君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全1983件中、1761~1780件目を表示
君たちはどう解釈するか?!
ジブリの良いところを変な感じで詰め込んだ
難しい作品でした
メッセージ性が強く、観る人によっても、その日の気分によっても様々な解釈ができる
よく言えば奥が深い作品といえるのかな?
しかし、映画は娯楽の単純な私には向かない作品でした
色んな感情が込み上げた
好きだった芸能人が自死した訃報の翌日だったこともあり、感情が少し高ぶりやすいこともあったのか、
【君たちはどう生きるか】と問われたことで込み上げてしまうのか、度々涙目になった。
どんな作品なのか、どんな話なのか、何も分からないまま臨んだ宮崎駿氏の最新作。
まるで人生のように目まぐるしく物語が進んでいく。
たくさんのシーンが賑やかに移り変わっていく。
キャラクターも様々でお屋敷のお手伝いのおばあちゃんズも本当に可愛くて、懐かしくて…
これまで本当に色んな作品があったなぁと思うし、
そういう作品の背景も思い出みたいに脳裏をかすめていくような、そんなシーンがたくさん散りばめられていた。
この映画に何かストーリーを説明づけさせるのは少し難しいかもしれない。
それでも、私にはたくさんのシーンが人生のように思えた。悲しかったり苦しかったり楽しかったり…
大切なものを守っていくことは簡単じゃないこと、
この、今を生きてる世界線とは別の世界があるかも知れないけど、
今を生きていること。
私たちは生きていくこと。
しんどくて、バルスと隣り合わせだけど
私は頑張って今日も生きようと思う。
我々が問われたことってひょっとして
見てきたまま、他レビューを一切見ていない状態で感じたことだけを書きます。
本編開始序盤からこの映画が意味するところは何なのか、いつそれが出てくるかを期待しながら見ていたのですが、何一つ見つけることができず中盤からやや困惑しながら見ていました。
ただ画面からところどころ漂う「既視感」がひっかかっていて、とあるシーンである仮説が浮かびました。
「これはシンエヴァ?いや、こっちは〇〇、これは〇〇のオマージュ?」
そんな考えが出てきた途端、それまで映像音楽がどれも宮崎駿自身のセルフオマージュに加え庵野?新海?細田?ひいては富野松本手塚…日本アニメ史が辿った歴史をストーリーや人物、演出に準えて総括してあり、その香りを序盤から感じとっていたのだとすると、自分の中ではきれいに合点がいきました。
つまり私の妄想では今作の意図するところとは、宮崎駿監督が我々に対して
出自も容姿も母親に似ているが別人である継母とそこから生まれてくるものを愛せる覚悟があるのか?
↓
現在の日本アニメの根幹は自国発祥の文化ではない、しかし長年培養されその間独自の文化として変貌を遂げ、やや過剰に変質してきた今とこれからの日本アニメをお前たちは今後も愛していけるのか?
と問われていたのではないかとの考えです。
そう、一見勇猛だが子狡い部分がありしかもそれを自覚しているような、賢しいが基本悪い人間ではない主人公。一切感情移入のできない彼は宮崎駿からみた我々ではないのかと。
そしてそれをわざわざ今作で問うた理由としては、次に控える真の最終作として宮崎駿のリミッターを解放した作品をぶつけるに値するかを計るため…
そんな解釈でとりあえず自分のなかで納得してしまいました。
もっと穿った見方すると、はたして今作にそんな奸計を仕組んだのはご本人なのかプロデューサーなのか?など妄想がつきません(笑)
まあ商業的には今回一切広告宣伝費を掛けず話題を作ったとはいえ、作品的には正直爆発的な要素は見当たらず苦戦が予想されます。
しかし個人的にはオンユアマークよりもっと趣味的な、商売度外視的個人趣味作品を見せてもらいたいので、願わくば次につながるぐらい今作で成功を収めてほしいと願っています。
…大丈夫、受け取る側の我々も覚悟も度量も製作側が思っている以上に大きくなりました、いやさせて頂きました(笑)次回作を期待しております。
だからナウシカは庵野氏に譲ってあげてもいいんじゃないですかね
長文妄想垂れ流し、大変失礼しました😅
過去作を合体させたような異世界の世界感
大筋の話の流れは主人公が異世界に迷い込み、成長して元の世界に戻るという形で千と千尋と大枠は同じである。
同じであるからどうしても過去作と比較してしまう。千と千尋は冒頭からすぐにトンネンをくぐるり異世界に迷い込んでいく感じのテンポも良かったし、海の列車でさらに未知の世界の奥に進んでいく感じが音楽とマッチしていて良かった。
