本屋を舞台に。
そこにくるお客や、隣のカフェ店員とのやりとり。
そしてメインの、移民少年との本を介しての絆。
店主が少年の「本の先生」になっていく様が、実に微笑ましい。
その合間に、常連が持ち込んだ「昔の女性の日記」を店主が読むシーン。
そういう「趣味」もあるのだろうな、と気にしてなかったのですが。
ラスト、少年の話も日記の話も、常連達の話も。
実はどれも大切なものと繋がっていたのが、ちょっとほろり。
だからユニセフに捧ぐだったのか(泣)←ネタバレ省略
90分弱と見やすいので、機会があったら。音楽や風景も素敵でした。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「本は2回読むんだよ。
1回目は理解し、2回目は考えるためにね」
号泣する準備はできてなかった
小さい時からの読書が如何に大切かを物語る作品。
非常に心温かい映画でした。
出てくる少年は西アフリカ出身。本の内容は、団結や差別への意識をどう捉えていくかを考え、生きることの危険はすぐそばにあったりします。如何に偏見や迫害を退けて生きるかを考えるのに最適な良書ばかりでした。
どこにでもいるファシズムに対するリベロの姿勢もまた、大人でした。
現在は共和制なイタリアは、第二次世界大戦までは、社会主義、全体主義でした。そしてムッソリーニのような独裁者を輩出したイタリアが制作したという事に大きな意味がある映画でした。
日本は全国どこにでも図書館があって、世界に比べ間口が広く開いています。税金を払っている人は無料で読書ができる環境が整っています。読書ができるのは自由が守られていて、豊かな国の証です。
読書は、いつでも読めるから読まないではなく、読める時に読む習慣を身につけておけば、いつかあなたを助けてくれるものです。
次の世代に本当に渡せるものは、知恵だけなんでしょう。
最後を嫌う方が多いようですが、皆んな必ず逝くのですから、終わりがある。それが普通です。キチンと死と向き合うことを子供に教えない今の社会の風潮は、いつか身動きが取れなくなるほど困るようになるでしょうね。
イタリアの、のどかな小さな町にて 古書店の老店主や、周囲の人々の、...
冒頭の音楽から景色、イタリア人の振る舞いなどイタリアを堪能
昔通った神保町の個性的な古本屋を思いだしながらイタリアを堪能
ゆったり流れる時間とそれぞれの個性的な人たち…
「持ち主が代わり、新たな視線に触れるたび、本は力を得る。」
特に古本屋で本を手に入れると、どんな人が読んでいたのだろうかとと妄想する。沢木耕太郎の深夜特急のなかの本はめぐるのように
日本の図書館司書は役人で全然ダメだが、今でもたまに優れた本屋の店員に出会うと幸せな気分で本を購入できる。
ただ、ラストだけは賛否両論あるだろう。私はちょっとダメだったけど…(笑)
もうちょっと景色が見たかったな~
物足りない、勿体ない
少し前に『帰れない山』を観たばかりで、珍しくイタリア映画が続きましたが、『帰れない山』を見てから本作を見てしまうとなんとも薄味の気がしました。まあ、上映時間も半分ですからね(笑)
何故本作を観たかというと、丁度『華氏451』というSF小説(殆ど純文学)を読んだばかりで、あまりにもタイムリーな“本”がテーマの作品だったので見たくなりました。
本作、映画の企画としては凄く良いと思ったのですが、上記作品があまりにも作品としての奥行や深みがあったので、どうしても次に見た作品はその差を感じてしまいます。
前述したように企画は素晴らしいのに、それだけで終わってしまっている感じなんですよ。
例えば本作をどの様な映画にするかの企画会議をして、どういうストーリーにし、どういう登場人物を出し、どんなエピソードを入れるか?等々、ホワイトボードに箇条書きに列記した項目をそのままにそれだけを作品にしたような印象を受けたのです。
本来ならその後に、登場人物のキャラやエピソードが決まったら、それらにテーマに沿った喜怒哀楽を肉付けをしリアルな人間像に仕上げていくのでしょうが、その過程がスッポリと抜け落ちた様な、家で例えると設計図、絵画で言うとデッサンを見せられている様な、折角の良い企画なのに凄く勿体なく感じてしまいました。
「本を読むということ」を描いている
イタリア中部石造りの街を舞台に、古書店の老店主リベロのもとに行き交う人々を描く。
読書家ゆえ身に付いたと感じられるリベロの博識さや優しさ、人となりがこの映画のすべてかもしれない。カフェ店員ニコラを友人として想い馳せるシーンは言葉選びに読書家としてのリベロらしさがあって特に美しかった。
