君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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夏に味わうこのクラクラ感こそジブリ。
空襲(?)をきっかけに母を失い、父親の再婚者のもとへ疎開した主人公。
家柄による転校先での葛藤や、再婚母への嫌悪感に苛まれる主人公は、実母が遺してくれた本により解放される。
パワーアップした主人公が、「母親に会わせてやる」とそそのかす青サギを追い、謎の塔の不思議世界に迷い込むお話。
▼他人の夢を体験するクラクラ感がすごい。
・ばか暑い夏でクラクラしてる中、謎世界に迷い込まされて、再び現実世界に戻され、なんだったんだあれは・・・とさらにクラクラする感じが、まさに夏公開のジブリの真骨頂。
・トトロや千と千尋よろしく、夏の空気のなかでそのクラクラ感を味わわせてくれただけで有難い。
(以下ネタバレ気味)
▼人間に生まれるために舞い上がった、キュートな命の精霊たちに感動した瞬間、
パックマンスタイルで次々とペリカンに喰われていった不条理の衝撃が忘れられない
▼主人公が異世界へ出発する前にすでに成長してる
・異世界に迷い込んだ主人公が、冒険や出会いを通じて、人間的に成長を遂げるというパターンが多い気がするけど、
本を通して、冒険前に主人公はすでに成長していて、なんでもこいや状態で、異世界ダンジョンを淡々とこなす感じがなんかおもしろい。
▼ファンタジーといってもキラキラしてるだけじゃなく、エグみが容赦ない
・世代的に劇場でのジブリ鑑賞デビューのキッズたちもいるだろうに、ガマガエル大量発生シーンや、大魚かっさばき臓器シーンといった、シュバンクマイエルばりの強烈シーンでトラウマになる子もいるんだろうなぁ。。
▼視聴者が普段大事だと思っていることが、この抽象度の高い作品を通して強化されるところがあるかも
・かろうじて映画のメッセージ性が保たれているのは、大叔父に託された「より良い世界を作るために、混沌の現実世界に戻ること」を主人公が決意するところにある気がする
・主人公が宮﨑駿監督をモデルにしてるっぽいところをみると、だからアニメを一生かけて頑張ってきたのかという見方もできるし、何かに普段打ち込んでいる観客は鼓舞されるところあるかも。
・フィクションとノンフィクションがないまぜになっていて、さらに抽象度が高いので、観客は映画を観ていても、実は自分自身を勝手に発見することになり、結果的に作品タイトルのような作用が働くという構造がおもしろい。
・それを踏まえていろんな人の感想を見ると、それぞれが大事にしていることが垣間見えて、それもまたおもしろい。
人の心に様々な捉え方をさせる映画
「人間は綺麗なものではないけれど、それでも醜さも許しながら生きていく」ということが伝えたいことなのかなと思った。人間は私利私欲で醜く、不自然に他者を傷つける。ラピュタやトトロのようなファンタジーとは違って、現実的でドロドロした部分を描いてるなと思いました。何も考えずに素直に感じるまま見たら、きっと冒険的で楽しいと思います。死生観について頭で考えてしまう私にとっては、映画の伝えたいことが少し複雑に遠回りしているように感じられ、かつ、物語の熱量に少しだけ疲れるかもです。映画を見た人の感想が十人十色で面白いので、人の心に様々な捉え方をさせるという意味で希少な映画だと思います。
ジブリを見てきた人こそ見てほしい。
君たちはどう生きるかと言うタイトルだが、これは明らかに宮崎駿はどう生きて生きたかっという感じがする。様々な場面に過去の作品のオマージュがあり、あ、これあの作品のココのシーン。あのキャラってあの作品のキャラだよね。など一緒に観に行った人と後の座談会に花が咲きました。逆に、ジブリ作品をあまり見ていない人にとっては退屈な作品だったかも。
一つの作品の中でこれだけ駿の中身が見れたのも少ないのではないかなぁ。なんかこれが遺作になるのかなっとも思いましたね。まだ1度しか観ていませんがもう一度じっくり見直したい作品です。ここまで秘密にしなくても良かったのに。中身を説明しなくても、何かしらの宣伝方法はあったと思うのですが、どうなんだろうか。
駿の頭の中を観た感じでとても私は良い作品だと思いました。
劇場版にする作品なのか?
基本星3つ以下はレビューすら書かないが
これはいただけない!
