658km、陽子の旅のレビュー・感想・評価
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陽子の足掻きに滲み出る希望
記憶の中の父親と同じ歳でもある42歳という年齢になって、何事も成し得ず引きこもる陽子の絶望を抱えた心が、思いがけずやらざるを得なくなったヒッチハイクの道行きでゆさぶられ、こじ開けられてゆく物語。
彼女の凝り固まった心の殻が、道中でさまざまな他人にぶつかる中で破れ、その破れ目からひどい傷を負ったり癒されたりする。そのことで陽子は少しずつ変わる。
圧巻の菊地凛子。陽子の人物像は普段の菊地凛子とは違うはずだが、まるで素をさらけ出しているように見える。ライターの若宮にたぶらかされ、波打ち際に崩れ落ちて子供のように泣くシーンは、血の流れる傷を開いて見せられているようでこちらの心が痛くなった。
1日に凝縮された人々との邂逅で陽子が変わってゆく様子が、とても自然に見える。少ない台詞の行間を、陽子の挙動や表情が饒舌に語る。終盤の独白でおおまかな彼女の過去は分かるものの、父との確執の具体的な理由や、彼女が挫折に至ったきっかけについての説明はない。それでも、人物描写の不足は全く感じない。
大人がサービスエリアに置いていかれるなんてことがあるか?(しかもピストルは全く謝らない)とか、これだけの出来事が1日という時間に本当に収まるか?といった疑問の種もあるが、陽子の感情の波が持つ圧倒的な生々しさの前には瑣末なことだ。
これは、氷河期世代という受難の年代と、その中で自分の弱さに足を取られた人間の人生を象徴する物語でもある。細部に関してはリアリティラインを少し下げて見る作品なのだろう。父親の幻もそのことを暗に示している。
若宮の仕打ちとその後の老夫婦のやさしさのコントラストは、鮮やか過ぎて痛いほどだ。
そもそも若宮は本当にライターだったのだろうか? 外車に乗り、それらしいことを言って女性に近づき、ああいうことを繰り返すただのクズのような気がする。事後にホテルで受けていた電話も、本当のものかどうか分からない。彼は最初から陽子を目的地に送る気などなかったのではという気がする。
浜辺で号泣し、それでも進んでいった陽子が出会ったのが木下夫婦だ。それまで陽子の中で、亡くなった父の姿は20年前の最後の記憶のままだった。陽子の中に現在の生身の父親の姿はなかった。
夫の登の「知らない人の車に乗るのは危ないよ」という言葉は、父親が幼い娘に教え諭すようでもある。陽子の年齢でそのような常識を持たないはずはないが、それでもこの人たちに先に出会っていれば、という気持ちにならずにいられなかった。
夫婦のやさしさに触れて親身になった言葉を聞き、握手をして別れる(相手に触れる、スケッチブックにメッセージを書く、といったところにヒッチハイカーのリサの影響が垣間見えるのもなんだかじんわりと来た)。陽子の中で、自分と同い年の姿のままだった父親像が登の姿で上書きされる。
20年里帰りしていなかった彼女の目に、夫婦の親切は久しく離れていた親の愛情のイメージに重なって見えたかもしれない。彼らから大切にされたことで、状況に対して受け身だった陽子の行動が(受け身で自己評価が低かったから、若宮の卑劣な提案を断れなかったのだろう)、意思を持ったものに変わったように見えた。
人生はよく旅になぞらえられるが、この1日の旅もまた、陽子の人生のように見える。サービスエリアで置き去りにされたり、真夜中のパーキングエリアで脱出の糸口を見出せず留まり続ける彼女の姿は、人生のエアポケットから抜け出せなくなった氷河期世代そのままだ。リサとのシーンにかなり尺が取られていたのは、あの場所が陽子の人生の停滞感を象徴するものだったからなのではと思う。
それでも陽子の中にはリサに先を譲るやさしさや(陽子が先に乗っていればリサが若宮と出会っていたことになり、結果的に陽子が彼女を守ったとも言える)、老夫婦のやさしさに心を開く素直さが残っていた。また、予定の出棺時間には間に合わなかったが、親族の配慮で父親に会えた。
これらの描写だけで、陽子の今後の人生にまでほの明るい希望を感じる。自分の心にしなやかさが残っていれば何歳からでも世界の見え方を変えてゆけるということを、不本意な旅に放り込まれて足掻く陽子の背中が教えてくれた。
陽子の総て‼️
42歳でフリーターの陽子‼️人生を諦めて、なんとなく日々を過ごす陽子‼️ちょっとした対人恐怖症で他人とコミュニケーションを取るのが苦手な陽子‼️夢を反対されたことがきっかけで、父親と疎遠になってる陽子‼️そんな父親の突然の訃報に実家に帰郷することになった陽子‼️ひょんなトラブルからヒッチハイクで東京から青森まで帰ることになる陽子‼️要は道中、いろんな人との交流の中で自分の人生を見つめ直す陽子の物語‼️物語的には大したストーリーではないのですが、この作品は陽子役菊地凛子さんの演技力を堪能する作品ですね‼️ハッキリ自分の考えを主張することもなく、後ろ向きで暗くて頑固な陽子‼️ホントにムカつくキャラ‼️という事は菊池凛子さんの演技力が凄いということでしょう‼️男にホテルに連れ込まれ、体を提供せざるをえなくなるシーンや、高速のインターで車に乗せてくれない老夫婦に逆ギレするシーンなんか愚の極致‼️そして終盤、ヒッチハイクさせてくれた人に、自分の生き方を後悔する告白のシーンなんか素晴らしかったですね‼️ラスト、何とか青森へたどり着いた陽子は、これからどんな人生を送るんでしょうか⁉️
時は止まり、そして動く
陽子が18で上京してまでやりたかったことは何なのだろう。
「誘われて寝るの初めてじゃないんでしょ」とライターに指摘されたように、初めてではないとしたら、彼女の夢と無関係ではないだろう。
いわゆる枕営業?だとしたら彼女の夢は、例えば俳優?
