君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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うーん…ごちゃまぜちゃんぽん
拡大解釈による妄想一人歩きを避けて言及するならば、
乱暴にこの作品はどうかというと、
「風立ちぬの時代設定で、
シン・エヴァンゲリオンのテーマの世界を、
ポニョの世界のキャラクター達が、
ハウルの扉や千と千尋の翼を使って冒険し、
もののけ姫風のクライマックスで急に大円団を迎える、
余韻を残さない既視感満載の現代アート美術館」
でした。
唐突なあの終わり方はポニョの再来、「これで終わり?」という、これから種明かしで30分くらいあるだろうの部分がごっそり抜け落ちていて、突き放されたような唖然とした空気が観客を包んでいた気がします。
ワラワラなどの新しいキャラクターも、戦隊モノや魔法少女の武器のように、後のぬいぐるみやグッズ化を狙って急ごしらえした存在のよう。
この映画よりも、冒頭の宣伝で出たスタジオポノックの新作の方がよっぽどジブリらしさを踏襲している気がしました。
イベントをこなしていって、急に「はい尺があるので終わらせました!」て感じで…。
終劇後は失笑してる人もいました。
宣伝(してない)手法も含めて例えるなら、
レストランで写真のないオススメメニューを、「お楽しみ日替わり御膳」という説明書きだけを頼りに注文してみたら、量が少ない見知った具材のミックスフライ定食が出てきたような、そんな気分でした。
圧倒的説明不足でその空白部分は議論が楽しめそうですが、
議論したくなるかというとどうなんですかね。
実は深く練られていない世界観を、小難しい謎めいた言葉で誇張して大きく見せているような違和感を感じました。学生が書く論文のような。。。
一緒に行った連れの感想は、
「才能がかげったアーティストが、過去のヒット曲をアルバムにまとめ上げて新作として発売するやつのようだ。」
「ジブリの過去作品には世界観を表すような象徴となる音楽があった。今回はただの一般的なBGMや特徴のない歌だけだった。」
とのことでした。
私にとっては、母の不在、家族の解体と、喪失の再解釈の物語
喪失を経験したひとの物語のように思えた。
私にとっては、母の不在、家族の解体と、喪失の再解釈の物語だった。
映画を見終わって、深く沈み込む気持ちになったが、それと同時になにか救われるような感覚も併存していた。
わからなさを持ったまま、もう一度みたい。
宮崎駿監督からの問いかけ
見ていると昔見た懐かしいシーンが随所にありました。それらを見ていて私はこう感じました。これは宮崎駿監督が生きて残した結晶、私はこうやって生きてきて、こういう物を残しました。あなたはこれからどう生きて、何を残しますか?そう問われているのではないかと。
感じ方は人それぞれで良いと思います。人生のどの地点で見るかによって感じ方は変わると思います。そういう意味ではあまり人生を生きていない子供達にはあまり響かないのかな、と感じました。
君たちはどう解釈するか?!
ジブリの良いところを変な感じで詰め込んだ
難しい作品でした
メッセージ性が強く、観る人によっても、その日の気分によっても様々な解釈ができる
よく言えば奥が深い作品といえるのかな?
しかし、映画は娯楽の単純な私には向かない作品でした
色んな感情が込み上げた
好きだった芸能人が自死した訃報の翌日だったこともあり、感情が少し高ぶりやすいこともあったのか、
【君たちはどう生きるか】と問われたことで込み上げてしまうのか、度々涙目になった。
どんな作品なのか、どんな話なのか、何も分からないまま臨んだ宮崎駿氏の最新作。
まるで人生のように目まぐるしく物語が進んでいく。
たくさんのシーンが賑やかに移り変わっていく。
キャラクターも様々でお屋敷のお手伝いのおばあちゃんズも本当に可愛くて、懐かしくて…
これまで本当に色んな作品があったなぁと思うし、
そういう作品の背景も思い出みたいに脳裏をかすめていくような、そんなシーンがたくさん散りばめられていた。
この映画に何かストーリーを説明づけさせるのは少し難しいかもしれない。
それでも、私にはたくさんのシーンが人生のように思えた。悲しかったり苦しかったり楽しかったり…
大切なものを守っていくことは簡単じゃないこと、
この、今を生きてる世界線とは別の世界があるかも知れないけど、
今を生きていること。
私たちは生きていくこと。
しんどくて、バルスと隣り合わせだけど
私は頑張って今日も生きようと思う。
我々が問われたことってひょっとして
見てきたまま、他レビューを一切見ていない状態で感じたことだけを書きます。
本編開始序盤からこの映画が意味するところは何なのか、いつそれが出てくるかを期待しながら見ていたのですが、何一つ見つけることができず中盤からやや困惑しながら見ていました。
ただ画面からところどころ漂う「既視感」がひっかかっていて、とあるシーンである仮説が浮かびました。
「これはシンエヴァ?いや、こっちは〇〇、これは〇〇のオマージュ?」
そんな考えが出てきた途端、それまで映像音楽がどれも宮崎駿自身のセルフオマージュに加え庵野?新海?細田?ひいては富野松本手塚…日本アニメ史が辿った歴史をストーリーや人物、演出に準えて総括してあり、その香りを序盤から感じとっていたのだとすると、自分の中ではきれいに合点がいきました。
つまり私の妄想では今作の意図するところとは、宮崎駿監督が我々に対して
出自も容姿も母親に似ているが別人である継母とそこから生まれてくるものを愛せる覚悟があるのか?
