ノック 終末の訪問者のレビュー・感想・評価
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神の裁きは突然にって?
シャラマン作品といえば、超シリアスに実はブラックコメディ作品!?みたいな作り方が多く、最後に意外なオチや、驚きの仕掛け、みたいな物を見ることが楽しみの一つではあるのだけど、今作は正直、あれ!?これで終わるの?という終わり方。 いや、終末を説く、黙示録を読め、って話だったとしても、ストレートすぎるよね、と思ってしまった。だってこれじゃ、ただのB級オカルト作品だ。なんかちょっと残念。シャラマンらしさに欠けていたように思うが、オチなしが今回のオチなのか。私が期待し過ぎたのか。勿論、ストーリーの緊迫感と両方の立場とも追い詰められて行く様は流石ではあるが。個人的に気になるのは、結果的にゲイのカップルが裁きの対象になってしまった事が、まさに今時の状況に置いてハリウッドで嫌悪されないのかな、と余計な心配したりして。
ウェイン役の女の子はとっても可愛くて上手、今作デビューとのこと。これからが楽しみな女の子だ。
ファンとして満足でした
シャマラン監督が好きなので見に行きました。
あり得ないような状況の中で心理的に追い詰められていくという正にシャマラン節全開でした。
謎が解決されるかどうかは別にいいんです。
世にも奇妙な物語みたいなものでいいんです。
大作でなくてもB級でもいいんです。
私にとっては、あーこれこれ、シャマラン監督!って感じでとっても楽しめました。
シャマラン監督のファンとしては満足ですが、そうでない人にとってはどうなのかはわかりませんが。
ノック 終末の訪問者
ノック 終末の訪問者
面白かった。1番感じたのは、短いということ。実際、100分と普段の映画より20分ほど短いのだが、それ以上に40分くらいの短編のように感じた。それもそのはず、この映画最初の展開からあまり広がらない。ロケーションも一緒。壮大にもならないし、移動もしない。
だから気分的にはワンシチュエーションで起きる短編を見ている気分になる。逆に100分もあったことがびっくりだ。全く退屈しなかったし、最初に「主人公たち」と「黙示録の騎士たち」というわかりやすい対立と、どっちが正しいんだ?という問題提起があるおかげで、ずっとそれについて考えて、どの行為、現象にもそれを結びつけて考えるので、全く飽きがこない。そのため、このワンシチュエーションの映画で観客をとどめておくことができるのだろう。また、バッタのメタファーや、黙示録のくだりなどは面白かった。やりすぎると良くないけど、やりすぎない感じだったので好き。
「人間の生の感情が見えたか?」
それに関してはあまりわからなかった。でも、回想がところどころ入ることによって、2人の感情に入り込めたし、だからこそ、縄を解いて銃を手に入れた時の「やってやれ!」的な感情を抱くことができた。2人に感情移入できた。最終的に「ゲイの主人公たち」と「ゲイを軽蔑する90億人」という対立になったのは面白かった。監督はこれを伝えたかったのだと思う。
「謎があったか?」
終始謎だらけ。最初に大きな謎を提起してそれをだんだん解き明かしつつ、それが真実なのか嘘なのかを観客に問いかけていた。謎という分野においてはとても綺麗で美しい謎だったと思う。私はスクリーンの中のその謎にずっと惹きつけられてしまった。
とにかく、批判するものではない。面白かった。特に好きで永遠推せるというものではないが、ワンシチュエーションと同じロケーションで100分自力で持たせてるのはどう考えても他の監督ができる技じゃない。
ちょっと今後の創作のヒントになりそうな映画だった。
ノックは7回
原作未読。と言うより原作があるの自体知らなかったので、原作が通りの映画化か捻ってあるのかも知らないので純粋に映画だけの感想。
割りと面白かった、話のほとんどが山小屋で展開するので舞台向きな話かも。
シャマラン監督なので最後は、家族3人で町に向かったら誰もいなくなっていた、なんてオチかと思ったらそうでもなく、かといってめでたしめでたしでもない。むしろモヤモヤしたラストは好き嫌いが別れそう。(私は好き)
タイトルにある「ノック」が7回叩かれたのが気になったので考察している記事等読んでみたら黙示録の第七の封印に因んでいるのではないかと言う意見に成る程と。
確かに疫病の蔓延や天変地異、飛行機の墜落を空が落ちてくるとの言い回しも黙示録にある終末の表現だなと感心したり。訪問者が4人というのも。
キリスト教に馴染みが無い日本ではわかりづらい所が多々あるけど割りと好みの映画でした。
『ミスト』と双子のようなテーマ&展開を示す、シャマラン監督流「アポカリプス・ナウ」
これ原作って、いったいどんな終わり方するんだろう??
