「宮崎駿版未知なるカダスを夢を求めて」君たちはどう生きるか カズさんの映画レビュー(感想・評価)
宮崎駿版未知なるカダスを夢を求めて
長文になります。
この作品は現実の話でなく、徹頭徹尾ファンタジーであるので、火垂るの墓みたいに戦中の事や現実の事と結びつけるやり方で観ると混乱します。
マヒトの戦中設定もタイトルさえも、この際ファンタジーの為の舞台装置と割り切って観ると、少年の成長や自立、愛されてることを知る王道英雄譚が浮かび上がります。
それだけでもいいのですが、私は、劇途中からSFやファンタジーの視点に頭を切り替えて観た結果、よく分かった気分になりました。あくまでも気分です。
この作品は多分、その日その時その環境で観る度に切り口を変える傑作と思います。
私の感想は視点の一例になるかと思います。こんな穿った見方があるのかと思っていただければ幸いです。
私はこの作品を、H.P.ラブクラフトがクトゥルー神話を作り上げたのと同じ様に、宮崎駿が宮崎駿作品神話体系をつくりあげたのだと感じました。
黒澤明の夢と比較する論説もありますが、この映画はある一貫性があるので私は比較するのは違うと思います。宮崎駿は今までの作品をすべてをオムニバスにした、と大きくとらえたならそうかも知れません。
宮崎駿作品でみた既視感のあるシーンや、おそらく得意だったり好きだったりするのではないかと思われるシーンを盛り盛りに盛り込んで、オマージュで単体の作品だけでない奥行きや作風を全面に出そうとしていました。最近のアメリカ映画にも見られる手法をアニメでジブリでやったというのは驚きです。
自分の心地よいもの、好きなもの、最低でもなにかに媚びなくていいものを全面に押し出して描かれていました。この映画は好きを集めて作品ができているとも思います。だから、エンタメでなくアートに見える。
話自体は、異界に行って帰ってくる話なのですが、千と千尋の神隠しと同じ様でいて全く違います。
千と千尋の神隠しは、冒頭で両親が飯を食わずに変だ変だと言いながら車で道を抜けていけば経験することもない、見知らぬ異界に立ち寄っただけですが、この作品は血による業のようなもので異界に行きます。
そして、異界と家が地続きになってます。ポーのような怪奇物を匂わせていると思いました。
また、私はクトゥルー神話を引き合いに出していますが、宇宙から飛来した石を扱う大叔父の様子、失踪した経緯や姿などからそう汲み取りました。
大叔父が力ある石を前に、現実が見えなくなって別の世界を創造し籠もる姿に、どうしてもラブクラフト作品のそれを見てしまいました。ドリームランド物ではないか、と。
また終始、宮崎駿の中にある異界の常識が説明なく出てきます。
説明を省いた尖ったシーンや言い回しが多く出てきますが、穢れになる血が流れる産屋に入るのは基本的にタブーとか異世界のものをもってかえるのは駄目とか、そういう迷信やお約束を知ってるとシーンに納得ができます。
もののけ姫以降、宮崎駿の世界における常識みたいなものが形成されたのかもしれません。
最後に、この作品に賛否両論として否をおされるのは悲しいです。
晩節を汚したのではなく、宮崎駿82歳の挑戦と考えるべきです。タイトルは原題小説からというより、『俺はこう生きた、君たちはどう生きるか』を略したのではないかとさえ思える大きな挑戦です。
難解なゆえにジャパニメーションと揶揄された数多のアニメ映画群の中に、この作品は入るかもしれません。しかし、他のジブリ作品のように映画からテレビへと何度も放送されて、沢山の人達がみて、その度映画の切り口が変わるタイプの名作なのです。
このレベルで魅せてくれるアニメ映画はなかなか無いです。宮崎駿恐るべしでした。生涯現役で次の作品を観てみたいと思わせる力も感じました。