劇場公開日 2023年7月14日

「主人公は監督の分身で、ジブリで溢れている宮崎作品の集大成。でもストーリーやや薄め。」君たちはどう生きるか 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5主人公は監督の分身で、ジブリで溢れている宮崎作品の集大成。でもストーリーやや薄め。

2023年7月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」(1937年)からタイトルを借り、内容は小説と異なる宮崎駿監督のオリジナル。新作の設定やストーリーはそう説明されているが、間違いではないにしても、十分でない。小説と映画が同じなのはタイトルだけではありません。映画で描かれているのは、小説に宿る精神そのものではないでしょうか。

 宮崎駿監督10年ぶりの長編は、視覚の大冒険、めくるめくイメージの連打。それらを突き通す「芯」となるドラマが薄味で、日本が敗戦に向かう時代を背景としながら前作「風立ちぬ」よりも苦みや省察に乏しいのが難ですが、ラストには力強いメッセージが「君たち」(つまり私たち)に向かって放たれるのです。主人公が異世界に行き成長して帰ってくるオーソドックスなファンタジーです。

●中盤までの物語(声優名は、筆者の推定)
  太平洋戦争中、牧眞人(山時聡真)は実母・久子を失います。軍需工場の経営者である父親の正一(木村拓哉)は久子の妹、夏子(木村佳乃)と再婚し、眞人は母方の実家へ工場とともに疎開するのです。疎開先の屋敷には覗き屋のアオサギ(菅田将暉)が住む塔がある洋館が建っていました。
 不思議に思った眞人は埋め立てられた入り口から入ろうとするが、屋敷に仕えるばあやたち(風吹ジュン、阿川佐和子、滝沢カレン、大竹しのぶ)に止められます。その晩、眞人は夏子から塔は、頭は良かったが本の読みすぎで頭がおかしくなったといわれている大叔父様(火野正平)によって建てられ、その後大叔父様は塔の中で忽然と姿を消したこと、近くの川の増水時に塔の地下に巨大な迷路があることから夏子の父親(眞人の祖父)によって入り口が埋め立てられたことを告げられます。

 転校初日、眞人は学校でうまく馴染めず、帰り道で地元の少年らからイジメを受けます。眞人は少年らから殴る蹴るの暴行を受けるでした。眞人は道端の石で自分の頭を殴ると、出血を伴う大けがを負ってしまいます。
 自室で寝込んでいる最中、アオサギが眞人の部屋に入り込んできます。それをきっかけに襲ってくるアオサギに木刀で立ち向かうのでした。アオサギに「母があなたを待っている。死んでなんかいませんぜ」と話しかけられ、眞人は魚やカエルたちに全身を包み込ります。
 眞人の怪我に正一が校長に怒り狂う一方で、夏子は妊娠によるつわりに苦しみ、何度も眞人の顔がみたいと周りに話しますが、眞人は夏子を受け入れることができず、そっけない態度をとってしまいます。
 眞人は、ある日夏子が森の中へ消えていくのを見かけるのでした。そして自室で久子が昭和12年に眞人のために残した吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』を発見し、読んでいくうちに涙を流してしまいます。

 その日の夕暮れ、夏子の失踪に屋敷中が大慌てになる中、眞人は使用人のキリコともに夏子の後を追って洋館の裏口に入り、閉じ込められてしまいます。
 そしてアオサギからは偽物の久子を見せられるのです。怒った眞人はアオサギに弱点であるアオサギの羽根「風切りの七番」を矢羽根にした矢を放ち、アオサギの嘴を穿ちます。するとアオサギは半鳥人の姿から戻れなくなってしまいます。塔の最上階にいる謎の人物に命令され、眞人とキリコは「下の世界」へいざなわれていくのでした。

 「下の世界」に落ちた眞人はペリカンの大群に襲われ、「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれている墓の門を開けてしまいますが、通りすがりの船乗り・キリコ(柴咲コウ)に助けられ、成り行きでキリコの仕事を手伝うことになります(殺生ができない「下の世界」の住人のためと、生まれる前の魂たち・わらわらを飛ばすのに魚の内臓が必要であるため)。 仕事を終え、外へ出た眞人の前で多くのわらわらたちが飛び始めました。それを狙ってペリカンたちがわらわらに襲い掛かり、捕食を始めたのです。
 そんな中、舟に乗って現れた少女・ヒミ(あいみょん)が自らの力を使って花火を打ち上げ、ペリカンたちを撃退します。わらわらたちも巻き添えになる中、止めろと叫ぶ眞人でしたが、ヒミがいないとわらわらたちは上の世界へ行けないとキリコはつぶやき、ヒミに感謝の言葉を投げかけます。