作家やミュージシャンと枕営業ってつながりにくい(寡聞なだけか?)から、でも何かの表現者になりたかった。それが自然かな。
枕営業が父親に知れて、殴られた?
そして、帰るに帰れなくなっていった?
もし、俳優志望だとしたら、約20年の年月は、見る影もないほど彼女を変えたということ。かつて彼女は、『陽子』の名にふさわしい女性だったのだろう。
658kmで出会った人たちが、動いていなかった彼女の感情を動かしてくれた。妬みや優しさ。それらは人に関わってこそ、表れる気持ちなのだから。
そして、止まっていた父親との時も、動かしてくれた。
人は、後悔の思いを深く沈めて生きていくものです。大なり小なりは。そんな人生って、いいですよね。
陽子の658km・・・それは陽子の20年間の距離!!
凄い映画だった。
熊切和憙監督は「海炭市叙景」からずうっと“すげえー“と思い、
「私の男」でも“すげえー““カッケー““無敵やん“好きだわー“
と思っていた。
長いブランク(に、思えていた)
「#マンホール」で、復活したやん・・・そう思って嬉しかった。
その熊切和憙監督が本格的に戻ってきた。嬉しい。
重ねていう凄い映画、
現実を切り取った描写、
女優ではなく、陽子という名の女性、が存在していた。
菊地凛子、きくちりんこ、RINKO KIKUCHI、
彼女が特別な存在の女優と、前からそう思っていたが、
その思いを強くする映画だった。
フィクションですらなくて、一人の人生に敗れた女・陽子。
(でもドキュメンタリーでは、全然ない、)
陽子そのもの、
陽子そのまま、
東京に負けた女、
都会・東京の1300万人の一人で、誰にも振り向かれず、
振り返られず、
居ることも知られず、
誰にも気にも留められず、
陽子は、20年前に青森から上京して、
なりたいものがあって、
その20年間のどこかで、
なりたいものに手が届かない・・・
それが分かったのに、しがみついて、頑張って、意地張って、
しがみつき続け、
自分に嘘をつき続けて、気がつけば、冒頭のように、
人の目を見て話すことも出来ない、
顔を上げて空を見上げることも出来ない、
負けて、敗れて、落ちぶれて、
死んだ目で、死んだように生きる、
もう若くもない、美しくもない、女の花の時期を、
燻り続けた、
長い、長い、長い20年間。
「父死す」の知らせを従兄弟の竹原ピストルから知らされる。
一緒に車で青森に帰る途中、
アクシデントでサービスエリアに置き去りにされて、
財布ひとつ(手荷物は車の中)、所持金は二千四百三十円、
ひたすら意地張ってるから、
警察署に駆け込むなんて・・・出来やしないし、
親戚の婆ちゃんに電話しても、
「立派になってー」とか言われて、
辛くて、辛すぎて、
受話器をそっと置いてしまう・・・
(チクショー、泣けてきやがった・・・)
(故郷に錦を飾る筈だったんだよ・・・)
(なりたいものになって、
(成功してさ、なりたいものになってさ、誉められてさ、
(お父ちゃんにも、誉められたかったんだよ、
(それまで・・・どうしても、・・・絶対に帰りたくなかった・・)
658kmの旅で、陽子は別人に変わった、
声を張り上げ、
「どうしても、青森に行きたいんです」
「乗せてください、お願いします、どうしても行きたいんです」
大声で言える人間に変わっていた。
《成功者でなくても、普通に息して、食べて笑って・・・
《他人とお喋りして、笑って、腹立てて、ムカついて、
《普通に生きれば良い・・・》
《それだけだ》
菊地凛子が国際女優と呼ばれる理由、
本物の人間を体現出来る理由・・・
それは私にも、きっと誰にも、分からないけれど、
表現者として真っ当に、真っ直ぐ、
人間として素晴らしい人、
多分・・・なんだなと思った。
菊地凛子はアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた「バベル」も
痛い役だった・・・聾唖の女性の歪さ、と父への愛がもっと欲しい・・・
うまく言えないが、なんかもう、凄かった・・・
インディーズの「トレジャーハンター・クミコ」でも真価を知った。
生意気で身の程しらずだけど、
「658km、陽子の旅」は、
キネマ旬報ベストテンで上位にあがるし、
監督、作品、主演女優でも注目されるだろう。
ただ私的に残念と言うか、自分が悪いんだけど、
オダギリジョーが、
陽子の父親の若い頃の役で、
《幻影で陽子を悩ませる・・・》
(そこまでは分からなかったんです)。
最初の降ろされた手洗い休憩所の電話ボックスに、
オダギリジョーが一瞬映りました・・・
・・・それが父親だと、分からなかったんです)
風吹ジュンの役・・・
人間のあったかさ、人の優しさの象徴ですね、
