君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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鑑賞動機:もう大して興味もないけどこの時期は夏休み向け作品が大部分だしなあ。10割
もはや動機がない。
過去の作品を連想させるシーンがたくさんあるなあ、
とか。
仮に裏の意味があるとしても、それに対してさして心動かされないし。
あまり掘り下げたらいけなさそうな別の方向性では興味を惹かれなくもないけど。
煮え切らない感想しか出てこない…。
カオス
脳内カオス
どんな感想を持ったらいいのかわからない。
というのが鑑賞直後の感情。
なるべく情報を入れずに、「賛否両論、しかも極端」ということだけ知ってる状態でいざ。
「とは言ってもジブリだし、感動屋の私はきっと何か感じたり泣いちゃったりするんだろうな〜」と思ってたけど…
いやはや、涙全く出ず。
うう〜〜ん。あれ〜???
もしかしたら数日経って咀嚼できるのかもしれないけど、鑑賞直後の今は全く飲み込めてない。
絵はすごい。
後から見たら声優もすごい。
んーータイトルとの乖離?
いや駿さんは存分にその想いを込めているのかもしれないけど、うう〜ん。
男性女性で見方変わるかもしれないなぁ。
と思ったのは、とにかく父が不快だったこと。
亡き妻のそっくりの妹が妊娠て…えぇ…最悪…キモ…
金持ちのオラつきで息子をむしろ傷付けてたり…
度々不快になったし、それが何かに消化されたり回収されたりするわけでもなく、ただただ不快なままだったのが一番のマイナスポイントかもしれない。
駿さんが生きた時代は普通だったのかもしれない?
そんなおかしな時代のことも知ってほしかった?
それも含めて「君たちはどう生きるか」なのか?
失敗作。だけどエネルギッシュ
ほとんどの人が監督論で語るなんて、日本映画では珍しい。それを抜きにして観ると、単純にキャラクターの立ち位置が見えて来ないのでストーリーが破綻している失敗作。もっと簡単に言えばマザコンを描きたいのに、マザコンだとバレるのが嫌、と矛盾した映画。
青サギジジイはわけわからないし、セキセイインコ集団は大衆の比喩なのか、それでもよく分からない。
でもエネルギッシュ。そして瑞々しい。
次回作に期待してしまう。
レビューを確認して、観るか悩んでましたが結果、観てよかったです。
ジブリファンでもなんでも無いですが、今までの宮崎さんの作品のひとこまひとこまを感じることができる映画でした。
まるで、自身の人生、今までの作品の紹介の後、タイトル通りの内容を私たちに問いかけているかのような物語に感じました。
つれはつまらなかったと言っていたので見方、考え方によってはそう感じる人もいると思います。
とても考えさせられました。
構造は漫画版「ナウシカ」+もう一つの視点( 母への恋心、足りない父の愛情、弟誕生の不安)
●最初の印象 演出面
なんだかんだでハウル以来の劇場でまともに見た宮崎監督作品。
サイレンから始まる冒頭は、日常の終わりを告げ、
非日常の世界に我々を誘うのに効果的だった。
その後の火事の現場へと駆けていく描写は圧巻。
少年の不安と焦燥、消火に奔走する人、逃げる惑う人の混沌を
見事に表現していて素晴らしい表現だと魅了された。
キリコさんの巧みな船さばきで風をとらえる動きも素晴らしかった。
しかし、宮崎監督のこだわりである細かい動きの描写は、
丁寧だと思いつつ、時にくどく感じてしまったのも事実。
・燃える病院に駆けつけようと、下駄を脱ごうとして脱げない演出は細かいが、
母の生死が危うい場面では、むしろ下駄ごと家に上がってしまってもいいし、
着替えなんてしないまま飛び出した方が主人公の焦りが伝わるような気がする。
(家を継ぐ長男としての自覚がそうさせなかったのかもしれないが)
・主人公眞人と夏子らが神隠しにあい、閉鎖された塔に父親が向かうシーンでも
