「出し惜しみしてたんじゃないかと思うほど進化、欠点を補ってきたね」ゴジラ×コング 新たなる帝国 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
出し惜しみしてたんじゃないかと思うほど進化、欠点を補ってきたね
モンスター・ヴァースのこれまでの作品群は見てきたが、正直悪いことしか言ってないし、内容も覚えていない。「ギャレス版」は全然ゴジラを見せてくれない、「髑髏島」はヴァースの中では、豪華キャストと地獄の黙示録オマージュとカメラワーク、サミュエル、ドキドキしないラーソンのヒロイン像(あれ、ひょっとして、褒めてる?)、「KoM」は核の扱い、画面暗い、バトルを見せてくれない、といろいろ文句を言った。前作「ゴジラvsコング」については、後で話そう。
本作、どうも海外では、ヴァースの中で一番ヒットしているとのこと。監督も前作に引き続き、ということで、前作がウケてのことだろう。前作をも一回見直して、初見とあんまり変わらないなあ、と思いつつも。
「ゴジラ×コング 新たなる帝国」
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導入のコングの日常とシャワーシーンが前作はオレは「髑髏島」以来のため、違和感あったが、今回はそれに「歯痛」が加わり、すでにコングは感情面ではぐっと「人間臭く」なっている描写に奥行きが出て「進化」している。とっくに「存在しないもの」に描写と技術で「人間に理解できる」感情をつけることはアメリカ映画ではお家芸なので、それを存分に生かしている。
ゴジラは序盤は、感情面こそ現れていないが、「行動」が「人間に理解できる」ものになっていて、これも楽しい。
本作、実は前作で思った、人間の「会話が多い」のと「手話」がいちいちメンドクサイ、説明的すぎる、とまあ、作り手には「都合のいい」扱いだったのが、今回は黙して語る、映像で語る、手話はできるだけ最低限、ということにぐっと力を入れている。この点がオレにとっては、比較するのは違うのだけれども、図らずも「-1.0」での不満を解消してくれている結果に嬉しくなった。
登場する人間のほうは、変わらず説明的なんだけれども、バトルの時は、無駄な人間のドラマを平行して、挟まなかったこともいい。結果、あまり意識はしていないのかもしれないが、「会話=言語(手話)」に頼らず、「多人種(生物)」間のコミュニケーションは可能だ、という崇高な裏テーマがある(のか?)。
「もっとかわいい存在=怪獣」がいるのに子供を登場させる、という慣習を続けてきた歴代怪獣映画へのカウンターともとれ、ミニコングを文字通り乱暴な扱いで喧嘩の道具にしたり、あとでしっかりほっこりさせてくるところも上手い!
主人公感がないといわれているゴジラだが、おいしい役回りとしてしっかり機能しており、エジプトでのコングとの再会のとき、「お前か!」というゴジラと「ちょ、ちょ待てよ」と慌てるコングの顔が最高だった。
地底空間、というとんでもなく「都合のいい」設定で、世界中を最短距離で移動できることをいいことに、世界中の名所で暴れるのも、それをしたいがための設定なんだなと、前作だけみると、おバカ設定なだけが、実に潔く、「進化」している。
地下空間内は、怪獣ばっかりなので、重量感、巨大感はないが、「無重力期間」を持たせることで、(理屈は全く理解していないが)、重量感なくてもいいバトルにしているのも戦略的で、のちのブラジルでのバトルはちゃんと重量感、巨大感を感じさせてくれているカメラワークでしっかり満足させてくれる。
ラスボスも「小物感」がでて素晴らしい。今回のラスボスはゴリゴリの「ムチ」?を持っていることでもわかるように、「猛獣使い」で「独裁者」。このアイテムが実に活きており、冷凍怪獣を道具で縛って威張り散らす。ブラジルでの決戦でのムチの使い方、動き、ビルの破壊描写が「エヴァ」っぽくて、おそらく監督は日本のアニメ好きなんだなと。
全編、「進化」と「潔さ」が感じられ、オレは怪獣映画は決して好きではないのだけれど、これは見る側もいちいちメンドクサイことを言わずとも楽しく見れるんじゃないかな。
追記
ゴジラについて
前作は「vs→共闘」への布石のため、あえてのメカゴジラに押され気味も、本作は文字通り、「KoM」無敵感感じさせる設定と見た目の変貌。
放射能の扱いは、もうこれはあっちの映画はしようがないね。「オッペンハイマー」で日本でもいろいろ言ってるし、オレも被爆二世でなんだかんだはあるんだけれど、「パール・ハーバー」をオレ自楽しんでもいるわけだし、逆に「オッペンハイマー」みたいなのを出されるとなんだか、無駄な感情が沸き上がる。