今回は世界観を作るために、宮﨑駿監督の過去作を合体させたような世界観になっているのだが、それは映画のために作られた世界というよりはここのシーンどこかで見たことあると思わせるようなファン向けに作られた世界観のように感じてしまった。
タイトルも君たちはどう生きるか、そして前情報がない状態で映画が戦時中から始まるので、戦時中の主人公の成長を通して、映画の鑑賞者に生き方を問う内容なのかなと見始めは思ったけど、決してそうではない。反戦を訴える内容でもない。
今回の映画は純粋に宮﨑駿監督の作った世界観が純粋に楽しめるかどうかで、映画の賛否が分かれるような感じの内容であった
オマージュがたくさん
*ネタバレあり
理解できたかと言われれば、たぶんできてないけど、
つまらないとは思わなかった。
過去のジブリ作品を模した表現の懐かしさと、
過去にはなかった手法への驚きで、映像に引き込まれた。
これだけ長く作品を作っていて、
まだ新しい見せ方があるんだなぁ。
それから、
そんなことありえる…?と半信半疑なのだけど、
D映画の要素があったような。
まさかね、とは思いつつ…。
・継母と小人頭身のおばあちゃん達
・入り口が塞がれた塔
・窓を背にした大叔父様と赤いバラ
・落下して不思議の世界へ
・侵入者を阻む館で眠るナツコさん
・ガラス蓋の棺で運ばれるヒミ
もしそうだとしたら、
宮崎駿監督が描くとこうなるんだっていう、
とても贅沢なものを観せてもらったことになるのでは。
真似でもパロディでもなく他作品の要素を入れ込みつつ、
ジブリの世界観はそのまま、
しかも自分の過去作のオマージュまで盛り込み…?
そんなこと出来るものなの…?
でも、主人公の出会う体験が、
色々なアニメ作品の形で表現されてるなら、
意味深だけど意味が明かされない舞台装置やアイテムが
腑に落ちる気もする…。
真偽はともかく「我を学ぶと死す」という言葉も
先人を参考にしすぎてはダメ、とも取れるし
他の方が言うように「アニメを創ること」が
テーマの一つになってるのかな。
考えすぎかもしれないし、
もっと深い意味があるかもしれないし、
どっちでもいいけど、
こうやって考えさせられるのも含めて楽しめた!
色々知ってからもう一回観たい。
広告を打たないのは戦略ではなく誠実さ故。
まず観終わった感想がレビュータイトルだった。
今回の新作に関して、広告を出していないのは新しいマーケティング戦略なのかと思っていたが違った。
この映画は世界の、そして監督自身の「世間が思い浮かべる宮崎駿」からの脱却のための作品であり、色んなしがらみを背負って作品作りをしてきた監督の自己との対話のためのものだった。
宮崎監督作品といえば、多くのスポンサーが集まり、否が応でも色んなものが金で雁字搦めになる。
この映画は、巨額が動く宮崎駿に集まる罪深いもの達(罪という言葉が作品のテーマの一つだと感じた)に対する、もう旨みはないし作らせないという宣告であり、そんな者たちを利用しながら映画を作ってきた監督自身の罪と向き合う為の作品だと感じた。
出てくる登場人物は皆醜さを持っており、宮崎駿作品に出てくる理想化された人物像とは一線を画す。
これは恐らく、アニメ制作に携わる中で出会った者達のメタファーであり、また監督自身なのだと思う。
しかし、罪を背負い醜くても、せめて誠実でありたいという監督の思いが作品全体から溢れており、私は涙した。
映像の素晴らしさは筆舌に尽くし難く、アニメーターとして生きた宮崎駿の生き様がこれでもかと伝わってくる。
また、色んなところ過去作のセルフオマージュがされており、金に迎合した作品も自身そのものであるという力強い宣言に思えた。
この作品では「石」が重要な役割を担う。
これは「意思」、つまり我々観客ではないだろうか。
観客を楽しませるのが映画だという矜持を宮崎作品からは常に感じるが、前述した理由で、今回の作品は鑑賞者に向けられたものではなくなっている。
作品内で「石」の怒りに触れる場面が何度か出てくる。
監督は今回の作品が、今までの作品のように多くの人に愛され評価されるものでない事を分かっている。
中には鑑賞後怒り出す者さえいるのを理解しているのだ。
そういう作品であるのに、大々的に広告を打って鑑賞者を焚き付けるのは筋が通らない。故の現状ではないだろうか。
宮崎駿にとって「石」(観客)とは作品作りの根源であり、死神であり、束縛であり、しかし確かに尊ぶべきものなのだと思う。
しかし、そんな石を最終的に断ち切った。
これはつまり、自身の作品作りとの訣別を意味する。
どんなに罪を背負っていると感じていても、作品と向き合い、観客を楽しませる事に情熱を注いだ、アニメーターとしての誠実さを貫き通した宮崎駿の遺作としてこれ以上のものはないと思う。