こちらも声ですねー、声でなんとか・・・
・・・この老夫婦と握手するシーン、
・・・一番好きでした・・・
心を揺さぶる・・・という意味で名作だと思いました。
(熊切監督は本作のような作家性のある作品でこそ、
(本領を発揮する・・・そんな気がします)
2432円、コミュ障の旅
序盤から陽子にイライラさせられます。
コミュ障どころかコミュニケーション取ろうともしないし、お礼も言わない。
終盤になっても頼み方や相手選びが下手クソ過ぎるし、それなのに逆ギレするし。
しかも、その陽子が歩いたり立ち尽くしたりするカットを長回しで映す。
これはワザとやっているのでは。
でもそんな陽子にも優しくしてくれる人はいる。
浜野謙太のようなクズにつけ込まれることもあるが、優しさだけで描かないのも誠実さかな。
その関わりの中で、少しだけ、ほんの少しだけ前へ進む。
父親と、そして自分の気持ちと向き合い、切々と言葉にする。
茂はまず置き去りにしたことを謝れとは思ったが、出棺を待たせてくれてよかった。
「人生に手遅れなんてない」みたいな綺麗事にしなかったのも好感が持てる。
全てをやり直すことも取り戻すことも出来ないけど、少しは良くなる気配を、雪解けの予感を覚えた。
画面が暗いシーンが長く続く上に、主人公があまり喋らないから眠くはなる。
わざとだとしても長回しが冗長すぎたので、もう少しスッキリ見せてほしかった。
とりあえず、人間ホッカイロされたいです。
【18歳で上京するも夢破れ、諦観したように生きる42歳の女性が父の訃報を聞き、故郷にヒッチハイクで向かう中、様々な人と出会う事で自らの悔いある生き方を振り返り、原点に戻る姿を描いたロードムービー。】
■陽子(菊池凛子)は、42歳独身。
クレーム処理の仕事をアパートの自宅で行っているがその生き様は自身の人生を諦めており、且つ人と会わないためコミュニケーション不全にも陥っている。
だが、ある日故郷の青森県に暮らす父(若い時代はオダギリジョー)が突然死したと訪ねて来た従兄の茂(竹原ピストル)に知らされ、茂一家と共に20数年ぶりに故郷へ向かうが・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・陽子の声が前半はか細い。
普段話さない事と、人と接しない生活を長年送ってきた事で、コミュニケーション不全にもなっているようである。
・陽子は東北高速道路のSAで茂一家とはぐれてしまう。陽子は且つて家族で来た所で亡き父に渋滞の際に怒鳴られていた事を、愚痴っぽく呟く。その脇にはくすんだ赤の野球帽を被った父がやや申し訳なさそうに、張りぼての記念写真を撮る穴から顔を出している。
ー 茂一家とはぐれた辺りの描き方は、やや粗い。子供がSAで怪我をし、病院へ連れて行ったようだが。茂は、陽子のスマホが壊れている事を知っているのに・・。ー
■その後、陽子が高速のSA、PAで出会った人達
・最初に陽子をヒッチハイクしてくれた明るい女性。会社が倒産し、面接に行った帰り。中学生の子供が引っ越しに難色を示している事を陽子に話し、”私、SAで幸せそうにしている家族って嫌いなんですよ。浮かれちゃって・・。事故に遭えばいいと思ってるんですよね。”
ー だが、陽子は彼女の言葉に返答も出来ない。そして、別れ際借金の申し出をするが、やんわり断られる。陽子がコミュニケーション不全である事が分かるシーンであり、人が見かけに寄らないダークな一面を持っていることが分かるシーンでもある。-
・ヒッチハイクに慣れている若き女性。
だが、彼女はお金もあるのにヒッチハイクを続ける理由を問われ”マア、色々と在るじゃないですか”と答える。
■陽子は、SA、PAのトイレの中で”大きな声で”ヒッチハイクしてもらうための練習をする。彼女自身が変化しなければと思った事を暗喩しているシーンである。
・陽子をヒッチハイクした自称ライターの愚かしき男(浜野謙太)。陽子を無理やりラブホテルに連れ込むが、忘れていた仕事の問い合わせがあり、彼女を置き去りにして去る。
ー ヒッチハイクあるあるだそうである。
そして、彼女はフラフラと海岸に行くが、亡き父に頬を殴られ、海辺で全身波に濡れながら、横たわっているのである。-
・青森に近づくと、人として温かい心を持った老婆(風吹ジュン)とその夫の軽トラに乗せて貰っている陽子。
ー 陽子を気遣う2人に対し、陽子自ら、強く握手を求める姿は、少し沁みる。
そして老婆の紹介で陽子は移住して来た女性の軽トラ更に乗って更に故郷に近づいて行く。そこから見える震災の傷跡・・。-
・校則のSAで”青森に帰りたいんです!”と叫ぶシーン。
多くの人から無視されるが、一人の少年が”ハイ!”と返事し、少年の父(篠原篤)が運転する車で、更に故郷に近づく。