大げさなぐらい装備を身に着け、チョコレートまで懐に入れる細かい描写だが
二人を一刻も早く見つけ出したいのならば、刀をガッとつかんで飛び出す方が
男らしくかっこいいのではと思ってしまった。
・おばあちゃんたちの初登場シーンで届いたカバンに群がって
うごめいているシーンはおぞましいほどの気持ち悪さを感じて、
何か裏があるのかと勘ぐってしまった。
最近のジブリ作品の傾向でもあるが、なにか全てのものを丁寧に描こうとして
(とくに水や涙、血、ジャムといった液体の描写がドロドロしていて苦手なのだが、
「紅の豚」の頃ような透き通ったきれいなサラサラな水が見れないのは残念。)
作画的に演出的にも効果的な省略、いい意味での手抜きができていない気がする。
物語上重要ではないがアクセントとなる演出は目立たずさりげなくするべきで
全ての細かい演出が目立ちすぎるとかえって意味があるのではと考えすぎて
物語を追うことへの弊害になってしまうのではないだろうか。
逆に監督のこだわり?かもしれないが、
主人公の家庭事情を説明しない傾向があり
母が死んでから疎開したかと思うと、突然父が母の妹と再婚して
お腹には赤ちゃんまでいるという流れなので、
急において行かれた感がいなめなかった。
最初に少しでも父の仕事、再婚など諸事情に触れてほしかった。
●画面の印象 キャラクターと背景
メインである「青サギ」は、かなり不気味な登場の仕方で印象に残り良かった。
(あとで菅田将暉が演じていると知り、いい意味で驚いた)
ただ全体的に鳥のキャラが多く、鳥の何を考えているのかわからない不気味さを
効果的に使えている反面、かわいらしいマスコットキャラがいないのが物足りない。
ワラワラにしても、ジブリ的ではないデザインで違和感を感じてしまった。
全体的には多くの人が指摘されているように既視感があり、
どこか宮崎監督のオムニバス作品を観ているかのような印象を持った。
和風な外観に洋風な内装、神秘的で荘厳な森、西洋の田舎といった背景も
ジブリが築き上げてきたビジュアルだと思うが、
日本が舞台ならもっと昭和的な背景や
もう少し見たことがない新しいビジュアルが見てみたかった。
そういった意味ではヒミもジブリ作品で見慣れた洋風なビジュアルよりも
和装が似合ったのではないだろうか。
●構造の考察 表面的には「千と千尋」だが中身は「ナウシカ」
神隠し、異世界といった面から見れば、すぐに「千と千尋」が思い浮かぶが、
全身に群がるカエルや、ペリカンがもみくちゃにしながら語り掛ける演出は
漫画版「ナウシカ」にも見られた演出だったのではっとした。
また主人公眞人が千尋のような等身大の怯える女の子と違うのは、
少しくらいの怪異や脅しには全く動じない男の子であること。
これは長男であり将来家を継ぐものとして気高さがなせることであって
ナウシカがもつ、風の谷を治めるジルの子である誇り高い姿や、
宮崎作品でよくみられる貴族や騎士、王族に見られる特徴である。
眞人の世話をするおばあちゃんたちが、ナウシカの城オジたちと考えれば
眞人=ナウシカも納得できる。
とくにラストシーンで主人公やインコ大王が大伯父と対峙する場面は
以下のように登場キャラを対応させると漫画版「ナウシカ」の
ラストシーンと一致していたことがわかる。
眞人 = ナウシカ
ヒミ = 森の人セルム
インコ大王 = ヴ王
青サギ = 道化
大伯父 = 墓所の主
そして漫画版ナウシカは墓所の主が理想とする世界を否定し、毒がなければ
生きていけないという事実を隠しながら、人々と生きていく選択をする。
同様に眞人も自分でつけた傷という嘘を抱えながら、
現実で生きていく選択をする。
●もう一つの視点 母への恋心
映画の後半で印象的だったのは大きな岩で封印された墓である。
まるで古墳の棺を納める石室なようなところに、夏子はとらわれている。
劇中「産屋」とも言われていたように、