宮崎駿82歳
ま、しゃーないねんけどさ笑
やっぱ最後の作品は小さい子供から大人まで、みんなが楽しめるジブリを作ってほしかった。
個人的なポエムは一部の場所で限定公開したほうがよかったように思う
駿さんは"風立ちぬ"で終わるべきやったね。
あなたは何故生きるのか
君たちはどう生きるか
裏庭の異世界は、単純な原風景の描写(書き写し)ではなく、作中の人々がその中で自分の時間、空間を持ちながら世界を生きるための礎に見える
生き急がなくてはいけない時代が来て、自分の中に培ったものを手にして時代と向き合う。積み重ねたものが崩れ去ったときにも、ありきたりでも、お互いを思う気持ちがあり、眼は未来を見ている
生を励まされるような映画
自分の手で自分の世界も誰かの世界もいくらでもどうにかすることが出来た。それでも、清いものを前に自覚する「これは自分の悪意だ」。罪を償うように、己を律するように、生きやすい世界を自ら手放し、火の海の苦しい世界で生きていくことを決める。そんな眞人の真の強さに、心の底から震え上がるような勇気を貰った。己の黒い部分を受け止めることはきっと何よりも難しいことだと思う。実際私自身も無意識に幾度も自分を裏切って生きてきたのではないか「これは私が◯◯のためにやったことであって」自分の心を守っていたのだ。それでもやったことは消えない。言い訳をするということは罪悪感が後ろにあったのは確かで、かさぶたで覆っているだけ、中は腐っているのをどこか分かっていた。だから憧れるのだ。エンドロールが終わり画面に広がる「君たちはどう生きるか」の文字に、まるで雑踏に1人放り出された子供のように、突き放された気分になった。ここで映画全体が一つの問いかけだったことに気付く。眞人は指針だ。指針を隣に、さあ、君たちはどう生きるか?彼のように、黒も白も強さも弱さも己の全てを受け止められる人になりたい。それはきっと何年かでできるようなことじゃないから、一生の課題である。どうか強かに生きていきたい。
宮崎駿の世界観と、少年の繊細な感性に涙
素晴らしい映画。
素直な感想を言うと、すごいものが観られたけど監督の本意は理解できてない気がする。
美しく繊細な宮崎駿の世界観と、どことなく不思議だけど現実感がちゃんとある風景。
母を無くした少年の深く傷つき、新しい母(しかも母の妹…)を受け入れられない心。
でも父の愛した人だと複雑な気持ちながらも受け入れ、異世界に彼女を探しに行く優しさが切ない。
異世界では死別した母の子供として生きていて、何度も彼を助けてくれる。
幼くして母を無くした彼にとって、この経験がどれだけのちに心の支えになることか…!
また、黒い影のような者たちが生活しており、生きたフリをした死人だという。
彼らは魚を食べるが、殺めることはできない。
桐子が捌いた魚を買い求めるだけ。
まるで都会に住む、夢も希望も持たず、ただ空腹を満たすためだけにスーパーで加工されたものを買う人たちのようだと思った。
君たちはどう生きるか、というタイトルの通り日々の選択や志を見つめることが、本当に生きることなんだと思う。
そんなに難しいのか
子供が不思議な世界に迷い込み、家族と一緒に帰ってくる話。千と千尋とだいたい同じ。世間的には難解で考察しがいのある映画のようであるが、ちょっと分からない。
登場人物
眞人(主人公)
環境の変化に馴染めず、自作自演の被害者ムーブかまして、ひきこもり生活を実現したと思いきや、母の遺した贈り物(君たちはどう生きるか)と出会い、黄金の精神に目覚め、異世界への冒険に旅立つ。
大おじ(黒幕)
謎の塔の中で、すごいマインクラフトを見つけ現実世界を捨て、創造主となる道を選んだが、出来上がった世界は理想とかけはなれたクソ世界であった。
タイムオーバーを感じ、自分と同じ(ひきこもり)気質をもった主人公にコンティニューさせようとするが断られる。ならばNewGameでもかまわないと譲歩するが、それも断られる。そして死ぬ。
主人公の弟も自分の後継候補と考えていたが、さすがに時間が足りなかったようだ。
アオサギ(相棒)
時空の旅人。一宿一飯の恩義だろうか、塔の主(大おじ)の頼みを受け、主人公たちを異世界へといざなう。
インコ.ペリカン.キリコ.母.母妹.