↓
現在の日本アニメの根幹は自国発祥の文化ではない、しかし長年培養されその間独自の文化として変貌を遂げ、やや過剰に変質してきた今とこれからの日本アニメをお前たちは今後も愛していけるのか?
と問われていたのではないかとの考えです。
そう、一見勇猛だが子狡い部分がありしかもそれを自覚しているような、賢しいが基本悪い人間ではない主人公。一切感情移入のできない彼は宮崎駿からみた我々ではないのかと。
そしてそれをわざわざ今作で問うた理由としては、次に控える真の最終作として宮崎駿のリミッターを解放した作品をぶつけるに値するかを計るため…
そんな解釈でとりあえず自分のなかで納得してしまいました。
もっと穿った見方すると、はたして今作にそんな奸計を仕組んだのはご本人なのかプロデューサーなのか?など妄想がつきません(笑)
まあ商業的には今回一切広告宣伝費を掛けず話題を作ったとはいえ、作品的には正直爆発的な要素は見当たらず苦戦が予想されます。
しかし個人的にはオンユアマークよりもっと趣味的な、商売度外視的個人趣味作品を見せてもらいたいので、願わくば次につながるぐらい今作で成功を収めてほしいと願っています。
…大丈夫、受け取る側の我々も覚悟も度量も製作側が思っている以上に大きくなりました、いやさせて頂きました(笑)次回作を期待しております。
だからナウシカは庵野氏に譲ってあげてもいいんじゃないですかね
長文妄想垂れ流し、大変失礼しました😅
過去作を合体させたような異世界の世界感
大筋の話の流れは主人公が異世界に迷い込み、成長して元の世界に戻るという形で千と千尋と大枠は同じである。
同じであるからどうしても過去作と比較してしまう。千と千尋は冒頭からすぐにトンネンをくぐるり異世界に迷い込んでいく感じのテンポも良かったし、海の列車でさらに未知の世界の奥に進んでいく感じが音楽とマッチしていて良かった。
今回は世界観を作るために、宮﨑駿監督の過去作を合体させたような世界観になっているのだが、それは映画のために作られた世界というよりはここのシーンどこかで見たことあると思わせるようなファン向けに作られた世界観のように感じてしまった。
タイトルも君たちはどう生きるか、そして前情報がない状態で映画が戦時中から始まるので、戦時中の主人公の成長を通して、映画の鑑賞者に生き方を問う内容なのかなと見始めは思ったけど、決してそうではない。反戦を訴える内容でもない。
今回の映画は純粋に宮﨑駿監督の作った世界観が純粋に楽しめるかどうかで、映画の賛否が分かれるような感じの内容であった
オマージュがたくさん
*ネタバレあり
理解できたかと言われれば、たぶんできてないけど、
つまらないとは思わなかった。
過去のジブリ作品を模した表現の懐かしさと、
過去にはなかった手法への驚きで、映像に引き込まれた。
これだけ長く作品を作っていて、
まだ新しい見せ方があるんだなぁ。
それから、
そんなことありえる…?と半信半疑なのだけど、
D映画の要素があったような。
まさかね、とは思いつつ…。
・継母と小人頭身のおばあちゃん達
・入り口が塞がれた塔
・窓を背にした大叔父様と赤いバラ
・落下して不思議の世界へ
・侵入者を阻む館で眠るナツコさん
・ガラス蓋の棺で運ばれるヒミ
もしそうだとしたら、
宮崎駿監督が描くとこうなるんだっていう、
とても贅沢なものを観せてもらったことになるのでは。
真似でもパロディでもなく他作品の要素を入れ込みつつ、
ジブリの世界観はそのまま、
しかも自分の過去作のオマージュまで盛り込み…?
そんなこと出来るものなの…?
