君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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高畑勲「宮さん、もう一本作りなよ」
「分かる人だけついて来い。
分からない人にいちいち説明はしない。」
最近の宮崎駿監督には、そう言われているように思う。
そんな中で、私がなんとなくとらえられたのは
「(俺、宮崎駿はもう命が尽きかけようとしてるけど、その後の世界を)君たちはどう生きるか?」
ということ。
正直、私は序盤で登場する生活習慣や弓や矢の作り方、船の出帆のやり方に、魚の捌きかたなど、よく分かっていないままに生きている。
「おまえ、分かってないだろ?
そんなので生きていけるのかよ?!」
と監督にケツ叩かれているような気がした。
悪意に満ちた現実の世界で、少しでも善意の積み木を積むのに持つべきはいろんな「友だち」だよ。
最後のスタッフロールを見ながらそんな事を思った。
スタジオジブリ…宮崎監督最終作!
ネタバレを少し…
ポスターの青鷺は、主人公の相棒!!
ストーリー・キャラクターともに、ジブリでした。パンフレットもなく、チラシもなく鑑賞したのは初めてでした。すごく、楽しめる内容でした。
宮崎監督、ご苦労でした!
オマージュがたくさん
*ネタバレあり
理解できたかと言われれば、たぶんできてないけど、
つまらないとは思わなかった。
過去のジブリ作品を模した表現の懐かしさと、
過去にはなかった手法への驚きで、映像に引き込まれた。
これだけ長く作品を作っていて、
まだ新しい見せ方があるんだなぁ。
それから、
そんなことありえる…?と半信半疑なのだけど、
D映画の要素があったような。
まさかね、とは思いつつ…。
・継母と小人頭身のおばあちゃん達
・入り口が塞がれた塔
・窓を背にした大叔父様と赤いバラ
・落下して不思議の世界へ
・侵入者を阻む館で眠るナツコさん
・ガラス蓋の棺で運ばれるヒミ
もしそうだとしたら、
宮崎駿監督が描くとこうなるんだっていう、
とても贅沢なものを観せてもらったことになるのでは。
真似でもパロディでもなく他作品の要素を入れ込みつつ、
ジブリの世界観はそのまま、
しかも自分の過去作のオマージュまで盛り込み…?
そんなこと出来るものなの…?
でも、主人公の出会う体験が、
色々なアニメ作品の形で表現されてるなら、
意味深だけど意味が明かされない舞台装置やアイテムが
腑に落ちる気もする…。
真偽はともかく「我を学ぶと死す」という言葉も
先人を参考にしすぎてはダメ、とも取れるし
他の方が言うように「アニメを創ること」が
テーマの一つになってるのかな。
考えすぎかもしれないし、
もっと深い意味があるかもしれないし、
どっちでもいいけど、
こうやって考えさせられるのも含めて楽しめた!
色々知ってからもう一回観たい。
うーむ…
『借りぐらしのアリエッティ』同様、期待していただけに残念…。
タイトルの本を以前読んでいたはずですが、関連性は感じられませんでした。
切り離して考えても、どうにも納得いかない展開。
何を伝えたいのか解りにくいし、結局解りませんでした。
アニメの絵もガッカリ。
おばあちゃん達はそこまで描かなくてもよくない?と思わせるほど皆深いシワ顔でまるで湯婆婆だし、アオサギも気持ち悪いし、無駄なシーンが多すぎました。(服着るシーンとか、パンにジャム塗るシーンとかあんなにタップリ必要ですか?)血の表現とかも子供のお絵描きなの?というほどの量と質感…。
そういう技術点でさえ、新海作品に大きく水をあけられてしまってる気がします。
あんまり悪く言いたくないから、この辺で。
でも、観なきゃ観ないで後悔しそうだったので、観た事は自分に納得(笑)。
子供は最初の30分に耐えられるか?
公開初日に鑑賞できました。平日だった為席数にもゆとりがあり、大人の方が多かったです。↓以下ネタバレ、物語のざっくりとした説明と個人の感想あり
最初は戦争、焼夷弾がいくつも落ちてくるシーンから始まります。階段を駆け上がり、駆け降りる臨場感、外の景色、火の粉。これぞジブリ!!と感動しました。
以降主人公が大切な人を亡くして(母 父親が再婚し引っ越しをするところから物語は進んでいきます。ここでポスターの表紙になっているアオサギが出てきます。
そして引っ越し先で再婚相手の義母さんがいなくなってしまい、その義母を探すために異世界のような空間に迷い込みここからやっとファンタジージブリに突入します
(アオサギは異世界の案内人のような役です
現実感の緊張感が続くので、ラピュタやトトロのような、最初からワクワクするようなストーリー展開ではありません。ここまで見るのに子供は少し退屈かなぁ?と思いましたので題名に30分耐えられるか?にしました。
異世界に突入してからは、景色や風景の細かさがたまりません。あーこのシーンはあの作品みたい、ここはあの作品みたい。そして食べ物はやはりどれも美味しそう!笑 ツタのある家の壁を登るシーンはこれぞジブリ…とワクワクしてみていました。
ゆるゆるなキャラも出てくれば、馴染みのあるおばあちゃん達も沢山出てきますし、声優は豪華だし、2時間あっとゆうまでした。
ラストシーンだけ え?あれ?急に終わり?え?とゆうなんのラスト感もなく終わるのでもう少し周りにある家具や風景を観察したいと思いました。
いろいろな事を書きたいのですが、まとまりがなくなるので、あとは是非劇場で見ていただければと思います。
印象に残っている動物は、カエルとインコです。
個人的にジブリは何回も見て、何年も見て、年を重ねてまた見て、新しい発見や昔とは違う捉え方をして楽しむ作品だと思っています。2度見た時はきっと違う気持ちになるでしょうし、何年後かに見ると新しい気づきがあると思います。是非最初にこれこれー!と宮崎駿を味わってから、じっくりゆっくり時間をかけて物語の全貌を知っていきましょう。
宮崎駿監督の人生そのもの
宮崎駿監督が興行収入とか気にせずに、今好きなように作ったらこうなるんだろうな、と思いました。見終わった後、ほとんどの人が「なんか凄い気がするけど、意味がわからない!」となりそうな作品。
私が思うに、おそらくこの映画に伝えたい想いなどはないんだろうな。と。
宮崎駿監督の生い立ちがかなり近しく映画に反映されているところを見ると、自分の半生を走馬灯のように思い出しながら、ご自身のやり方で自分の人生を表現なさったんだろうな、と思います。
あの時声をあげればよかったな、とか。
母への想いとか。
そういう自分の後悔から大切にしていたことまで、走馬灯や夢のように自分の人生を回想してらっしゃるんっだろうと思いました。過去や未来やあの世やこの世がぐちゃぐちゃです。
そのぐちゃぐちゃな世界が、燃え上がる炎、人混みを走り抜ける臨場感、大群で迫ってくる鳥の不気味さなどさすがな表現力で描かれているので見る方はただ圧巻。
きっと一般ウケはしないし、その意味で予算も見込めないし、、だけど人に受け入れられる物を作りたいわけではないし、ということでこのような宣伝手法になったのかな、と思います。
この映画の積み木や鳥などの細かなイメージに意味はないのではないでしょうか。
監督の中にある人生においてのそれぞれの概念に一番近いものをはめ込んでるんだと思います。アート作品のような、ぼんやりと作者の内面を感じる。
伝えたいメッセージも具体的なものとしてはないような。。。。
あるとすれば感受性が豊かな壮大な人生を見せつけられて、その上で、
「君たちはどう生きるか」という問いかけです。
宮崎監督、こんな映画を作れてよかったですね!!私も見られてよかったです!!