日本神話における伊邪那美の出産を連想させる。
伊邪那美は火の神を生んでしまうことで焼かれて死んでしまう。
悲しんだ夫の伊弉諾は子である火の神を殺し、黄泉の国へ妻を探しに行く。
映画の主人公眞人は、死んだ母に会えると聞かされ、さらに神隠しにあった
母にそっくりな妹夏子を連れ戻すために地獄へ行くことになる。
日本神話では夫婦の関係が、映画では母子になっていると最初は思う。
ところが眞人が地獄で出会うのは少女の姿をした母(ヒミ)なのである。
夫婦とまではいかないまでも恋愛対象として成立する姿で母が登場している。
つまり主人公の隠された感情として、母親が恋愛対象にあったことがわかる。
子供が母親に恋愛感情を抱くのは特別なことではない、
将来ママと結婚するなんていうのはよくあることで、
これはまだ眞人が子供であるという証拠である。
●もう一つの視点 足りない父の愛情
そして、映画を観ていてもう一つ印象に残ったシーンがある。
それは夜中に目を覚ました眞人が階段から玄関を眺めていると
炎が噴き出してくる幻を見るシーンである。
その幻を見た後に玄関から入ってくる人物は眞人の父親で、
父は出迎えた夏子と口づけを交わしているようだった。
眞人にとって炎は母親を殺した忌まわしいものである。その象徴として父が現れ、
さらに母にそっくりな妹夏子までも妻として、赤ちゃんを身ごもらせている。
プレイボーイ?な「ハウル」の声をあてた木村拓哉が父親の声優だというのも
眞人にとって父は恋敵だったという暗示なのかもしれない。
では眞人にとって父親は絶対的に憎む相手かというとそんなことはない。
漫画版ナウシカは序盤に父を失うが、最終巻では母親に対しても言及している。
それは「母は私を愛さなかった」というものである。
これを映画に置き換えれば、眞人は母を失い、「父に愛されていない」となる。
●もう一つの視点 弟誕生への不安
眞人がそのように感じる原因は義理の母となる夏子と
生まれてくる子供の存在である。
父が別の家の女性ではなく、母の妹と再婚する理由は映画では描かれないが、
恋愛感情を抜きにすれば家と家のつながりを維持したかったためであろう。
父は軍需工場で財を成し、母の実家もお屋敷をいくつも抱える上流である。
長男であった主人公は、跡継ぎとなるべく威厳をもって気高くあろとしているが、
母の死と、父の再婚、弟の誕生があって自分の将来に希望が見いだせなくなる。
そういえば墓の入り口の門はヴェルサイユ宮殿の門と同じだったと思う。
ヴェルサイユ宮殿では王妃の寝室において公開出産が行われたという。
これは子供のすり替えを防ぐためだが、
人々は同時に王の誕生を見守ることになる。
つまり眞人にとって弟が生まれれば、もう一人の王の誕生となり
それは自分の地位を揺るがすできごとと捉えていたのかもしれない。
だから自分の頭に石を打ち付けた。
これはミュンヒハウゼン症候群的な行いで、
自らを傷つけ周囲の関心を引き付けるのが目的があった。
最もひきつけたかったのが父親の愛情だったのだろうと思う。
もし仮に神隠しや、あちら側の世界が、そんな不安定な状態の眞人が
作り出したものだったとしたら、やはり夏子とお腹の中の子も神隠しにあったのは
二人にいなくなってほしいと眞人が心の奥底で思っていたからなのかもしれない。
●もう一人の自分の象徴 鳥
そんな主人公の心の中を見透かして現れたのが「青サギ」。
眞人は青サギを噓つきだとののしるが、それは自分も嘘をついているからである。
なんだかんだ助け合う二人はいつしか友達だと思える関係となる。
眞人が最後に語った「友人と生きていく」という言葉はもしかしたら
青サギ=嘘ということなのかもしれない。
青サギの次に現れるのは「ペリカン」。
ペリカンに手を焼いているのはキリコである。ペリカンは墓の門をこじ開けたり
ワラワラを食べたり、地獄から抜け出そうと高く高く飛び続けたという。
キリコに対しての情報は少ないが、お屋敷に詰めるおばあちゃんたちも