でも、主人公の出会う体験が、
色々なアニメ作品の形で表現されてるなら、
意味深だけど意味が明かされない舞台装置やアイテムが
腑に落ちる気もする…。
真偽はともかく「我を学ぶと死す」という言葉も
先人を参考にしすぎてはダメ、とも取れるし
他の方が言うように「アニメを創ること」が
テーマの一つになってるのかな。
考えすぎかもしれないし、
もっと深い意味があるかもしれないし、
どっちでもいいけど、
こうやって考えさせられるのも含めて楽しめた!
色々知ってからもう一回観たい。
広告を打たないのは戦略ではなく誠実さ故。
まず観終わった感想がレビュータイトルだった。
今回の新作に関して、広告を出していないのは新しいマーケティング戦略なのかと思っていたが違った。
この映画は世界の、そして監督自身の「世間が思い浮かべる宮崎駿」からの脱却のための作品であり、色んなしがらみを背負って作品作りをしてきた監督の自己との対話のためのものだった。
宮崎監督作品といえば、多くのスポンサーが集まり、否が応でも色んなものが金で雁字搦めになる。
この映画は、巨額が動く宮崎駿に集まる罪深いもの達(罪という言葉が作品のテーマの一つだと感じた)に対する、もう旨みはないし作らせないという宣告であり、そんな者たちを利用しながら映画を作ってきた監督自身の罪と向き合う為の作品だと感じた。
出てくる登場人物は皆醜さを持っており、宮崎駿作品に出てくる理想化された人物像とは一線を画す。
これは恐らく、アニメ制作に携わる中で出会った者達のメタファーであり、また監督自身なのだと思う。
しかし、罪を背負い醜くても、せめて誠実でありたいという監督の思いが作品全体から溢れており、私は涙した。
映像の素晴らしさは筆舌に尽くし難く、アニメーターとして生きた宮崎駿の生き様がこれでもかと伝わってくる。
また、色んなところ過去作のセルフオマージュがされており、金に迎合した作品も自身そのものであるという力強い宣言に思えた。
この作品では「石」が重要な役割を担う。
これは「意思」、つまり我々観客ではないだろうか。
観客を楽しませるのが映画だという矜持を宮崎作品からは常に感じるが、前述した理由で、今回の作品は鑑賞者に向けられたものではなくなっている。
作品内で「石」の怒りに触れる場面が何度か出てくる。
監督は今回の作品が、今までの作品のように多くの人に愛され評価されるものでない事を分かっている。
中には鑑賞後怒り出す者さえいるのを理解しているのだ。
そういう作品であるのに、大々的に広告を打って鑑賞者を焚き付けるのは筋が通らない。故の現状ではないだろうか。
宮崎駿にとって「石」(観客)とは作品作りの根源であり、死神であり、束縛であり、しかし確かに尊ぶべきものなのだと思う。
しかし、そんな石を最終的に断ち切った。
これはつまり、自身の作品作りとの訣別を意味する。
どんなに罪を背負っていると感じていても、作品と向き合い、観客を楽しませる事に情熱を注いだ、アニメーターとしての誠実さを貫き通した宮崎駿の遺作としてこれ以上のものはないと思う。
この映画を見る事ができて本当に良かった。
表現の次元が違いすぎて終始圧倒された。
宮崎駿監督、ありがとうございました。
さようなら。
どうか末長くお元気でいて下さい。
考察をたくさん読んで解釈するしかない
宮崎駿監督作品と言うから、無条件でIMAXでの鑑賞を決めた。
スタジオジブリ作品ではあるが、エンドロールに名を連ねる他のアニメーション会社の多さがジブリの弱体化を物語っている。
近年、スタジオジブリでは千と千尋の神隠し以降、ヒット作品と言う作品は無いと思う。
息子の宮崎吾朗が映画を作っても、父のような才能には恵まれず、酷評され、スタジオジブリの後継問題と後継者不足が浮き彫りになった。
ジブリスタジオでアニメーターをしていた人々は別のアニメーション会社を立ち上げたり、移籍したりして、巣立って行った。
残ったのは、血を分けた息子と宮崎駿監督作品とそれに群がり、まだスタジオは健在だと嘯く関係者のみ。
宮崎駿が築き上げた城は、世界はもはや空前の灯火だと言うのに、跡を継ぐものがいない。
結局、ジブリスタジオは近年では父親である宮崎駿の作品を振り返る美術館や展示会で生きながらえている。
果たして、大衆娯楽的な映画を作ることができないジブリスタジオがこの先、どうやって生きていくのか。
息子は自分の生きる世界で生き抜くことができるのか。
今作は宮崎駿の自伝的作品だと考察されている方がいて、なるほどと唸ってしまった。
そう言われたら、物語のストーリーがしっくり来る。
以下、考察を参考にしたキャラクターの解釈
⚫︎マヒト
宮崎吾朗
⚫︎マヒトのパパ
宮崎駿(父としての顔)
⚫︎青鷺
鈴木敏夫かな?と思ったけど高畑勲説もあり
⚫︎大叔父
宮崎駿(監督としての顔)
⚫︎インコ
映画関係者とか視聴者
⚫︎ペリカン
メディア
⚫︎婆ちゃん達
古馴染みのアニメーター
女性キャラ達が誰だろう?