最後に、声優で参加されていた菅田将暉さん、すごかったです。
ゾッとする不気味さもありつつチャーミングさもあって。
すごい役者さんだな〜
個人的には意味不明
鑑賞直後の感想としては『まるで意味が分からない』。
物語の前半は現実世界の話で、後半は異世界の話。前半までは順調に理解できていたが、異世界に飛んだ途端、理解不能に陥った。
盛り込むだけ盛り込まれた情報を消化しきれないまま『誰?』『なぜ?』『どうして?』『どういうつもり?』が積み重なり、それらの疑問が解消される間もなく物語が進んでいく。結局、それらの疑問が最後まで解消されることはなく、また、この映画に込められたメッセージも読み解けず、モヤモヤしたまま映画は終了。
帰宅後、様々な評論を見て個人的に一番しっくり来た解説が『異世界はジブリのメタファー(暗喩)』という解釈だった。
主人公を【宮崎駿】、異世界を【スタジオジブリ】、異世界を司る大叔父様を【高畑勲】、13個の積み木を【宮崎駿と高畑勲が作り上げたジブリ作品】に例え、ジブリ【異世界】の大黒柱は高畑勲【大叔父様】であり、これまでのヒット作【積み木】がジブリの経営を支えてきが、その経営基盤は非常に脆く(積み木の危ういバランスがそれを表している)、高畑勲の後継者は未だ見つからず、作品がコケればすぐにでもジブリは崩壊してしまう(積み木の崩壊とともに異世界も崩壊)。
異世界に登場する無数の鳥は【アニメーター】に例えられ、彼らはジブリの中では怖いものなしだが、ジブリから一歩外へ出れば、彼らはたちまち弱い立場に置かれる危うい存在だとも捉えられる。
個人的にこの解釈が一番しっくり来たのだが、この解釈でも説明しきれない部分は多々あるし、そもそも『ジブリの暗喩だとして、わざわざ内輪の話を映画にして大衆に何を訴えたかったのか?』という疑問も残る。
人によって解釈は別れており、どれも尤もらしいのだが、矛盾や説明がつかない点も多く、結局、正解は謎のまま残った。
最終的な結論としては、この映画に正解を求めてはダメで、見る側が想像力を膨らませ、好きなように自分なりの解釈を加えて楽しむ現代アートのような作品なのだろう、と。普通、映画には監督の伝えたいメッセージがあり、それに沿って物語を肉付けし、観客は映画に込めた監督のメッセージを読み解いて成立するのだが、おそらくこの作品の解釈には正解がない。
想像力を働かせ、ああでもないこうでもないと楽しむ作品であり、そういう作業が好きな人にとってはこの上なく楽しめる作品だが、自分のようになんに対しても正解を求めてしまうようなタイプの人間にはちょっと理解し難い作品だったと思う。
タイトル詐欺と言いたくなる内容
まずはじめに言っておきますが、私はジブリ映画のアンチではないです。
紅の豚とか大好きです。
ただこの映画はつまらないです。
意味がわかりません。
以下、映画の内容等について思ったことです。
・なぜこのタイトルにしたのか?