この映画を見る事ができて本当に良かった。
表現の次元が違いすぎて終始圧倒された。
宮崎駿監督、ありがとうございました。
さようなら。
どうか末長くお元気でいて下さい。
考察をたくさん読んで解釈するしかない
宮崎駿監督作品と言うから、無条件でIMAXでの鑑賞を決めた。
スタジオジブリ作品ではあるが、エンドロールに名を連ねる他のアニメーション会社の多さがジブリの弱体化を物語っている。
近年、スタジオジブリでは千と千尋の神隠し以降、ヒット作品と言う作品は無いと思う。
息子の宮崎吾朗が映画を作っても、父のような才能には恵まれず、酷評され、スタジオジブリの後継問題と後継者不足が浮き彫りになった。
ジブリスタジオでアニメーターをしていた人々は別のアニメーション会社を立ち上げたり、移籍したりして、巣立って行った。
残ったのは、血を分けた息子と宮崎駿監督作品とそれに群がり、まだスタジオは健在だと嘯く関係者のみ。
宮崎駿が築き上げた城は、世界はもはや空前の灯火だと言うのに、跡を継ぐものがいない。
結局、ジブリスタジオは近年では父親である宮崎駿の作品を振り返る美術館や展示会で生きながらえている。
果たして、大衆娯楽的な映画を作ることができないジブリスタジオがこの先、どうやって生きていくのか。
息子は自分の生きる世界で生き抜くことができるのか。
今作は宮崎駿の自伝的作品だと考察されている方がいて、なるほどと唸ってしまった。
そう言われたら、物語のストーリーがしっくり来る。
以下、考察を参考にしたキャラクターの解釈
⚫︎マヒト
宮崎吾朗
⚫︎マヒトのパパ
宮崎駿(父としての顔)
⚫︎青鷺
鈴木敏夫かな?と思ったけど高畑勲説もあり
⚫︎大叔父
宮崎駿(監督としての顔)
⚫︎インコ
映画関係者とか視聴者
⚫︎ペリカン
メディア
⚫︎婆ちゃん達
古馴染みのアニメーター
女性キャラ達が誰だろう?
母は庵野監督とか?
妹の身重の監督は米林監督?
公式のパンフレットがしばらく発売されないそうなので、答え合わせまで時間が掛かるみたい。
それもジブリの思惑通りなのか。
とは言え、宮崎駿監督作品で育ったので劇場公開初日に鑑賞できて嬉しかった。
監督が世に作品を生み出してくれたから、確かにジブリ作品は私の魂の一部になっている。
監督のような森にはなれないけど、細木くらいにはなれるように生きていきたい。
面白い夢を見た後の気持ち
面白い夢を見て目覚めた後、漠然とした楽しさだけが残る時があります。
その時の感覚に似ていました。
いざ見た夢をまとめてみると、特別面白いという内容ではなく、人に話しても共感を得ることはないでしょう。そのような映画でした。
物語も難解で、コンセプトや目的が分かりませんでした。
千と千尋の神隠しやラピュタ、ナウシカなどの宮崎駿作品を期待している方には向いていないです。エンタメ性はなく、美術作品に近いです。
星を3にした理由は、もう一度見てみたくなる不思議な魅力を感じたからです。心に響くものはありましたが、言語化するのが非常に難しい作品であり、何度も見て感じ取る他ないのかもしれません。
まとめると、夢のような抽象的な作品であり、声を大にしてオススメはできないです。
まずは自身の目で
わからない、つまらないという理由での低評価がとても多く見受けられますが、どれだけ現代に対して問題意識を持って生きているかによって評価が大きく別れる作品なのだと思います。
その問題意識というのも、環境問題や災害、戦争などといった表面的に見える問題ではなく、作中にも出てくる本『君たちはどう生きるか』でも描かれているレベルでの、もう誰にもどうすることもできないのではないのかというところまで歪み、絡み合ってしまっているこの人間社会そのものに対しての危機感を持っているかどうかということであり
それを宮崎駿というフィルターを通し、整理し、ファンタジーという形に訳すことによって、これからの世界を担っていく10代の若人たちに感覚的に伝えることを目的とした作品となっているので、もう既にこの社会の歪みに飲み込まれきってしまっている我々大人のほとんどには、そもそも理解することすら難しいのかもしれません。
とにもかくにも、誰か他人の意見に惑わされることなく、まずは一度ご覧になることをお勧めします。
解釈の仕方
ひょっとするとメッセージを受け止めなくてはならないのかもしれない
ひょっとすると感性をもっと柔軟にしないとダメなのかもしれない
ひょっとすると自分はまだ成長してなくてアホな自分には理解出来ない部分なのかもしれない
ひょっとすると逆に大人になりすぎたのかもしれない