母は庵野監督とか?
妹の身重の監督は米林監督?
公式のパンフレットがしばらく発売されないそうなので、答え合わせまで時間が掛かるみたい。
それもジブリの思惑通りなのか。
とは言え、宮崎駿監督作品で育ったので劇場公開初日に鑑賞できて嬉しかった。
監督が世に作品を生み出してくれたから、確かにジブリ作品は私の魂の一部になっている。
監督のような森にはなれないけど、細木くらいにはなれるように生きていきたい。
面白い夢を見た後の気持ち
面白い夢を見て目覚めた後、漠然とした楽しさだけが残る時があります。
その時の感覚に似ていました。
いざ見た夢をまとめてみると、特別面白いという内容ではなく、人に話しても共感を得ることはないでしょう。そのような映画でした。
物語も難解で、コンセプトや目的が分かりませんでした。
千と千尋の神隠しやラピュタ、ナウシカなどの宮崎駿作品を期待している方には向いていないです。エンタメ性はなく、美術作品に近いです。
星を3にした理由は、もう一度見てみたくなる不思議な魅力を感じたからです。心に響くものはありましたが、言語化するのが非常に難しい作品であり、何度も見て感じ取る他ないのかもしれません。
まとめると、夢のような抽象的な作品であり、声を大にしてオススメはできないです。
まずは自身の目で
わからない、つまらないという理由での低評価がとても多く見受けられますが、どれだけ現代に対して問題意識を持って生きているかによって評価が大きく別れる作品なのだと思います。
その問題意識というのも、環境問題や災害、戦争などといった表面的に見える問題ではなく、作中にも出てくる本『君たちはどう生きるか』でも描かれているレベルでの、もう誰にもどうすることもできないのではないのかというところまで歪み、絡み合ってしまっているこの人間社会そのものに対しての危機感を持っているかどうかということであり
それを宮崎駿というフィルターを通し、整理し、ファンタジーという形に訳すことによって、これからの世界を担っていく10代の若人たちに感覚的に伝えることを目的とした作品となっているので、もう既にこの社会の歪みに飲み込まれきってしまっている我々大人のほとんどには、そもそも理解することすら難しいのかもしれません。
とにもかくにも、誰か他人の意見に惑わされることなく、まずは一度ご覧になることをお勧めします。
解釈の仕方
ひょっとするとメッセージを受け止めなくてはならないのかもしれない
ひょっとすると感性をもっと柔軟にしないとダメなのかもしれない
ひょっとすると自分はまだ成長してなくてアホな自分には理解出来ない部分なのかもしれない
ひょっとすると逆に大人になりすぎたのかもしれない
やっぱりジブリ作品は特別な思いが知らず知らずのうちに自分の中に入り込んでしまっているのかも
映画が終わって、座席から立ち上がりたく無くなるあの頃に戻りたいと感じてしまった
自分が間違ってるのかもしれませんが、やっぱり映画は楽しんでなんぼの世界だと思ってしまった
抗鬱剤の効能を期待した
梅雨の移ろいがちな天候の下、
有名タレントが自死を選んだ7月であった。
『君たちはどう生きるか』
このぶっきらぼうな命題が事前情報なしで幕をあげると云うのが、私たちにとっては劇薬であり秘薬であった。
宇多田ヒカル、庵野秀明、こと宮崎駿に於いてはある種覚者としての機能が求められ、世間は向こう10年生き長らえる閃きを渇望している。
本作は「戦時中に母を亡くした主人公眞人が、異世界に迷い込んだ義母を救出するロードムービー」なのだが、恐らく観劇後2時間でこのあらすじを紡げる者は皆無であろう。
5分に1度、地球上の誰も見たことのない映像美が目まぐるしく展開され、説教臭さのない道祖神的な宗教観が全神経を奪っていく。
これらは碇ゲンドウがテレポートした時の痛快さを孕み、時にすずめの戸締りであり、時にインセプションであった。
義母を母と認めるに至る神隠しの中で、千と千尋と違ったのは髪飾りの匂わせで閉幕しなかった点。
眞人は異世界の記憶を有しているとメタ表現を用いて迄説明がなされ、自己選択によって現世に帰還した事が強くアピールされた。
思えば劇中では死人も魚を欲しており、兎角生死を選びたがる私たちから死の退路/進路を無意識に消し去ってくれる様な効能を感じた。
『君たちはどう生きるか』
観劇後のタイトルは生命力に満ち溢れていた。
オタク向け!