シャマラン監督は「敢えて原作から変えた」と言ってたけど。
ここ以外のどこに、どう落とし込めるのかすげー気になるね。
M・ナイト・シャマラン監督の最新作。
日本でいうそれとはだいぶ違うけど、
これもいわゆる「セカイ系」だろう。
自分をとるか。世界をとるか。
主人公たちは究極の選択を迫られる。
そこに、『運命のボタン』(10)っぽい選択のギミックや、
善良そうな来訪者が豹変する『ファニーゲーム』(08)ネタ、
『ヘイトフル・エイト』(15)風のキャビン監禁ネタなど、
既存のアイディアをうまく組み合わせて、密室劇に仕立ててある。
『シックス・センス』的などんでん返しや、衝撃の真相、ラストの大ネタを期待する人も多いだろうが、そこまで一本背負いのような「世界が反転する」オチが待っているわけでは必ずしもない。キャビンに現れる「謎の四人組の正体」が分かるあたりで一番、シャマラン的な本格ミステリー性は高まりを見せるが、そのあとはむしろ「この設定ならどう決着をつけるのが一番まっとうか」を探っていくような展開となる。
すべての難題がスパッと解決するような「きれいな」オチは期待しないほうがいい。
逆にそこを求めすぎなければ、きわめてよく練り上げられた、完成度の高いサスペンスとしてふつうに楽しめると思う。
本作のサスペンスには、どちらかというと「こんなエグい究極設定で風呂敷広げて、どう終わらせるつもりなんだろう??」という、監督サイドの「手腕」を期待半分・不安半分で見守るようなところがある。
そこには、「作中で呈示される究極設定」が、「真実か否か」が視聴者側にも明かされないままに話が進んでいく、宙ぶらりんの「サスペンス」も含まれる。
主人公たちは「殺人」という重い決断を迫られながら、それを実行しなければならない「根拠」に確信が持てない。観客も同様に、主人公たちが決断しなければ引き起こされるという「大惨事」が本当に起きることなのかについて、確信が持てない。
究極の選択を不分明な状況のなかで迫られ、主人公も観客も選択の結果に「正しさ」が確信できないという状況は、たとえばフランク・ダラボン監督の『ミスト』(07、スティーヴン・キング原作)あたりに近い感覚かもしれない。
『ミスト』はまさに80年代ダイハード・ヒーローへのアンチテーゼのような映画だったが、思い返せばまさにあの頃から、ヒーローの決断から絶対性が喪われ、善と悪との境界が曖昧になり、正義の執行に確信が持てなくなっていったような気がする。
かつてのスーパーヒーローは、たとえばスーパーマンのように「ヒロインを救うか世界を救うか」の二択を迫られて、「どちらも救う」という選択肢を選ぶことができた。
今の時代は違う。絶対性と特権性をはぎ取られたヒーローたちは、善悪のパラドックスに苛まれながら、常に(負の結果もひっくるめて)決断の責任を背負い続けなければいけない。
『ノック』は、まさにそんな「墜ちたヒーロー」たちが試される時代の、最新形態に他ならない。
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本作の最も重大なポイントとしては、「宗教的な寓意性」があげられるだろう。
チラシやトレイラーだけで、勘のいい人は「謎の来訪者」が何を表わす存在なのかは、うすうす感づいてしまうはずだ。僕は大学で西洋美術史(北方ルネサンス)を専攻したこともあり、「アポカリプス」という単語を四人組が口にした瞬間、ああなるほどと、なんの話かほぼ確信が持ててしまった。そもそも冒頭のバッタ採りのシーンから、なんとなく予感はあったんだよね。なぜなら新約聖書のヨハネの黙示録において、「イナゴ」はいわゆる「第五のラッパ」だから。
四人の来ている服の色や、持っている謎武器の形状も、ある種のアトリビューション(持物)として機能しているし。
僕たち日本人にとって、アポカリプスにおける「審判の日」の到来というのはあまり胸に響かない話題かもしれない。
しかし、アメリカを含むキリスト教国家にとっては異なる。
やがて、聖書に預言された滅びの日がやってきて、人類に審判が下される。
