ウーマン・トーキング 私たちの選択のレビュー・感想・評価
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トーキングの「静」、未来への「動」。鮮やかな対比に感服
予備知識ゼロで観始めて、服装や暮らしぶりから19世紀かせいぜい20世紀前半くらいの時代設定かと思っていたら、スピーカーを載せた自動車が村に来てモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」を流しながら「2010年の国勢調査にご協力を」などと言うので驚いたのなんの。 南米ボリビアのマニトバというメノナイト(キリスト教の一派)のコミュニティで実際に起きた事件に着想を得て、カナダ人作家ミリアム・トウズが架空の村を舞台にした小説を2018年に発表。これを原作とし、やはりカナダ出身女優で2006年以降は監督としても活躍するサラ・ポーリーが自ら脚本を書き映画化した。 質素な暮らし向きを示す女性たちの服は黒基調で、組織的な暴行を続けてきた男たちに対する暗い怒りと深い悲しみを象徴するようでもある。色調を抑えた映像は端正で、尺の大部分を占める議論(トーキング)パートにわたって観客の興味を持続させるのに貢献。そして未来への希望が込められた旅立ちの「動」。この鮮やかでダイナミックなコントラストに感服した。エンドロールでまた流れる「デイドリーム・ビリーバー」が、最初よりポジティブな印象を与えるのもいい。
未来を見据えるために必須な知性と知恵がそそぎ込まれている。
二度目に観直して、いったいどれほどの知性と考察が込められているのかと気が遠くなった。女性たちのディスカッションが、幾重にもレイヤーが重なって、われわれが考えなければいけない諸問題をあらわにしていく。それでいて、ちゃんと壮大な世界観を持った物語であり、そこには確実に生活があり、時間が流れていく。女たちが、人生の切羽詰まった話し合いをしながらも、ユーモアを寄り添う気持ちを救いにし、根を詰めすぎる前にちょっと気を抜く知恵を持ち、それでいて、断固とした決意で結論を見出そうとする。劇中で起きていることは実話をもとにした忌々しい悲劇だが、より普遍的な、混迷する現実世界の先を見出そうとする強い意志をストレートに描いた監督の決意に打たれた。てか、サラ・ポーリーはこれまでの監督作を並べてみても、映画作家としてとてつもないポテンシャルを持っているな。
この場所とそこで交わされた言葉から、未来が希望へと転じていく
極めて現代的なテーマを扱いながら、その舞台をまるで時の止まったかのような宗教コミュニティに据えることによって、ある種の時代性を超越した荘厳さを持つ作品に仕上がった。発端となる衝撃的な事件そのものを直接的に描くことなく、女性たちは納屋に集まって自分たちが置かれた現状、コミュニティに巣食う病巣の本質、決断すべき未来について「言葉」で語り合う。閉所空間で展開し、動きは少なく、さらに膨大なセリフ量の会話劇という逆境を逆手に取り、見事な強度を持つ構造体へ昇華させている点には驚かされるばかり。見終わると当初の印象は大きく変わり、その納屋こそが太陽の眩く差し込む場所であり、彼女たちの理路整然とした思考や意志の生まれる出る泉であり、外の世界へ向かって開けた出発点であることに気づかされる。個として団として卓越した存在感を放つ俳優たち。彼女らを流麗に束ね、崇高な希望の物語を紡いだポーリー監督の手腕を讃えたい。
何もしないのは論外
作品の舞台は2010年ではありましたが、女たちはまるで近代に生きているようにみえました。彼女たちは、教育を受ける権利や自主性が奪われており、字を書くこともできません。男たちによる性虐待は《悪魔の仕業》《作り話》に置き換わり“無かったこと”とされていました。
例え字を書くことができなくても難しいことが分からなくても、女たちは話し合いを続け自分たちの未来を2日で決めます。話し合い“トーキング”は、暴力の対局にあり、だからこそ話し合いに確かな希望を持たせたストーリーになっていました。
私がとても心に残ったのが、“何もしないのは論外”“赦しは時として許可と混同される”というセリフです。“私たちは決して受け身では生きられない”ということ、“赦しは強者に都合の良い言葉でもある”ということを気づかせてくれました。
女たちが出した最終結論は男たちから去ることでしたが、男たちの顔は最後まで見えません。それは、サラ・ポーリー監督が個としての男ではなく、暴力的な男性社会の概念を表していたからだと思います。
そして、女性が身体の痛みや苦しみを訴えても罰や病気に都合良く置き換えられて、女性が自分自身を責める仕組みになっているということも強く体感することができました。