■この車中で、陽子が”少し話しても良いですか・・。”と言い、自らの18歳で上京してからの悔いある人生を長台詞で語るシーンは白眉である。
菊池凛子さんの渾身の演技が炸裂している。
陽子は大きな声で、家を出た時に42歳だった父の事、自分がいつの間にかその年になっている事。実家と音信を取らなくなった事などを涙を浮かべながら、喋るのである。
それを遮ることなく黙って聞いている少年の父の横顔。
<そして、漸く雪降る中、歩いて着いた実家。
茂が出て来て”出棺を遅らせていたんだ・・。”と言う中、陽子はフラフラと24年振りに実家に入って行くのである。
今作は、序盤は一部物語構成に瑕疵があるが、中盤から陽子が様々な人と出会う事で、諦観していた人生を深い後悔の念で振り返りながら、もう一度原点に戻って行く姿を描いたロードムービーなのである。>
<2023年9月17日 刈谷日劇にて鑑賞>
自分と重なり少しツライ
菊地凛子さんの演技、存在感が全ての映画でした。
引きこもって暮らす42歳の陽子。
青森の父の葬儀に向かう途中、トラブルもありヒッチハイクで向かうことに。
道中いろんな人との出会いがあるが自己肯定感の低さゆえ、目の前の目的を果たすために間違った判断をしてしまうことも…
わかるわぁ、、、その感じ!と陽子に共感して辛くなる。
しかし従兄弟(竹原ピストル)の非常識な言動にイライラ!
いくら子どもが怪我したからってサービスエリアに置き去りにする?!
再開しても謝罪も気遣いもなし。どう考えてもおかしいやろ!
これは観ているのがしんどい
自分には全く刺さらなかった。菊地凛子のコミュ障っぷりは演技力が高いだけにリアルを通り越して不愉快。何度席を立とうと思ったか。その不愉快なまでのコミュ障がヒッチハイク体験を通して自分を取り戻す(?)物語らしいが取り戻した結果を全部セリフで説明してしまった。こんな脚本が賞をとった?信じられない。主人公にとって救いとなる最初のきっかけは優しい老夫婦との出会い(これもまたありきたりすぎな展開で驚くが)、その優しいおばあちゃん役が案の定風吹ジュンで(笑)他にこういう役できる人いないのかね?老夫婦と出会ってちょっと救われたかと思った主人公がその直後、青森ナンバーの夫婦になぜ乗せてくれないのかと癇癪起こし始めて「なんだコイツ」とまた醒めてしまった(あのシーンは本当に何の意味があったんだろう?せっかく改心した主人公を乗せてくれない他人の冷たさってこと?それは作り手の勝手な意見すぎない?客観的にどうみても不審者で、俺でも乗せないいわあれは) 置いてきぼりにした竹原ピストルは再会した主人公に謝りも気遣いもしない、到着しただけで亡父との再会を描かない演出(わざとだろうけど物足りない)、号泣してるのに出ない涙(俺この演技大っ嫌いなのよ。テレビドラマならともかく劇場の大画面に映すのになんで世の中の監督はこれにOK出しちゃうんだろう)、ほぼ全てが口にあいませんでした。同じ監督で前に観たのは「私の男」で、これも合わなかった(後で原作小説を読んだら大変面白かったのでそもそも監督とそりが合わないのかもしれない)。
「色々手遅れになっていて、取り返しの付かない事になっていて・・・」
今作に於いて、一番の台詞というか、自白、懺悔、そして吐露したい願望が詰まった台詞だったと自分は痛い程伝わった 多分世の殆どの人が、何とか巧く世間と折り合いを付けている(と、少なくても自分にはみえる) 勿論、それは不断の努力の結果であり、本来の思い描いた理想とは違う挫折を乗り越えての貴い礎故の現実かもしれない だから今作のような所謂"コミュ障"の人、若しくは本来普段の努力を怠った卑怯者に対しての他人の風当たりは強い そしてそれは痛い程本人達も自覚している そして卑怯故、家族や親族に庇護を求める 勝手な理解キボンヌだ そんな甘えの構造を今作はどう物語化するのだろうという興味を元に観賞してみた
先ずは、時間を追う毎に主人公に同化するかの如く、気持のアダプテーションが進んでしまう 感情移入が止まらないのだ 自分も他人に対して劇中の如く、ゴニョゴニョした聞き取りにくい発声を起こしがちを自覚している 全く以て自信が無い、そもそも他人の前に現われるなぞ不遜の極みであり、自己卑下&自己否定の権化と成り果ててしまっている 自死できないのは死ぬのが恐いからという消極的意思故 そんな主人公の唯一の攻撃対象は父親 もう其処にしか自分の落とし前を擦り付ける場所がないからである だからこそそんな想像上の諸悪の根源が突然病死してしまったことの落とし前を初めは着けるつもりだったのだろう しかし、そうは問屋が卸さない 幼少時の父親が、想像上に一緒に行程を共にすることで、父親からの叱咤が出現する 