「等身大の「私」」658km、陽子の旅 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
等身大の「私」
主人公陽子が東京から658km離れている青森の実家へ帰省する物語。
コミュ障は古くからあったものではなく、頑張らないまま逃げ続けてきた結果。
父の死
父との確執
さて、
父の霊
従弟が陽子を連れて帰省する際、車の中に現れた。
陽子と変わらない風貌は、今の陽子が実家を飛び出したときの父の年齢になっていたから。
そして彼女が覚えている父の姿
サービスエリアで取り残されてしまった陽子は、コミュニケーション手段であるスマホを壊したことでその他の手段が思いつかないほど思考停止している。
ようやく女性の車に乗せてもらうものの、お金までは貸してくれない。
トイレしかないサービスエリアで出会ったヒッチハイカーの女性
「話したところで、無理だと思う」
一見元気いっぱいの女性の言葉は意味深で、陽子とはまた違った闇を抱えているのだろう。
無理やりホテルに連れていった男は「自分で選択したんでしょ」という。
おそらく陽子はその言葉で、今までの自分の人生すべてがそうだったことに気づいたのだろう。
後悔してももう遅いのだ。
ホテルから海岸線に出る。
父の霊はついてくる。
「どっかいってよ」と叫ぶ陽子。
父の霊は海辺で陽子の頬を平手打ちする。
「ひどいよー」と泣き叫ぶ陽子
そして朝を迎え波に起こされる。
荒れた海 どんよりとした空
この作品のテーマは多義的ではあるが、「本来の自分に戻る旅」なのかもしれない。
それが父が望んだことなのかもしれない。
突然死だった父だが、いつも陽子のことを思っていたのだろう。
陽子に「お題」を出した張本人かもしれない。
誰もがぼんやりと自分自身をわかっていながら、ありのままの自分自身ではなく、着色された「私」を演技している。
人との関わりがなくなり始めれば、自分を着色する必要もなくなるが、「比較」しなくなった分虚無感によって自分自身を見失うのだろう。
陽子も知らない間にそうなっていた。
そうなった自分を客観的に見れないことで、外に出ても何もかもが別次元の世界に思えた。
車内で騒ぐ子供のカオスにもどこか現実感を持てない。
「実感がない」
海辺でずぶ濡れになり、自分自身のことを笑った。
老夫婦にお世話になって「握手、いいですか」
お礼の言葉ではなく握手という手段で初めてコミュニケーションができた。
ヒッチハイクは何度も必要だった。
もう出棺時刻に間に合わなくなる。
サービスエリアでヒッチハイクを必死にお願いする。
大声で叫ぶ。
ようやく1台の車に乗せてもらうことができた。
そして自分から、生まれて初めて自分自身のことを話した陽子。
となりの父の霊の手に触れようとしてみる。
ヒッチハイクで気づいたこと。
それは、18歳で実家を飛び出したときの父の年齢になっていたこと。
夢を追いかけ、あきらめ、ずっと逃げ続けて取り返しがつかなくなって、何もないことに気づいた。
「そうしてまともに人と話もできなくなっていた」
陽子はここまでくるためにいろいろな人のお世話になった。
「私一人ではたどり着けなかった。こんな私を乗せてくれてありがとう」
もう時間はない。
最後にバイクで送ってもらい踏切を渡る。
遮断機はアウト・セーフの分かれ目を象徴している。
彼女の足取りは重い。
すでに出棺の時間を大幅に過ぎていたからだろう。
それでも踏切の遮断機を潜り抜けたことが伏線になっている。
ようやく到着した実家
従弟が出てくると「出棺を待ってもらっていたんだ」
その言葉に泣き崩れた陽子
「もう一度父の手を握りたいと思った」
そして実家の中に入っていくところでタイトルが表示される。
実家を飛び出して658km
その距離をいろんな人の力を借りて戻ってきた。
その間に思い出した様々なこと。
陽子の本心 ありのままの私
従弟が車の中で歌った鼻歌
父のよく歌っていた唄は、幼い頃陽子がいつも口ずさんでいた唄
そのリアルな響きとともに自宅中へと入る。
「自分なりに父の死を受け入れる」ために。
何とも言えない雰囲気の作品だった。
陽子という等身大に共感する。
どうしようもない状況に置かれたことで否応なしに行動を迫られる。
その中で「精一杯のことをする」ことを学ぶ。
タイムアップ
全力を尽くし、覚悟した。
「お父さん、待ってるぞ」
初めて全力を尽くし、結果が出た。
間に合ったのだ。
人生の困難のひとつを乗り切った。
それは自分の力ではなくいろいろな人のおかげ。
最善を尽くせば、覚悟も決まる。
結果は、そのまま「受け入れる」以外はない。
人生でひとつこれができればいい。
素晴らしくいい作品だった。
おはようございます。
すごいレビューですね。
R 41さん、激賞していて嬉しいです。
R41さん、目が良いんですかねー。
私、お父さんの顔とか全然見えなかったっす!!