「陽子の658km・・・それは陽子の20年間の距離!!」658km、陽子の旅 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
陽子の658km・・・それは陽子の20年間の距離!!
凄い映画だった。
熊切和憙監督は「海炭市叙景」からずうっと“すげえー“と思い、
「私の男」でも“すげえー““カッケー““無敵やん“好きだわー“
と思っていた。
長いブランク(に、思えていた)
「#マンホール」で、復活したやん・・・そう思って嬉しかった。
その熊切和憙監督が本格的に戻ってきた。嬉しい。
重ねていう凄い映画、
現実を切り取った描写、
女優ではなく、陽子という名の女性、が存在していた。
菊地凛子、きくちりんこ、RINKO KIKUCHI、
彼女が特別な存在の女優と、前からそう思っていたが、
その思いを強くする映画だった。
フィクションですらなくて、一人の人生に敗れた女・陽子。
(でもドキュメンタリーでは、全然ない、)
陽子そのもの、
陽子そのまま、
東京に負けた女、
都会・東京の1300万人の一人で、誰にも振り向かれず、
振り返られず、
居ることも知られず、
誰にも気にも留められず、
陽子は、20年前に青森から上京して、
なりたいものがあって、
その20年間のどこかで、
なりたいものに手が届かない・・・
それが分かったのに、しがみついて、頑張って、意地張って、
しがみつき続け、
自分に嘘をつき続けて、気がつけば、冒頭のように、
人の目を見て話すことも出来ない、
顔を上げて空を見上げることも出来ない、
負けて、敗れて、落ちぶれて、
死んだ目で、死んだように生きる、
もう若くもない、美しくもない、女の花の時期を、
燻り続けた、
長い、長い、長い20年間。
「父死す」の知らせを従兄弟の竹原ピストルから知らされる。
一緒に車で青森に帰る途中、
アクシデントでサービスエリアに置き去りにされて、
財布ひとつ(手荷物は車の中)、所持金は二千四百三十円、
ひたすら意地張ってるから、
警察署に駆け込むなんて・・・出来やしないし、
親戚の婆ちゃんに電話しても、
「立派になってー」とか言われて、
辛くて、辛すぎて、
受話器をそっと置いてしまう・・・
(チクショー、泣けてきやがった・・・)
(故郷に錦を飾る筈だったんだよ・・・)
(なりたいものになって、
(成功してさ、なりたいものになってさ、誉められてさ、
(お父ちゃんにも、誉められたかったんだよ、
(それまで・・・どうしても、・・・絶対に帰りたくなかった・・)
658kmの旅で、陽子は別人に変わった、
声を張り上げ、
「どうしても、青森に行きたいんです」
「乗せてください、お願いします、どうしても行きたいんです」
大声で言える人間に変わっていた。
《成功者でなくても、普通に息して、食べて笑って・・・
《他人とお喋りして、笑って、腹立てて、ムカついて、
《普通に生きれば良い・・・》
《それだけだ》
菊地凛子が国際女優と呼ばれる理由、
本物の人間を体現出来る理由・・・
それは私にも、きっと誰にも、分からないけれど、
表現者として真っ当に、真っ直ぐ、
人間として素晴らしい人、
多分・・・なんだなと思った。
菊地凛子はアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた「バベル」も
痛い役だった・・・聾唖の女性の歪さ、と父への愛がもっと欲しい・・・
うまく言えないが、なんかもう、凄かった・・・
インディーズの「トレジャーハンター・クミコ」でも真価を知った。
生意気で身の程しらずだけど、
「658km、陽子の旅」は、
キネマ旬報ベストテンで上位にあがるし、
監督、作品、主演女優でも注目されるだろう。
ただ私的に残念と言うか、自分が悪いんだけど、
オダギリジョーが、
陽子の父親の若い頃の役で、
《幻影で陽子を悩ませる・・・》
(そこまでは分からなかったんです)。
最初の降ろされた手洗い休憩所の電話ボックスに、
オダギリジョーが一瞬映りました・・・
・・・それが父親だと、分からなかったんです)
風吹ジュンの役・・・
人間のあったかさ、人の優しさの象徴ですね、
こちらも声ですねー、声でなんとか・・・
・・・この老夫婦と握手するシーン、
・・・一番好きでした・・・
心を揺さぶる・・・という意味で名作だと思いました。
(熊切監督は本作のような作家性のある作品でこそ、
(本領を発揮する・・・そんな気がします)
いつもコメントありがとうございます。
私、視力は良いのですがけっこう老眼で困っています。
さて、
菊地凛子さんの演技も見事でした。
他の俳優陣もすべて「等身大」を表現していたように思いました。
分裂したままの親子関係に、父は相当悩んでいたように思います。
スマホを壊したのは父の「いたずら」でしょうか?
おそらく陽子に今の自分自身を気づいてほしかったのでしょう。
どうしようもない状況を作り出すことで、否応なしに行動しなければならない。
そのために必要なコミュニケーション
そうして自分自身を取り戻して言った陽子
やがて自分自身の本心がはっきりとわかってくる。
生まれて初めて一生懸命になれた。
でも時間切れ
全力を尽くし、覚悟した。
最後に思い出したあの歌
父の鼻歌は、そもそも陽子が歌っていた歌
その曲と一緒に実家へと駆け込む。
陽子の心情を演技として表現しています。
20年という年月を経て、陽子は自分自身をようやく取り戻したのでしょう。
なかなかいい作品で面白かったです。