 便所から出た眞人はヒミの力によって瀕死状態となった老ペリカンと出会うことに。老ペリカンは海には魚がほとんどおらず、わらわらを食べるほかなすすべがない、子孫の中には飛ぶことをしないものもいる、どこまで飛んでも島にしか辿り着かない、などを眞人に語った後、力尽きてしまいます。
 どこからともなくやってきたアオサギを横目に、眞人は丁重に老ペリカンを土葬するのでした。
 翌日、アオサギに手伝わせて水くみをしていた眞人でしたが、アオサギの「夏子の居場所を知っている」という発言から、キリコにアオサギとともに夏子を探しに行くよう提案され、キリコの下を離れる。その際、お守りとして「上の世界」のキリコによく似た人形を手渡されます。

「下の世界」で夏子を探す道中、ピンクのインコに「お待ちしておりました」と告げられ、夏子の元へと案内されるがそれは罠で、眞人はインコたちに囲まれ、殺されそうになる。ヒミのワープする力を使って二人はヒミの家へ移動、そこから夏子がいる石の塔へ向かうのです。
(中略)
 インコたちの王であるインコ大王(國村隼)とその手下たちに捕まったヒミは大叔父様のいる塔の上へ連れて行かれ、眞人とアオサギは塔の外壁からインコ大王たちを追っていきます。

●眞人は宮崎監督自身の分身?
 劇中の病院の火事で母親を亡くし、父親と共に地方に疎開。母の妹との生活が始まるという件。時代は恐らく1944~45年のことでしょう。宮崎監督自身が幼い頃、宇都宮市などに疎開していた時期と重なります。
 主人公の少年、眞人は少し年齢は上ですが、たぶん眞人には監督自身が投影されているのと思われます。
 終盤、迷宮の主である白髪の老人が登場、長年担ってきた大事な仕事を眞人に継がせようとします。彼も宮崎監督の分身です。「これを使って豊かで平和な美しい世界を築け」と、特別な石で出来た13個の積み木を差し出すのです。
自分は力を尽くした。バトンを受け取れ、君たちが未来を作れ、というメッセージです。

●宮崎作品の集大成
 序盤の描写は、前作「風立ちぬ」に近い印象。実在したゼロ戦の設計者を主人公のモデルにした「風立ちぬ」を継承したかのように、時に映像のダイナミズムをいかしつつ、端正な描写が続きます。時々姿を見せる謎の鳥が何かが起こる予感を感じさせ、眞人の心はざわめくのです。あの時代の日常の空気感を残しながら、ファンタジー世界への扉を開いていきます。

 行方が分からなくなった新しい母を眞人が捜し始めると、観客の期待に応えるかのように監督の映像世界が全開となります。上から下へ、風が吹き草が流れ、鳥のはずなのに人間のようであり、日本かと思っていたら無国籍風の世界へ。生きているのか死んでいるのか。まるで一切の境界がうせたかのよう。融通無碍とはこのこと。もはや理屈ではありません。

 物語そのものは冒険活劇ファンタジーとして、これまでのジブリ作品の集大成として、各作品の名場面をオマージュしたジブリらしい映像表現が盛りだくさんに見られました。「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」や企画・脚本の「借りぐらしのアリエッティ」など、過去の宮崎作品のモチーフをいくらでも指摘できそうです。でもそんな作品の境界さえなくなっていきます。
 床を抜ければ海の上、火に飛び込めば別の家の暖炉、扉の向こうは現実世界。迷宮の塔のイメージは、宮崎監督が愛する江戸川乱歩の「幽霊塔」や仏アニメ「やぶにらみの暴君」から。過去の自作を連想させる描写や人物もちりばめ、宮崎ワールドの集大成と呼びたくなりますが、それぞれのモチーフはきちんと整理されるのでなく、ぶつかりあい、混沌の渦となるのです。
 それでも宮﨑駿監督は絵コンテしか手掛けていないとされており、シブリ作品における若い世代への“継承”が見てとれました。

●最後に本作の惜しいところ
 様々に思いを巡らせながら、2時間4分の映画を見終わりました。全てをのみ込む渦の中でも、はっきり見てとれたのは眞人の決意と母親への思慕です。
 生きにくい世界であっても、仲間と力を合わせて乗り切っていこうというのは、小説の大事なテーマ。小説の主人公、コペル君に絶望せずに生きることの意味を伝えるのは、彼の慈愛に満ちた母親だったではないでしょうか。

 眞人は母を失った悲しみから、現実世界に対し悪意に似た思いを抱きます。宮崎アニメに珍しい屈折型です。クセ者のアオサギ男との交流や、行く先々で出会う庇護者の優しさで心がほどけていきますが、眞人が母にどう愛され、ナツコとどう心を通わせたのか、その描写が希薄なので「母捜し」のドラマの推進力が弱くなったのではないでしょうか。

 ファンタジーの装いの下、小説のメッセージやモチーフを現代によみがえらせること。作品の真意をそう読み取ってみました。

流山の小地蔵
YOUさんのコメント
2023年7月24日

アオサギのジコ坊感ハンパなかったです。てっきり小林薫氏が演じているものと思ってました。今回小林氏は老ペリカンだそうで…

YOU