事前の情報がなく、予告編もない今回の映画。「君たちはどう生きるか」というタイトルおよびポスターから同名の書籍をジブリ風にアレンジしたものかと思っておりました。いや〜全く関係ないやん。少なくとも自分はそう思いました。そもそも、あの内容なら、このタイトルにした意味が本当にわかりません。
・なぜ予告編などを出さない。
自分は映画を観るかどうか決める時は、予告編を観たり、あらすじを確認したりしてから決めます。なので、今回は非常に困りました。観るかどうか、かなり悩みました。
・意味がわからない。
全体を通して意味がわからなかったです。というか内容がない。その時々で思いついたシーンを繋げましたって感じでした。謎も疑問もほったらかしだし。ラストについては、「はっ?だから?」って感じでした。
以上
この映画の内容について色々な考察がありましたが、そもそも全体の内容を考察しないといけない映画はあまり良くない(悪く言えば駄作)というのが個人的な考えです(考察には明確な答えがないので)
確かに考察が必要だったとしても、良い映画はありますが、そういう作品は結末についてはわかりやすくしっかりとしています(この作品はそれができてないので)
あと、考察の中に監督の人生を描いてるみたいなことがありました。私もその考察については、反論はしませんが、それならこの映画は初めから観に行かなかったと思います。
あっ、だから予告や事前情報を出さなかったのか〜
2023/08/08追記
自分は未熟者なので今回のこの作品は正直、面白さを見出せなかったです。
もしよろしければ、「こういう所が面白よ」と、コメントにて、ご教授していただけると幸いです。
また、ストーリーはどういう所が面白かったということも、ご教授していただけると幸いです。
2回目以降観る時の参考にさせてもらいます。
2023/08/13追記
コメントにも書きましたが、金が絡むなら匂わし、皮肉はダメだと思います。
食事でメニュー(ポスター)から塩ラーメン(映画タイトル)を注文(映画鑑賞)して不味い醤油ラーメン(面白く無い内容)が出てきたら許せないですよね。文句を店(監督他)に言ったらメニュー(ポスター)に鷺が書いてるから察してくださいと言われたら、腹立ちますよね。まぁ、美味しい(面白い内容)なら許せますが(満足しますが)
インナートリップのお話
アオサギは、眞人の嘘が、外の世界に具現化したもの。
本当は、死んだ母が恋しい。夏子は受け入れたくない。
自分の本心を見て見ぬふりをし、覆い隠し、表面上は気丈に振る舞う眞人。
そんな眞人をあざ笑うかのようにこっちを見てくるアオサギ。
眞人は、アオサギが目障りでたまらない。実は、アオサギを生み出したのは自分自身なのに・・・笑
自分の嘘を覆い隠すため、アオサギを殺そうと弓と矢を自作し、アオサギを追う。
アオサギを追いかけるうちに、眞人は異世界に入り込む。
異世界=眞人=宮﨑駿の無意識世界。自分の内へ深く入っていくインナートリップ。
無意識のイメージの世界を日本最高の絵師が、アニメーションに。
見ごたえ凄いです。見に行ってよかったと、思いましたし、是非是非見に行ってほしいです!おすすめです!
意味が分からなかった、つまらなかったと感じた方は、現実世界的な理屈や、辻褄に合わないことが
気になってしまったのではないかと思います。寝てみる夢って、いちいち説明もないし、辻褄も合わないけど
面白いし、よく考えると深~い意味がありますよね。そんな感じで観るともっと楽しめると思います。
最初のお墓のシーンで出てくる「我を学ぶものは死す」は謎ですね。
そもそも誰のお墓なのか、伏線回収もなく、このシーンは何の意味があるのか、謎です。
ただ、直観で思ったのは、もはや日本アニメのカリスマになった宮崎駿が、後進に、自分を目指すな、
自分を崇めるな、宮崎駿がゴールだと思ったら、お前は死ぬぞ!と言わずにおけなかったのではないかと
想像しました。なんか唐突ですが・・・
夏子を取り戻すため、産屋に入り、一緒に現実の世界に帰ろうと夏子に呼びかける眞人に対して、
夏子は今まで見せたことの無い怒りと悲しみの表情で「帰りたくない!、あなたなんか嫌い」と。
その瞬間、ハッと今までの自分か夏子に向けていた心に気が付き、ひた隠しに隠していた本心に気付き、
その感情を認め、癒し、手放し、初めて素直な心で「夏子母さん!」と眞人は言えるのでした。
その時、本当の意味で心が通じ合ったのではないでしょうか?
今このタイミングで、自分の内に内に入っていく映画がメジャー本流の映画でテーマに選ばれたことが
すごい画期的なことだと思いました。
外の現実世界は、訳の分からない感じで行き詰っている風ですが、もしかしたら、これからの人類は、
外の世界ばかりではなく、外側と同じくらい自分の内側を観察して、無意識と意識を一致させることが
調和のとれた、皆が幸せな世界を創るカギになるのではないかと思います。
鈴木さんのプロモーション一切なし、予備情報一切なしは、自分にとってはドンピシャでした。
こういったテーマのお話を見せられて、新鮮な驚きで楽しめました。
全てのイメージに何かしらの意味、メタファーがあり、噛めば噛むほど味が染み出るスルメ映画です。
どのシーンにどういう意味づけをするかで、宮崎駿が何を考えているかを探っているようで、
実は、自分自身を知る映画にもなっていると思います。
「ポニョ」「風立ちぬ」が自分的には、もう一つで、ちょっと迷走している印象があったのですが、
今回、芯を食ったクリティカルヒットで、すごく楽しめました!
おそらく、宮崎駿の一番言いたかったことは、自分の内面に向きあって、自分の中にある悪意にも目をそらさず、
君たちは生きれるのか?それは君たちの選択しだい。
理不尽な現実世界でも、生き抜く覚悟が君にあるのか?(眞人は理不尽な現実世界で生きる覚悟を私たちに見せてくれています)
そして、力強く、生きてほしい。そして、人生を意味のあるものにしてほしいという願いではないでしょうか?