『亜麻色の髪の少女』を空で歌う竹原ピストルは大変贅沢な演出だ そしてかの歌は幼き頃、主人公が歌っていた事に"うるさい"と叱責した父親が、その後、親族にとって想い出になる程熱唱していたという事実を突きつけられての主人公の溶解を徐々に作劇してみせた制作陣に頭が下がる 他のネタバレサイトに腑に落ちる考察があったが、主人公の夢は『芸能界』だったという事 そしてその夢は努力の甲斐もなく、しかも現実には躰の提供という倫理観の欠如を強いる出来事に心を壊されてしまった成れの果てであると言うイマジネーションに深く合点がいく 自分なんぞ依り、何倍も努力と犠牲を払ったのだ そしてその結果としての下層位置 スマホが故障中、強がりのプライド、そして父への決着 そんなないまぜが今作に於いて一片に怒濤のように訪れての、あのロードムービーなのだろうと、そのストーリーテリングに感嘆する 神か父親の差配か、主人公を襲う地獄は、同じ属性として、居たたまれない極悪な状況の連続である 過去の黒歴史である"枕営業"※勝手な妄想ですのですみません、自分よりも若いヒッチハイカーの生き生きとした行動、バイタリティ溢れる女性の行動等、その全てをまるでザッピングの如く体験する事で、今迄の澱を溶かすかの如く主人公の精神と躰をデトックスしていく 心優しい老夫婦に癒しを施して貰い、そして未来へのヒントを与えるなんでも屋の女性との邂逅の中で、一皮剥けた主人公が取る行動は泥臭い、そして自分本位な青森へのヒッチハイクの懇願 12時迄には青森に着きたい 父親の手を握りたい その一心は、自分の今迄の見て見ぬ振りをしてきた逃避を自ら断じる覚悟を充分演出してみせたと思う
だからこそのサプライズとしての、本来は火葬予定時間だったのを、延長した親族の計らいに、主人公のちっぽけなプライドが、一気に氷解したラストだと涙する もっと甘えて良いんだと、そしてだからこそその恩返しは後の世代へ続けていくものだと、その循環に頭の下がる作品内容であった 今現在の自分に相似する内容に有難みが倍増である
主人公は、青森に戻って、リセットして欲しい そう願う自分は間違っているのだろうか?。。。
ようこそようこ
田中陽子は1年弱で消えたので、実はよく知らない…
ようこそようこも実は見てない
前作のアイドル伝説えり子は好きだった
当時は田村英里子の大ファンでした
実写版ドラゴンボールは勿論観てない…
冒頭から脱線しないで
今作は「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM 2019」脚本部門で審査員特別賞を受賞したらしいけど、個人的に「TSUTAYA 脚本映画」ってチープな印象が強い…
今作のPRで、脱力タイムズに出てた菊地凛子は超美しかった
だがしかし…
劇中の菊地凛子は、幸薄顔で超コミュ症の、近寄りがたい怖い顔だった
完璧な役づくり?
ひたすら熱演に引き込まれる
少し歯がゆい
少し怖い
ややカオス
暗めの邦画でよく見るワンルームアパート
「エゴイスト」でも見た様な…?
コミュ症なので在宅勤務なのね
ノートパソコンを横にして動画鑑賞
動画鑑賞あるある
トイレットペーパーを、テッシュ代わりにカスタマイズ
素敵な巣ごもりワンルーム
もう出れない…
簡単に壊れるiPhone
手帳型カバーしてないのね…
人生に何度かある、強烈に不幸な出来事
こういう時って、負の連鎖で、悪い事が重なる…?
そう思いたいだけ…?
「最後まで行く」も、負の連鎖で超ハマった
詳しくは書けないが、物凄く自分の経験と被って、のめり込んでしまった…
脱線しないで
東北弁が良い竹原ピストル
竹原式?
南部式ならあるけど、竹原式は銃刀法違反
ステップワゴンやキャンバス…スポンサー縛りが無くて良い
対向車の車種を連呼して言い当てる男児
こんな子は嫌だ
絵本を読む女児
車内カオス
こんな長距離ドライブは嫌だ
死んでから現れるオダギリジョー
最後の最後でうらめしや…
キャンバスの黒沢あすか
陽子を待たせて1人で食事
妙にリアルだが、パンのプレゼント
他人なのに、車内で食事はOKなのね…
やはりお金は貸さなかった
このシーンの陽子が面白い
喉から手が出てる
付かず離れず…お上手ですね
花のあすか組とは無関係
脱線しないで
ヒッチハイカー見上愛
爆音着信音だがガン無視
着信拒否はしない
ウザい
美人風味…?
ヒッチャーは嫌
ルトガー・ハウアーは大好きだった
リメイク版は観てない
久々の浜野謙太
リアルすぎるレイプマン
コミュ症なのにサクッとヤられちゃう…
割とショッキング映像だったが、ヒッチハイクあるある?
知らんけど
そして海辺で殴られる…
愛は強し?