イタリアの人たちの感情表現が豊かなあまり、段々と表情や声色で伝えたいことの片鱗を字幕なしで感じ取れるようになっていく変化も新鮮だった。
個性豊かな古書店に訪れる街の人々を通じて、本とのさまざまな接し方に触れられる。そして本の前では年齢も性別も国籍も重要ではないし、その壁すらも超えられると感じることができる。
登場人物が役割的で人物描写やエピソードの深みがなく物足りなさを感じるけれど、人物以上に古書店に主体があると割り切ってる感じ。
イタリア文化に触れられるのんびりとしていて心が落ち着くという視点ではたまにはこういうのも見たいなと思えた。
本好きより本を読まない人にこそ人生が動くきっかけが得られる気がしている。そういう視点で意義深い作品である。
優しく諭して、気づきを与えてくれる映画
個性豊かなキャラクターが古本屋に来て、リベロおじいさんや本と化学反応を織りなしていくのが、人間味があって優しく面白く、安心して観られる映画だった。
イソップ童話やキノピオなどの童話のような説教くささもあるけれど、それがどこか懐かしく温かかった。
キノピオを読みおえた少年がリベロに、「騙そうとするやつは、愉快な風を装って欺いてくるんだよ」と戒められたときに
「僕は土に埋めてお金が増えるなんて言われても信じないよ」「コオロギはこうるさいだけだ」と、巧みな言い回しで言い残して帰って行ったのも面白かった。笑
少年は、まっすぐで汚れなく危うく、美しかった。
イタリアの村の美しさ、音楽の美しさにもうっとり。
ハッとさせられる言葉も多く…(その多くは沢山の名作達の引用なのがまた感慨深い)
特に『白鯨』を渡すときの言葉が印象に残ってる。
「1度だけでなく、2度読むんだ。1度目は、作品を理解するために。2度目は、考えるために読む。作品から与えられるメッセージは1つだけでない。最初に感じ取ったこととはまた違うメッセージを受け取れるかもしれない」(うろ覚えの部分はあるけど確かこんな感じ)
私自身、映画を観るのも本を読むのも、どこか「情報を得る」ことが第一になってる今日この頃。
(実際今日も、一本映画を観た後間髪入れずにこの映画を観ているし…笑)
作品から情報だけ吸い取ったら満足して手放してしまう。そんな人は結構多いのでは?
じっくりと自分の頭で考えて、咀嚼すること。それは作品に対してだけでなく、人生における色んなところで大切だと思うし、それが「豊かに生きる」ということなのかなと自分なりに思った。
『世界人権宣言』と共に渡される
「1番大切なことは、『誰にでも幸せになる権利があるということ』」というメッセージも、最後にふさわしいものだったと思う。
過去に弾劾されてきた思想たち、発禁本…。過去の偉人達によって、現代の私たちの基盤があるということ。なんだかとても考えさせられた。
ラストは、「やっぱそうきたか…」と思いつつも、まぁ正しいラストだったかなぁと。
本が様々な人の手に渡って、知識や物語を与えてくれるように、彼も少年やお客さんに思いを託していったんだなぁと。
良い余韻でした。
ページをめくる度に希望が生まれる
本がますます愛おしく感じて・・・
イタリアのそれはそれは綺麗な風景の小高い丘の上にある古書店。老店主リベロと本好きな移民の少年エシエンのほのぼのとした心の交流のお話。本を読みたいけれど購入するお金が無くて諦めてしまうエシエンにさり気なく本を手渡してあげる優しいリベロ。古書店の隣のカフェで働く二コラや店に訪れる色んなお客とのユーモアあふれる会話が愉しい。ザ・イタリアの陽気さが羨ましい。リベロから手渡された本「ピノッキオの冒険」から「星の王子さま」「白鯨」「ドン・キホーテ」etcを読んでいくエシエンは、一冊読むごとに様々な気付きを手に入れていく。リベロは目に見えない力をエシエンに手渡してくれる素晴らしい大人。私もそんな意味ある人になりたいと思わされた。体調の思わしくないリベロが最後に手渡した一冊それが「世界人権宣言」だった。移民と言う境遇にあるエシエンにとって、これから生きていく人生の中で幾度もぶつかるで有ろう壁を乗り越えるための重要な一冊を手渡すリベロがとても素敵に見えた。石畳の歩道、レンガを積み上げた壁、明るい日差しと爽やかな風~そして何気なく隣人を気遣う優しさ・・ここで暮らして行けたら幸せだろうなぁと思わせてくれるスクリーンに引き込まれていった心に優しく語り掛ける作品。
本は心のサプリメント!