フロイトによると、女性のヒステリーの原因は、“幼少期の性的虐待”とのことですが、この研究はフロイト自身がウィーン上流階級のタブーに触れるのを怖れたとしてこれを公にはしませんでした。女たちの声は研究者にも無視されていたのですね。
劇中の女たちは話し合いで出した結論を行動に移しましたが、長い歴史の中で男性社会から女たちが“去った”ことはありません。しかし、これからは女性が行動を起こす時期なのではないかと、そんな問いを作品から投げかけられた気がしました。
14歳の男ですら驚異になる。
100年くらい昔の村が舞台の映画かと思ってた・・・。
国勢調査の車が「2000年の国勢調査のため・・・」と放送を流しているシーンで、現代の話なのか!?と驚いてしまった。これだけ男尊女卑えぐい村は100年以上前の話かと思ってたよ・・・現実のキリスト教コミュニティでの連続レイプ事件が元になっているらしいが、調べたら事件を隠蔽してた男達の証言といい、本当に胸くそ過ぎる事件だ。
映画でもレイプした男に罰を与えたりコミュニティから追い出すのではなく、保釈金を支払いに行くのだから男達がクソでしかない。
キリスト教の教えは素晴らしくても、キリスト教組織ってことごとく男尊女卑で組織のトップは男ばかり、現代でも少年や尼さんへのレイプを隠蔽するなどろくでもない。保釈金を支払いに行くのだから男達がクソでしかない。
何もしないは論外として、出て行くにしても何故レイプ事件を起こす男たちや事件を知ってて見て見ぬふりしてた男たちが出て行かずに、女が出て行かないと行けないのか。
食卓にある塩を取って、とも、出産時に背をさすってとすら頼んだことすらない男達に出てってと頼むことが悲しすぎて笑ってしまうほど現実的ではないにしても。
そしてそんな父親、夫、兄弟、息子、加害行為を「赦し」を誤用して「許可」してきた女達も罪深い。そんな男児ママに育てられた男児がろくな男にならないどころかまた加害する側になる世代を超えた負の連鎖も描かれている。
事実、サロメの息子なんて母や妹が父親にボコボコに殴られている野を観ているだろうに、出て行く琴を決めた母と妹について行こうとしないのはどうかしている。それを麻酔薬で眠らせて無理に連れて行ったところでまともな男に育てるにはもう手遅れじゃないのか。他の女の子に加害する危険のが大きい気がする。
男達からの(性)加害にうんざりして「女だけの街」がツイッター(X)で話題になるたび、サロメたちのように自分の息子を無条件で連れて行けると思ってる男児ママにうんざりするのはここだ。本気で教育して加害しない男に育てようという気概が足りない。母親からしたらどんなに可愛い息子でもよその女児女性からしたらただの男だ。オーガストが言うように男は14歳だって驚異になるのだ。もっと言えば5歳児でさえ園の女児に性暴力を起こす事件が起きている。ムクウェゲ医師のドキュメンタリーで語られているように、女性は赤子から90歳をすぎても性暴力の被害者になる。
出て行く一生分の荷物をまとめるのにすぐ終わってしまう悲しさ。このコミュニティで女がそれだけ持てる財産がないことの証左である。
残された村でオーガストが教育係になったところで、女に加害するのをよしとしてきた男に囲まれたコミュニティでまともな男が育つとは思えない。残ったわずかな女性が犠性になるか、新たに犠牲にするための女を呼び込むだけだろう。ミサイルでも落とした方が良いんじゃないだろうか。
それは時空のねじれではない
19世紀くらいの話かと思ったら、ビニール(というのか)の絆創膏が出てきて「え?」となり、デイ・ドリーム・ビリーバーが流れて「60年代?70年代?」となり、直後に「2010年の国勢調査」と出てきてびっくりする。SFでもないしどこかの特殊なローカルな話でもなく、現代を生きる我々の心に埋め込まれている元型を見せられたと思う。
解説を読まずに鑑賞したので、途中国勢調査のシーンでかなり驚いた サ...
解説を読まずに鑑賞したので、途中国勢調査のシーンでかなり驚いた サラ・ポーリー監督・脚本の映画。
カナダ生まれのサラは23才の頃の『死ぬまでにしたい10のこと』で知ったが、監督や脚本の才能まであってこれからが楽しみ。
メノナイト(Mennonite、メノー派):ヨーロッパ由来のキリスト教プロテスタントの分派アナバプティスト派の宗派で、電気を使わず古い伝統様式を重んじた封建的な社会(コロニー)の中で、現代的な生活から隔絶された生活を送る人々たちの事。
会話と少しの回想でこんなに酷い世界があるのか…と唖然とする。 宗教...