規律を求められる使用人の暮らしの中で、ちょっと覗いたり、食べたり、くすねたり
そんな願望や、自分の中のものがペリカンとなっていたのかもしれない。
最後に「インコ」の群れと「インコ大王」の登場である。
ノイシュバンシュタイン城をつくったルートヴィヒ2世をモデルにしているだろう
塔の主・大伯父は本の世界にのめりこみ、塔を築き、現世から姿を消してしまう。
その塔の中でインコたちは、ファンタジーの王国や騎士のように忠実でありながら
食べることに貪欲で、数が増えすぎてついに外の世界に出ようと考えている。
現実世界から逃避した大伯父にとって「インコ大王」は
本来は家を継いで当主としてみんなを引っ張っていかなければならない
自分自身の投影だったのかもしれない。
そう思える理由は「積み木」である。積み木は子供のおもちゃである。
大伯父はおおまじめに積み木を積み、世界の秩序を守っていると訴えているが
それは現実からの逃避である。
積み木は積み上げて遊んだら必ず崩して片付けなければならないものである。
積み木が崩れかけているのはそのためである。
だからインコ大王は怒った。こんな積み木遊びで世界を治められるはずがないと。
だから眞人は断った。積み木遊びはしない。子供の感情から卒業する。
すでに夏子を母親だと認めた、
かつての母への恋愛感情を捨て去り、
弟の誕生を祝福する。
現実世界で頭の傷という嘘を抱えて生きていく大人になるのだと。
●最後に
眞人が頭を自分で傷つけ、嘘を抱えるというコンセプトが非常に光った。
できればその方面で、家族間のエピソードがあればもっと共感できる
映画になったのではないかと思う。
こうして色々考えさせられる映画もたまにはいいと思うが、やっぱり自分は
漫画版「ナウシカ」や「シュナの旅」、「戦国魔城」なんかを
こねくりまわさず、そのままかっこよくアニメにしてほしいと思う一ファンです。
映画を観た後にあれこれ考えたことを、とりあえず書いてみました。
長文失礼しました。
エンタメじゃない
言いたい事はなんとなくわかる。映像はきれいだし、演出も秀でていると思う。でも、お金を取って人の時間を奪う価値のある話じゃない。これで内容を秘匿してスタジオジブリ、宮崎駿の名前で売ったら馬鹿が引っかかって金を落とすんだろう。そういう感じだった。内容を頒布しないのは詐欺への加担だ。表現の自由も言論の自由もあるけれど、映画はあくまでもエンターテインメントだと思うので、観客を楽しませる気がないのなら出てくるな。
比較的分かりやすかった
宮崎アニメがちょっと奥が深くて、なかなか見に行けない自分。今回は、ほとんど情報がない中で見に行ったけれども、比較的わかりやすかったです。
後日テレビで声優さんが分かって、もう一度確認しに、見に行きたいです。
懐かしい感じ
はっきり言ってストーリーはよく分からなかったです!!
なので大した考察はできませんが、、、
ジブリの映画って令和のこの現代を舞台にしたものがないので、
アナログな感じが凄く懐かしく、温かく感じるんです。
今回もそうでした。ネット等々に頼らず、自分の感覚を信じろ!みたいな
あとお年寄りが強い!たくましい!と思いました。
ザ・ジブリの絵柄っぽいおばあちゃんがたくさん出ていて
そこもなんか、懐かしい感じがしました。
主人公と青サギの演技がすごく良かったです。
特に主人公を演じた俳優さんのお声はきっと今しか聞けないんだろうなと思います。
(完全には声変わりしきっていないという意味で)
なのでフレッシュさが溢れていました。
青サギも憎めない感じがして良かったです。カルシファーみたいな立ち位置だなと思いました。
物語の謎解きをしたい気もしますが、全部知ってしまうとつまらない気もします。
きっと人それぞれの感じ方があるんだろうと思います。
心のどこかにしまっておき、何年か毎に見返したいと思えた作品でした。
Don't think ,feel!