大おじにアブダクションされた生命体。
少年が大人になっていく
早くに母親を亡くした少年が、戦争で父親の工場のある田舎に引っ越すことになる。そこには父親と良い仲になり子供までできた母親の妹がいた。そんな状況を突然突きつけられ彼は戸惑いある意味グレて閉じこもる。
そんな彼が導かれる生と死の間の世界。そこで彼は逃げずに立ち向かう。そして青年へと成長していくのだ。
産まれる前の子供達を象徴するようなワラワラ、これが超絶可愛い。ジブリのこの手のキャラが大好き。まっくろくろすけやススワタリ、コダマなどなど。
監督がこの話を通して伝えたかったことは沢山ある。でも伝わる中身は人によって違うし,それがジブリらしさだなって思ったりした。
人類は時間をかけた自決を選択した
宮崎駿は、風の谷のナウシカ(原作)や、もののけ姫で示したように、人類が自決の道を選択したことをこの映画で再び示した。
我々人類は、「環境破壊や戦争のある世界」、すなわち、「時間をかけた人類の自決」を選択したのである。
異世界の鳥たちは、地上の人類であり、その世界を支配している。
インコ大王は、鳥の「今の生活」を維持するため、環境破壊や戦争で既に崩壊寸前のバランス(積み木)を崩さざるを得ない。
「インコ大王による積み木の破壊」は、「ナウシカによる墓所の破壊」、「エボシによるシシ神殺し」であり、それらは「人類が時間をかけた人類の自決の決意」である。
人類は、人類が現在の生活スタイルを続ける限り、地球のバランス(あるいはそれを復活させるための術(墓所))を壊さざるを得ない。しかしそれは、時間稼ぎでしかなく、人類(と地球環境)を破滅へ導くものである。
門に書かれた「ワレヲ学ブ者ハ死ス」は、南京政府高官の自宅にある扁額(門)に書かれた言葉のようである。
彼は、南京政府が脆弱で先が長くないことを分かっていながら、その地位を謳歌し、最後は毒薬で自決したとある。
人類存続のための我々の行為、環境破壊や戦争(積み木の破壊)が、人類存続の一時の時間稼ぎであることを知った(学んだ)者は、それが時間をかけた人類の自決(死)であることを理解し、人類として死ぬのである。
過去作品で描き切れなかった問いの再演
タイトルからもっと哲学的な教訓を押し付けるような作品かと思っていましたが、全く普通に観られる少し不思議なファンタジーでした。
アニメ描写は流石のジブリにしか出せない迫力があり、キャラクターもそれぞれ良い味を出しているので誰でも普通に楽しめるかと思います。細かいところを気にしなければ。(身内は難しいと言っていましたが。)
私が全体を通して感じたのは、ああー…映画ナウシカでは時間的に描き切れなかった最後の問を再度映画で描きたかったのかな、と思いました。ナウシカの漫画を読むと、今回の映画のラストの大叔父さんからの問いと、ほぼ同様の問いかけがあります。
主人公は2作とも同様に、戦争の最中にあって、人の愚かさを知っていながら、その問いに答える。
きっと映画ナウシカでは描き切れなかった、主人公の自分の未来に向き合うこと、今作タイトルのどう生きていくかの決意を描きたかったのかなと感じました。
自分はジブリ作品の中ではラピュタが最も好みで、次点でナウシカです。今作、見ている最中はどうオチがつくのかと楽しみましたが、ラピュタ・ナウシカのガツンと響くほどの衝撃はやはりなかったです。でもコンパクトにまとまっていながらも先に希望を残すファンタジーでした。
私はすごく好きな映画だった。
見終わってすぐ友達に言った言葉は「1度夢で見たことがある気がする」でした。
それを宮崎駿監督が伝えたかったのかは分からないけど、私個人はそんな感じがしました。
今まで見た夢の中で1度は見たことがある内容。その夢は覚えてはないけど、大叔父がいた部屋(明るくて、広い空間に机とつみきがある感じ)や、その部屋に行く前の三角の明るくて狭い通路、最後石の世界が崩れていく感じなど、既視感まではいかないけどこんな雰囲気を知っているという感情が心の片隅にありました。
ほんとに不思議な映画でした。
友達に「夢で見たことある気がする」の後に私は続けて「覚えてはないけど……」と言いました。
その瞬間に私は最後アオサギが言ってた「お前よく覚えてるな」というセリフを思い出しました。
すこし鳥肌がたちました。
まひとはその世界の物を持ち出したから覚えていれるけど、持ってきてない人はその世界のことを忘れる。
もしかして私も忘れてるだけなんじゃ……などと変に色々と考えてしまいました。