やっぱりジブリ作品は特別な思いが知らず知らずのうちに自分の中に入り込んでしまっているのかも
映画が終わって、座席から立ち上がりたく無くなるあの頃に戻りたいと感じてしまった
自分が間違ってるのかもしれませんが、やっぱり映画は楽しんでなんぼの世界だと思ってしまった
抗鬱剤の効能を期待した
梅雨の移ろいがちな天候の下、
有名タレントが自死を選んだ7月であった。
『君たちはどう生きるか』
このぶっきらぼうな命題が事前情報なしで幕をあげると云うのが、私たちにとっては劇薬であり秘薬であった。
宇多田ヒカル、庵野秀明、こと宮崎駿に於いてはある種覚者としての機能が求められ、世間は向こう10年生き長らえる閃きを渇望している。
本作は「戦時中に母を亡くした主人公眞人が、異世界に迷い込んだ義母を救出するロードムービー」なのだが、恐らく観劇後2時間でこのあらすじを紡げる者は皆無であろう。
5分に1度、地球上の誰も見たことのない映像美が目まぐるしく展開され、説教臭さのない道祖神的な宗教観が全神経を奪っていく。
これらは碇ゲンドウがテレポートした時の痛快さを孕み、時にすずめの戸締りであり、時にインセプションであった。
義母を母と認めるに至る神隠しの中で、千と千尋と違ったのは髪飾りの匂わせで閉幕しなかった点。
眞人は異世界の記憶を有しているとメタ表現を用いて迄説明がなされ、自己選択によって現世に帰還した事が強くアピールされた。
思えば劇中では死人も魚を欲しており、兎角生死を選びたがる私たちから死の退路/進路を無意識に消し去ってくれる様な効能を感じた。
『君たちはどう生きるか』
観劇後のタイトルは生命力に満ち溢れていた。
オタク向け!
宮崎駿が好きで、彼のドキュメンタリーなどもたくさん見ている私には面白すぎる内容でした!
彼やスタジオジブリのこれまでの経緯を知っている人には、、、というか知っている人にしか分からない用な気がします笑
超オタク向け!でも、すげーもん見た感は、知らない人にも伝わるかも!
御大まだまだ伝えたいことがあるんだな~
あー、これで宮崎作品の初見の感覚はもう最後か~と思って観始めました。
鑑賞中「レビュー書くとしたら何てどう書くだろうか?」とかが頭の中をよぎるのですが、
今鑑賞は全くそういうことは思わず結構集中して観ることができました。
宮崎作品って動きなんだってつくづく思いました。
他に似た画の作品はありますが、この感覚は彼、御大だけなんじゃないかと。
画自体にも力があります。過度にならず丁度いい感じでした。
過度にならない美しさが、様々なあの細かい動きや演出を活かし作品への集中を強いるんだろうと感じました。
今はキレイな画面の画のアニメは普通にありますが、私にとっては宮崎作品の画の綺麗さが一番しっくり来て「美しく」感じます。情報が多すぎるのもお話をしっかりと伝えるには決して有利に働かないのかもしれないと思わされました。
私が好きだった頃の宮崎アニメに戻ってきた感じがしたのと同時に、それだけではない感覚がありました。「82歳!?御大ぜんぜんイケますやん」って感じです。
宮崎作品は情報量が多いのが常ですが、今作品は特にその感じが強く、そういう雰囲気が凄くしたので、初見では見逃してる物事が多いんだろうなと感じました。
あと何回か観に行ってみようかと思っています。
役者は悪くなかったですが、やはり職業声優を使ってほしかった。
改めて映画版ナウシカを観てしまうと、職業声優での宮崎作品を観てみたかったです。
柴崎コウ(多分あの役)はかなり良くって、「もしかして声優の〇〇さん?」って思いましたが、ここ!って時の演技が少し残念でした。
あいみょん(多分あの役?)があの役だったとしたら、普通に上手いと感じました。
ハウルで以外に良かった木村拓哉ですが、今回のには少し力及ばずな感じがしました。
先にも書いた通り決して悪くはなかったです。よく分からない声優に比べれば、比べるのが失礼な位、上手かったと思います。
ですが、ですが、最後の映画になるかもしれない作品なら、役者も今の日本の最高峰の人達を使って欲しかったです。
82歳でこれだけのものを作れる気持ちとその体力と行動力、余り使うのが好きでない言葉なのですが、やはりこの人は画の上手さや演出力だけでない天才、怪物なのだと思いました。
漫画版のナウシカが凄く頭をよぎったので、また読み返してみようと思っています。
82歳でこれだけのものを作れる気持ちとその体力と行動力、余り使うのが好きでない言葉なのですが、やはりこの人は画の上手さや演出力だけでない天才、怪物なのだと思いました。
タイトルのパネマジ
タイトル間違えてるよ!