いろんな方の、いろんなご意見をネットでちらほら見聞きしておりましたが、
ようやく自分自身もこの映画を視聴しました。
で、めちゃくちゃツボったというか、
ドハマリしてしまいました!!
批判派のご意見もわからなくはないのですが、
まずはこの映画、『考えるな、感じろ』で
良いのではないのでしょうか!?
めくるめく怒涛の展開、
美しい自然描写、
静謐で美しい音楽。
ベックリンの『死の島』を彷彿とさせる
塔の中にある異世界、
実母が若かりし頃神隠しにあったこと。
そして
その失踪期間の記憶を無くしていること。
いやぁ、これまでジブリ作品を
多々観てきましたが、
正直今の自分にとっては
これが一番の作品なんじゃないかなと
感じました。
ずーっと昔に観た
マシュー・バーニーのクレマスターシリーズを
ちらっと彷彿とさせてしまいました。
映画を観て純粋に感動しました。
人の生き死に、戦争の残酷さ、世界の過酷さに
思いを馳せました。
他人にオススメできるかは
正直自信が無いのですけれど、
自分はこういう映画好きです、
こればっかりひたすら見続ける勇気は
ございませんでけれども(^^;
アリがナシがで言ったら『アリ』なんじゃないかなぁ~と思います✨
動く現代アート
映像・演出・演技(20)
ジブリの安定した美麗な作画が今回も光っていた。全体的にこれまでの宮崎駿作品の要素が随所に散りばめられており、似たような属性を持つ同作者の初期のマンガ『シュナの旅』への再帰性があり感慨深かった。
※インコがキャラデザが可愛かった!
久石譲の楽曲も作品全体のややホラーテイストな雰囲気をさらに引き立てていた。演技はアオサギを演じる菅田将暉の怪演に驚かされた。しかし、あいみょん演じる眞人の母『ヒミ』の演技が他のキャラクターの演技と比べ少々浮いてしまっていると感じたため、多少マイナス。
18点
世界観(20)
ルイス・キャロルの『不思議な国のアリス』のような辻褄の合わない不思議な世界観が映し出されていた。細かい考察で部分的な辻褄合わせはできるものの本作は全体での世界観の統合が意図的かは不明だが、なされていないため考察する意味は薄いのかもしれない。
個人的には結構好きだったが、明らかに万人受けする類の世界観ではないため、
14点
脚本(20)
ダンテ・アリギエーリの『神曲』を思わせる死後の世界巡りの話を大枠として、眞人たちが家族になるエピソードが語られていた。(この場合のベアトリーチェポジションは『ヒミ』かな?)本作のタイトルにもなっており、作中に本として登場する『君たちはどう生きるか』の作劇的な役割に注目してみてほしい。時空を超えた親子愛に結構感動するかもしれない。世界観とは異なり、エピソードの整合性はきっちり取れていた。
17点
キャラクター造形もしくは心理描写(20)
本作はキャラクター造形は標準的だがキャラクターの心理描写が秀逸である。新しい母との関係を受け入れられない眞人と、そんな彼を息子として受け入れられないナツコの心理が克明に描かれていた。
15点
メッセージ性(20)
タイトルはあんな感じだったが、作品はそこまで強い確固たるメッセージは感じられず、絵画のように見るものの感性に委ねられている印象だった。
15点
総評
鑑賞後は現代アートが展示されている美術館を巡った後のような心地いい疲労感に襲われた。ジブリのエンタメ作品を期待していた人はとんだ肩透かしを食らったかもしれないが、考察が好きな自分にはかなり刺さった。
でも子供と一緒に行くことはお勧めしない。
79点
素晴らしいです!
評価わるかったので見る予定なかったのですが、見てよかったです。素晴らしいです!