自分でも何が言いたいのか分からなくなってきました……まあ、見たことがない人には1度見てほしい作品です。その後その人がどう感じるかは分からないですけどね。
宮崎駿の遺言
宮崎駿の遺言ですね。塔は自身が作り上げたスタジオジブリだし、主の大叔父は宮崎駿そのものです。自身が人生を掛けて作り上げたスタジオジブリも滅びに向かっている、理想的なものを作るためのスタジオはいつの間にかぎゅうぎゅうになり、きわどいバランスの上にいる。積木はこれまでの作品でしょう。これを引き継いでほしい、血の繋がっている誰かに継いでほしい。でも、それは叶わなかった、でもそれでいいんだ、でも哀しい。
主人公は宮崎駿の少年時代の眞人くんでしたが、本当の主人公は宮崎駿そのものの大叔父でした。
宮崎駿の人生の決算だったのでしょう。ジブリ映画のオマージュと思わしき場面もありました。紅の豚のジーナの待つ場所、ハウルの流星、ナウシカの金色の野。
ジブリ映画的なものを求めた人には不評なのも納得できます。この映画は宮崎駿の遺言、宮崎駿の映画なのです。
私には一人の男の映画としてとても響きました。
属人的な組織の次世代への問い
ジブリやジャニーズのような属人的な組織は、次世代へどう経営を繋いでいくかに、課題があります。
そこへの問いを感じました。
宮崎駿が一つ一つのシーンにどのような思いを込めたのか、今の年齢で監督として作った作品だからこそ、考えてみていました。
過去の作品のオマージュや、ラストの大叔父のセリフなどにも宮崎駿のジブリと未来への思いが多く詰まった作品だったと思います。
そのような部分が、ジブリの作画でジブリっぽいファンタジー溢れる形で描かれていたので、ジブリファンとしては納得しました。
予告なしでの上映ということで、当初は風立ちぬのような戦後の現実を直視するような話かと思いましたが、実在は千と千尋やハウルのような非現実的なファンタジーな世界での話でありました。
映画に出てきた、積み木こそが次世代を担う我々であり、
積み木上手くハマらないと全てが崩れる。そういった部分は、国や組織そのものだと思いました。
宮崎駿は次の世代へジブリという積み木をしっかりと積み上げて欲しい気持ちがあるかもしれません。ですが、それはエゴです。
新しく次世代が古い考えにとらわれず、進化を遂げていくことこそが大切なんじゃないかなと思いました。
考えるな感じろ
2023/8 イオンシネマ 3プレミアム前
子供の頃からのジブリファンとしての感想です。
大まかにネタバレさらっと読んで観に行きました。
レビューに夢をみてるような話だったとみたが
ばったばったと話が変わるのではなく
不思議の国のアリスのようにここからが不思議な世界だよと明確になっている
ポニョよりはわかりやすく、トトロや千と千尋に近い
・最初のお母さんを助けにいくシーン、夏子さんを助けにいくシーンが特に絵の表現が綺麗だった
・集合体が苦手な人にはちょっときついかもしれない
私はなんとも思わなかったが、苦手な家族は顔を度々背けてた
・鳥がたくさんでてくる。インコは賢い🦜
異世界はインコが進化していて?人間チックな姿
・最後、感動的なシーンなのにインコのフンで皆汚れててしまいクスッと笑える
私としては面白くなかったとかつまらなかったと評価をみてからの鑑賞で期待はもたず
ただ美術品をみるような感覚で観ていて謎もありつつすっと入っていって心地よく
久しぶりの宮崎駿のファンタジー作品だし予想以上に楽しめた
もしかしたらこれが劇場での最後の作品になるかもしれませんが監督の新作に新たに出会えたことに感謝しつつ考察に捗りたいと思います
色々と気になる点が残る、中途半端な作品。
一昨日観ましたジブリファンです。
【気になった、感じた事】
●時代背景が戦中〜戦後(確か2年くらい)である理由がよくわからない。
→正直、下手にファンタジー要素を加えた時点でどの時代背景でも良いように感じてしまったし、二番煎じ感が否めない。
●ウエイト的には体感ですけど3(元の世界):7(別の世界)で、取り敢えず宮崎ワールド見せたろ感が中盤〜後半にかけて現れてくる。
→元の世界は戦中戦後で物語は進行しつつも戦の場面は無し、元の世界の舞台はほぼ引越し先の私有地。多分だが、別の世界にスポットをあてたかったのか、時代背景を活かせていない。
●主人公に物足りなさを感じる。