タイトル考えてあげたよ。
「宮崎駿による宮崎駿のためだけの映画」
そもそもジブリはメッセージ性なんてなかったよな。物語を見せるもの。何を伝えたいのか考えちゃだめ。君たちはどう生きるか?おかしいやろ。
お墓の石
宮崎駿の幼少期のアルバムを見ながら、
隣で「こんなことがあったんだ」と教えてもらっているみたいな映画でした。
青サギがいた、弓があった、本をたくさん読んだ、父さんは仕事で忙しかった、石が好きだった、でもお墓の石は嫌いだった とか、映画を見ているというより、宮崎駿と話をしてるみたいでした。
お墓の石は冷たいね、私もお墓の石を持ってきてしまったことがあります。
きっと、聞いているお話は、半分嘘で半分本当なんでしょう。
でも全て、見たり聞いたりしたことが組み合わさって宮崎駿の口から手から生まれる物語であるならば、
それは全て嘘で本当。
改めて私は、
ジブリが好きなのではなく、宮崎駿が好きなのだと気がつきました。
私は今、映画を作っています。
私は映画で生きていこうと思います。
タイトルに恥じない傲慢な映画
アレハンドロ・ホドロフスキーのようなシュールレアリスティックな画面構成とフェデリコ・フェリーニ『8 1/2』のような祝祭性。キャリア終盤の巨匠に好き勝手やらせるとやはりこういうものが出来上がるのか。物語は登場人物たちの溢れ出る生命力によって織り上げられたものというよりは、あらかじめ緻密に構想された一枚の巨大な寓意画を端から端まで徐々に読み込んでいくプロセスのような感じ。『君たちはどう生きるか』というタイトルに恥じない、いつも以上に傲慢な映画だった。登場人物たちの動機に焦点を絞って鑑賞するとひたすら不愉快な気持ちで劇場を後にすることになると思う。
異世界で眞人が出会うさまざまなものごとはどれもが悪夢のように薄気味が悪い。ペリカンの群れと荒野に立った金色の扉とか、天に昇っていくフワフワした生命体とか、人語を喋る巨大なインコとか。変におどろおどろしかったりものものしかったりしないあたりが逆に気持ち悪い。こういう気味の悪い描写や造形に関してはやはり宮崎駿は天才的だと思う。ただ、彼自身本作をキャリアの集大成的なものと見なして制作しているところがあり、それが過去のアーカイブの安易な再奏という形で露呈してしまっているのは正直どうなんだろうと思った。過去作のどこかで見かけたようなオブジェクト、生命体、風景。確かに「あっこれ『もののけ姫』のアレだ!」とか思うけど、それが何か新たな意味や意義を振り出しているとは思えなかった。おい爺さん、この期に及んで安っぽいファンサービスなんかせんでもええんですよ。とはいえ第二次世界大戦開戦直後という時代設定が前作『風立ちぬ』の自己模倣と見せかけて実はきちんと劇中での必然性として機能しているというミスリードは見事だったと思う。
世界の秩序を司る大叔父は眞人を自分の後継者に指名するが、眞人はそれを辞退する。世界を自分の思うがままに作り変えられる特権より、彼は「あんまり好きじゃない」はずの現実世界(母親は死に、継母とはギクシャクし、父親はややマッチョ気味で、世界は今まさに戦火に包まれている)に帰ることを望む。眞人のこの選択が庵野秀明『シン・エヴァンゲリオン』の着地点と相似であることは言うまでもない。ゴー・バック・リアル。セカイ系ってやっぱもうダメなんすよね。セカイはボクだけのものじゃない。名もなき無数の他者がいっぱいいる。庵野秀明もそう言ってるし、新海誠や村上春樹もそう言ってるし、遂には宮崎駿までそう言い出してしまった。本日をもってセカイ系は正式に営業を終了させていただきます。誠にありがとうございました。
これ何の話?
結局、観てて単純に面白いのか面白くないのかと訊かれれば、言うまでもなく面白い。撮影も演出も凝りに凝られているのだから観ていて視覚的に飽きることはまずない。よしんば終盤30分の抽象的で不可解な物語展開に振り落とされたとしても、青空に浮かんだ岩やうねる廊下、水面に点々と並ぶ石畳、あるいはヒミの美しい寝顔に見惚れていればあっという間に終幕する。何か一つのトピックに乗れずとも、他に無数の経路が提示されているのが宮崎駿作品のいいところだと思う。苦手な作品は多いがクソつまらなかったなと思ったことはない。作り込まれてるよなあ。もう一本くらい撮ってくれたら嬉しいな。
P.S.劇中で一番可愛かった鳥は屋敷の庭先でエサ啄んでたヒヨコ
私たちは何を観たのか??
と、この映画を見た多くの人が思ったのではないか?
