「市井の人として体験した戦争」ペーパーシティ 東京大空襲の記憶 redirさんの映画レビュー(感想・評価)
市井の人として体験した戦争
70年前の大空襲の被害について、証言を裁判を続けてきた、この映画に登場されて3名の方は映画完成時点で皆お亡くなりになったとのこと。完成した映画をご覧になれず。そのことがとても悲しく、これから風化して忘却されていくのではないかという予感。
戦争末期には66都市に空襲があったとのこと。
子どものころ、浅草に近い東京の街でこの大空襲を受けた彼ら、家族を失い、焼け出されながら、学徒勤労に駆り出され、遺体の掘り出し、埋葬をさせられ、なんのメモリアルも、補償も、記念碑も記念館も調査もないまま70年がたっていること。
原爆のことをいうのはsafeだが、市民への空襲について日本政府が物言うのは戦争の過程で日本が中国やその他の国にしてきたことに対し整合が取れずsafeではなく、trickyになる、
監督は、日本政府はできないとしても、なぜ東京都は記念碑や記念館やなにか戦争の記憶をとどめ慰霊することをできないのか、いや、しないのか、理由がわからないと言っておられた。
この映画撮影時、敗戦から70年71年、安倍政権のとき。高齢の空襲被災者、裁判原告の方が、映画の中で、
戦争時のトップの人の孫が今のトップだ、なにもするわけはないと淡々と述べていた。
命がある限り体験したことを伝え語り継いでいかなければいけないと、集会に出かけ慰霊祭に出かけ、裁判に参加し敗訴してもまた闘うという方たちの、
日本が始めた戦争だから仕方ない
しかし、空襲があるかも爆撃があるかもしれないと言ってくれたらよかったのに
早く戦争を終わってくれていたらという。
東京大空襲は三月、その後各地に爆撃があり、広島長崎に原爆が落とされ、大阪空襲は敗戦の一日前だった。
それどころか、爆撃があれば、被弾したら、火を消せ逃げるな逃げたら逮捕だ罰金だと言われていたというのだ。それを淡々と語り静かに怒り恨み悲しみを体現する証言者たち。
さまざまな立場があるが、過去を無かったことにしたり見ないようにしたり、真実を伝えないことはいけないことだ。
空襲にあっだ日本の人も、戦後のアメリカ占領軍も口をつぐんできたこと、ましてや<戦犯>がそのまま日本政府となっているのだから、、、、
貴重な記録であり、戦争を両面から見たときの危うさ。
ヤンソンヒ監督の済州島のことも思い出した。
済州島には最後、韓国政府が認め謝罪し調査を始めメモリアルができている。
この映画を見ることができ監督の話を聞くことができ、知ってはいたが真剣に考えたことがなかった空襲のことを知り、また今も日本以外の世界のあちこちで市民に対し空爆や殺戮がおこなわれていることを今ここで思うことができ、監督に感謝したい。(試写会ではなく、上智大学ICCにて鑑賞)