すべての人間が一度復活を果たし、善なる者は天国へと導かれ、悪しき者は地獄へと堕とされる。誰もが知るミケランジェロのシスティナ礼拝堂壁画で描かれている場面だ。
多くのキリスト教徒は、これを現実の未来に「必ず起きる出来事」だと「本気で」信じている。
昨今の急激な気候変動やコロナ禍の発生もあって、預言の成就はいまだかつてないくらい信じられ、宗教右派の活動はつとに活発化している。
だから、アポカリプスの預言に登場する「ハルマゲドン」がいつ来るかというのは、常に差し迫った「今そこにある危機」なのだ。
キリスト教原理主義者である「エホバの証人」のみなさんが、しきりに「終末の時は今そこに来ている」と訴えつづけているのはまさにこれのことだ(彼らは僕たちを入信させることで、一人でも多くの人を救えると信じて行動している。ただし30年前にも彼らは「来年にも世界は滅亡する」と訴えていた)。
キリスト教徒(イスラム教徒もそうだが)にとって「終末」は回避するものではなく、必ず起きることである。
だから、現世での成功・失敗以上に、審判に際して「神に選ばれて天国に召される」ような正しい生き方を送れたかどうかのほうが、信者である彼らにとってははるかに重要となってくる。エホバの輸血拒否はその一環だし、イスラム教徒の万歳自爆テロもほとんど同根だ。宗教的な確信が強まるほどに、来世の重要度が増し、現世における「命」の価値が軽くなっていく。そして神の敵に容赦なくふるまうほどに来世での厚遇が約束されるから、宗教戦争はいつまでたっても終わらない。
個人的には、本当に困ったことだと思う。
『ノック』が描いているのは、まさにハルマゲドンの前触れ(ノック=七つの封印・七つのラッパ)の瞬間だ。キリスト教徒にとっては、僕たちが思う以上に「ものすごく刺さる」話になっているのだろう。
黙示録を、シャマラン風の密室監禁劇の「体」で見せられている感覚。
まさに『地獄の黙示録』だ(原題は『Apocalypse Now』)。
そういえば、先に述べた『ミスト』でも、スーパーマーケットで一部住人の支配的立場に君臨する狂信者の老婆ミセス・カーモディは、突然世界を覆った霧と中から現れる怪物の脅威を「ハルマゲドン」と位置づけていた。
『ノック』のなかでは、主人公たちは当初、四人組を「宗教カルト」となじっている。
要するに、西洋人にとって『ノック』は、かなり生々しいたとえ話――皮膚感覚で現実と地続きに感じ取れる心底「こわい」話なのだ。
実際、シャマランはこの森の中のキャビンに、アメリカの現代の縮図といっていい状況を現出させている。
住んでいるのは、白人のゲイカップルと養子の中国人少女(口唇裂)。
やってくるのは、黒人の男女とメンタルやばめの白人女性とレッドネック。
室内では「宗教的予言」と「現実・科学」の対立が起き、「分断」が生まれる。
僕たちはどうしても主人公サイドを信じたいし「筋道と理屈の通る」ほうを信じたいが、真実の在処も物語も、必ずしも観客の願うほうには動かない。
室内に置かれたテレビは、限定された情報(SNSなど)の象徴だ。
切り取られた断片的な情報は、両義的な解釈を可能とさせ、分断の解消には役立たない。
さらには「多数の幸福」のために「少数の犠牲」は致し方ないという大義のもと執行される暴力。これは世界中で起きている現代の戦争や内紛の大義と変わらない。
『ノック』のキャビンには、アメリカの「今」が凝縮されて詰め込まれている。
個人的には昨今のハリウッド(とくにディズニー)のポリコレ熱には充分うんざりしているし、それを目的として撮られた映画を面白いとはみじんも思ったりしないのだが、アメリカに渡ったインド人として生きてきたシャマランが、マイノリティをメインに配して映画を撮ることはむしろ自然な営為だと思う(むしろ、これまでのフィルモグラフィで白人のダイハード・ヒーローを主役に迎えるケースが多かったことのほうが不思議なくらいだ)。
少なくとも、本作のゲイ・カップルはとても自然に描かれていたし、生々しい描写もなかったし、「社会に物申す」的な部分は極力抑えられていたから、見やすくて助かった。