会話と少しの回想でこんなに酷い世界があるのか…と唖然とする。
宗教が男たちにとって便利なモノになっている村から去る決意をするまでの、抑圧された女達の二日間の話し合い。
おばあちゃんの馬の話で、溝がある道は手前を見るんじゃなくて遠くをみることで怖くない、って話は全てに通ずる話だなー。
それぞれの信仰心や考え方、生きることへのリアリティ、ラストの決意と行動を起こした彼女たちが幸せになってますように…。
そんで村の男性たちが、女性を誘拐して同じことを繰り返したりしませんように。
主人公は、キャロルのかわい子ちゃん。
相変わらずかわいい
自立への1歩
2024年6月18日 映画 #ウーマン・トーキング 私たちの選択 (2022年) 周囲から孤立した宗教コミュニティを舞台に、男が女をレイプしても許される風習に疑問を持った女性たちが、自分たちの未来を決めるために、緊迫の話し合いの行方 #ルーニー・マーラ ハマり役だったな #ベン・ウィショー もよかった
私には早かった
正直あまり話について行けず、途中から退屈で仕方ありませんでした。もっと劇的なストーリーだと思ってました。ただ、後々考察サイトをみて少しじーんとして、自分の理解力と教養のなさに悔しくなるような・・・映画はあまり事前情報を入れずに観る派なのだけど、これは少し背景知識をつけてから観に行った方がよかったかもしれない。
女たちの苦悩
映画の内容はほぼ 女性たちの話し合い 話合っているシーンです 男の暴力や性暴力を受けて これから女性たちは"どうしたらいいか" 話し合い話し合って決めていく 今まで 男たちから暴力を受けても 宗教の教えで何事も赦してきた …しかし子供が性被害にあったことで 子供を何としてでも守ろうと 母親たちの訴えに動きはじめる 小学生位までの 男の子供たちは出で来るが 夫や男たちは出てこない いままで 男に従属して生きてきた女たち 女性たちの生きた声、辛さ、嘆き、不満 しかし間違った宗教が壁になっている 最終的に女性たちは[自由]を選ぶ …男から逃げ去ることを選んだ 昨日観た映画 ★哀れなるものたち と似たようなメッセージ 私にはこちらの方が響くものがありました
ほとんど会話しているだけで終わったので驚いたけど
色を抑えた映像のなか、暗がりの部屋でぼんやりと浮かぶ女性たちの不安げな顔。途中、国勢調査の車が走ってくるところで、現代が舞台だったのを思い出した。
宗教のコミュニティで生活するなか、自分で選択して選んだのではなく、生まれながらにしてここで生きることを選択せざるを得なかった人たちがいる。自分と同じ目に合わないよう、娘を守ろうとする母親の姿がいたたまれない。
しかし、結婚と、公然と行われる性的暴行と、どう両立しているのかが不思議だった。
江戸時代まで、日本では性に慣用で、誰の子供かよくわからなくても、コミュニティ全体で子供を育てるという意識だったようなことを聴くが、少なくとも暴行が横行していた訳ではないだろう。動物用の麻酔で眠らせて行為を行うというのは、どういう感覚なのだろうか。
美しい映像は直接的な暴力や悲劇は映さないが、この悲惨な状況でも、何度言葉を重ねても、ここに残ろうとしてしまう人の姿が悲しい。彼女たちの、他では生きていけない、という絶望感が伝わってくるからこそ、ラストの大勢での旅立ちのシーンには大きな希望が感じられた。
アーミッシュのような共同体
プロテスタント一派の共同体。 暴行事件をきっかけにコロニーを去るか、戦うかを話し合う女達。 アーミッシュのような世界だがタイトルの通り話し合いに占められていて敵=男がでてこない。細部が省略され舞台劇のようだが、実話にもとづいた話だそうだ。 カナダのMiriam Toewsという人が2018年に書いた同名小説の映画化。メノナイトのコロニーで実際に起きた事件を扱っている。 『2005年から2009年にかけて、ボリビアのマニトバコロニー(メノナイトのコミュニティ)では、100人以上の少女や女性が、コロニーの男たちによって、動物用麻酔薬で鎮静させられ夜間に自宅でレイプされた。加害者の親族を含む少女や女性たちがこれらの襲撃を報告したが、最初は「女性の野生の想像力」として片づけられ、さもなければ幽霊や悪魔の仕業とされた。やがてコロニーの男たちが現行犯で捕まった。