この時代だからこそ
タイトルと鳥の絵のポスター1枚。覗き見せず、聞き耳を立てず、思い切ってめくって飛び込んだ先の作品世界への没入体験。
目隠しでスクリーンの前まで連れてこられたような、鑑賞前の時間も含めてエンターテイメントだと思った。
このクオリティの作品を世の中のたくさんの人が事前情報ほぼなしで鑑賞するなんて、なんてワクワクする仕掛けだろう。
設定についていけるよう、集中して見ているうちに、真人と一緒に塔の世界に落ち、不思議な世界をめまぐるしく体験する。
個人的には仕掛けにのっかって大正解だった。
なんでも手の平で調べられる時代、正解を探さずにはいられない時代だからこそ、この作品から受け取れるメッセージは人それぞれ、自分で感じて自分で考えなくてはこの仕掛けの意味がない。
作品の中ではどこからか降ってきた塔がどうしようもなく世界を歪めるけれど、完全なる悪人はでてこなかった。
悪意も善意も入り交じるこの世の中で、善意の石をそれでもコツコツと積み上げていけるのは、勇者でも何者でもないただこの世界に生きる私達1人1人だ。
真人が自分につけた傷、悪意のしるしだと言った傷。自分に向けられた悪意か、自分で自分に向けた悪意か、周りの大人に心配をかけた悪意か。悪意のしるしを認めた上で、前に進む勇気を真人のように持てるか。
鑑賞前と鑑賞後で、タイトルもポスターの絵も見え方が変わった。
素晴らしい体験だった。
凡人の考察(妄想)
観賞直後は
「うわージブリが芸術作品になっちゃったよ」
と思わせ、時間が経つにつれて
「あれってこういう事だったのかなぁ‥‥」
とふと思わせてくれる作品。
個人的には最終的に
「宮崎駿と若きクリエーターたちを描いた作品なのではないか?」
という結論に行きついている。
作中で言う主人公・真人が次代を担う若者であり、
大きな世界を作り上げた大叔父が宮崎駿なのではなかろうか
観ていた時から変わらないのは
真人という少年が分かりやすい子供でありながらも、嫌悪感は感じない主人公であるという事だ。
大切な母は亡くなり、尊敬する父は母の妹である叔母と再婚、叔母のお腹の中に異母兄弟がいる、知らない土地への引っ越しと転校
キツイ出来事だらけである。
唯一の救いは父も叔母も彼を大切に思ってくれている事だろう。
それでも真人はそれを受け止めきれない。
学校の級友との喧嘩や自傷行為はそんな不満に対する当てつけであり、
だからこそ最後に言った“悪意”なのだろう。
この真人こそが大きな目標と信念を持ちながらも、環境によって雁字搦めになっている若い世代である。そんな環境だからこそ悪意に満ちた表現や、醜悪な創造・行動に走ってしまう。
そして大叔父は変人と呼ばれながらも自らの意思を突き通して、未知の石の中で新たな世界を作り出した人物である。
次なる担い手を欲しながらも中々現れない。
だからこそ自分が世界を守るためにヨレヨレになっても石を積み上げていく。
何故なら、自分にはそれだけの力があるからだ。
宮崎駿監督もまだ主流ではなかったアニメの世界に入り、文字通り時代を切り開いてきた人物である。
老齢に差し掛かり、新たな世代に引き継ぎたい。
しかしそれが中々できない。ならばと新しく自らが創造する。
何故なら、自分にはそれだけの力があるからだ。
そして大叔父が血族でなければ告げない。というように、宮崎駿の後を継ぐのはアニメーターでなければならない。
「早く僕の石(意思)を継いでくれ」
と言っているような気がしたのだ。
しかし、それならばと思う事もある。
なぜ石の世界があれほど窮屈で残酷なのか。宮崎駿監督が作り出して来た世界は美しく壮大なものだったはずなのだ。
もしかしたら時が経つにつれてそれも醜悪なものになるという危機感を抱いているのかもしれない。
さらに劇中に現れる新しい命を食い尽くそうとするペリカンについても、
そのペリカンは自分の作った世界が作り出したものだと思っているのかもしれない。
別考察であったが
『紅の豚』では
「飛べない豚はただの豚だ」
と語っていた男が
「翼が折れた。もう飛べぬ」
と語っている。
そしてそれは正に新しい命を食おうとした報いなのである。
宮崎駿監督はその罪の意識を感じているのではなかろうか?
そしてラストシーン。
真人(新たな世代)は大叔父(宮崎駿)の跡を継がない。
「現実の世界に戻り、新たな友達を作ります」
この回答こそが、宮崎駿の求める
若い世代は新しい世界を作れ
というメッセージなのではなかろうか。
いや、もしかしたら「何で継いでくんねーんだよ!」と思っているのかもしれない、だからこそ真人の背中を押すが祝福はしない。
そして色とりどりのインコを放つが糞まみれにして非常な現実世界へと見送るのだ。
君たちはどう生きる?
この問いかけは
この作品を通じた宮崎駿から若い世代へのメッセージだとするなら、彼がアニメをやめた後、我々はこのアニメという世界をどう扱っていくか。
その答えを宮崎駿監督は求めているのかもしれない。
問いの答えは
君たちはどう生きるか。
便利なものに囲まれすぎた今。
時間の過ごし方が受動的で、
思考が安直になりがちだ。
この映画の世界はとても不思議で、
混沌としていた。
次から次に展開し、新たな世界が生まれ、
さっきまでの世界が突然消えて、
次の世界に切り替わる。
でも宮﨑駿の脳内はこんな世界なのだ、
と不思議と腑に落ちる。
日本の話であったはずがいつのまにか、
国籍のわからない塔の中の世界へ。
その下に広がる世界には、
ベルサイユ宮殿のような門が登場し、
その門には日本語が彫られていたり。
年代のわからない古びた木製の船の上に、
誰かの生活があったり。
監督が長い人生で見てきたものや感じた事、
表現したいと思って来たもの。
それらを全て注ぎ込んだ映画だった。
齢82歳のほと走る情熱が詰まっていた。
現実には一般的な物語のように
起承転結がまとまった人生なんて、ない。
そういう意味ではこの物語は、
物語というより、現実的な世界だった。
私たちは何か事が起こった時、
どう受け止め、どうする?
選択するのは自分なのだ。
映画の人物たちはこう生きたけれど、
君たちはどう生きるか?
そういう映画だと私は思う。
楽しみ方ガイド(ついでに考察と解説)
IMAXで2回、ノーマルで1回視聴後の感想。
ようやくこの映画の楽しみ方がわかりました。
コレは全12話くらいのシリーズを2時間にまとめた総集編だと思えば非常に楽しめる映画。
(ソレだけの強度と奥行がこの2時間に凝縮されてる)
登場人物の行動が突飛で意味不明、シーンの繋ぎがバラバラ、などと感じるのは、本来描くべき場面をカットして編集しているのだと考えれば納得。
「君たちはどう生きるか」というタイトルはつまり
「君たちはこの映画のカットされたシーンを、どんな風に想像(創造)して今後の人生をどう豊かに生きるか?」という問いかけなのです。
作品のテーマはズバリ「想像力を育もう。他者の心情を慮って友達を作ろう」です。
はっきり言って説明不足も甚だしい映画なので否定的な意見が多い作品ですが、想像力を駆使して自分だけの完全で納得なストーリーを脳内で補完しましょう。
(全12話設定ですと、当然キリコさん以外も全員若い姿で大集合です。例えばメガネの婆さんは「ド近眼のドジっ娘天然美少女」として登場!など)
さぁ、段々楽しくなってきましたね?