子供を病院に連れていき学校へ送ったあとで洋画でも見ようかなと思ったら、調度いい時間のがなくて期待せず見てましたが、素晴らしい映画でした。
君たちはどう生きるかは本も10代で読みましたが、映画もテーマは本と同じように感じました。映画にも本がでてきてコペルくんと書いてありました(笑)
崩れたものは時代か、今までの自分か。
積むことができる一つの石は自分の生き方(人生)か、選挙の一票か。
世界は小さな集合体からできている、悪意も善意もある。「これからは君たちの時代だ!」君はどう生きるか?君たちは(君は)どんな時代を築く?とのメッセージを感じました。
これからどう生きるか。人生の折り返しを過ぎた身にはキツイですね。なんだか泣きそうになりました。
凝った演出やドラマは特にありません。
不思議の国のアリスを見るような気持ちで見るといいかも。
寓話てきな映画、意外と奥が深い文学的な映画です。
小学生の子供がどんな印象を持つか気になります、一緒にもう一度見たいです。
追記
小3の子供と旦那と見ました。
旦那は面白かったと。
子供は最初の火事のシーンだけ怖かったけど面白かったとのこと。
大おじさまは最後どうなったのか?と、そこを子供ながら考察してました。学年より上の本を好む子なので、答えを与えられない話も楽しめたようです。
答えがあるストーリーではないのだなと、改めて思うと同時に、監督のねらいもそこ(自分で考えること)にあるのかな?とも思いました。
与えられることに慣れてしまっている世の中に向けられた作品なのかも?、つまらないとの声も想定内かもしれないな。
良かった
否定的な意見をちらっと耳にしていたので、それほど期待することなく見に行きました。
実際に観てみると、私にとって分からないと思うところはあまりなく、全体としてスジが通らないと感じるところもなく、ジブリアニメとして楽しめた作品でした。
今回の作品はこれまでの作品よりも何か現実とのリンクを感じさせる作品だった様に私には感じました。
まず、印象的だったのは恐らく宮崎駿監督の幼少期の記憶であろう、昭和初期の光景やその質感、当時の風習の描写等です。物語の舞台背景の描写にはどこか心が動かされました。1970年前後生まれの私はこの時代の残り香を幼少期に感じた世代だからかも知れません。
異世界の話は、まさに監督自身が生涯取り組んだ仕事そのものの描写と感じました。過去と現在と未来が交わる異世界の描写…監督の幼少期に将来物語を作る仕事を選ぶきっかけになる何かがあったのかもな…なんて連想したりしてしまいましたね。
「君たちはどう生きるか」
この映画は宮崎駿監督が「自分の生涯はこうであった」と見せた物語だったのではないか、なんて考えながら帰路につきました。
もう一回くらい観たいと思ってます。
天才宮崎駿の遺言のような作品
今までの楽しい映画にも、この難解さは散りばめられてはいたが、今回はもう、利益度外視、評価度外視で、最後に本当に伝えたい事を、本っ気で形にしたような作品 観終わって号泣してたのは、沢山いたお客さんの中で私だけ 「分からなかったね」「難しいね」と、声も聞こえた
私も、分かったとは言えない
偽りと悪意では、いくらバランスを取っても世界は1日しか持たないという積み木、継承者は自分の血を引くものでなくはならないという危うさ、戦争、格差、いじめ、引きこもり、ステップファミリーの葛藤等、批判や指摘も沢山散りばめられていた
混沌とした、紙一重の生と死、目に見えないものや、自然、命への敬意、自分の子供に逢える素晴らしさ、どうすれば本当の友達ができるかも 本気でどう生きるか、いや、こう生きて欲しいという強いメッセージを感じた
まさに最後に命を燃やしてかいたような、天才の力を思う存分見せつけた 私の生き方や、人生を変えるような作品
映画ではなく、漫画の「風の谷のナウシカ」を思い出した
小さい子供向けではない
あの、ポスターだけは宮崎駿自身が描いたのだろうか
あの、異なる二つの目 素晴らしかった
全くもって難解でした…。