宮崎駿が好きで、彼のドキュメンタリーなどもたくさん見ている私には面白すぎる内容でした!
彼やスタジオジブリのこれまでの経緯を知っている人には、、、というか知っている人にしか分からない用な気がします笑
超オタク向け!でも、すげーもん見た感は、知らない人にも伝わるかも!
御大まだまだ伝えたいことがあるんだな~
あー、これで宮崎作品の初見の感覚はもう最後か~と思って観始めました。
鑑賞中「レビュー書くとしたら何てどう書くだろうか?」とかが頭の中をよぎるのですが、
今鑑賞は全くそういうことは思わず結構集中して観ることができました。
宮崎作品って動きなんだってつくづく思いました。
他に似た画の作品はありますが、この感覚は彼、御大だけなんじゃないかと。
画自体にも力があります。過度にならず丁度いい感じでした。
過度にならない美しさが、様々なあの細かい動きや演出を活かし作品への集中を強いるんだろうと感じました。
今はキレイな画面の画のアニメは普通にありますが、私にとっては宮崎作品の画の綺麗さが一番しっくり来て「美しく」感じます。情報が多すぎるのもお話をしっかりと伝えるには決して有利に働かないのかもしれないと思わされました。
私が好きだった頃の宮崎アニメに戻ってきた感じがしたのと同時に、それだけではない感覚がありました。「82歳!?御大ぜんぜんイケますやん」って感じです。
宮崎作品は情報量が多いのが常ですが、今作品は特にその感じが強く、そういう雰囲気が凄くしたので、初見では見逃してる物事が多いんだろうなと感じました。
あと何回か観に行ってみようかと思っています。
役者は悪くなかったですが、やはり職業声優を使ってほしかった。
改めて映画版ナウシカを観てしまうと、職業声優での宮崎作品を観てみたかったです。
柴崎コウ(多分あの役)はかなり良くって、「もしかして声優の〇〇さん?」って思いましたが、ここ!って時の演技が少し残念でした。
あいみょん(多分あの役?)があの役だったとしたら、普通に上手いと感じました。
ハウルで以外に良かった木村拓哉ですが、今回のには少し力及ばずな感じがしました。
先にも書いた通り決して悪くはなかったです。よく分からない声優に比べれば、比べるのが失礼な位、上手かったと思います。
ですが、ですが、最後の映画になるかもしれない作品なら、役者も今の日本の最高峰の人達を使って欲しかったです。
82歳でこれだけのものを作れる気持ちとその体力と行動力、余り使うのが好きでない言葉なのですが、やはりこの人は画の上手さや演出力だけでない天才、怪物なのだと思いました。
漫画版のナウシカが凄く頭をよぎったので、また読み返してみようと思っています。
82歳でこれだけのものを作れる気持ちとその体力と行動力、余り使うのが好きでない言葉なのですが、やはりこの人は画の上手さや演出力だけでない天才、怪物なのだと思いました。
タイトルのパネマジ
タイトル間違えてるよ!
タイトル考えてあげたよ。
「宮崎駿による宮崎駿のためだけの映画」
そもそもジブリはメッセージ性なんてなかったよな。物語を見せるもの。何を伝えたいのか考えちゃだめ。君たちはどう生きるか?おかしいやろ。
お墓の石
宮崎駿の幼少期のアルバムを見ながら、
隣で「こんなことがあったんだ」と教えてもらっているみたいな映画でした。
青サギがいた、弓があった、本をたくさん読んだ、父さんは仕事で忙しかった、石が好きだった、でもお墓の石は嫌いだった とか、映画を見ているというより、宮崎駿と話をしてるみたいでした。
お墓の石は冷たいね、私もお墓の石を持ってきてしまったことがあります。
きっと、聞いているお話は、半分嘘で半分本当なんでしょう。
でも全て、見たり聞いたりしたことが組み合わさって宮崎駿の口から手から生まれる物語であるならば、
それは全て嘘で本当。
改めて私は、
ジブリが好きなのではなく、宮崎駿が好きなのだと気がつきました。
私は今、映画を作っています。
私は映画で生きていこうと思います。
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