最年少の被害者は3歳で、最年長は65歳だった。犯人は、獣医師が医療処置の際に動物を鎮静させるために使用するタイプのガスを使用していた。有罪判決を受けた男たちには長い拘禁刑が科されたにもかかわらず、2013年の調査では、同様の暴行やその他の性的虐待の事例が続いていることが報告された。カナダの作家ミリアム・トゥーズは、これらの犯罪を2018年の小説『Women Talking』で取り上げた。』 (Wikipedia「Mennonites」より) コロニーには学校もあるが女子は教育が受けられず字が読めない。話し合いには読み書きができる男性がひとり議事録係として参加している。かれはコロニーから追い出された過去がある言わばはみ出し者だが女達の味方でもある。 とくに宗教立国ではない日本では敬虔な信者といえば異質な人に見られる、のではなかろうか。それがどんな宗教であろうとやや特殊な印象をうける。肯定も否定もしないが、距離を置く感じ。 宗教に没入するばあい当人は望んでその立地にいるのだからそれでいい。が、息子や娘はそうはいかない。──というのが昨今の二世問題だが、アーミッシュのように同信者のみでコロニーをつくって暮らすタイプの宗教では基本的に二世問題が生じない。 ──と思いきや、ウーマン・トーキングの争点となるのも、一種の二世問題といえる。 男子しか教育されないが、そこで男尊女卑な思想を植え付けられたから、男達はDV夫になり、集団レイプのようなことがおこる。であるなら女達を襲った男らも隔離型宗教の犠牲者と言えなくもない。よって女達の話し合いの結果、まだ感化されていない少年らも連れて出ていくしかない──との結論が導き出される。 Abused Womanの映画、Brimstone(2016)やThe Nightingale(2018)みたいなつらいのを想像していたがエネミーが描かれないのとディスカッションに終始するため、さほどつらくはないが、虐げられた女たちの叫びが伝わってくるドラマだった。 映画は抑制があり、アンサンブルでそれぞれの個を光らせ、監督もキャストもあちこちで多数のプライズをとった。個人的には控えめで理知な議事録係オーガスト役のベン・ウィショーがいちばんだった。 一般にフェミ映画は男を全員悪に仕立てて対立構造をとる。 それをしないのがサラポーリー監督の賢さだった。 imdb6.9、RottenTomatoes90%と80%。 ただし個人的には、生活が見えず舞台劇のようなスタイルに優等生風まとまりを感じてしまったことと、女達があまりにも達観しすぎていた。オーナ(ルーニーマーラ)は麻酔で昏睡させられたうえ赤の他人のこどもを孕まされたにしては落ち着きすぎなのではないかと思った。
簡単に感想が書けないくらい言いたい事だらけの内容!
まず最初に凄いモノを見たぞっていうのが一つで質が高い上にみなさんめちゃくちゃ良い演技と短い時間ながら内容がめちゃくちゃ濃厚でマジで単純に面白いとかって話で簡単に語れない凄い作品でしたよこれは! 登場人物の人の色々な意見があるけど全員間違った事言って無いし唯一いる記録係の男も自分の好きな人がレイプされてそいつの子供を身籠っている状態なので超辛いし出て行くって話になってきて好きな人と別れ無いと行けないし、そこにいる若年男子の教育を託されるとか責任は重いし彼女は居なくなってしまうのを見守るしか無いししまいには最後自殺まで考えてたとか切なすぎますね! あとおばあちゃん女優さんたちもめちゃくちゃ良くて 謎の安心感あって自分のおばあちゃんが近くにいるような感覚になりながら鑑賞してました! あと感動ポイントも多数あるしずーっと会話してるだけなのに全く飽きずに最後まであっという間に見せるのは流石でした。 これも劇場でタイミング逃してアマゾンプライムに配信が来た日に見ようとしたら字幕無くて見れなくて そこからなんだかんだと違う作品見たりして今まで見逃していましたがマジで見て良かったと思いますし 年間のベスト作品の上位に入る良作品でした。 テーマも人権とかDVとかレイプとかですが直接的なシーンが無いのですが全く問題無いですね。 むしろそういうシーンとか普通に入ってるのが当たり前みたいなところがあるからこういう作風の作品を作るってのは凄いなあと思いますね!
