「俺はこう生きた」君たちはどう生きるか かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
俺はこう生きた
『君たちはどう生きるか』の“君”=宮崎駿自身のことであり、『俺はこう生きた』とタイトルするのがむしろふさわしい、宮崎駿が師匠として敬愛している大先輩故高畑勲へに“サヨナラ”を言うために(引退宣言を撤回してまで)作られた、スタジオジブリの超内訳ネタアニメーションなのである。
その製作風景を取材したNHK特番『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見なければ、意地の悪そうな青サギ=鈴木プロデューサーだなんて誰が気づけることだろう。因みに、主人公の真人は駿先生、大叔父は故高畑勲がモチーフだという。(スタジオジブリのメタファーと思われる)“塔”の中へ夏子を探しに行く真人と同行するキリコ婆さんは、ジブリの元スタッフがモデルになっているそうなのだ。
このアニメ、ジブリの過去作品へのセルフオマージュ満載と聞いていたのだが、実際鑑賞してみるとさほどオマージュ色は強くない。おそらく過去作品も本作品(の前半部分)も、宮崎駿自身の実体験をベースにしているだけに自然と部分部分の表現が似てきてしまうのではないだろうか。病床に伏している母親というキャラが複数作品に登場するのも、おそらくそのせいなのである。
新しく父親の奥さんとなる死んだ母親の妹夏子を探す旅が、いつのまにか故大叔父が管理している世界の後継者問題にすり変わってしまう展開が、どうも不自然極まりない。空襲を受けた東京から疎開してきた映画前半部分は、駿少年のリアルな思い出がベースになっているが、後半塔の中のアドベンチャーは妄想内妄想というか、高畑勲ならぬ大叔父がいる(駿先生が実際逝った!ことのない)“あの世”のお話のせいか、支離滅裂な感が否めないのだ。
ドキュメンタリー番組の中で駿先生が「脳の蓋が開く」と表現していた、優れたクリエイターいうところの“降りてくる”感じがなかなかつかめずに、クライマックスのEパート演出に大変戸惑ったらしいのである。青さぎオヤジこと鈴木プロデューサーは盛んに駿先生の“老い”と指摘していたが、はたしてどうなのだろう。存命中の高畑勲は後輩である宮崎駿が演出に行き詰まると、決まって駿先生の元に助言をしにやって来たという。
ストーリーテーリングと映像表現は別々の才能であり、巨匠と呼ばれる映画監督といえども両方を兼ね備えている人は大変珍しい。宮崎駿が有能な映像作家であることは万人が認めるところだが、ストーリーテラーとしては一歩譲るところが元々あったのではないだろうか。もしかしたら、高畑勲というストーリーテラーの才能なしに、ジブリはジブリたりえなかったのかもしれない。