カミングアウト・ゲイの俳優さん二人も、人好きのするハンサムガイで大変好感が持てたし、中国人少女役のクリステンちゃんがまたびっくりするくらい演技が達者。芦田愛菜クラスの逸材だよね。
でも演技者としてなんといっても圧巻だったのは、訪問者レナード役のデイヴ・バウティスタだろう。
元WWEプロレスラーの俳優というと、どうしてもドウェイン・ジョンソンを想起するが、演技力としては彼に負けていないどころか、驚くほど繊細な感情表現を見せていて、いっぺんにファンになった。
ちなみに、彼自身は「図体はでかくてタトゥーも入っているけど温厚なインテリの教師」という、映画ではある種ステロタイプの北部的黒人像を演じているが、「元WWE」という経歴からにじみ出る共和党色を敢えて意識しての配役なのだろう。レドモントは絵にかいたようなレッドネック(『ハリポタ』のロンだとはパンフ観るまで気づかず)、若干メンタルのやばめのエイドリアンはまさに「陰謀論にはまって感化される典型的タイプ」、黒人看護師のサブリナは「いかにも保守系支持者っぽい黒人女性」。
進歩派的家族像の行きつく先のようなキャビンの一家の「リベラル感」と、対比ができるような陣容がきっちり構成されている。
そうして四人組は、「個人の自由と愛」を標榜するキャビンの一家に対して、宗教的ビジョンを前提として「全体の利益のための自己犠牲」を懇願するわけだ。自らも、自己犠牲の「範」を恐るべき形で示しながら。
これはまさに、アメリカの縮図だ。
カメラワークに関しては、頭の先がキレるくらい寄ったうえで、少し正中線を傾けた感じのクローズアップ・ショットが多用されていたのが印象的。密室劇としての緊迫感をぐっと高める効果があったような。
被写界深度の浅い、一部にしか焦点の合わないショットが多いのも特徴で、クローズアップの多用と合わせて、登場人物たちの追い詰められた心理、近視眼的な思考を視覚的に表現してみせていた。
そういえば、ラストが車中の描写で終わるのも、『ミスト』を想起させる。
搭乗者の置かれているあやふやな状況もよく似ているし、
何より、起きてしまった事実への悔恨と苦味がよく似ている。
ふたつの作品はどちらも、「黙示録」的状況下での、宗教的使命を奉ずるセクトと理性的判断を信じる一家の対立を描き、平常時では優勢だと信じ込んでいた「理性」サイドの思いがけない敗北を描き、ヒーローの決断の苦難を描いたという点で、双子のような映画だと思う。
そのなかでも、『ノック』のほうのラストになにがしか「明るい」空気が漂うのは、最後まで唯我独尊で悲劇の果てまで突っ走り続けた『ミスト』のアメリカン・ヒーロー的主人公と異なり、本作のゲイ・カップルが「きちんと迷い」「きちんと理解し」「きちんと判断できる」キャラクターだったからとも言えるし、シャマラン監督自身が常に「奇跡が実現する」映画を撮り続け、「自己犠牲」を是とする主人公を撮り続けてきた人だからだとも言える。
せっかくの終末描写のわりにこんなチャチな映像表現で良かったんだろうかとか、この三人家族の組成で「誰か一人」となったときに考え得る選択肢の幅が狭すぎる(=ラストが予測しやすい)のはどうかとか、三人を説得したいのならもう少しやりようがあるだろうとか、むしろ家族サイドはテレビを観たがったりチャンネルをあちこち回したがるのが普通じゃないのかとか、いろいろ作劇上で気になる点もあるのだが、総じてやろうとしているネタ自体が面白かったので、基本は楽しく観ることができた。
まあ一番不自然に思うのは、この家族構成で飼ってる「犬」がいないことだけどね(笑)。話の都合上いると困るんだろうけど。
勘繰らず真っ直ぐに
シャマラン監督、となるとなんとなくラストに何かあるんじゃないか?と思ってしまうのは仕方ない。
ジョナサン・グロフのファンなので、思っていたより重要な役で嬉しかったけれど、多様性の犠牲にならずに、色んな役を演じて欲しい。
地味
終わってからタモリさんが出てきそうな感じなんだよな。短編小説としてなら面白いんだけど、劇場で見るほどの外連味があるか?というと、うーん。
誰をターゲットとしてるのか、疑問。
不思議話にしたいのか感動させたいのか?