考えたこと
彼女たちの会議を聞きながら自分でも考える映画。
架空の話で昔の価値観だと安心して見て映画の評価するのは違うと思った。
今も、ここまで極端ではなくても力の差を感じることを理解できるから。
(実際は2010年あたりでそもそも古くない)
女性はこの問題は怖いし、今でも無力感を味わってる。
男性は自分が加害者ではなかったら他人事でいたいと思う話題ではないか。
社会のルールが生み出したことだから、彼らもある意味で被害者、というのはわかる。
でも、傷つけたことの罰を受けた後で、教育などのフォローが必要で、罰なしは納得いかないと思う。
全員を敵に想う必要はない。悪いことだと皆んなが認識して、悪人だけを非難する。
なぜかこれが徹底されないのが問題だけど。
徹底されないから、社会が信頼されないと思う。
みんなが減らしたい犯罪だと意識するにはどうしたらいいのか。
当事者ではないと高みの見物で、冷静に話せる。でも、他人事でわかってないだけかも。私は他人だけど、被害者にはとことん寄り添いたいと思った。
属性や立場が違くても理解できると思ってる。
教育が大切な描写がある。
セリフで「支配教育の優秀な生徒だった」とある。皮肉で女性も優秀な生徒だったと言ってた。我慢して許すのが当然だと思ってる女性もいた。
自分一人だと我慢してたことも話して共有することで違う考えになる。
キリスト教の考えで天国とか、今の生活の居住区とかが足枷になってるように見えるが、そもそも発言権がない女性たち。
宗教は足枷のようで、心の支え。
邪魔なようで必要なものなのが悲しく思う、のは傲慢か。
信仰があるから道を踏み外さない選択をする女性たち。
日本は宗教や生活のせいで告発しないわけではないと思う。
告発するのにはそもそも勇気が必要で、その後の労力もかかる。見合わない罰のために費やす時間を思うとやる気が出ないのではないか。報われるイメージの方が湧かない。
的外れの意見かもしれないし、私の狭い世界の考えを言っても仕方ないけど、映画は見て考えるものだと思うから、問題に向き合いたい。
今何ができるかわからないので、ただ味方だといいたい。
最後彼も連れて行って欲しかった。連れていく子供たちの先生として。
残る役目もわかるけど、一人では荷が重すぎる。
彼の不安と彼女たちの別れを思うと悲しかった。
画像のトーンや美術も素晴らしい
この映画の主題や練られたシナリオの素晴らしさは、他の評者の方の仰られるとおりです。 私が強い印象を受けたのは、暗い話を続ける暗い納家と、明るい野外の景色のトーンの対比です。 野外の白く飛んだ景色が非現実的な書割に見えてしまう。 逆光っぽい野外でのシーンも印象的で、この苦難が不確かな希望に向かっていらことを感じさせます。
普遍的なテーマと現代的な行動の間。
女性や子供への窮状は今に始まったことではなく、長い人間の、いや父系社会の歴史において脈々と続いている惨劇。沈黙を余儀なくされた彼らの行動を、宗教を真ん中に置いて進めていく過程はとても面白い。さらに興味深いのが、多数決ではなく全員一致で行動を決めることを前提にする。多数決が民主主義を代表する意思統一手段ではあるものの、それは過去の話で、もはや機能不全に陥っていると言わんばかりに。ポスト民主主義を考えるきっかけにもなる。
淡い映像の中で淡々と進む取っ付きにくいストーリー
触れ込みの段階からあまり好みではない印象を受けていたが、アカデミー賞脚色賞受賞作ということで、期待して鑑賞。 うーん、やはりなかなかの取っ付きにくさ。何の予備知識もなしで観始めてしまっただけに、途中の国税調査のシーンで、えぇ~まさかの2010年度とびっくり。現代劇だったとは…(汗) そんなこんなで、馴染みのないバックグラウンドからの解決しがたいトラブルの対処策を、淡い映像で淡々と描いていく本作に、個人的には取り付く島もない…としかいいようがない。 そんな戸惑いのなか中盤でいきなり流れてきた「Day Dream Believer」。おぉ~い、ここでこの曲かぁ~い!と思わず鬼ツッコミ(笑)でもこの挿入歌よくよく考えると、ムードは本作にあきらかに似つかわしくないが、歌詞の意味とか劇中にふいに散りばめられたユニークなセリフの掛け合いとかから、これもありかというより、むしろ何だかんだこれが絶妙に有効だと思える選曲に、ただただお見事!と唸るしかなかった。このあたりの空気感が本作の観どころなのか。 いずれにしても、上映時間の割にはかなり長く感じたし、入り込みにくい作品だったかな。
うむむオモシロクナイ
面白さを求める映画じゃないのは百も承知だけどそれでもやっぱり苦痛だった。伝えるべき物語なのは分かるけど映画にする必要はないんじゃないかね?最初服装などから開拓時代の話かねと思ってみてたら第二次大戦の話が出てきて、え!アメリカでも田舎の方は当時こんなだったの?と思ったらなんと現代、この仕組みだけは面白かったです。
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