さらに言えば、宮崎駿初の本格派ダーク・ファンタジーなのでコレをリアルタイムに視聴出来る我々はラッキー。
「亡くなった奥さんの妹と再婚とか超キモいんですけど~」などの意見も聞きますが、昔はよくあった風習(順延婚)なのでキモくありません。
(私の父方の祖父母がそうでした)
特にあの家系は家柄良さそうですしね。
「アオサギは誰?」「大叔父は誰?」「下の異世界はジブリ?」「墓に眠るのは誰?」「このシーンは過去作のオマージュ?」とか、そんな作品のテーマから外れた穿った見方はYouTubeの考察動画投稿者にでも任せて、宮崎駿ファンはただこの映画体験を純粋に楽しめばよろしいのです。
(そもそも、同じモチーフの使い回しなど宮崎作品ではお馴染みなので「このシーンはあの作品からの引用~」「ジブリ映画の総決算!」とか、
「おま、、、いまさら何言ってんの?」と片腹痛くなります)
そして、筋金入りの駿ガチ勢である私の個人的な意見としては
“(映画)初監督作品の「カリ城」が評価はめちゃ高いのに公開時の興行収益はめちゃ低かった”
の真逆の”現象“を最後の最期に創り出した、監督の壮大な伏線回収(あるいは皮肉を効かせた復讐?これこそ、もうひとつのテーマである“悪意”)に愉快痛快、ゆえに私は拍手喝采。
(ちなみに、初“演出”作品の「未来少年コナン」は日本のテレビアニメ史上至高の大傑作だが、視聴率が低かったので知名度も低かった。これも今の状況とは真逆)
、、、。
さて、ココからは私なりの“穿った”考察的解説になります。
・主人公のモデルは監督のお兄さん?
駿監督なら、自身をモデルにしたキャラクターを美形には設定しないでしょう。
監督本人は最後にチラと出た幼児。
つまり宮崎駿が誕生するまでの物語と言えます。
(そう考えると、ワラワラの飛翔シーンや産屋での眞人とナツコのやり取りも違って見えてくるでしょ?)
・主人公の自傷行為とイニシエーション。
眞人は最初、礼儀正しいが世間知らずの自己中心的な少年として描かれています。
労働奉仕を拒絶してクラスメイトとケンカした挙げ句、腹いせに自傷行為で登校拒否を正当化。
ナツコさんが行方不明になった時も、
近付くことすら禁止されてた謎の塔に接触する口実が出来たとばかりに自作の竹弓矢で敵=アオサギを退治するコトの方を優先。
(この前に母が残した「君たちはどう生きるか」を読んでいますが、ソレはまだ“知識”にすぎない)
その後、下の世界で若キリコさんからの教導=労働を体験し、死と生の循環を目の当たりにするコトで、本で読んだ「人間は社会的動物で、他者との関わり無しには生きていけない」を知識と実践で真に理解します。
ココで眞人はようやく物語の主人公たる「人格」を得るのです。
アオサギと和解しようとしたり、ナツコさんを「ナツコ母さん」と呼ぶようになるのも、このイニシエーションがあったからですね。
(むしろナツコさんの方こそ本心では冷たく自己中な眞人を疎ましく思っていた。当たり前である)
最後に面白注目ポイント。
・お婆さんズが妖怪にしか見えない。
・出てくる鳥がもれなくキモい。
・「風切りの7番」優秀すぎ。
・青鷺と眞人のほのぼのDIY。
・包丁を研ぐインコで爆笑。
・インコ大王、結局何したかった?
・鳥が群れると周辺は糞だらけ、コレめっちゃリアル。
・ナツコさんが異常にエロい。
・ヒミ様の本名は久子?
・最後は結局ハッピーエンド、いつものジブリ映画。
それでは皆さん、この世紀の大傑作を心逝くまで楽しんで、ビッグウェーブに乗り遅れるな!
2回、3回と映画館にゴーだ!!