ネギをそのまま車内に入れてる老夫婦
ネギ臭極まりない
風吹ジュンの真骨頂
軽トラに乗る、軽トラ顔の仁村紗和
中古の軽トラはアメリカで大人気
渡米すればいいのに…
削除しないで
中盤、被災地の海沿いの埋め立て地域
全然進んでない…
「夕方のおともだち」のラストでも観た気がする
大号泣のラストだった…
エクストレイルの初老夫婦に、逆ギレしてブチ切れる陽子
ネクストカオス
恐怖極まりない
巣ごもりアパートから無理矢理飛び出した、手負いのコミュ症系熟女
ヒッチャーである…
最後のヒッチハイクで、出棺に間に合わず、自暴自棄でよく喋り出す陽子
42歳なのね…
こんな話、聞きたくない (運転手・談)
見た事ないオレンジ色のバイザー付きヘルメット
エリア88みたい
EDテロップに「ただの あっこ」
只野和子と勘違い…
知らんがな
雪国地方独特の、ガラスフードの二重玄関
喪服のネクタイが短い竹原ピストル
役柄そのままの見た目
置き去り事件を謝罪しないのね…
「出棺、待ってもらってるから…」(そんな台詞だった気が)
役柄そのままの台詞
この台詞で思わず号泣…
僕は雪国東北人なので、強烈に沁みるラストだった
観て良かった
息を吹き返す
コミュ障40代女性のロードムービー
その中で成長する主人公を菊地凛子が演じる
様々な人に出会い
ヒッチハイクで亡くなった父に会いに行く過程が
死んだように生きていた主人公がどんどん息を吹き返して力強くなっていくのが素晴らしい
亡くなった父、若いときのままで現れるオダギリジョーがなんともカッコ悪くて良い
ハマケンは本当にあの灰皿で殴りたい
被災地で暮らす夫婦に感謝する陽子が泣きそうになる
父の家にようやく着いた時に、いとこの竹原ピストルまずは謝れと思ったし、陽子が倒れたら起こして家まで連れて行けと思った笑
菊地凛子とても良かった!
旦那の染谷君も絶賛してるのわかる
よー頑張った!
まさか、まあ子供怪我したから行くけど
コミュ障の人置いてきぼりは
あきません。
しかし、よく頑張った。
だんだん腹もできてきました。
浜野には、やられましたな。
オダギリジョーは、オリバーに見えてきました。
一人の力では
東京で鬱屈したものを抱えながら孤独に生きる陽子。
ある朝、彼女はしつこく扉を叩く音で目が覚める。扉を開けるとそこには従兄の茂が立っており、父親が亡くなったことを告げる。
茂はきちんとお別れをするべきだと彼女を実家のある青森に連れていこうとする。
どうやら彼女と父親の間には大きなわだかまりがあるらしく、彼女自身が父親の死をどう受け止めてよいか分からずにいるらしい。
陽子は茂の家族と共に車で高速を走りながら青森を目指す。
しかしサービスエリアで茂の子供が事故に合ったため、彼らのもとを離れていた陽子は置き去りにされてしまう。
携帯が故障中の陽子は連絡を取る手段もなく呆然と立ち尽くす。
やがて彼女は片っ端からドライバーに声をかけ、ヒッチハイクで青森を目指そうとする。
とにかく人の目を見られず、まともに会話すら出来ない陽子の姿に、彼女が東京で過ごした日々の暗さを感じさせられる。
人はそれぞれに事情を抱えて生きているが、それを分かち合える他人と出会える機会は決して多くない。
この映画もやはり人の善意と悪意を強く意識させられた。
人の親切につけこんで悪事を働く者もいれば、困っている人の弱みにつけ入ろうとする者もいる。
だからヒッチハイクはする方もされる方もリスクが伴う。
それでも世の中を動かすのはやはり人の善意であると信じたい。
陽子は何度も冷たい反応をされてしまうが、それでも最初に彼女を車に乗せてくれたシングルマザーに、同じようにヒッチハイクをする孤独な少女、親切な老婦人に3.11のボランティアをきっかけに何でも屋を始めた女性と、彼女を助けてくれる人間はどこにでもいた。
もちろん自己責任だと言いながら、彼女にセックスを強要する卑劣な男もいたが。
そしてヒッチハイクの旅で様々な人間に会うことによって、陽子も少しずつ成長していく。
最初は相手の目を見ることも出来ず、質問にも答えられなかった彼女だが、最終的には相手に握手を求め、感謝の言葉を伝えられるようにまで変化する。
そして旅を通して彼女の中で父親に対する想いも変化する。
最初は葬儀のために父親のいる青森に向かっているのに、父親の影から逃れようとする彼女の行動に矛盾を感じた。
幻として現れる彼女の父親はとても若く見える。
だからそれだけ彼女は父親と長らく会っていないのだろうなと思った。
結果的に彼女は20年も父親と会っていなかったのだと、彼女を乗せてくれた親切な父子に告白する。
時間は過ぎてみればあっという間だが、確実に積み上げてきた時間の長さは心に刻まれる。
この658キロの旅は、彼女が父親の死を受け入れ、また人としての心を取り戻すために必要なものだったのだろう。
東北が舞台なのでやはり東日本大震災の爪跡を感じずにはいられなかった。
あれだけの災害もあっという間に過去のものになってしまったが、まだまだ現在進行形で復興は続いている。
そのことも決して忘れてはいけないと思った。