などと予想します。
善しも悪しも、正直にいって分かりません。
半分もこの作品の世界の意味を、
理解出来なかったように思いますので。
ただ、途中から何だか凄く笑えてきました。
この映画作ってる監督のジイさん、
本当に天才だな、と感じたからです。
何でこんなにも、天才的で独創的で、
ワケのわからない映画を、宮崎駿は作ったんだろう、
と考えたくなる謎のオンパレードで、
最後の最後まで不思議すぎたのです。
どういう構造でこの映画を作ったのだろう。
分からない。
生まれて来てよかった。生きろ。生きねば。
【『失われたものたちの本』について追記】
2023.7.27
宮﨑駿監督が映画化したいと切望した物語。
それはアイルランド生まれのジョン◦コナリーの書いた『失われたものたちの本』
映画の理解に役立つかもしれないので、一部を概説します。
第二次大戦下のイギリス。12歳の少年デイヴィッド。愛する母親を亡くした直後、こちらの世界ではカササギの姿で現れる〝ねじくれ男〟にこう声をかけられます。
「わしらは待っておりますぞ。ようこそ、陛下。新たなる王に幸あらんことを!」
ドイツ軍の爆撃機墜落をきっかけに、デイヴィッドはねじくれ男の待つ異世界に入り込み、冒険が始まります。
冒険と言っても一般的なファンタジーと違いこの世界は暴力と血とブラックユーモアに塗れています。赤ずきんと狼の間に生まれた人狼と闘い、太った大食いの白雪姫に抑圧された小人は権利を主張したり。ダークファンタジーというだけでは収まらないほど少しのエロとたくさんのグロに溢れています。
少年デイヴィッドも盗賊相手とはいえ、正当防衛の域を超えて人を殺します。
デイヴィッドが、新しい母親(妹ではなく、亡くなった母親の看護施設の人)から生まれるこどもを憎む感情は、父親を奪われたと思う少年にとってはある意味、無邪気とも言える素直な嫉妬だが、異世界のねじくれ男は、このような少年少女の負の感情を糧に生きながらえているのです。
デイヴィッドに母親の声を聞かせて異世界に誘い込んだのもそのためです。
この異世界にも王が存在します。ねじくれ男は、ある思惑により、この玉座をデイヴィッドに継がせようとするのですが、この物語の核心はここにあります。デイヴィッドが少年から大人になるための闘い。
亡くなった母親が少年に伝えたこと。
『物語は読んで欲しがっているのよ。読んでもらわなくちゃいけないの。だから物語は、自分たちの世界から人の世界へとやってくるのよ。私たちに、命を与えてもらいにやってくるの。』
ねじくれ男の人間観の一端を表すセリフ。
『お前は誰かに邪悪な行いをさせられたのではないぞ。そんなことは誰にもできやせん。己の内に飼う邪悪に、お前が溺れただけのことさ。人間とは常に、自らの持つ邪悪に溺れるものだからな』
異世界に現れる怪物や凶悪な敵。
理性など働かない少年少女時代の邪悪な動機によってもたらされる不幸。
その不幸を招いた責任を負わせることで少年少女を支配するねじくれ男。
以上は、ほんの一部ではありますが、宮﨑駿監督に、引退を撤回してでもまた映画を作りたい、と思わせた要素のいくつかであることは間違いありません。
想像できるものは、なにもかも現実である。
ーパブロ◦ピカソー
【悪意の石について】2023.7.29 補記
こんなシーンがありました。
「あと一日は保つ」といった後だったと思うのですが、大叔父が手のひらに乗せた3個の石を示しながら、
「眞人、この石をお前が積み上げるのだ」
「いえ、その石には、墓石と同じ悪意があります」
と拒否した眞人。
あの墓を構成している石は、大叔父にこの異界を作らせた石の一部であり、この世界の悪意でもある。或いは、墓石自体に悪意を封じ込めてあるのか。
もしかしたら、〝パンドラの墓〟的なものなのか。
この映画における悪意とは、個人的な受け止めとしては、〝支配〟と〝抑圧〟。
支配とは、国家や帰属集団の統治システムのことでもあれば、子にとっての親という場合もある。
抑圧とは、支配する側の意図的な情報遮断により、その世界の仕組みや実相を知らずに生きている人たちであり、息苦しさを肌で感じている場合もあれば、始めからそういうものだと刷り込まれている場合もある。
石との契約で条件をつけられていた大叔父も、抑圧されている側のひとりとも言える。
『わたし(悪意)を学ぶものは死す』
これが、なんらかの教訓を含む言辞なのか、支配するものからの牽制なのかは、わかりません。
石との契約で成り立つ世界には、〝死〟が多いとキリコも言ってたのは、そういうことと無関係ではないと思います。
この世界の支配を続けるものは血縁(たぶん男子限定)でなければならないのは、この世界の永続性を弱めるための仕組み?
眞人のように、こちらの世界に飛び込んでくる子孫がいなければ、その時の支配者の寿命とともにこの悪意の世界は消え去るようにできている?