きっとみんな忘れているから、ジブリが描くことに意味がある
一言で言えば、「あの頃は良かったなあ」を具現化し、全ての人へ今とこれからを問いてくる映画だと思う。
ほとんどの場面は様々なジブリ作品が内包する薄気味悪さを凝縮させて根底に広げた感じ。それをすべてひっくるめて、ラストと主題歌で浄化してくれる。
主人公が出会うあらゆる「場所」は、前述のように薄気味悪さが常にある。それは多分、社会的なものでもあり個々人が持つものでもある、理不尽さだったり悪意だったり怖さだったり。それらが渦巻く世界で、主人公だけが浮いている、特別である。それは、主人公がもつ、子どもらしさ所以じゃないかと思う。
「子どもらしい」とは、良くも悪くも使われる。純粋無垢を意味することもあれば、それゆえの残酷さを示す場合もある。それでもなお、主人公は「子どもらしく」、等身大で、純粋無垢で、真っすぐである。当初は産みのお母さんへの思いもありナツコさんのことをお母さんだと受け入れられず(この年代なら当たり前だと思う)、他人行儀であり、「お父さんの好きな人」と話していた。一方お父さんに対しても、熱血すぎるところをちょっと疎ましくも思っていて、でも全力で注がれている愛情をちゃんと分かっていて。だからキリコさんに「嫌いでしょ」と言われたようにナツコさんを好ましく思ってなかったとしても、絶対に助けたかったのかなと思う。親を助けたい、役に立ちたいという子どもの時に抱く背伸びした気持ちもあれば、火事の時にお母さんを助けられなかったからかもしれない。どちらにせよ、その一心な想いと子どもらしさを持っていたから、あんな世界でも常に前に進み続けられたんだと思う。
要所要所の主人公の行動に対して、なんでそんなことするの!?って思えた人は大人なんだと思う。好奇心の赴くままに突撃したり、自分で工夫して道具を完成させたり、怖いくらい怖いものしらずだったり、迷惑かけられたのに死にゆく間際の話を聞いて同情したり、その場で出会った人をちゃんと信じられたり。そういった子どもらしさを、多くの人が幼い頃持っていたはず。例えば、ある日隕石が落ちてきたら、この水面の下にもう一つの世界があったなら。もしも魔法が使えたら、突然誰かを助けるヒーローになれたなら。走り回って冒険した場所があったり、秘密基地を作ったり、あの日拾った宝物があって、夢中になれるなにかがあって。こどもの時の世界とか、あのときの自分だけの「ともだち」とか、夢とか希望とか、透き通った心とか。それらはいつか忘れてしまう、思い出の中に消えて行く、そうして大人になっていく。
そういった「あの頃」を忘れてしまった大人に、あの頃の良さをすくい上げて存分に目の前に広げたうえで、「それでは、君たちはどう生きるか」と聞いてくる。私はこれを、子どもだからこその世界を数々描いてきたジブリが、宮崎駿が手がけたことに、計り知れない良さを感じている。
加えて、映画の最後で、主題歌「地球儀」が響かなかった方は、ここで再度歌詞を見ながら聞いてみてほしい。映画の場面や上記の想いが丁寧に切り取られていることに気づけるのではないかと思う。
君たちはどう生きるか
開始5秒でこの映像で新たな作品が見れることに喜びを感じた。
戦争で母を亡くし、父の再婚相手と共に暮らすことになった真人は青鷺とのやり取りのうちに不思議な世界に迷い込むというあらすじ。
物語の終盤、真人は選択を迫られる。
悪意の積み木を足して(戦争を続けて)世界を安定させる、悪意なき積み木で(戦争を忘れて)新たに世界を作る。
しかし真人が選んだのはそれらを理解した上で自分の世界を生きる事。悪意さえも無かったことにはせず、自らの弱さをも認め進む姿は気高く映る。
衒学と人間讃歌の元、スタジオジブリはどう生きるか
何かと話題の宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を観てきました。
宮崎駿監督の作品としては約10年ぶり。スタジオジブリとしては約2年ぶりの新作で事前のセールスプロモーションを全くやらない。事前情報も無しと言う前代未聞のプロモーションが逆に話題となっていましたが公開から作品の内容に対しても賛否両論。
その真偽と言うか意見も観ないと分からないとあって、鑑賞をした訳ですが、で、感想はと言うと…個人的な一意見ですが、面白く無い訳ではないが、面白い訳でないw
一言言えば複雑だし、必要以上に難しくこねくりまわしている感がある。
ジャンルとしては冒険活劇ファンタジーらしいけど、正直それだけでは括れない難解さがあると思うし、また説明が不十分な点が多く、哲学的と言うか文学的な側面がある。
吉野源三郎原作で1937年発表の「君たちはどう生きるか」に感銘を受け、直接の原作ではなく、タイトルとして引用されているらしいが観る限りにはやはりその影響は多分にあると思う。
観る側の器量を試されるというか、実験的な作りは嫌いでは無いんですが、まあジブリっぽくはないんですよね。
長年ジブリ作品を観てきた者にすれば老若男女が楽しめる、ある程度明快な作品がジブリの信条かなと思うんですが、人間讃歌と言うテーマは変わっていないと思います。ただいろんな部分が挑戦的で観る側に突き詰めると言う感じ。
その兆候は「風立ちぬ」で庵野秀明監督を主人公の声優に起用された時にもあった訳ですが今回はもう全部がそうなっていて“どうしたこうなった?”と言うよりも”うるせえ〜どうせもう何作も作らないし作れないんだから、たまには好き勝手に作らせろ!”と言う開き直りな感じなんですよねw
いろんな不足点を埋めるように観る側の思考が錯誤するんですが、これって庵野監督が得意とする手法で「エヴァ:Q」でも観られた「衒学」(げんがく)かなと。
衒学とは知識がある事を自慢する事であり、知ったかぶりという言葉が一番近い。
何か裏がありそうな雰囲気を出すための演出であっても実際に裏は存在せず、観る側に衒学を漂わせると言うか。
まあ「お金を出して観る人が好き勝手に解釈していいよ」と言う答えだと思うし、だからこそ一切のプロモーションをしないのがプロモーションとなっている訳ですが、事前のプロモーションをやらないのは今までのジブリブランドがあればこそな訳で、これが普通の作品ならもう大爆死ですよw
作品としては「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「ハウルの動く城」的な感じもあり、今までのジブリ作品のセルフオマージュも多分にありなので観る側にいろんな問い掛けが仕掛けられている。
かと言って今までのジブリ作品のイメージで思い込むと手痛い目に合うので、一切のイメージを捨てて、全くの新作で観るのが正解かと。
それでもなかなか難解な作品ですが、声優キャストは結構ツボにハマるキャスティングでアオサギ役の菅田将暉さん。ヒミ役のあいみょん。ばあやのキリコ役の柴咲コウさんはかなり上手い。特に菅田将暉さんは熱演です。
宮崎駿監督は今後作品を作るのかは不明ですが年齢的な事を考えるとかなり難しく、スタジオジブリとしても新作が出来るのかは不明。2014年公開の「思い出のマーニー」で映画制作部門を解体し、一度アニメ制作から撤退しているので主要スタッフが抜けている分、「無為自然」的な流れになっている。
勿論、ジブリ作品が新しく作られるのは嬉しいし、勿論観に行こうとは思う。
だけど、ある程度のイメージの構築は仕方ない分、スカされた感は残念ではあります。
宮崎駿=スタジオジブリのイメージから結局脱却しきれなかったのは今更言っても仕方ないけど、スタジオジブリのブランドはやはり残して欲しいかなと。
もし、もう一回だけ作ると言うのであれば…庵野秀明監督で「風の谷のナウシカ」の続品を作るのであれば、個人的にはもう大歓迎ですw
難解?いえいえ カへカへ テーマはわかりやすい「コピー」です カへ
7月14日、15日、16日、22日視聴。
映画が、まだ身体の隅々まで沁み入っていない現時点での感想です。
まず、以下『』内、私の7月19日tweetを、ご覧ください。
本稿のダイジェストとなります。
『 ネタバレ注意
インコは声真似。コピー の象徴かと。
大叔父様や彼の築いた世界は、黒澤明監督的な存在や映画界の比喩でしょう。
最終盤「時間がない」のに追い打ちをかけるようにインコ大王(コピー)の心ない行動で映画界は崩壊。
宮崎駿 流の警告?