宮崎駿から「これを観てどう感じる?」と問われているかのよう。
大叔父から13個の積み木を託されるが、眞人は「自らで築き上げる」と拒否する。これは、宮崎駿自身がこの作品を最後に本当に身を引き、後を託す、オリジナルの世界を作れ、とメッセージをしているように思えた。
吉野源三郎原作の漫画と同じ題名で、それに引っ張られてしまったせいもあるな。もう一度、真っ新な気持ちで、観たいと思う。
悪意のある世界でどう生きるか
おおじいさまは、悪意のない世界を作ろうとしていたが、その世界は独りよがりの世界になっていた。(死にかけペリカンから教えてもらう)
眞人は、悪意のある世界でも、家族、友達と生きることを選んだ。
眞人は最後に石を持って帰ってきた。その石も悪意のある石だった。
眞人が悪意のある世界で生きる事を選んだことは凄いことで、そのマインドは見習うべきだと思った。
君たちはどう生きるか
シンプルに宮崎さんの生きてきた今までの人生、ジブリのオマージュ作品という感想です。
所々に出てくる印象的な場面は、これまでのジブリ作品の場面を思い起こさせる素材が散りばめられていました。背景画も素晴らしく、絵として場面ごとに素晴らしい。たくさんの動物のシーンなど、気持ち悪いという気持ちも起きませんでした。素直に宮崎さんの少年時代の気持ちをストレートに刻んだ、作品であり、また、大叔父さんの守っていた世界線というものがジブリスタジオなのかなとも思いました。
今後の世界を担う子供たちへ向けられた宮崎監督のメッセージなのかな。
大叔父が真人に自分の世界を継がせようとする。自分がいた世界は愚かな戦争に突き進む世界だった。そんな世界を嫌い、石の力で自分の思い通りの世界を作ろうとした大叔父。しかし真人が言うようにこの世界には邪悪が潜んでいた。
食べるものがなく仕方なくわらわらを食べざるを得ないペリカンたち。人間を食うインコは数が増えすぎて世界のバランスが崩れかけている。これは人間が増えすぎて生態系が崩れかけている今の世界を示唆してるのか。
現世を悲観して作り上げた世界は皮肉にも現世同様均衡がとれた世界とは言えなかった。そんな世界を引き継げと言われても。
真人の心境はまるで環境破壊しつくされた今の世界をそのまま引き継がされる若者たちの心境でもあるのか。
そして辛うじて均衡が保たれていた大叔父の世界はほんの小さなきっかけで積木が崩れるようにもろくも崩壊してゆく。
私たちが住む世界もこの大叔父の世界同様辛うじて均衡が保たれてるだけなのかもしれない。小さなきっかけですべてが崩壊するような。それは核のボタンかはたまた加速度的に進む温暖化による環境破壊か。
元の自分の世界に戻った真人は戦争が終わり東京に戻ることとなる。これからの世界をどう築いてゆくかは彼ら一人一人にかかっている。大叔父が作った世界のように破滅を迎えるかそれとも。
監督は我々大人たちが創り上げたこのバランスを欠いたいびつな世界を次世代に渡さなければならないという申し訳なさを描きたかったのか、あるいはそんな世界でも悲観せずに若者たちの力で切り開いていって欲しいという一縷の望みを託したものなのか。
ジャーナリストの青木さんは一つ星か五つ星かで評価が分かれる作品だと言っていた。けど私はその中間よりもちょっと上。とにかく背景の絵の緻密さに驚いた。今までのジブリ作品の中でも突出してるのではないか。広告にお金をかけないぶん制作費にお金を回せたせいなのだろうか。ただこんな戦略は宮崎アニメ以外では無理だろうなあ。
今回広告一切なしというのがこれまた逆に宣伝効果にはなったんだと思う。賛否が分かれてるのも逆に気になってみたくなるし。
結局は「千と千尋」や「パンズラビリンス」のような異世界冒険譚。少年が母や継母との間で苦難を乗り越える成長物語。
前半が結構話が進まないから何を見せられてるのかと思う気持ちもわかる。個人的には結構楽しめた。
それにしても鳥が画面に占める割合が高い映画だったなあ。
全1987件中、241~260件目を表示