タイトルに心・持ってかれました!
眩しいくらい緑豊かなイタリアの小さな村にある丘の上の本屋さん
店主が常連客と何でもない日常を穏やかに過ごしている
移民の少年と本を通してのやりとり
店主と少年の会話の対等な流れは無駄が無く
ずっと傍で聞いていたくなりましたし
ニコラが働くカフェで濃い目のコーヒーを飲みながら田園風景を眺め「星の王子さま」を読みたくなりました
ラストの少年の力強い瞳の中に彼の光溢れる未来が見えた気がしました
人生の楽園の様な
あの場所に寄り添うように流れるピアノの旋律
アンティークなオルゴールの優しい音色
やわらかな陽だまりの様な心温まる作品でした
本は1度目は理解し2回目は考える
…店主のこの言葉は映画を観る事に共通すると思えましたし
人権啓発の気付きも得る事も出来た学び多き84分でした
帰りの電車…誰もが下を向き無表情でスマホをいじる中
背筋を伸ばし文庫本を読む女子高生になんだかホッとしてしまった私でした
いい感じで進んでましたが、、、
これからでもどうぞ。
イタリアの最も美しい村(300以上ある)の一つチヴィテッラ・デル・トロントを背景にしている。フランスでもそうだが、海岸沿いのこうした村は丘の上というよりも、山の上にある(標高は600メートル前後か)。景色は素晴らしい、しかし暮らすのは大変で、それを維持できているのは、住民のとてつもない意志と努力に依るのだろう。村の広場に面した古書店が舞台。70歳くらいと思われる書店主のリベロの家族や経歴が明かにされることはなく、古書店での人々の交流が主題であることが判る。中心は、アフリカ移民の少年エシエンとのやりとり。様々な本を無料で貸し与えるうちに、最初はすぐ読んでくるだけの賢い少年(医師を志望しているようだ)であったものが、本の内容を受容し、成長してゆく姿が見て取れ、それをリベロが楽しみにしている。他にも、本を探しにきた若い女性と隣のカフェの給仕との出会い、ネオナチらしい青年、稀覯本や発禁本を探す学者、サドマゾ、それも最近の本を探す女性、本を拾って持ち込むことを生業とし、一獲千金を夢見ている男、なぞなぞが好きな男(監督自身)、などが次々に現れ、リベロは何にも誠実に対応する。それらのエピソードをつないでいるのが、拾ってきた本の中に入っていた、リベロが生まれた頃20代であった女性が書いた日記(50年以上は経っている)。リベロがそれを読むときには、必ず卓上のライトが灯されてオルゴールが流れ、これがいわば「展覧会の絵」の「プロムナード」であると知れる。次第に、リベロがエシエンに伝えたかったことが、本以外にもあったことを思い知らされることになる、ただそれには様々な伏線が用意されていた。最後にエシエンに渡す本は、もう少し何とかならなかったのかとは思うが、イタリアは移民の国だ。平日の午後のロングランとなっていることを歓びたい。
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