定めならね 従うしかないんだよ? 』
君たちはどう生きるか のテーマ、「コピー」は2通りあるように思えます。
インコを通して描かれるもの
インコを通さず描かれるもの
今回は、公開後徐々に声が大きくなってきていると思われます、インコを通さず描かれる「コピー」 セルフオマージュ(今までの宮崎駿作品にこんなシーン出てきたでしょ)
については、記述しません。
インコを通して描かれる「コピー」についての記述となります。
まず、君たちはどう生きるか でインコとは何か。
インコは声真似をします。これは「コピー」の象徴かと思われます。
スタジオジブリは、自社映画作品の国内でのネット配信(アマゾン、Netflixなど)を認めていません。これは、一言でいえば行き過ぎた「コピー」を嫌っているからです。
作品最終盤、インコ大王は、心ない行動により大叔父様の築いた美しく幻想的な世界を
崩壊させてしまいます。具体的には、大叔父様が眞人に3日に1個づつ積むよう用意した13個の悪意に染まっていない石を、インコ大王が、まるでファスト映画を表現するような素早い動きであっという間に積み上げてしまい、積み上げられた石は案の定すぐにバランスを崩し~大叔父様の築いた世界はあっけなく崩壊します。
また、インコ帝国にいる無表情な、おびただしい数のインコたちはネット配信など、氾濫する「コピー」のわかりやすい例えでしょう。
つまり、ネット配信やファスト映画など、行き過ぎた「コピー」の横行によって、いまに映画界は崩壊しますよ、という重大な警告メッセージというわけです。
続いて
大叔父様や彼の築いた世界は、黒澤明監督的な存在や映画界の比喩でしょう。
について
「1993年4月、宮崎駿監督は、黒澤明監督と対談します。その模様はテレビ放送され、今もYouTubeで視聴することができます。また書籍化(「何が映画か」)されています。
宮崎駿監督52歳の頃です。対談の様子を一言でいうと、平身低頭。宮崎駿監督は黒澤明監督への敬意を隠そうとせず、聞き手に徹しています。」
「」内は、ー神の隠れる場所 映画「千と千尋の神隠し」のネガフィルムーより
一言でいうと、宮崎駿監督にとって黒澤明監督は憧れの存在です。また、アニメというくくりでなく広く映画界というくくりでは、宮崎駿監督は黒澤明監督の直系後継者という声が散見されます。
さらに、眞人の夢に出てきた、大叔父様が卓上で自分の積んだ石のバランスを確認するシーンでは、バランスを確認した高く積み上げられた方の石は7つ。(それとは別に2つの石が同じ卓上に。)この7という数字は、黒澤明監督にとって芸術全般の「最良の友」早坂文雄氏とともに完成させた「生きる」「7人の侍」「羅生門」を含む全盛期7作品を指していると思われます。
(※映画「千と千尋の神隠し」で釜爺が千尋らに渡した回数券の残り枚数は4枚。回数券は1951年から11枚綴りが定着。使用された7枚の回数券の意味は?詳しくは ー神の隠れる場所 映画「千と千尋の神隠し」のネガフィルムー を)
話が堅苦しくなりましたが、スタジオジブリ公式ツイッターのトップページを、ぜひご覧ください。7月14日公開日以降、かわいいアオサギのキャラクターがカヘカヘ鳴いています(笑)これはアオサギの鳴き声のふりしてモールス信号という声が大きいですが、私はさらに映画のテーマである「コピー」を表現していると読みます。
昔は(今でも)コーヒーのことをカフェと。カフェを単純化してカヘに。
カ→コ、ヘ→ヒに置き換えるとコとヒ、つまり「コピー」が浮かび上がるという仕掛けと
読んでいます。
ぜひ家族連れで鑑賞していただき、観終わった後上記のようなうんちくを、お子さんに。
気軽に本物の芸術に触れるチャンスかと。
面白い。が、鳥苦手な人は見ない方がいい。
とても面白かった。宮崎さんの良いところが出ている。仮にストーリーが分からなくとも作画だけでも楽しめる作品。ネタバレになるが、鳥が苦手ならマジで見ない方がいい。ほぼ鳥しか出てこない。系統的にはファンタジー。
宮崎駿の劇場版エヴァンゲリオン。あらかじめ宮崎駿という人物考察が必須
個人的にはめちゃくちゃよかった。
良かったというのは、自分が思ってる宮崎駿像を答え合わせてきたという点。
本当にその点に尽きる。
まず先に言わないといけないのは、宮崎駿という人物に興味を持っていないと、まるで言っている意味が分からないだろう。
映像作品そのものとしては、冒頭の小手先のビジュアル的な上手さ以外は、心惹かれないのではないかと思う。
物語の内容は、大きく2点フォーカスが当たっている。
・現在の子供の成長環境の問題(と片親問題)
・ジブリスタジオが歩んできた軌跡(隆盛と衰退。後継者問題)
この2点は宮崎駿本人が、ジブリスタジオ内に保育所を作り、そして直面した後継者問題でもある。
なのだが、それと同時に、宮崎駿自身の個人的な感情をぶちまけた感じになっており、瞬間的な感情をそのままぶち撒けているだけなので、その瞬間何が言いたいかはとても分かりやすく、そして荒い。
全体を通して言いたい主題というのは弱い。
以下雑に考察を書くが、精度は他の方が高いと思うため、流し見程度で見ていただければと。
一つ一つのパーツは分かりやすい。
眞人=宮崎駿が思い描く理想的なジブリ後継者であり監督本人の分身
大叔父=宮崎駿、屋敷=スタジオジブリそのもの(一面ではアニメ業界全体)