ヘンテコな話にしたいなら、もうちょっと捻ってほしい。ジョーダンピール監督作品のような。
ウェン役の女の子がとても良かった。2人のパパもハンサム
不条理劇場
こんな不条理映画観たことない。加害者も被害者も不条理?
始まって十分で本題に入り永遠と説得が続くのだが飽きさせないための不条理な仕掛けが。
ワンシチュエーション映画で低予算ながら面白く観れた。
ラストは映画100選に入れてもいいのでは。
聴くのかい⁉聴かないのかい⁉
森の中で静かに暮らしていた3人のもとに謎の4人組が押し入り、誰か犠牲者を出さないと世界が滅びるぞ!なんて言い出す作品。
当然そんな話信じる訳もなく、拒否したアンドリュー達だが、その度に本当に不思議なことが起こっていき…。
全体を通し、似たような場面が続く、殆どワンシチュエーションモノに近い作品。
カルト的な事を言い出す展開は良いし、緊張感もあるのでどんなオチが待っているのか、この4人は何者なのか…同じ展開が続くので飽きそうになりつつも、クライマックスを楽しみに鑑賞を続けたが…。
どうせならアンドリューが言ったような筋書きなら面白かったかもしれないけど、結局本作の伝えたいこと、観せたいことはなんだったのかな??
ツッコミどころもちょくちょく、あまりズシンと響くものは感じられなかったかな〜といった所。
キレが無くなった
残念ながら下馬評通りだった。大好きなMナイトシャマランが作品ごとにキレを失っている。前作もそうだったが展開に説得力がない。昔はどんなに戸惑っても最後は見事にキッチリと引き締った。今作に至っては緩いままどころか、え?これで終わり?なんだったの?な終わり方だった。
暇を持て余した神々の…遊び
『いきなり「死んでほしい」言われたらアナタどうしますか?』の映画。
選ばれし者しか受信できない設定なんだろうが、
まずそのビジョンを見せてほしかった。
抵抗しようが回避行動しようが結末は決まっていて、
何してもビジョンは変わらないのか?
キリスト教の知識があるとちょっとは楽しめるのか?
原作小説があるようだが、原作もこんなんか?
今流行りのマルチバースで他の世界線も見たかった。
「シャマランもポリコレを意識するようになったか」
と思ったが、
この子役、(いい意味で)バケモンかと思った。
子役は大成しないというが、将来が楽しみではある。
本年度もったいつけ大賞
話が動き出すまでも、動き出したあとも、まぁとにかく勿体ぶるのなんの!なかなか話が進まない!
やっと話が動いたと思ったらなんかいまいち説得力のない展開と映像、そしてまた勿体ぶるループ…
退屈ぅぅ!
オールドあたりもたぶんに説明不足ではありましたが、あちらはまだあれこれ変化が起きまくってたので退屈はしませんでした。
こちらは似たようなことの繰り返しで眠くてもう…
キャラ立てもあんまり上手くなく、特に主人公家族に魅力がないのが致命的。別に助かろうが犠牲になろうがどっちでも良かったですもん…
正直さほど期待してませんでしたが、残念ながらそれ以下でしたね…
人間行動(Human Behavior)について、ディベートができる映画
突然4色の見知らぬ輩が7回のノックで訪問してくる
報道ニュース映像で世界の危機を伝えられ、生贄の「選択」を迫られる
家族や自身を信じるのか?信じないことを信じるのか?