打ちひしがれて黒
そう、第一印象は黒
昼間は仕事にしないで家にいる
だけど罪悪感があるからカーテンは閉めっぱなし
暗くて汚れが気にならないから掃除はしない
出かけないから風呂にも入らない
着替えない
人と会わないから声も出ない
楽しみはネットや漫画、テレビなど
イカスミパスタも、心の中のどす黒いものが出ている様に見える
一生懸命何かをして挫折して引きこもって気づいたら鬱だった
そんな経験をした事がある人が表に、ましてや実家に帰るしんどさが伝わる
見ていて、体が重い
ヒステリックに父親と話す様は八つ当たりにも感じ取れる
自業自得?そうじゃない
自分が思い描いていた人生と違うのはよくある
苛立ちと絶望は人の行動を制限する
世の中、良い人ばかりではない
あんな対価のセックスでよく先に進んだなと思う
それだけ長年、何をやってんだと自分に毒素をかけていたんだろう
立ち上がったその原動力を探る
雪(白)が今の季節と相対感じ、とても綺麗だと思った
胸が痛い
次の日のお昼の告別式に向けて青森(弘前)に行く途中で乗せていた従姉妹を忘れて出発してしまうなんてちょっとヒドい話しと思っていたら、落ち着きのないアスペルガーっぽい子供がSAで怪我して、急いで病院に連れて行ったために、携帯が壊れているのにSAのはずれの雑木林にふらふらと行ってしまった陽子と連絡がつかなくなったのだった。携帯ないと本当に不便な世の中です。友部SAは常磐道。東北道じゃないから、青森にストレートには行かない。やベーよ。福島のいわきから太平洋側を北上して岩手久慈を通るルートだった。ぶっ飛ばしても1日じゃ着かないんじゃね。しかも、ヒッチハイク。弘前は日本海側だからそっちのルートかとも思ったんだけど。もうそっちのほうが気になってしまいました。
黒沢あすか(よく食べる)
見上愛(正体不明のお嬢さんハイカー)
浜野謙太(東日本大震災を題材にしてするルポライター。ほんとかよ!)
あと、風吹ジュン。
最後の軽ワゴン車での陽子の独白の内容は本当に胸が痛くなりました。
君は悪くないよ。
浜野謙太(在日ファンク)のくそヤなやつの演技は期待どおり。もう十八番といってもいいレベル。キャストに選んだひとにとても共感。浜野謙太にはもう少しいい人の役が来るようにと願いました。
サービスエリアのトイレで何度でも発声練習しよう。
他人を怖がらず、
自分を励ますためにも。
それでも、あなたの元へ。
他人との間に張り巡らされた溝に静かに半身を澱ませているような陽子。
語らない過去はどれだけ長く続いていたのだろう。
蓄積するほどにその内側には誰も近づけなくなるのを感じながら、払いのける手段を探ることもあきらめたようにもみえた。
他人との関わりを極力排除するかのようにカーテンを閉め切った暗い自室で、世間と陽子をギリギリに繋ぐネットの白い光。
ただひとつ安心できるその無機質な相手を前にしていれば、時々笑いもしながら時は進みいつものように次の日はやってくる。
そこに映し出される40過ぎの女性は、寝癖のついた黒髪とインスタントのイカ墨パスタで汚した口を気にすることもなく、飾り気のない暮らしにぶらさがって出番を待つトイレットペーパーを慣れたふうにからからと回す。
彼女の存在感は生活に漂う白黒の一部に溶けて一体化することを望んでいるみたいだ。
そんな陽子に降りかかってきたのは、長年会っていなかった実父の死がもたらした仕方なく始まるヒッチハイク。
道中の出会いにより直面するのは何気ない親切さや見返りをもとめない優しさ。
そして、無関心、笑顔のなかに誰しもが抱えている裏の面、不条理なできごとの数々。
それらは、陽子が避けてきた人間らしい日常そのものでもある。
彷徨うようにたどりつき倒れ込む海辺のシーン。
恨みやくやしさや不甲斐なさが溢れ大声で泣き叫ぶ陽子に、激しく行き来する波が今の生きた感情にざぶざぶと打ちつけては引いていく。
同時に、陽子がこれまで固く握りしめていた過去の何かも指の隙間からするするとこぼれ波に運ばれ消えていったような気がした。
まばゆいオーラを打ち消して全身で陽子になりきっていた菊地凛子が、亡き父が自分を心配しながらそばにいてくれるのを感じる時、もうちょっとだけ父に甘えかったような心情をのせて娘の頃の顔に戻るのがわかる。
そこに、陽子にとっては簡単ではない道をあきらめず、はじめて苦しくても辛くても気持ちを駆り立てていった理由があったのかもしれない。
この別れにある思いがじんわり伝わってくると、弘前の風が吹雪く真っ白な景色の前にいながら、不思議なほどやわらかなあたたかさに包まれていた。
陽子の長い1日
陽子は42歳。
自分自身の夢を叶える為20年前、地元青森から親の反対を押しきり東京へ。
従兄弟の茂より父が亡くなったを知らされる。
茂家族と帰郷するが途中のパーキングエリアで
取り残され、色白な人の出会いを得て実家に帰る迄の長い1日の内容。
在宅ワークの陽子は人と接せず、黙々とパソコンの前の生活。人と話さない日々が続きコミ障に。
本当話さなくなったり、笑わなかったりしたら
その記憶も遠退き出来なくなる…
