「君「たち」はどう生きるか」君たちはどう生きるか 悶さんの映画レビュー(感想・評価)
君「たち」はどう生きるか
【お気に入りの宮崎アニメなので…】
私は、宮崎アニメのファンです。
でも、本作品はこれまで鑑賞しようとは思っていませんでした。
「風立ちぬ」で引退したはずなのに、何故、新作を制作したのだろう?
有終の美を飾ったと思っていたので、もし、心に訴えてこない作品だとしたら、大きな落胆をしてしまう…。
そんな不安があったから。
でも、2023年も終了間近の12月に入って、北米で公開すると、大ヒットしているという。
海外の人々の心にも訴えるものがあるなら、期待できるかも。
そこで、遅ればせながら、劇場で鑑賞することとしました。
【観て良かった。満足】
本作品は、予告編など事前に作品の内容に触れるような宣伝を全く行っていないので、全く予備知識なしでの鑑賞でした。
私は、宮崎アニメにとって重要なファクターは、「ファンタジー」と「冒険」だと思っています。
本作品は、この二つの要素を中心に物語が展開していくので、すんなりと作品世界に没頭することが出来ました。
「風立ちぬ」では、この二つの要素が薄めだったので、そういう意味からも、宮崎アニメの最後の作品としての満足度は高かったです。
【これは文芸作品】
宮崎アニメは、子どもでも楽しめる作品から、次第に大人向けの趣向が強くなっていきました。
本作品は、「ファンタジー」や「冒険」を描いているけれど、完全に大人向け、しかもエンタテインメントではなく、かなり文芸的要素が強い作品と感じました。
本作品について、「面白くなかった」「理解できなかった」といった感想が散見されますが、それも無理のないことです。
娯楽ではなく、芸術を追究した作品なのですから。
【吉野源三郎の著書は読んでいた方が理解しやすいです】
本作品は、吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」と同じ題名です。
内容は、吉野源三郎の著書とは異なるとは言え、作中に主人公の少年・眞人がこの著書を読むシーンがあります。
娯楽作品であれば、映画のモチーフとなった作品、本作品で言えば、吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」を読んでいなくても楽しめるように制作されます。
でも、文芸作品であれば、それは当て嵌まらないように感じています。
吉野源三郎の著書の構成ですが。
コペル君というあだ名の中学生に、叔父が、人間が生きていく上で、必要な「考え方」や「世界観」などを教示していくのが、その内容です(具体的な内容は、これから読まれる方の楽しみを奪うことになるので、ここでは記しません)。
でも、それなら、何故「君たち」という複数形の題名になっているのか?
物語世界では、叔父がコペル君に、教示内容を踏まえ、「君はどう生きるか」と投げかけています。
この教示内容は、現実世界では、吉野源三郎が読者へ投げかけていることになる。
読者は複数なので、題名は、「君『たち』はどう生きるか」になっている訳です。
この構成は、本作品も全く同じなのです。
本作品の主人公・眞人は、ほぼコペル君と同じくらいの年齢です。
そして、ファンタジックな世界の冒険の物語の中で、彼の叔父(正確には、大叔父ですが)が眞人に、人間が生きていく上で与えられている、ある役割を教示します。
その教示内容は、人間が生きていく上で、必要な「考え方」や「世界観」が根底にあります。
そして、物語世界では、大叔父が眞人に、教示内容を踏まえ、「君はどう生きるか」と投げかけています。
この教示内容は、現実世界では、宮崎駿が観客に投げかけていることになる。
観客は、複数なので、題名は、「君『たち』はどう生きるか」になっている訳です。
本作品は、吉野源三郎がその著書の中で、伝えようとしたことを、宮崎駿が自らの言葉と映像表現で伝えようとした作品、と私には感じられるのです。
吉野源三郎の著作「君たちはどう生きるか」の本の奥付をみると、1987年発行とあります。
それから、30年以上の年月を経て、再び、「君たちはどう生きるか」と投げかけられることになりました。
人生の後半に入っている私ですが、両者の投げかけを重く受け止めて、これからの人生を生きていければと思っています。