→元の世界でも別の世界でも、過去の作品と比べて必死さ、決意というものが感じ取りづらい。実母や愛した女性ならともかく、義母を助けに行くって設定がまた微妙にさせている。
●別の世界からの脱出→家族が抱きつくシーン→エンディング→え?この先はないの?静止画も無し?という消化不良が発生した。
●『君たちはどう生きるか』というタイトルだったのでメッセージ性溢れる作品かと思いきや、そうでもなかった。(感じ取れなかった)
以上現時点で気になった点ですが、自分的にはやはり時代背景のチョイスは間違っているかなと思っています。母親を死なせたかったからそういう設定にしたのかわかりませんが、自然と主人公の性格が堅苦しくなってしまいますし、それでやるんであれば最後までファンタジー要素抜きでやるべきだった、風立ちぬみたいに。
元の世界でも鳥や建物以外に何か別の世界の要素を加えていれば良かったのですがね。ギャップがありすぎた上に唐突にファンタジーが始まると何がなんだか…。
結果的に中途半端な作品になってしまったと自分はそう感じています。
ただ、ジブリの最新作がみれたという喜びはやはりありますね。レンタルでたらまた観てみようかと思います。
パンフレット購入前、ネタバレあり
観てすぐの箇条書きで、失礼。
悪い意味で遺作っぽい出来上がり。
って言ってたら、まだ遺作じゃ無いかもよと言われました。
ファンタジーにおいて、自分が嫌いな要素が煮詰まってました。 設定が伝わらなすぎ。
母の妹と直接言わずに曖昧にしている時間が長すぎ。 主役級と脇役の画風が違いすぎる。
ジャムパンがリアルじゃないのが残念。
何故禁忌だったのかとか、インコが王国になっているのが唐突すぎて、王様が何をしたいのかよくわからない。 唐突に主人公が悟るのは前からだけれど。
宮崎駿版未知なるカダスを夢を求めて
長文になります。
この作品は現実の話でなく、徹頭徹尾ファンタジーであるので、火垂るの墓みたいに戦中の事や現実の事と結びつけるやり方で観ると混乱します。
マヒトの戦中設定もタイトルさえも、この際ファンタジーの為の舞台装置と割り切って観ると、少年の成長や自立、愛されてることを知る王道英雄譚が浮かび上がります。
それだけでもいいのですが、私は、劇途中からSFやファンタジーの視点に頭を切り替えて観た結果、よく分かった気分になりました。あくまでも気分です。
この作品は多分、その日その時その環境で観る度に切り口を変える傑作と思います。
私の感想は視点の一例になるかと思います。こんな穿った見方があるのかと思っていただければ幸いです。
私はこの作品を、H.P.ラブクラフトがクトゥルー神話を作り上げたのと同じ様に、宮崎駿が宮崎駿作品神話体系をつくりあげたのだと感じました。
黒澤明の夢と比較する論説もありますが、この映画はある一貫性があるので私は比較するのは違うと思います。宮崎駿は今までの作品をすべてをオムニバスにした、と大きくとらえたならそうかも知れません。
宮崎駿作品でみた既視感のあるシーンや、おそらく得意だったり好きだったりするのではないかと思われるシーンを盛り盛りに盛り込んで、オマージュで単体の作品だけでない奥行きや作風を全面に出そうとしていました。最近のアメリカ映画にも見られる手法をアニメでジブリでやったというのは驚きです。
自分の心地よいもの、好きなもの、最低でもなにかに媚びなくていいものを全面に押し出して描かれていました。この映画は好きを集めて作品ができているとも思います。だから、エンタメでなくアートに見える。
話自体は、異界に行って帰ってくる話なのですが、千と千尋の神隠しと同じ様でいて全く違います。
千と千尋の神隠しは、冒頭で両親が飯を食わずに変だ変だと言いながら車で道を抜けていけば経験することもない、見知らぬ異界に立ち寄っただけですが、この作品は血による業のようなもので異界に行きます。
そして、異界と家が地続きになってます。ポーのような怪奇物を匂わせていると思いました。
また、私はクトゥルー神話を引き合いに出していますが、宇宙から飛来した石を扱う大叔父の様子、失踪した経緯や姿などからそう汲み取りました。
大叔父が力ある石を前に、現実が見えなくなって別の世界を創造し籠もる姿に、どうしてもラブクラフト作品のそれを見てしまいました。ドリームランド物ではないか、と。
また終始、宮崎駿の中にある異界の常識が説明なく出てきます。
説明を省いた尖ったシーンや言い回しが多く出てきますが、穢れになる血が流れる産屋に入るのは基本的にタブーとか異世界のものをもってかえるのは駄目とか、そういう迷信やお約束を知ってるとシーンに納得ができます。