幽霊もゾンビもエイリアンも出てこない
ホラーやミステリーの謎解き映画でもない
終末ものワンシチュエーションにおいて
Human Behavior(人間行動)に疑問を投げかけてくる作品
近年、ジョーダン・ピールやA24作品も出てきて競争が激しい中
シャマラン映画も常にリリースされ続け
キャラクターや物語の構想、アイディア、自身の映像演出で勝負している
観客はもう彼の作品に目くじらを立てることはないし
鑑賞後、気楽に話をして楽しくシェアしたい映画
小さい子供でも楽しめるシャマランワールド
限られた環境で繰り広げられる人間模様を芸術的に撮るのがM.シャマラン監督の特徴。
前作『OLD』よりかは刺激的な描写は少なかった。ただ、台詞に合わせたシーンが多かったため、丁寧な仕上がりになっていて情緒を意識した作品でした。
あらすじは、世界終末を告げに来た四人組が訪れたのはゲイカップルとその養子だった。巨漢の教師レナードは「三人のうち一人を殺すことで人類滅亡を阻止できる」と告げる。
聞かされた三人は人類滅亡か、あるいは誰かを生贄にするのか、究極の選択を迫られる...
冒頭のバティスタ氏を見て「ガンダムかよ!!」と思わせるくらい圧倒的存在感。ルパート・グリントが意外にも出番が少なくガッカリ。しかし、この四人組が何をしでかすのかわからないドキドキ感を味合わせてくれたシャマラン監督に感謝。
津波が迫るシーンや飛行機がどんどん墜落していくシーンはリアリティがあって◎。
次回作がどんな作品になるのか楽しみ。
終末論者がやって来た
シャマランの作品は何かとドンデン返しやオチが全てみたいに語られることがあるが、実は家族愛がテーマになっている作品が多い。
不条理な状況下で家族とどう生きて行くか、改めて家族とは何かを追求しているところに視点がいくと別の角度からシャマラン作品を楽しむことが出来る。
見知らぬ人達押しかけてきて世界を救うために犠牲になって欲しいと側から見たら陰謀論と思うような事を告げられるが押しかけられた方からするとたまったものではない。
しかし、押しかけて来た彼らは既に追い詰められており、不本意ながら行動するような意思も見える。
非人道的な事はせず、あくまで対話を主として交渉する。
昨今の世情での兵器による暴力的な支配とは真逆で知性的な行動である。
自分とは意見が合わないと端的に結論づけるのではなく、お互いが歩み寄り、双方の意見を取り入れ、合理的に判断すなければならないのではないかと考えさせられる。
罪のない揚げ物
公開早々、評価は今ひとつと知りつつ、迷走期(エアベンダー、アフター・アース期)を除いて、たいていのシャマラン作品は観ているゆるいシャマラニストなので、観逃すわけにはいかず。本作はサイン+ハプニング風で、出来としてはレディ・イン・ザ・ウォーターぐらい? アタリ・ハズレのあるシャマラン映画を平均したら真ん中という印象だ。
監督のオリジナル脚本と思ったら原作ありで、ヨハネの黙示録が下敷きにあるらしい。3.11の地震津波、9.11の飛行機墜落、ロシアや加州の森林火災、そして新型コロナの疫病など現実を思わせる災厄に、登場人物たちの行動や思考との関連性を考えたくもなる。ただ、そこに深く意味を求めるのは、まさに劇中で語られる信じるか信じないかと同様、元々あるかどうかわからない寓意を作品に求めているように思えて、その辺どうでもいい気もする。
シャマラン映画のおもしろさは、なんでここでそれ?みたいな突拍子のなさにあると思うので。定番の監督のカメオ出演も、今回そこ?みたいな笑いどころでもあるし。相変わらずのハッタリをかました思わせぶり展開をしながら、そうなる前にもっと調べたり聞いたりすることあるだろ!とツッコミながら観るのもまた楽しいのだ。
そんなわけで今作では、頭頂部がプロレス傷で波打ち、両腕ゴリゴリタトゥーのデイブ・バウティスタが心やさしい小学校教師というのがツッコミポイントかもしれないが、ヴィジットでのBBAゲロ吐き級のインパクトがほしかったのはたしか。なお、芸達者な子役ウェンの、口唇裂の意味はさすがになんだったんだろう…?