ということなのかどうか、まだまだ分からないことがたくさんありますが、そのぶん繰り返し見たくなります。
【二度目の鑑賞後の追記】2023.7.18
①積み木の数について(もし、監督に何らかの意図があると仮定した場合)の穿った考察。
初めの積み木の数は9個(数え間違いでなければ)。「これであと1日は保つ」と言ってた場面です。
スタジオジブリ、ではなく宮﨑駿監督作品という括りで並べると、こうなります。
カリオストロの城
風の谷のナウシカ
天空の城ラピュタ
となりのトトロ
魔女の宅急便
紅の豚
ON YOUR MARK
もののけ姫
千と千尋の神隠し
当時の日本映画史上最大のヒット(304億円)、かつアカデミー受賞。この節目の作品でちょうど9作品。
積み木とは言っても、素材は石、それも悪意ある石。
ここで言う〝悪意〟とは邪悪な悪という意味ではなく、『確信犯的に自分の意図を込めてるよ』というほどの意味なのだと思います。法律用語で何も知らないまま、関わってしまった人のことを〝善意の〟第三者と呼ぶのと対をなす意味合いで。
ハウルの動く城
崖の上のポニョ
風立ちぬ
君たちはどう生きるか
以降の4作品を加えると、9+4=13!
インコ大王が積み上げたと同時に崩れた積み木の数は13でした。が、大叔父が、はじめの9個とは別に各地で拾い集めた無垢で悪意のない石だ、と言ってましたから、監督作品の数と同一視するには無理があります。
はじめの9個はこの13個の中には含まれないはずです。
単なる遊び心でちょい数合わせしてみた。そんなことならあったのかもしれませんね。
宮﨑駿監督は、紅の豚の制作中に湾岸戦争が勃発すると、「こんな時に能天気なものは作れない」と発言してるし、ハウルの時は、「今日性のある、作るに値する作品」にする、とやはり言ってます。いつでも、その時見る人たちの感性、世界情勢の影響も受けているに違いない人たちに寄り添う作品を生み出そうともがいています。
ポニョの時には、「少年少女、愛と責任、海と生命、これら初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである』とも書いてます。
最後に大叔父が、真人やヒミや夏子に向かって、それぞれの時代に帰れ❗️と叫んでいたのは、我々観客に向かって、それぞれの世代で、なすべきことをしなさい‼️
そう言ってるように聞こえました。
一部で言われているような家族や周辺のアニメーターその他関係者のことを主要テーマとして描こうとしたら、そんなつまらないことでは、そもそもスタッフが着いてきません。チームでやる仕事ってそういうものです。
だから、ジブリ或いは宮﨑駿監督の作品として発表できるほどの仕上がりにはならなくて、頓挫したと思います。
②なぜ鳥なのか、なぜ夏子は入り込んだのか
神社には、鳥居があります⛩
異界との結界という意味合いなのだと思います。
それを知ってる夏子は、だから弓矢を持っているし、使えもする。
真人が、鳥🦅の影響で、異界に連れ込まれるのを阻止しようと自ら結界を超えた。そんなふうに見えたし、産屋(うぶや)での剣幕もその思いから発せられたのではないでしょうか。
(ここまで追記)
(以下は、はじめのレビュー)
正直、SF的設定の部分は、一回見ただけではよく分からず、家に帰ってからも頭を整理しきれず、取り敢えずもう一度見ることにしました。
でも、宮﨑駿監督がこれまで示し続けた、若者への一貫した応援メッセージだと思って見ると、テーマ性みたいなものは意外とスッキリと腑に落ちるように思えます。
他ならぬ我々日本人がしでかしたあの酷い戦争、やっと平和かと思ったら、経済成長という名の下に環境を破壊、バブルは弾けたけれど経済格差は厳然と残り、戦後いつまで経っても、若者が生きづらい世の中であることだけは不変。ネットには悪意が満ち、コロナ禍やウクライナのような外部からの影響もますます閉塞感を強めている。
6月21日に発売されたばかりの『スタジオジブリ物語』(集英社新書)の帯にはこんなコピーが刷られています。
4歳と14歳で生きようと思った。
「生きる力」を呼び醒ませ❗️
生まれてきてよかった。
生きろ。
生きねば。
(火垂るの墓、千と千尋の神隠し、崖の上のポニョ、もののけ姫、風立ちぬ。)
以下は、同書からの要約(一部引用)。
・宮﨑は、引退宣言後も月に3〜5冊の児童文学を読んでいて、ある時、「読んでみてください」と鈴木に渡した本があった。それはアイルランド人が書いた児童文学←この原作のままでは映画にならない、というとことで、最終的には宮﨑駿監督のオリジナル脚本、監督となった。
・その企画書を宮﨑が鈴木に渡したのは、2016年7月。