茂家族との車中は混乱の表情。人間って自分本位だし。会話音や歌声も受け入れられない。
でもそこで家族、父を思い出していった感じ。
彼女の前に幻想の父が何度もひょっこり現れる。
恥ずかしさと照れが彼女の内部から放出されて、
徐々に父への思いが湧いてくる。
ヒッチハイクで沢山の方々と会って、自己表現の仕方を学んでいく陽子。
ヒッチハイクの方法、声の出し方、感謝の気持ち。木下老夫婦の容姿、作業しているゴツゴツ手がより一層、父への気持ちが溢れた瞬間。
投げ掛けられた言葉も。知らない人の車に乗るのは危険だと。自分が子供なった気分になったのでは。
物事をはっきり言えるようなり、ヒッチハイクの行動も当初とは別人に。
青森行き途中で原発場所や汚染土を目の当たりにする。かなりの時間何も現実を見てこなかったんだろう。
ともかく工藤家に着いて、お父さんの手をぎゅっと握りしめて下さい。
私の経験上、国内、海外に住もうが何かあった時の飛行機代、電車代の交通費を必ず確保して
置いた方が良い。
大切な人と最後会えなくなるので。
お好きな方はスルーでお願いします。
美しい撮影技術に星一つ。ほかは全く当たりませんでした。個人の感想なので赦されたし。ここまで合わないのはマジ久しぶり。
そもそもコミュ障主人公モノが大の苦手なので始めからうわーっとなった。ろくに会話もできない42歳の旅。パーキングエリアの地図に背伸びとか中学生か。そういう設定だとして、そこまでこじらせて、更にハマケンにひどい目にも会わされたあとでちょっと風吹ジュン夫婦に温かくされたら握手、そしてラス前の車中では猛然と一人語りで半生の反省と感謝か。アカンわ。
途中出会う人たちも勝手に自分語りしだすのもそれに全く反応できない陽子にも本当に閉口。万が一の逆転があるかとラストまで退席しなかった自分を褒めたい。
最初は救いと思われた竹原ピストルも、アクシデントとは言え電話も金も持ってないことを知りながら大して探しもせず奥さんを残すでもなく(高速から降りて)病院に行くとかありえんし、ラストで対面しても置き去りにしたことを謝るでもない。一体何なんだ!
テアトル新宿で直前に見た「リバー、流れないでよ」とその舞台挨拶の余韻が台無し。受賞って??
追記。オダジョーの娘菊地凛子。父を憎む発言あれど好きで好きで仕方がない。だからこそ惨めな姿で会いに行けなかった。のかな。
脚本に対する評価とは?
「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM(TCP)」受賞作品、全て劇場とまでは行きませんが、1作を除いて観られるものは出来るだけ鑑賞(今作が11作目)しています。さらに今作は6月の上海国際映画祭で最優秀作品賞、最優秀女優賞、最優秀脚本賞の3冠ということもあり、公開週の日曜午前中回は7割強の客入り。それにしても、テアトル新宿さんは公開週の土日くらい少し早く開ければいいのに、相変わらず客さばきに四苦八苦。ご苦労様ですが、そろそろチケットレスにしましょうよ。
で、映画の感想ですが、正直なところ「もう一歩」かなと言う印象です。
(ここから脚本に触れていくので、一応ネタバレ注意で)
元々TCPにおいて脚本部門で審査員特別賞を受賞し、上海でも最優秀脚本賞受賞など、脚本の評価が高いわけですが、解りやすく言えば「コミュ障がヒッチハイク+震災後と絆」をお題にしてドラマティックにロードムービーを作るとこうなる、的な感じ。展開も意外性はありません。むしろこれを画にしてしまうことで、どうしても端々にリアリティがなくなります。
例えば、(上海の人はそれをどう観るか判りませんが、)車のナンバーが丸見えなため、いくらヒッチハイク初めてでも1台目にその車選ぶかね?と思うや否や、ナンバーから想像する行先までの距離感でまた休憩。わざわざ飯を食うといういじめ?に対し、なら乗り換えろよと思うし。別にコミュ障の人がそういう判断すら出来ないってことはないだろうと思うのですが、それならそもそもヒッチハイクなんて高いハードルに挑まず、SAで職員に相談しなさいよと思ったり。勿論、それをしたらロードムービーになりませんけどね。兎も角タイトルの通り、陽子(菊地凛子)というパーソナリティだけが物語の推進力で、陽子の「しでかす」ことがドラマとなって進んでいきます。その後「出会う人と出来事」からの「陽子の変化と気づき」というロードムービーにおける在り来たりな展開。意外なことと言えば、この調子じゃ着かないと思いきや・・・ま、勿論、皮肉ですけど。
ただ、この作品だけをけなすつもりはなく、TCP受賞作全般似たような印象があり、それは私の好みの問題かもしれまん。2023年はコンペティション実施しないようですが、カルチュア・エンタテインメントさん、若手のステップアップのため、今後も頑張って続けてください。そして皆さんも私の評価など気にせず、折角の上海での高評価がホットなうちに鑑賞してみてはいかがでしょ~。
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