観る価値
M・ナイト・シャマラン、彼の作る映画はスリラーやホラーというジャンルで言い表すより「シャマラン映画」と表現する方がしっくりくるほど、彼特有の世界観があります。今回もやはりスリラー演出はお手の物ですし、お約束のカメオ出演も含めそれなりの見応えはあります。ただ含みのある言い方になってしまうのは、肝心のストーリーに対して難を感じるからです。ストレートに言えば、作品に面白さや映画化する意義が感じられないこと。要するに「観る価値」を問われると、積極的に推すことは出来ません。
この作品は原作があります。それはキリスト教がベースにあり、ある日突然やってくる終末を食い止めるため、ある家族の前に現れる訪問者とその家族の話です。私は原作未読ですし、キリスト教を含む宗教については全く知識も信仰もありません。ただ、映画などの作品から、聖書には少なからず残酷な表現や内容が含まれることは薄々ながら知っています。そして、この作品もまた不条理で残酷な決断を迫られるわけですが、私にはこの話の教訓が全く理解できません。利他的な行動をとることの意義は解るのですが、その犠牲として命を捧げることを選択、強要されることはむしろ生(せい)に対する冒とくに思えてしまい、スリルを楽しむよりも先に違和感が先立って、さらにはそんなことをエンタメにすることに趣味の悪さすら感じてしまいます。何なら、終盤の状況において物語内における人々に、信仰心を持ち続ける人がどれだけいるのか疑問だったり、何なら生き続ける意味を失う人が続出しそうで、いよいよ作品の意義が見えなくなります。
と、殆ど酷評のようになってしまいましたが、この作品において、まさに「救いの神」とも言えるのがウェン役の子役クリステン・ツイ。利発でキュートな彼女の存在感は大きく、いいキャスティングであり、今後の活躍も楽しみな俳優だと思います。
「どんでん返しがない」という、どんでん返し
最初の週末という事もあって、お客さんたくさん入ってました。
ぜんぜん退屈しないで最後まで見れました。
うーん、強いていうなら、テレ東の昼下がりにやってそうな。
そういう安い娯楽を見せていただいた感じ。
なんのどんでん返しもないのが、最大のどんでん返しなのですかね。
毎回どこかに出てくる監督は、今回はテレビショッピングに出てきました。
ノストラダムスの大予言…❓
M・ナイト・シャマラン監督による、世界の終末予言をモチーフにした、ミステリー。シャマラン作品と言えば、『シックス・センス』や『サイン』等、霊界や宇宙人、伝説等を取り入れた作品の中で、最後にどんでん返しがあり、インパクトを残す作品で知られ、個人的には好きな監督の1人だ。
しかし、最近の『オールド』もそうだったが、「何が原因?」「その正体は何?」といった明確なモノがないまま、終わってしまうのが、やや物足りなさを感じていたが、本作も「なんで?なぜ?こんなことになるの?」という「?」マークが、並んだままエンドロールを迎えてしまった。観た人が、それぞれに思いを馳せればよいのだろうが、ラストには意外性を期待するシャマラン作品とは少し違っていて、消化不良は否めない。
本作は、小説『終末の訪問者』を原作にした映画化。森のコテージで、平穏に暮らしていたゲイの夫婦と養子の女の子の所に、脈略も無いままに、謎の4人が押し掛けて襲撃するシーンから始まる。4人の言い分によると、家族の誰か1人の命を差し出し、生贄にすれば、世界中の何億という人々が助かるという、自分達が見たという世界終末論のビジョンを話し始める。
当然、そんなバカげた話を聞き入れない家族だったが、次第に世界終末に繋がると思われる、大地震による大津波、死に至る疫病の蔓延、数多くの飛行機の墜落などが、目の当たりに現実となっていく。そんな中で、ゲイの家族は、世界の人々の命か自分達の命かの、究極な選択を強いられていくサスペンス・ミステリー。
出演者は、『ガーディアン・ギャラクシー』のドラックス役を演じた、プロレスラー上がりのディブ・バウティスタが謎の訪問者のリーダー役をつとめ、『オールド』にも出演していたニキ・アムカ=バードや、あの『ハリーボッター』のロン役のルパート・グリントが、髭面で嫌悪感漂う訪問者を演じていた。
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