2013年に引退宣言をした宮崎が〝晩節を汚す〟ことになりはしないか、と危惧する鈴木に、「絵コンテを20分ぶんだけ描くから、それで判断して欲しい」
・絵コンテは本当に面白かったのだが、鈴木は迷い続けたままであった。そうこうしてるうちに返事をする日が来てしまい、宮崎のアトリエを訪ねたところ、宮崎はいつになくニコニコしていて機嫌がよく「お茶飲む?」などとコーヒーのお湯を沸かし始めた。
・鈴木はそんな宮崎の様子を見てると、「なんかもう、やるしかないのかな」と心を決め、「やりますか」と話しかけた。絵コンテ面白かったですよ、と声をかけても、跳び上がらんばかりに喜んでいる宮崎はもう聞いちゃいなかった。(笑)
本当は、絵コンテを描く、と言い始めた時点で、すでに抑えが効かなくなっていたのだ。
・今回は、共同製作となる出資会社もなくスタジオジブリの単独出資。とことん思うように作りたい、その責任もすべて負うという覚悟をもって制作。
・作画インから足かけ7年に及ぶ制作期間中、コロナ禍だけでなく、高畑勲ほか関係の深い何人かのアニメーターも亡くなるなど、悲しい出来事も多かった。
82歳の宮﨑駿監督の挑戦。
時空を超えたファンタジー、アメコミヒーローのパラレルワールド、スズメの戸締まり。
宮﨑駿監督流の『俺ならこうする』
それが、あの設定だったのだとも感じてます。
新海誠監督の考える扉は、あちら側が悪で、こちら側の世界に災厄をもたらすことになってましたが(本当はもう少し複雑でしたけど)、宮﨑駿監督の扉は、善悪の境目ではなく、どう生きるか、どういう世界にしたいのか、の選択肢のようでもあった。
劣悪な環境の社会ならば、そもそもペリカンに食われて生まれ落ちることも出来なかったかもしれません。
どんなに悲惨な世界であっても、生まれてしまったからには生きろ❗️そして、扉を開けて戻ってきた以上は、生きねば‼️
私にはそれらの叫びが、とても力強く響いてきました。
the宮崎駿、そして宮崎駿の最後感
当然のことながら、ネタバレ注意です。
面白いか面白くないかを口にすること自体がネタバレになりますよね(笑)
私個人としては、満員御礼の映画館で、あ、今自分は宮崎駿のジブリを、映画館で観ている!という感動を覚えました。
まず、冒頭から、第二次世界大戦、東京大空襲から始まり、母親の入院する病院が焼かれ、設定と描写にものすごい勢いで映画に入り込まされました。
そのあとはというと、盛り上がるまでが、若干長いなーと思いましたが、ここでいっぱい情報収集しとかないと、この後の展開が全くわからなくなるので、集中する時間ですね。
作品の中盤初めくらいまで何もかもが謎すぎるので、負けないでください。
訳がわからない、設定はどういうこと?というのを、セリフや作画から読み取ったり、考えないとわからないと思います。それが、義理の母が森へ失踪するまで続きます。映画の中盤くらいかな?とにかく負けないで!
(宮崎駿っぽくて私大好きです。ワクワクします。)
個人的な思いですが、
今までのジブリ作品を思い出させる描写がたくさんあって、個人的にはあーまたあれみたい!これも見直したい!見直さないと考える材料がない!と思える作品でした。
キャラクターたち、場所、設定などを、宮崎駿の周りの、人々、ジブリという会社、取り巻く環境などにも例えてると思いました。(例えばどこがどうとか、何が何の例えなのかは、何回か見て自分なりに自信を持ってこれだと思う!と言いたい気持ちです。)
機械たくさん出てくるかな?と思ったけど、全然出てこず、
ましてや主人公は地に足をつけて武器に弓矢を使っているのは、きっと理由があるはず、、と思いました。
けど、一回見ただけでは、自分はそこまでの結論には辿り着けませんでした。(個人的に宮崎駿の描くメカが大好きなので、全然出てこなかったのはちょっと悲しかったです
今まで宮崎駿と作品を作ってきた人への想いがメインで込められてる作品でもあり、
私たち観客への考え続けろという最大級の宿題みたいなのが出されたような作品だと思いました。
80歳のおじいちゃんが作ったとは思えない内容のどっさり詰まった作品です。
千と千尋や、もののけ姫みたいに、もう一度覚めやまぬ興奮のために映画館で観に行く気になるか、と言われると、うーんという感じですが、、笑
考え過ぎてすごい疲れちゃうんで(笑)
あと子供はちょっと怖いかも。(私は千と千尋が怖くて高校生まで見れなかったのですが、そのときの恐怖と同じようなものがあるので、お子様といくならちょっと気にしてあげた方がいいかも、、?)
個人的には、もっと宮崎駿作品、ジブリ作品を見直して、また映画館に行きたいと思います。
全1983件中、1761~1780件目を表示