大叔父はどう頑張っても1日くらいしか世界を変えられないと自覚している。
しかし大叔父の思想を受け継いでほしいと思っている。
アニメ(ジブリ)に触れる=穢れている構図があり、穢れずに駿本人が認める後継者が見つけられないという現実。駿本人は大人がアニメを見ることをずっと否定している。駿本人が納得しうる絵やテーマを描くことができる人物がいないという現実。
この辺からして大体病んでいる。
そして子供の成長を妨げる片親問題、現代的な子供の孤独、成長環境への危惧、仕事を優先する毒親等…。
前半はこういった要所をそれぞれ描かれていると思う。
最後に場面に鳥の糞の表現がある。
これは鳥の糞でも掛かってしまえ、ざまあみろという監督の悪意にように、個人的は思った。ここの解釈はいろいろだと思う。自分が思っている宮崎駿は、こういうことをやる人間だ。
軍事産業に猛進し金と資本主義の亡者の父親。くそくらえだ。
子供そっちのけで男といちゃついて本心では子供が嫌いな母親。くそくらえだ。
自殺未遂を行う孤独で愛を失い、屋敷(ジブリ)のかけらを持ち帰った眞人。くそくらえだ。
ただ、鳥の糞が掛かっても、それぞれのリアクションは違う。そこに登場人物それぞれの意匠があるように思う。
最終的に積み木の一かけらを持ち帰った眞人
それは純粋ではない欠けら。監督自身が愛したいくつもの純粋な原作作品(ハウルやゲド戦記など原作)とは違う、屋敷(ジブリ)によって生み出されたかけらを持ち帰ってしまった眞人は、この先どう生きるのか。
それが作品の終わりになっている。
あくまで一人の人間の解釈であるが、総括としては以下のような感じだ。
君たちはどう生きるか。→ 自分はこう生きたけど、お前らはどう生きるのか?
それがこの作品のタイトルの問いかけ。宮崎駿人生そのものを書いたに過ぎない。
宮崎駿という超絶アニメーターで一代で作り上げた大ヒット映画監督が、アニメに込めた思いも碌に伝わらないこの世の中で、凡人のお前らがこの世の中の一体何を変えられるというんだ、というプライドからの蔑みも聞こえる気がする。
岡田斗司夫の言葉を借りれば、単純に言えばアート作品。
それがとても的確のように思う。
この作品を最後まで見て、本当にジブリを継ぐものはいないんだなと。
この作品を作って監督は、最後にパクさんに恥じない作品と作ったよというのだろうか? それとも完璧に作れなくてパクさんにまた怒られるなと思っているのだろうか?
そう思うと俺は帰りの電車で思わず泣いてしまった。
追記にはなるが、ヒミが現れたあたりから内容がガラッと変わる。
前半は本人の思っている美しき日本の肯定や内面描写が多く書かれているが、後半は西洋文化の肯定、大きな権力への屈伏、アニメ業界から期待されるジブリスタジオと、理想から現実にガラッと描くものが変わっている。
理想・根源的な動機はこうだったが、現実にはこんな妥協も起こってしまうし実際できなかったんだということが描かれていると思う。この辺りがこの作品をわかりにくくしていると思う。
簡単につまらないと決めないで〜なぜ鳥か?
レビューの評価が分かれているが、つまらないと簡単に決めないで、私なりの考察を読んでほしいです。
なぜアオサギなのか?
アオサギは西洋で「見ると縁起が良い鳥」とされており その理由は、古代ヨーロッパでフェニックスの由来となる鳥「ベヌウ」とされており、神様のように崇拝されていたから。とある。
片や日本では、青鷺の習性には、真夜中に上空を飛びながら、不穏な絶叫を木霊させているイメージ、他にも浮世絵にも青鷺が妖怪のごとく描かれているとある。
住んでいる国、欧米、と日本では真逆のような意味をしているのだ。その象徴としてのアオサギ。
そして、アオサギには、スピリチュアル的には自立心という意味があり、誰かを頼ったり、依存したりせずに、自分の足で自分の人生を歩いていきなさいという意味を持っていて、もしアオサギに急に出会ったら、誰かの言葉に翻弄されることなく自分が信じた道を進んでいこうというメッセージが込められている、という。
まさに宮崎駿が伝えたい事のひとつがここにあると推察する。
そしてなぜインコなのか?
東京では昔ペットとして飼っていたインコが逃げ出し繁殖して、日本の古来種の鳥達を脅かしている。
ジブリのアトリエの小金井界隈はまさにそうで、インコは無責任な人間によって逃げ出し繁殖した外来種であると言う事。
そしてヨーロッパではローマ時代にすでにペットとして飼育されたことが記録されているとある。
インコは何を意味するのか?
インコ は欧米人、又は西洋化した日本人を意味すると考察、
そのインコを支配するインコ王は?
インコは、西洋では貴族が飼っていたと考えると?
最後にインコの糞をかけられ笑っているシーンがあるが、これの意味することは?
石は西洋、木は日本の象徴だとしたら。
宮崎駿は敗戦した戦後の日本を総括したい、そして、どっぷり西洋化した今の日本を、外国に飲み込まれていることすら気づいていない日本人に、このままでいいのか、君たちはどう生きるのか?と問うていると考えたなら…。
この映画は何重にもメッセージが込められていて、私はまだまだ理解できてないけれど、
宮崎駿は1人でも多くの日本人にこれからの日本のことを考えてほしいと思っているんじゃないかな。
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