もののけ姫以降、宮崎駿の世界における常識みたいなものが形成されたのかもしれません。
最後に、この作品に賛否両論として否をおされるのは悲しいです。
晩節を汚したのではなく、宮崎駿82歳の挑戦と考えるべきです。タイトルは原題小説からというより、『俺はこう生きた、君たちはどう生きるか』を略したのではないかとさえ思える大きな挑戦です。
難解なゆえにジャパニメーションと揶揄された数多のアニメ映画群の中に、この作品は入るかもしれません。しかし、他のジブリ作品のように映画からテレビへと何度も放送されて、沢山の人達がみて、その度映画の切り口が変わるタイプの名作なのです。
このレベルで魅せてくれるアニメ映画はなかなか無いです。宮崎駿恐るべしでした。生涯現役で次の作品を観てみたいと思わせる力も感じました。
君たちは何がやりたいのか
同名小説が劇中に影響を与えるような形に宮崎監督が変えて作った作品。
うーん正直全くついていけなかった。
最初から、何を言っているのか分からない。伏線となるような事を振りまくって、回収しきらないからモヤモヤする。
内容としても場面も急に変わる事が多々あるから、今誰が何をしているのかさっぱりわからない。
ただ、バケモノのデザインは流石というレベル。子供が見たらトラウマになるレベル。
自分達がこんな難しい映画作れるんだぞ!っていう自慢を永遠に見せられている感じがした。
観客に分からせようとする気が感じられなかった。
本当のジブリファンは、宮崎監督が再び作品を作ったというだけで感涙かもしれませんが、話題だから見に行こうかなと思うレベルなら、見る予定の映画を変える事も検討してもいいと思います。
少なくとも自分の脳みそでは、内容が理解できませんでした。
『地球儀』で完結する物語
一回目は初日初回、当たり前だが何の情報も持たずに観に行った。
どうにかメッセージを汲み取ろうとしたが、どうにも難解だった。
意味を得ようと約2時間、ひたすらアンテナを張り巡らせた結果、余計に分析が追いつかず、それ故ラストに正解を求めようとしていた私は、呆気ないというか、肩透かしをくらったように感じていた。
彼は、あの後どうなったんだろう?と。
何が、君たちはどう生きるか、なのか?と。
本日、2回目を観た。
今回は気楽に観ることができたので、少年が体験する不思議な出来事を、流れるままに観れたのが良かった。
だがラストシーンは、前回と同じような気持ちだった。
そんな中『地球儀』が流れ始めた。
これまでに『地球儀』は何度も聴いていた。
なので、歌詞は空で歌えるくらい覚えていたのだが、2回目を観た直後だったためか、歌詞の内容が全く違って聴こえたのだった。
『地球儀』は、おそらく、その後の主人公を描いた歌なのではないか?
その後の眞人の視点に置き換えると、妙にしっくりくるのと同時に、もやが晴れたかのように安堵できたのだ。
この歌をもってして、初めて私の中で、この物語が完結した。
主人公が、この後、どう生きたか。
歌詞のそこかしこに、過去を大切にし懐かしみながらも、前へと進んでゆく主人公の姿が描かれていた。
人生とは続くもので、それぞれの道がある。
道を曲がる。ということは、曲がる前の道は振り返ることができない。ということ。
主人公は自分なりの正しさを持って進んでいるのだ。
人との関わりを持つくらいなら、自傷さえもやってのけた彼が、この道の行先に誰かが待っている。と未来に想いを馳せるようになれたのだ。
ああ、良かった。と。
私は、そう解釈して納得した。
自分が知りたかったのは、彼が(その後)どう生きたのか?だったから。
大なり小なり、人はそれぞれ何かしらの秘密を抱え、取捨選択をしながら大きくなってゆく。
それでも地球(儀)を回す=日々は続いていくのだ。
私にとって、これは、そんな誰かの物語だった。
※追記
宮崎駿監督から米津玄師へ。
それぞれの作り手の気持ちは想像しかできません。
監督の意図は分かりません。米津さんの思いも分からない。
ただ、この訳の分からない私のもやもやは、歌を通じて未来の主人公を想像をすることで、やっと昇華できた。そんな気がしました。
この曲を監督が選んだから。そういうことにします。
誰に押し付けるでもない、自分自身が納得のいくように解釈をしただけのものです。
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